第三十話 陽向晶納


 『陽向家』。
 その発端を遡れば行き着く先はどこまでも太古。
 古くは祈祷師、占星術師。書物により記載された存在としての初出では陰陽術師。これらは星々を月を太陽を神秘の一つであると信じた時代から、代々脈々と引き継がれて来た由緒正しき血族である。
 この家が皆にそうと信じられ、敬われ、慕われ、雇われ、成し遂げ続けてきた使命は今も変わらず。
 人に害成す、人ならざるモノの退治。
 それが使命にして宿願。
 だから『陽向』は戦い続ける。たとえ若くして死すことになろうとも、彼らはこの使命を誇りに抱いて戦地へ赴く。宿願を果たすべくして悪しき人外を討つ。
 だが。



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 叫び出しそうになるのを必死に堪え、肩の傷を手で押さえながら走る男がいた。その男はズボンこそ穿いてはいたが、上半身は何も身に纏っておらず半裸であった。
 その表情が恐怖一色に染まっていなければ、きっと男はすれ違う女性全てを振り向かせるだけの魅力を備えた美丈夫だったに違いない。事実、精悍な整った顔立ちにはある種の畏怖を感じさせるだけの奇妙な美しさがあった。
 あらゆる女に対し恋心、劣情を煽り立てる魅惑チャームの宿り手。かの者は人に非ず。
 キリスト教に端を発する魔性種。その真名を夢魔という。
 男の夢魔を表すインクブスたる彼はこの状況を察していた。逃走経路が誘われたものであることを。
 どんどん人気の無い路地の奥へ奥へと逃げ込まされている。追ってくる二振りの巨大な両刃の刀が他の経路を許さない。
 止血もままならず、裂傷は肩から鮮血を流し続けている。早く、早くヤツを撒いて手当てしなければ。
 自分が何をしたのか。原因は、わからなくもない。
 夢魔という存在は人間種でも知名度は高い。人の夢に現れ、男の夢魔は女へ精を打ち込み、逆に女の夢魔は男から精を搾取する。
 同類同士での繁殖が不可能である夢魔らは、他の種と交わることで同胞を増やして来たとされている。女夢魔スクブスに関しては精を糧に生き長らえるとも伝えられていた。
 そんな異種間との性交は夢魔達にとっては珍しいことではなく、人に限らず他の魔性種や鬼性種、物好きによっては魔獣種や幻獣種と交わることもあり、性に関し非常に奔放な悪魔であると認知されていた。
 人外には、自身が生み出された異議や意味を示す『本能』と呼ばれる習性や欲求が存在するが、夢魔の場合は性交そのものが本能でもある。この点においては人間種ともさほど変わらない(睡眠欲や食欲を押し退けるほどの膨大な性欲であること、交わる相手に同種以外をも容易に受け入れることなどは人と大きく異なるが)。
 当然ながらインクブスの彼も、その抑えられぬ欲求を人間種相手に発散させていた。とはいえど、彼は人外にしては真っ当なまでに人間という存在を評価していた。同列視、さらに言えば友好的な関係を望んでいたとすら見受けられる人格の持ち主であった。
 我が身の性質故に夢も現も問わず女を毎夜抱くことを余儀なくされていた彼だが、強姦紛いの行為は極力避けるようにしていた。処女を相手取ることはもちろん禁忌と戒め、自分と同じく溢れる性欲にうなされる女性にのみ限り夢見に現れた。それもなるべく独り身を狙って。
 そうすることで、ほんの少しでも人の世に与える干渉を抑えようとしていた。事実、そんな彼の涙ぐましい苦労によってこの街では夢魔の存在は噂に上ることすらない。
 誰もが自らの欲求不満から見る淫夢だと信じて疑わなかったし、それを他言するような者などもっての他だった。
 ならば、一体、どうして。
 夢魔は今、こうして退魔師に追い回されているのか?
「………ぅあっ!?」
 曲がった路地のその先から轟々と縦回転する巨大な刃。咄嗟に横っ飛びに躱したものの、狭い通路を思い切り真横に跳べばすぐ間近の壁に激突することは考えるまでもなく分かること。
 既に酸欠に近い状態で逃げ回っていたインクブスにはその判断すらも下せていなかった。
 ずるずると肩をぶつけた肩を擦らせて地面にへたり込むと、すぐ背後から妙によく耳に通る靴音を鳴らせて現れる男。
「…何故だ!?」
 振り返る余力を声量に回し、インクブスは理解できないと叫ぶ。靴音は真後ろの位置で止まった。
「なぜ、どうして僕を狙う!確かに僕は人間種にとっては良き存在ではない。だけど、だけどそれでも仕方ないじゃないか!!人間の女性でなければ、僕は駄目なんだ!」
 夢魔の中にあって、彼は低位の存在だった。他の種族では返り討ちにされる恐れがあった。特異家系や異能力者などの例外を除き、全種族で最弱とされている人間種の女を相手にしてようやく彼は夢に取り入り本能を果たすことが出来ていた。
 無論、被害や騒ぎを大きくすれば退魔や滅魔に襲われることはあり得る話だと理解していた。特に滅魔の『憑百』は、問答無用で殺しに来るはずだ。
 だが退魔なら。退魔を担う『陽向』であればその限りではない。
 人に仇なす害ある魔を、彼らは打倒する。そういう家柄だった。
 この男が陽向の一人であるのなら、きっと事情を話せば分かってくれる。分かってくれると信じていた。
「頼む助けてくれ、僕は人が好きだ。人間に無暗やたらに迷惑を掛けるつもりはない。これまでだってそうして来た!だからっ」
「黙れ害悪」
 命を乞うインクブスへ返される無情な一言。相手の気持ちも事情も一切聞き入れるつもりのない、殺意だけを詰め込んだ冷徹な言葉。
「テメエは何だ、人か?違うだろクソ野郎。人ならざるモノだ。人外は漏れなく全て悪だ、存在そのものが害だ。生かす価値はおろか、見逃す理由がどこにある?」
 ブォン、と。巨大な刃が空中で回転する。
 それはまるで縄を切られる直前の断頭台。
「待っ、て……嫌だ。違う、頼む!殺さないで…」
 涙を流してインクブスが懇願するが、それすらも聞く耳は無く。ただ彼は自らの名より出でし天秤刀を操る。
 斬首された夢魔の首が、絶望に染まる表情のまま路地の端まで転がっていくのを彼は―――陽向晶納は冷めた瞳で見届けた。



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 善しも悪しも関係なく、ただ人外だからと殺し続ける退魔師がいた。
 陽向晶納。星の加護を名に持つ退魔師。
 受けた任務をほぼ『人外の殺害』という形で遂行させてきた陽向らしからぬ陽向。
 そんな彼に与えられた次なる任務は『調査』。人外らしき存在の目撃情報を元に、噂の元凶が如何なる者かを見定め、対処するというもの。
 無論晶納は相手がどれだけ善性を持った人外であろうと、見つけ次第殺す以外の考えは抱いていなかった。
 さらに言えば、この任務には晶納を躍起にさせるだけの情報がちらついていたのもある。
 『夜ごと、人の言葉を話す犬が出没し人を驚かせる』。
 いつかの因縁を清算する時が来たのだと、晶納は任務を受けたその日に猛々しい笑みを浮かべて哄笑した。