第二話 退魔師の集落

 深い山地の奥の奥、四方を小高い山に囲われたその場所に、陽向の一族がいる集落はある。
 遥か昔から退魔を担う一族としての血統を維持してきた陽向家は、余所の血が混じることを極端に嫌う排他的、閉鎖的な家柄だ。だが同時に退魔師とは魔を祓ってこそ。だから陽向家は求められた依頼は積極的に請け負う。
 今回の河童退治も、そんな依頼の内の一つだった。
「長老様、依頼完遂につき四名、無事帰投致しました」
 集落の中にあるもっとも大きい屋敷の中で、四人の少年少女が座る。日昏、昊が礼儀正しく畳の上で正座している横で堂々と胡坐をかいて腕組みをする晶納を、日昏が無言で睨む。が、居住まいを正す気配は無い。
 横に並んで座る三人の前で、正座する旭が正面の人物へ事務的に報告を済ませる。
「ほうかえ、ご苦労だった」
 禿頭に白い顎鬚を伸ばした老人は、旭の報告に満足そうに頷く。老齢にしてはピンと張った背筋。着物の上からでも察せる体つきには衰えが見えず、両の瞳にも老人の濁りはどこにも見えなかった。
 現陽向家の最古参、多くの者達から長老と呼ばれる彼は陽向隷曦れいき。この集落と外との関係を保つ重役の長としての任も負っている。
「では、その河童は生かしたまま帰したのだな」
「はい。昊の力で対話を試みた結果、理解を示してくれたので。我々で街から遠く離れた海岸まで連れて行きました。別に淡水じゃなくても水場があれば生きていけるらしいので」
「余計な手間増やしやがって、殺しときゃよかったものをよ」
 舌打ちと共に愚痴を溢した晶納に日昏は鋭い視線を、昊は困ったような表情をそれぞれ向ける。
「なぁ、じーさんはどう思うよ。人外なんざ、皆殺しでいいと思わねーか」
「晶納、口の利き方」
 背中を向けたまま旭が注意するも、晶納は聞き入れない。
「どうせ連中にゃロクなのがいねぇんだ。あの河童だって、次は海で船や人を襲わないって言い切れんのかよ。無理だな、どうせアイツはまた人を襲う」
「そんなことっ…!」
 昊が声を上げて否定する。河童との対話を唯一行えた昊には、あの河童の反省と改心の気持ちがよくわかっていた。だからこそ、その言葉には黙っていられなかったのだ。
 そしてそれをよく知っている旭も、晶納の睨みで怯んだ昊の続きを口にする。
「昊には“感応”の異能が備わっている。その昊が言うんだから間違いないよ。河童は反省して、もう人は襲わない。そう約束したんでしょ?」
「は、はい…。そう、言ってくれました」
「ハッ、そう言ったからなんだ?人外にゃ言葉や気持ち程度じゃ割り切れない本能ってモンがあっただろうがよ」
 吐き捨てるように言い放つ晶納の言葉に、昊は詰まる。
 正常な人間には、あるべき本能というものがある。それは生殖本能であったり、生存本能であったりだ。呼吸や食事をして命を繋ぎ、睡眠をして明朗な思考を保ち、性交をして子を成す。三大欲求もまた本能の一つだ。
 それと同じように、人ならざるものにも本能は存在する。ただし、彼らの場合は人間とは勝手が異なるのだ。
「人外共はオレら人間から発生した存在だ。連中の多くは人を害する本能を併せ持つ。だからオレら退魔の人間が生まれたんだろが」
 人間という種には、無から有を生み出す力がある。それは意識的に行えるものではなく、また個によって成せる業ではない。
 『群による想像の創造』と云われている、人間種に備わっている力。それは多くの人間が共通して得た像や現象、能力を現実のものとして産み落とす。
 大昔の日照りや大雨は、天空のさらに先に座す神なる存在の機嫌次第によるものだと信じられてきた。後光を差し、羽と頭の光輪を持つ天使と呼ばれる存在を多数従える全ての頂点。そういうものが、実在すると古代の人間は信じて疑わなかった。
 そうすることで、無数の人間に信じられることで。存在するはずのない架空の存在は力と姿を得て世界に出現した。
 妖怪や悪魔や妖精や精霊なども、そうして生まれ実体を成し続けている。それらはあらゆる場所にいて、人の世に紛れて暮らし、あるいは人を傷つけ殺し喰らったりする。
 人間の感情や認識の集積で産み落とされた人外の者達には、感情や認識に従った本能が植え付けられている。
 敬い尊ばれた存在は、人々に加護や恩恵を与える。
 畏れ怖がられた存在は、逆に人々に悪意や殺意をもって害を与える。
 そういう風に出来ている。人が生きる為に自然に呼吸をするのと同じように、人外達にも呼吸と同じ程度に自然に成してしまう、成さねばならぬ本能があるのだ。
 たとえば河童の場合、それは…。
「馬鹿を言え。河童とは本来水神の零落した姿だとされるのが一般的だ。そして水神には信仰の供物として初物の野菜を供えることが欠かせなかった。つまり河童の本能など、欠かさず胡瓜きゅうりを食らう程度のものでしかない」
 何も人外の本能全てがもれなく人に害なり福なりを与えるものばかりではない。今回のように、まるで余所に迷惑をかけない小さな本能もある。とはいえ、そんな些細な本能でも達成しない場合は人外にとって呼吸を止めるのと同じ死活問題になりえるのだが。
 日昏の説明に安堵した昊へ、振り返った旭が微笑みかける。
「そういうこと。大丈夫だよ、あの河童は約束をちゃんと守ってくれるさ」
「あ…はいっ。旭兄様!」
「フン、どうだかな…」
 そっぽを向く晶納を静かに見つめていた隷曦が、僅かに唸りながら顎鬚をいじる。
「まだ、晶納の質問に答えていなかったのう。……その言い分に、一理あると儂は感ずる」
 その発言に、顔を正面に戻した旭が瞳を鋭くする。
「……それは、殺しておいた方が良かったという、言い分に対してですか?」
「そうだ」
「理由をお訊ねしてもよろしいか、長老殿」
 聞き捨てならなかったのか、日昏も口を挟んでくる。
「なに、簡単な話だ。人外は生かして非難されることはあれど、殺して責められることはないからだ。不安な要素であれば排除しておくに越したことはなかろう?」
「分かってんじゃねぇかじーさん。その為の退魔師オレらだ」
「「……」」
 否定の言葉を紡ぎかけて、旭と日昏は同時に思い留まった。
 ここは報告の場。こんな無為な言い争いをする為に来たわけではないし、それに加えて、
(この堅物に、これ以上何か言ったところで)
(無駄、かな)



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「あぁーあ、クッソだりぃな」
 屋敷の正門を出て、まず最初にぐっと伸びをした晶納が心底からの感想を漏らす。
「なんだってあんな河童如きに四人掛かりで行かなきゃならねんだっつの。オレ一人でも充分だったわ」
「仕方ないよ。僕達はまだ退魔師としては未熟だし、チームを組ませた方が安定する」
「それにお前一人だとすぐに暴走して野垂れ死にしそうだしな…」
「あ?」
「はい待ったそこまでね」
 ぼそっと呟いた日昏の言葉を耳聡く拾った晶納が喧嘩腰になるのを、間に割り入って旭が止めさせる。
「大体、僕達の歳での面子だけで外に出れてること自体がもう特別扱いだからね」
 旭と日昏と晶納は今年でまだ十六。昊に至っては十三歳だ。
 通常陽向の退魔師は十八になるまでは集落の中で研鑚を積む。実戦には早いというのもあるが、集落内で最低限知識を学ばせる必要があるからだ。
 ここでは高校卒業程度の勉強までなら教えられるし、そうなれば卒業できる歳まで時間を掛けて教えて行く必要も出て来る。退魔の勉強や訓練も加えれば、普通は早くても十八歳までは集落の中で育てられ外に出ることはまずない。
 この場の四人の習熟が想定以上に早く、四人で組ませるのなら問題ないと判断されたからこその特例だった。
「にしても他にあっただろ。ほれ、最近なんかあっただろどっかで。高速道路に出没するっていう犬っころのヤツとかよ」
「人面犬か。あれは相当強いらしいぞ、ここから出向いた陽向の人間でも仕留められず返り討ちにあったという話だ」
「じゃあ僕達じゃ無理だね」
「そうですね…大人の退魔師でも無理なら、わたしたちでは」
「余裕だろ、よゆー」
 頭の後ろで両手を組んだ晶納が青天の空を見上げながら簡単に言ってのける。
「オレらがなんで特例扱いされてると思ってんだバカ。他の連中よりも特別強いからだ。やれんだろ、四人なら」
「…ふーん。四人なら、か。へえー」
「あ?なんだ旭テメェ」
「いや別に?」
 考え方も言葉遣いも乱暴だが、なんだかんだで自分や仲間の力量はよく理解しているし信用してくれている。そこが陽向晶納の良いところだと、旭は心中でこっそり感じていた。
「…よし、ちょっと言ってくるわ」
 組んでいた両手を解いて、踵を返した晶納が出たばかりの屋敷へ引き返そうとする。
「え、長老様に?」
「おう。その人面犬ぶっ殺す依頼を受けに…いでぇ!?」
 いきなり横合いから頭部をぶん殴られた晶納が真横に傾き、一瞬の後に反動で上体を戻して大声を張り上げた。
「誰だコラァ!日昏かテッメェ!!」
「なんでだ。俺じゃない」
「じゃ誰……あ」
 四人の視線が集まる。そこには、筋肉の甲冑の上に服を着ているような長身の男が立っていた。日焼けのせいか、影も差していないのにその表情は黒くてとても見えづらかった。
 この集落で子供に勉強を教えている教師の一人にして、退魔師としての訓練も兼任して見ている旭達にとっても縁の深い人物、陽向是才ぜさい
「よう晶納、おかえり」
「お、おう……先生。ただいま」
 憤怒していた様子から一変、途端に表情を固まらせた晶納が歯切れ悪く挨拶する。
「ここを発ってから一週間か。距離も考えれば完遂までの時間としては上等だ。よくやったぞ」
 岩石みたいにゴツゴツした手で頭を撫でられている間も、晶納の汗は止まらない。
「…それで、俺がやっておくように命じた、一週間分の宿題、……もちろんやってあるんだよな?晶納」
「(…そういえば宿で兄様が晶納様に注意していたのって…)」
「(うん、そう。その宿題。教えないように先生に言われてたから、せめてちゃんとやるように見といてあげようと思ってたんだけど、ついぞやらなかったな……)」
「(馬鹿め、何故こうなることを予想しなかった…)」
 他三人が様子を遠巻きに見ながらこそこそ会話している間も、是才の詰問は続く。
「どうした、顔を上げろ晶納。なんだその異常な発汗量は。さっきまでの威勢はどこへ行った」
「…………し、」
 ミシリと頭に乗せられた手が頭蓋を圧迫する音と痛みを堪えて、晶納は苦し紛れのようにその手を振り払って、
「知るかボケェ!!ガキの本分は遊びだぁーッ!!」
「(あっ逃げました!)」
「(そして開き直ったよ)」
「(普段子供扱いされると激昂する癖にアイツ…)」
 全力で背を向け走り去っていく晶納を是才は見逃さなかった。動くたびに全身の筋肉から固いバネが捩れるような音を立てながら踏み込んだ両足を解放する。
「その前に学生の本分だ、晶納。逃がさんぞ…!」
 砂煙を上げて瞬時にトップスピードを叩き出した是才から、あと何分、いや何十秒逃げられるか。そんなことを考えながら、旭は戸惑いがちに晶納の逃げた先を見ていた昊の手を取って日昏と共に歩き出す。
「まあ…身から出た錆、ということで」
「ああ、帰るぞ。一週間とはいえ、やはり遠出は疲れる」
「えっと…いいんでしょうか…」
 自業自得の晶納を気遣う昊と呆れた表情で見限った日昏。
 この四人で再び退魔の依頼がやってくるのは、その次の週のことだった。