第四十六話 大海の宝物


 昊による陽向家への能力上昇付与。平時よりも遥かに冴え渡る五感、身体は軽く異能発動による負担も激減していた。
 その状態をもってして、互角。

「…ッ!」
「―――!!」

 憑百に全神経を向けていた彼への初撃は容易に入った。胴を打ち後方へ吹き飛ばすことでその場から一時的に退避させ、心苦しくもあったが敵二名を日昏に一任し旭は彼への説得に専念することにした。
 しかし風魔迅兎は聞く耳を持たない。
「落ち、着けっ!迅兎君!」
 刀身ではなく手首を弾くことでなんとか徒手で攻撃をいなしてはいるが、それも〝倍加〟によって反射神経や動体視力を強化しているからこそ成せる業だった。
 並の実力者では見切ることすら不可能だと、旭は確信する。これに真っ向から抵抗出来るのは自分以外では〝鋭化〟を持つ晶納くらいのものだろう。
 とにかく速過ぎる。今自分が目の当たりにしている姿が幻影ではないと断言できない、刹那の内に対峙する影が陽炎のようにゆらりと消え失せる。
 これが最速の特異家系者。その当主。
 無傷で、とはいかない。自分も、また相手にも。
「誰が望む!?君の決死を、復讐の成就を!」
 手首関節を極め動きを止めようとしたところを。忍の一族にとって関節の操作など造作もないものだったことに勘付くが既に遅かった。
「……語るか。部外者が、我らを…ッ!」
 動きを逆に誘導され、殺意の滲む眼光を走らせ迅兎の足裏が鳩尾に深々と突き刺さる。苦悶に喘ぐ暇さえ無く胸倉を掴まれ投げ飛ばされた。
 どこにそんな力が、とは思わない。古武道にも似た力の流動操作だ。見事なまでに乗せられてしまったことに歯噛みしつつ空中で体勢を復帰させ二つ隣の商業ビル屋上に着地。
 それと同時に周囲の地面が爆ぜ、鉄片が中心に位置する旭を襲う。
(誘われた!)
 罠地へ踏み込んだ。いや、踏み込まされた。
 〝倍加〟で振るわれる四肢で鉄片を迎撃し回避を繰り返す。破片手榴弾と同じ原理による現象の模倣、異能力者や特異家系者でなければ無数の孔を穿たれているところだ。
 やはり本気。手心など最早忘れたとばかりに忍者は同業者へ情け容赦を掛けない。
 爆風と鉄片に意識を散らされた旭のいる屋上の直上へ現れた黒布の青年がサッカーボールほどの大きさの球を手から落とす。
 着火された焙烙玉を蹴り抜き、旭の脳天を狙う軌跡で特殊な火薬を用いた爆撃が降る。
「ッ!〝我が身は」
 ボゴォォン!!!
 空を仰いで言霊を紡ぐ最中に着弾し、四階建てのビルは丸ごと爆炎を地上まで貫通させて崩壊した。
 正気を見失った風魔迅兎が抱くべき情は無い。ただ障害となる邪魔な『敵』を屠っただけのこと。  
 そう見切りをつけ、即座にあの二人を殺すべく思考を切り替えた。
 跳躍の為に脚へ力を込めた時、足元のコンクリートが赤熱し出したのを目の当たりにして瞳を僅かに見開く。
「…その陽は灼け衝く無謬の裂光!〟」
 九つの輝く陽玉が迅兎の止まっていた建物をバターのように融かして荒れ狂う。
「まだだよ。…まだだ、〝劫火壱式!〟」
 飛散する溶鋼と熱から顔を背けた彼の背後から声は聞こえた。逆手に握る短刀を突き出すが躱され、交差するように胸部へ押し当てられた掌底に乗る小さな火球がカッと眩い光を放ち、
「〝鳳発破!〟」
 先の焙烙玉のお返しとばかりに、爆裂した火球に吹き飛ばされた迅兎が地上へ落下する。
「…効いたよ。結局真名も発動が間に合わなかったし、ね」
 焼け焦げた左腕から黒煙を燻らせて、旭は自らの腕がまだ死んでいないことを確認した。指、手首、肘から肩。爆撃の直撃を避ける為に犠牲としたが骨肉(特には肉)へのダメージだけで済んだ。
 まだこの腕は拳を握れる。
 それに、あれのおかげで少し頭が冴えた。そういう意味では、礼すら言ってもいいくらいだろう。
 風魔唯一の生き残りを死なせたくない。かつての会合で顔を合わせたあの少年を救いたい。
 そんな私情は、この際もうどうでもいい。
 今の自分は陽向家当主。その立場からして実利を考えなければならなかった。
 うまいこと受け身を取った迅兎が忌々し気に旭を射竦める。旭は一切動じることなく歩みを進めた。
「退け、…邪魔だ」
「これは個による喧嘩じゃない、戦争だ。君の力も、この先で必ず必要になる。困るんだよ、ただでさえこちらは憑百へ対抗する戦力に不足しているんだから」
 意識して思考を強引に切り替える。こうしなければ自分は、満足に陽向家の人間として機能的に動くことすらままならないから。
「僕も今から私情を捨てる。だから君も私情は斬り捨てろ。君の復讐は、遠からず我ら総員で成し遂げるものだ」
「抜かせ!!整然な理屈を飲み込めるほど理性的に見えるか!?」
 吼える迅兎の姿が掻き消える。視覚はもう信用ならない。引き裂く空気、爪先が叩く音、不自然なまでに消し去られた気配の残滓を追い掛けるしか対応する術は無い。
 意地の悪い物言いだったな、と悔い改める。
 だが激昂は誘発できた、これで攻撃はより読み易いものとなる。
 理屈じゃない。それは旭にも痛いほど理解できる。彼自身も幾度となく味わって来た辛酸でもあるから。
 でも今だけは屈して欲しい。
(必ず報いは受けさせるから。奴等を見過ごしはしないから。だからその為に今は)
 今はただ、理屈に押し潰されてもらう。



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 『七宝衆』の側近二名。当然ながらその実力は高い位にある。精鋭の一人である日昏だけでは手に余るほどに。
 だが、焦りを見せているのはむしろその憑百の方だった。
「何、が。何が起きている…?」
「珊乍様か…!?」
 主君たる女性が危機に陥っている事実を、薄らいでいく彼女の気配から察する。にわかには信じ難いが、『七宝衆』が何かに圧倒されている。
「糞が!雑魚に構ってる場合じゃねえ、行くぞ坐菫ざきん!!」
「急くな黝赫ゆうかく。…足元を。掬われるぞ」
 荒々しく犬歯を覗かせて叫んだ同胞を宥め、坐菫と呼ばれた男が片手を振るう。
 鞭のように撓り振るわれた腕に追随した邪気が、屋上の貯水タンクが落とす影の中から飛んできたナイフを三本破砕して散らす。
「陽を扱う退魔師が。図に乗ったな」
 侮蔑を込めた言葉に動じることなく、水面の如く波紋を刻む影に潜む陽らしからぬ男。
 日向日昏は自身の得意とする戦場を用意していた。
「目的が変わった。神童と持て囃されようが小娘は小娘……と考えていたが」
 影より半身を現し、日昏は両手に構える小振りのナイフを強く握る。
「一任するに足る、か。気を違えた乱破の鎮圧に当主が手を焼いている今、俺の成すべきはそのどちらでも無い」
「ゴチャゴチャうるせぇ」
 一瞬で肉迫した黝赫が影ごと地面を打ち砕くが、そこに日昏の姿は無かった。
「間を稼がせてもらうぞ。貴様等はここより先へは進めん。無論、後退もな」
「ッ…あァ!?」
 拳を振り抜いた状態で動きを止められたことに癇癪の声を上げるが、威勢に反し肉体の縛りは解けることがない。
「縫ったか。厄介な」
 黝赫の足元から伸びる影に突き立つ二本のナイフ。陽により垂れる人の半身、その自由を奪うは陰の使い手。
 影縫いの刃を蹴散らそうと前に出た坐菫を阻むように膨れ上がる影の津波。傾いた日は少しずつ彼の真価たる領域を広げていく。
 無理を通して勝利を掴む必要は無い。此度は七宝討伐遠征という名目上、最優先目標は『七宝衆の撃破』にある。
 当初の計画とは幾分逸れたが、結果として憑百珊乍の首を取れれば戦果としては十二分。
 日昏はこの側近達を合流させないことを念頭に戦闘を展開する。
 しかし。
「…ッアァああ!!」
 ボゴン!!と、身じろぎすら許されないはずの影縫いを地面ごと強引に破壊して黝赫の背中から〝憑依〟の圧力が吹き荒れる。
「畜生、畜生が。―――珊乍様に、手間を掛けさせちまったじゃねェかこの塵蟲がァ!!」
(何をした、この男…?)
 日昏も縫い止めた相手の力量くらいは把握していた。長く続くことはないと分かっていたにしても、早すぎる。もう数分は縫えたはずだというのに、黝赫は日昏の想定を超えて影縫いを力技で解除した。
 理由が判明しない。唐突に地力が跳ね上がった、という程度の推測しか…、
(……まさか)
 飛び掛かる一撃を影へ退避して躱し、数メートル離れた陰影まで下がってから気付く。もう一人の憑百、坐菫の威圧感も増大している。
 両者同時の強化タイミングからしてカラクリは同一のものと考えるのが妥当だが、だとするならばあまりにもその現象に
「そういうことか。これは…押さえ切れるか怪しくなってきた」
「世迷言を吐くな。貴様如きに」
「テメェ如きに俺らが押さえられるわきゃねえだろうがああああ!!」
 陽の裏にある陰すらも持ち前の力で捻じ伏せて、退魔を殺す滅魔が荒れる。



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「そういうこと。…先に言っておいてほしかったかも、由璃」
「申し訳、ありませんね神童殿っ!」
 陽向日和が追い詰め、あと一手で決着を迎えるという局面になって、ようやくいくつかの疑問が解消された代わりに厄介な事が増えた。
 改める。やはりあれは紛れもなく七宝の一角だと。
「余所の家に隠れてこそこそと!やっと現れたかと思えばこの売女が、ウチの秘匿まで遠慮なく漏らしてくれちゃってどこまで恥知らずなんだかねぇッ!」
 四方八方に振り回される力の正体は未だ掴み切れないが、どうやら触れた物体を破壊しているらしい。
 爆裂するように四散する瓦礫や地面の欠片に注意を払いながら動き続けるのは四名。最初から対峙していたタケヤ・音々と一気に形勢をひっくり返した日和、そして交戦途中から合流した由璃だ。
「……売女?」
「ああ、えっと」
「なに?そこのお嬢ちゃん知らないの?じゃあアンタ保護してもらっているトコにまで事情を話してないってわけ?」
 嘲るように珊乍が由璃の言葉を待たずに語る。
「そこの女はなんの力も無いただの人間おとこに惹かれて憑百家を逃げ出そうとした裏切者なんだよ。ウチらの使命も忘れて駆け落ちなんざ時代錯誤にも程があるってのにねぇ!」
「黙れ。妄執に取り憑かれた一族に嫌気が差したのも理由の四割だよ」
 かつての同胞に対しては丁寧な口調も忘れ素らしき態度を見せる由璃。どうやら憑百を抜けた理由の半分以上はその一般男性との恋慕に傾いているらしい。
「うん、まあ、なんでもいいけど」
 攻撃を軽々躱し、日和は草履の爪先でツツと地面を擦り五行を呼び起こす。
「〝壌土漆式・牙嚼宮がしゃっきゅう〟」
「!!」
 唱え、土行の呼応に地が唸る。
 珊乍の立つ周囲のアスファルトが罅割れ、地中から巨大な牙の生え揃ったあぎとが一対。突き上げるように伸びて珊乍を呑み砕く。さながらアイアンメイデンのように、内部で無数の土棘に刺し穿たれる殺傷術式。
 それを、やはり枯れ果てる樹木のように塵芥へと変えて憑百珊乍は抜け出た。
「腐っても七宝、一筋縄にはいきません」
 追撃を加えようとしていた由璃が動きをキャンセルし、日和へ注意を促す。
「ん、知ってる。別に手傷を負わせたかったわけじゃないから」
 必要だったのは情報、そして確証。
 あの女は今の術式を打ち消した、抵抗した。
 初撃の水行術は違った。あれは抵抗すらしていなかった。水刃は肌に届く前に掻き消されていた。
「海の宝物、珊瑚。…そう、そういう能力か」
 日和は『七宝衆』をよく知らない。由璃から聞いていた話と、実際に交戦した憑百鏖釼との僅かな情報のみ。
 そんな中での珊乍の真名看破は極めて難しい。が、いくらかタネは割れた。
 そして日和は少しだけ不機嫌になった。
「昊姉ぇと同じ力。…こんな、女が」

 憑百家の真名は陽向家のそれより遥かに厄介だ。一つの性能にいくつもの効果を宿している。
 珊瑚とは海に成る宝。
 それはすなわち全生命の根源たる大海の力に通ず。
 故に水の干渉を受けず、また水を介する術技に対し絶対的な優位性を誇る。
 だがそんなものは本質の一端に過ぎない。
 もっとも面倒なのが、その力が『空より降る恩恵』に対極を成す『地より広がる恩恵』であること。
 大海の宝物は、他の宝石達へ母なる海の恵みを与えることが出来る。

「こんな、とは失礼極まりない。ウチこそが憑百の要、数ある宝石の磨きを手伝う者。『清纏すいてん抱沸ほうふつぎょく祓手はらいて 』さ」