第四十話 落とされた火蓋


「…あ」
 そう長いことは待たなかった。避難させていた白を保護し待機していたリリヤは、ふと眼前の空間に切れ込みが入るのを見た。
 切れ込みはすぐさま左右に開き、まったく違う屋内の光景を覗かせていたそこから連れていかれた旭と、連れて行った四門が現れる。
「旭さんっ」
「……あぁ」
 駆け寄るリリヤに、旭は力ない笑みを返した。随分と憔悴しているように見えるが、一体どうしたというのか。
「まだ痛むところ、ありますか?それとも具合が優れません?」
 高位妖精であるリリヤの治癒によって負傷は回復したはずだが、疲労まで拭い去ることは流石にできない。あの憑百を相手にして疲れがピークに達したのかもしれない。
 そんなリリヤの慮るような視線に応え、一度首を振って旭はもう一度笑う。今度は不審がられないよう、一層に気を払いながら。
「ううん、大丈夫。ありがとう、リリヤ」
「…はい。であれば、良いのですが」
 上手くいったかどうかはわからないが、ひとまずは彼女もそれで退いてくれた。せっかくの再会だったというのに、リリヤには悪いことをしてしまったと心中で謝罪する。
「それで、向こうで何があったのかはお訊きしても…?」
「うん…そうだね。巻き込んでしまったし、それくらいは話したって問題は無い。ですよね?」
 リリヤの控え目な態度に大きく頷いて、確認のように背後に付き従っていた四門を見る。こちらも眼鏡の位置を直してから鷹揚な挙動で深く一礼し、
「ええ。あなたのお好きなように。当主様はそのようにお望みでしたし、私達はそれに従うのみ。一仕事も終えたことです、我々は帰るとしましょう」
 そうして羽織る狩衣を翻し、挨拶代わりに檜扇を一振り。最後に一言、知らぬ名を呼び掛ける。
冬夏とうか秋春あきは
「はいはい!」
「了解っ」
 四門の背を見送っていた旭とリリヤの間を小さな影がぴょこりと二つ横切る。驚いて視線を落とすも既に間近に出現した気配の姿は欠片も捉えられず、また上げた視線の先にも神主然とした風体の背は消えていた。
「……、不思議な、力の方々ですね」
 まるで瞬間移動。何処から来て何処へ行ったのか、足跡すら辿れぬ彼らの動きは常人はおろか特異家系者の誰であっても捉えることは叶わないのだろう。
「空間を繋げ渡る四方の門、彼らはその担い手の一族だよ」
 きょとんとするリリヤに答えてあげても、やはりいまひとつピンと来ていないようだった。無理もない話だとは思う。
「四門の一派だったかあのガキ共。どうりでいくら追っかけても捕まえらんねえわけだ」
 二つの足音に振り返れば、満身創痍の退魔師と人外がやって来るところだった。
「そっちも生きててなにより。助けてもらったのに追いかけ回したら駄目だよ晶納」
 不機嫌に舌打ちする晶納とは対照的に、アルは少年のような満面の笑みで走り寄る少女を抱き上げていた。
「……アル」
「おお!よかったぜー無事で。ちょっとした社会見学のつもりがとんでもねえ目に遭わせちまったな、すまん白!」
 血と煤と土に塗れた体を直接触れさせないようにして抱き上げられていた白は、それでも構わないとばかりに伸ばした両手をアルの首にぎゅっと回して、
「……べつに、いい。アルがぶじなら、なにも、こわくないから」
「かっはは!そうかそうか、まったくいい女だお前ってヤツは」
 抱き着く両手が僅かに震えていることにも気付いた上で、アルは気丈に振る舞う愛しの守護対象の頭をわしゃわしゃ撫でた。
「あー!そんな乱暴に女の子の頭撫でたら駄目なんだよアル!あと傷を治すからほら、そこに座って!」
「大袈裟ですぜリリヤ様、こんなん掠り傷だっての」
「どう見たって大怪我じゃない!いいから早く!」
「……アル、すわって」
 瀕死のわりに飄々とした態度の妖魔を巡って二人の少女が騒ぐ中、周囲を見回していた晶納は端的に問う。
「ヤツは?」
「…憑百珀理との戦闘で巻き添えを喰らって死んだよ。もとより君との闘いで事切れる手前だったのもあったしね」
 ヤツ、とは何を指したものか。それは言葉にするまでもなく都市伝説の怪異のことであったが、旭はその末路について嘘をついた。
 晶納との接触を避ける為、カナには奏の遺体ごと場所を移ってもらっている。このあと時間をもらって単身会いにいくつもりだ。埋葬はできずとも、せめて不自然ない形で家族のところへ帰してあげたかったから。
「フン、そうか。つまらん最期だったな」
 完全に興味を失くしたのか、晶納は旭の言葉を真に受けてそれっきり人面犬のことには触れなかった。今はそれよりも重要な話題がある、と言いたげでもある。
「何が起きてる。トチ狂った憑百のクソ共が暴れ回ってたのは今回に始まったことじゃねえが、四門まで関与してくるとなりゃ話は別だろ」
「今それを話すよ、この場にいる全員に。いいだろう?晶納だってもうアルとは闘うつもりはないみたいだし」
 仲良く一緒にここまで来たのだから、今更これ以上の戦闘にはこだわらないはずだ。相変わらず忌々し気に人外勢を睨む態度は変わらないが、旭の言葉に否定を返さない辺りは図星と見える。



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 全国各地に点在し、人外の引き起こす騒動・騒乱の兆候を探る者達が在った。彼らは隠密に動き、日の下にあっては自身の顔形すら変えて密偵の真似事すらこなしてみせる。
 必要とあらば迅速に事の仔細を各特異家系へ届け出、事件の収束に従事する伝令の役目も担っていた彼らは退魔師を生業とする陽向の家にとっても必須と言える貴重な情報源でもあった。
 普段使いの姓を風間かざま、そして裏の顔として動く際に『風魔ふうま』を名乗るは古きより暗躍を果たして来た乱破の末裔、忍ぶ者。
 その特異家系一派の集落が一夜にして焼け野原と化したことは、唯一生き延びた若き一族当主の報告によって明らかとなる。
 以前より動きに不穏のあった憑百家の動向を見張らせていたのが癪に障ったのか、人外滅殺を行う片手間に行われた風魔大虐殺の暴挙を止めるには時間が足りな過ぎた。いや、憑百の動きが迅速に過ぎ、そして異様だったというべきだろう。
 よもや特異家系丸ごと一つが、たった三人の憑百に滅ぼされるなどと誰が予想できようか。
 これにより情報経路が断絶された為に特異家系同士の足並みは崩され、ついには神門家が重い腰を上げるまでとなった。自身の手足でもある四門を動員し指揮系統を統制、力の弱い家系には里や集落を放棄し身を隠すことを進言したが結果としてこれは杞憂に終わる。憑百にとっても眼中にない者達は手に掛けるまでもないと判断され襲撃の気配は皆無だったからだ。
 憑百家の愚行は留まることを知らない。神門家当主の決定に異論を唱える者は無く、憑百家の歴史に終止符を打つことをここに宣言された。
 ただの一人も残すわけにはいかない。滅殺を掲げる彼らの意志は一つの塊となって蠢き続けている。故に宣言内容は単純明快。
 殲滅戦。



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「―――というのが、僕が神門当主から聞いた話の内容になる」
 黙していた一同からそれぞれの感想が零れ出る。
「憑百殲滅戦か。一筋縄じゃいかねえ話だ」
「アレと同じレベルがゴロゴロいるってんなら、面白そうだが笑えねぇ状況ではある」
 憑百琥庵の脅威を直に受けた晶納・アルの両名は事の深刻さに表情を険しくさせる。アルにとってはあまり実害の無い話かと思ったが、陽向が憑百を止められなければいずれ人外滅殺の波はアル達妖精種にも襲い来る、そうと考えれば他人事でもいられないか。
「…和解の道は、無いのでしょうね」
 悲痛に満ちた声音で呟くリリヤに応じることは出来なかった。もうアレらとは言葉で済ませられないところまで来てしまった。
 そんな状況の中で、一つ得られた朗報があるとするならば。
「晶納、僕らは一度集落へ戻ろう。神門当主が言うには、憑百家から離反した者が一人、日昏達の手で保護されたらしい。その人からなら詳しい事情や情勢も聞けるかもしれない」
「憑百の離反者?なんだってこのタイミングで」
 怪訝に眉根を寄せる晶納だったが、旭にとってみれば逆の見解だった。これより先は引き返しの利かない道、抜けるならおそらくはこのタイミングが最善だったのだろう。追手から逃げ回ることを加味した上でも。
 憑百という異常集団の中でそんな真っ当な思考を有している者がまだ存在していたという事実自体は、確かに奇妙と言えば奇妙ではあるが。
 聞くべきことは全て聞いたと判断したか、治癒の光に当てられていたアルが立ち上がる。
「…リリヤ様、妖精界まで送ります。これ以上人界こっちに留まんのはやべえ感じだ。しばらくは妖精界に居た方が安全だと思いますぜ」
「その言い方、まるで自分はまだ残るとでも言いたげだね?アル」
「……また、そういうこと、する?」
 リリヤと白にジト目を向けられても、アルの態度や意見は変わらない。
「まだ野郎に借りを返せてねぇ。やられっぱなしでいられるか。今よりもっと力がいる。それを探すには妖精界は狭すぎるんですよ。白!お前も危ないからリリヤ様と一緒に」
「……やだ」
 言い終える前に、白はアルの腰に手を回して密着していた。幼いながらに、引き剥がされまいとする懸命さは裾を握る拳に強く乗っている。
「……いっしょって、ゆった。だから、だめ」
「いや、だからな?」
「アルも一度ゆっくりすべきじゃないかな?今日明日で戦いが始まるというわけでもないのだし、まだ時間はあるよ」
 白の駄々から畳み掛けるように継いだリリヤの援護によって、なおも何か言い掛けていたアルもついに折れた。ガリガリと頭を掻いて大きく息を吐く。
「…分かりやしたよ。ひとまず妖精界で取れるモンは取ってから行くか。収穫の目処が無いわけでもないしな」
 脱力した白を抱っこして、諦めた様子のアルは「小細工は好きじゃねぇが、ジジィからルーンも教わっとくか…」などと呟いて強化計画を練り上げ始める。
「チッ。おいクソ人外、こりゃ俺らの問題だ、勝手に首突っ込む準備してんじゃねえよ、二度とそのツラ見せんじゃねえぞ」
 嫌悪感たっぷりに言い放った晶納に、アルは意地悪そうな笑みを返した。
「バーカ、もうこっちだって被害者だっての、関わる理由は十二分にあるわ。テメェこそもっと腕を上げとかねぇと次こそお陀仏だぜ?」
 ピキィッ!!とこめかみから血管を浮き上がらせ激昂寸前の同輩の背を押して旭が動く。
「はい帰ろうね!どうして君らは間が空くとすぐ喧嘩するかな!?」
「放せやテメこの!」
 ジタバタ暴れる晶納を羽交い絞めにして引き摺る。純粋な筋力勝負なら〝倍加〟を持つ旭が有利だった。
「アル!僕からは関わるなとは言わない、聞く耳持ってるとも思わないし。ただ、これは覚えておいた方がいい」
 別れ際、旭はせめてこれだけはとアルに助言を与える。神門から教えてもらった憑百の主戦力たる存在を。
「『七宝衆しっぽうしゅう』…滅魔精鋭部隊の名だそうだよ。あの男、憑百琥庵もその一人だ。もしこれと衝突することがあるなら、真っ向勝負は避けなきゃいけない」
 それを受け、もがいていた晶納の動きもぴたりと止まる。何が彼をそうさせたのかは分からなかったが、内から滾る熱はより増して見えた。
「…上等だ、七宝。皆殺す」
「肝に命じておくさ。つーか、命じておくべきはそっちの馬鹿の方じゃね?」



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「君達には本当に世話になった」
「いいえ、気にしないでください」
「奏ちゃんのこと、すまない」

 晶納には最後に結界の解除確認と街の様子を見て来ると言い、アルと白にはお別れ前に少しお話しをしたいと言って、旭とリリヤは再びカナのもとへ舞い戻った。
 カナの主、奏の遺体は彼女の自宅にほど近い大通りの外れへ安置させてもらった。偽装しておいたタイヤ痕や破壊されたガードレールなどから事故状況は再現されている。専門家を前にどこまで通じる手か分からないが、深く掘り下げられないことを祈る他ない。
 公衆電話で通報し、じきにサイレンが鳴り響く頃。彼らは路地裏で顔を付き合わせていた。
「何度も言ったろう、君達に非のある話ではない。浅薄だった私の失態だよ、何もかもな」
「カナさんも、あまり自分を責めないでください」
 リリヤは言っている間にも酷く複雑な表情を維持していた。慰めがカナの為にならないことも、不作法に彼の主だった少女のことを語るわけにいかないことも分かっている。最善の言葉を見つけられず、その思慮深さが逆にリリヤの心を痛めつけていた。
 これ以上触れるべきではない。カナの後悔も絶望も、自分達の言葉で覆せるほど浅いものではないのだから。
 旭は努めて明るく、話の方向を変えに行く。
「カナ、君はこれからどこへ?さっき話した通り、これからしばらくの間は憑百の気配が色濃く広範囲を埋めるだろう。下手に人外としての動きは見せない方が良い」
「忠告痛み入る。私も、私が生きる意味を探すことにするよ。ああ、君が必要とするならばこの身、いつでも出陣の準備は整えておこう。牙は既に抜かれているがね」
 憑百家との戦争に横槍を入れる。その行為自体はアルと似通ったものだ。けれどしかし、カナの行動理念にはアルのような活気に満ちたものは無い。むしろ仄暗いそれは如何なものか。
 奏を喪ったことへの八つ当たりか。それとも自ら死地を求めてか。
 どちらにせよこの一件にカナを介入させるのは良くないと直感した。そもそもがお門違いなのだ、いくらこれが人外を滅ぼそうとする憑百を相手にしたものだとしても。
 とはいえ人外勢にそんな言い分は馬の耳に念仏を唱えるに等しく、自らの存在を脅かす外敵に黙っていられるわけもなし。
 つまるところこれは、特異家系も人外も諸共全て敵に回した憑百家の孤立。人ならざるものの敵意に囲まれる中で、同じく人として異能を有する者達を相手取る四面楚歌の状況。
 近い内、特異家系憑百の暴挙は人外勢にも知れ渡ることになるだろう。その時、黙って殺されることを恐れ逃げ惑うばかりが全てではない。アルのように、喧嘩を丸ごと買い取る輩も少なくはないはずだ。
 間違いなく、荒れる。ともすれば表の世界に隠蔽し切れないほどの波紋を生み出すこともありえる戦争。
 その時、陽向家として自分はどうあるべきか。
 敵を討つべきなのか、はたまた世の平和を守るべきか。
 答えはまだ分からない。結局誰にも口に出来なかった問い掛けに対する答えも用意できていない旭には、まだ。
 何とも応じない旭をどう思ったか、カナは無言を返した彼に対し意味を察しかねる頷きをしたのちに、
「いずれ、また会おう。どの道きっと、この恩を返すが為に君達とはまたまみえることとなろうよ、そんな気がしてならない」
 二人の返事を待たずして、カナは人面犬本来の脚を使って瞬きの内に消え失せてしまった。彼が人間を主としていた数年の証を首輪と、そこに挟んだに刻んだままに。
 また会おう。そう言ったカナの言葉を辞令の句として扱わなかった旭には一種の予感があった。きっと近い内、悲観に暮れるあの人外と共に肩を並べる日が来る。
「…では、旭さん。わたしも行きますね。そろそろ顔を出さないと妖精界、きっと大騒ぎになっちゃうから」
 ぺろりと無邪気に舌を出して、リリヤテューリが一歩前に出て手を差し出す。また会えたことに喜び、また語らうはずだった時間はあの狂った特異家系に奪われてしまったが、それでもこうして再会できたことに旭は感謝しかなかった。強く出された手を握る。
「うん、また。…またいつか、君に会いたい。話したいんだ、君と、もっと多くを。だからまた会おう、きっと」
 一方的にそう喋り、彼女の手にメモ用紙を押し込める。そこにはアルに伝えたものと同じ、自分の通信端末の連絡先が記されていた。いつでもとはいかないが、これで今までよりは連絡が容易になるはずと信じて。
 ぎゅうと握られた手を見下ろして、朱に染まった頬のまま旭の顔を見上げたリリヤは照れ臭そうにはにかんで、
「はい。……はい、きっと」
 しっかり、二度三度と頷いて未定の再会を確約した。


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 集落へと帰る道すがらの、何気ない会話の最中だった。
「それにしても意外だったよ。君が人外を前に手を出さず見逃すなんて」
 我ながら失言だとは思った。だけどそれ以上に興味の方が勝ったのだ。あの陽向晶納が、まさか数人もの人外を眼前にしておとなしく撤収を選ぶなど。
「あ゛?」
 対し、晶納はくだらない質問を聞かされたと言いたげに不快そうな面を隠すこともせず、ただ事実を述べるように演じた口調でこう語った。
「……別に。ただあの野郎、戦闘の最中でも周囲に気を配ってやがった。人外のクセに、人のいる建物を避けて、壊さないように注意を払ってやがった。…たぶん、そういうのを考えずに闘ってりゃアイツはもっと善戦できてたんじゃねえの。そういう意味ではまあ、ちっとは認めてやらんでもねえなって、思っただけだ」
 陽向晶納は人外に一切の容赦をしない。ただしそれは人に害成すと断じる人ならざるものへの情けを捨てているだけであって、同胞であるただの人間に対してはどこまでも情けをかける一面があるのは知っていた。
 だからこそ、人間を庇い闘ったアルを『人を守るモノ』として認めたのかもしれない。
 そんな風に考えた旭の考えを読んだのか悟ったのか、晶納は訂正するようにバッと顔を向けて取り繕いじみた言い訳を始める。
「人外なんてクソばっかだけどな!たまたまあの野郎がそういう行動したから、だからブチ殺すのを少し待ってやってもいいかと思っただけだ。だから…!」
「うんうんわかったわかったよ。晶納は優しい子だねぇ」
「だから違うっつってんだろ!俺はヤツらを―――……、!?」
 宥めるように爽やかな笑顔で応じる旭へさらに言い募ろうとしていた晶納の言葉が半ばで途絶えた。尻切れ蜻蛉に消えた言葉を求めるように旭が顔を向けると、

「―――あ、あ…あぁ、そうだ。人外は……さ、なくちゃ。ころ、ロ、ころろ……ここ、ろ、さささ殺頃凝ろささなな殺すコロさ殺す殺さなくちゃならな殺す殺ろろ殺す殺すなきゃなァ」

「しょ、…う、な?」 
 そこでは様子の急変した晶納の瞳が虚空を捉えて譫言を漏らしていた。刹那に異常を察した旭の呼び掛けにも、彼の怖気の走る独り言が途絶えることはなかった。
「殺す殺す。人外はぜんぶ殺すころし尽くすから殺さなきゃ殺す死ね全部殺せば殺す」
「おい、…おいどうした、晶納!!」
 思わず肩を掴んで揺さぶれば、深淵の洞のようだった瞳に光が戻り、間近の旭をしかと映した。
「…………あ?」
「大丈夫か?様子が変だったけど、かなり疲れてるんじゃない?早く休んだ方がいいと思うよ」
 寝起きのような反応で旭を見つめる様子には多少以上に危機感を抱いたが、今それを言及するのは何故だか躊躇われた。だから焦りを隠して体裁を整えるように旭はそれだけ忠言しておくに留めた。
「あ…?ぉ、う、そうだな。ああ、そうするさ」
 
 苛立ちを覚える。晶納にではなく、自分自身に。 
 思い出してしまう、彼が口にした言葉を。信憑性を持たない妄言に過ぎないそれを。

 『陽向の家はそろそろ限界かもしれねぇぞ。そうやって人外を倒すべき守るべきで見境付けたいのなら、その信念固く保てよ』

 数年前の言葉が今でも頭に強く残る。なんで、どうして今それを思い出すのか。
 いや、いいや駄目だ。
 思い返してはいけない、思い出してはいけない。
 違う。今考えるべきは、打倒憑百。それだけでいい。
 まずは帰ろう。そして情報を得なければ。憑百を離反した憑百に、何が起きたのかを詳しく聞かねばならない。
 そう。神門から聞いていた通りならば。
 憑百家を離れ、追手から逃げ続けながら決死の思いで生き延びた女。それこそが『七宝衆』の一角を担う者。
 『還渦双蘭かんかそうらん』の憑百由璃ゆうりその人であるならば、かの特異家系の事情を知らないわけがないのだから。