第五話 月下の薄羽と黒衣の脅威

 隠形術おんぎょうじゅつというものがある。
 主には名の通り隠れ潜む術である。それは魔から自身や他者を隠して、守ったり逃がしたりする為に使われるのが一般的であるが、これを陽向家は改良して人払いの結界として再構築することに成功していた。
 魔ではなく人々を遠ざけることによって被害を押さえる方法である。
 今回の場合、それを四方に柱を据えることによって発動した。
 人面犬が出没するとされている高速道路一帯を数キロ単位で囲い、その四方にそれぞれ陽向の人間が配置に付いて、発動。そして迅速に人面犬のもとへ向かったのが晶納だ。
 発動に際し四方に置いた結界の柱が無事である限り、普通の人間はその範囲内へ存在することを許されない。さらにその結界内で起きるあらゆる騒動を認識できない。視覚、聴覚、あらゆる感覚においての知覚を遮断される。
 それが人払いの結界の効力だ。
 だから、その結界を発動した者以外で気配があるということは、可能性は二つ。
 人払いの結界、その影響を受けない人外か、あるいは。
「……同業者か」
 結界の柱として設置した術符に破壊防止の術式を込めた直後、背後から静かに迫る気配が小さく確認するような囁きを溢した。
「お前達は、何者だ」
 晶納と人面犬が衝突したのを確かに感じ取りながら、日昏は人気の無くなった無人の街中で誰もいない道や建物を空しく照らす街灯の奥へ視線を向ける。
 闇の奥にあるのは複数の人間・ ・の気配。
「…『ツクモ』の一族、その末席を汚す者」
 ツクモ。その名には覚えがあった。
 特異家系と呼ばれる、特殊な力を宿した血族の一派は陽向の家だけではない。現存するだけでも他にいくつかの存在が認知されている。
 そんな中で『ツクモ』といえば、やはりそれは日昏の予想通りの連中。
 大昔から陰陽師なる者が魔を祓ってきたように、伝承に語り継がれるは『神降かみおろし』や『降魔こうま』と呼ばれる術式を得手としてきた神職の家系。
 人の身に神霊や、卜占ぼくせんの為の亡霊などを取り憑かせる術―――降霊術を代々引き継いできた家。
 そして、人の身にて人ならざる存在を受け入れるに足る器を形成し続けてきた、“憑依”に高い耐性を持った一族。
 彼らは神職たる責務を全うせんとして、ある時は神霊を宿し宣託を受け、ある時は人に仇成す存在を討つ為に亡霊や悪霊を宿し身を削って滅魔を遂げてきた。
 その一族を形作るに至った最初の存在…すなわち初代『ツクモ』は、ある逸話によりその名を賜ったとされている。
 曰く、『百の神霊亡霊を身に取り憑かせ、万にも億にも及ぶ人外を滅ぼしたつわもの』と。
 故に『憑百ツクモ』と。
「……申し遅れた。私は『陽向』の若輩。そちらは『憑百』の古株と見受ける。何用か」
 口調を改め、日昏は闇の奥を鋭く見据える。返答は淡々と、無感情に一定のしわがれた声をしてやって来た。
「…退魔の者か。また・ ・
「結界の根源を求め、ここへ…」
「余計な手出しは無用」
「人ならざるもの、滅殺は我らが宿願、我らが使命」
「即刻我らが眼前、ひいてはこの地より去れ」
 闇夜の奥に潜む『憑百』は五名。それぞれが純度の高い殺意と敵意をひたすらに溜め込み毒素と変えて大気を穢している。さしもの日昏も、五つの身体から放たれる尋常ではない圧迫に息苦しさを覚える。
「…それは、人面犬の始末は『憑百』がつけてくれるという解釈で、よろしいか?」
「知れたこと」
「人面の狗に限った話に非ず」
「薄羽の魔物、滅す」
「退魔なぞの手は必要無し」
「命が惜しくば去れ」
 一斉に言われ、日昏はやや黙考したのちに、言葉を選びながら口を開いて行く。
 この連中、少しでも誤れば即刻対話を放棄する。そういった確信もあったから。訊きたいことの内二つだけ・ ・ ・ ・を優先して、日昏は問う。
「薄羽の魔物、とは?我らは人面犬の情報だけを得てこの地へ来た。他にも何かがいると」
「…即座に滅す」
「知る必要は無し」
「深入りを禁ず」
「若輩故の慈悲、二度目は警告」
「命が惜しくば、去れ」
 初めの忠告を聞き入れず質問したことで連中の神経を刺激してしまったのか、圧迫される空気がさらに重みを増す。二度目を警告とした以上、おそらく次は無い。去らねば相手が人間だろうが同業者だろうが八つ裂きにする魂胆だ。
「いや、もう一つ答えてもらいたい」
 しかし日昏は臆することなく優先したもう一つを訊ねる。
 どの道ほとんど間違いのない憶測だが、せっかく目の前にいるのだから訊かぬ手は無い。
「元々が滅魔と退魔とでは方向性が違う。だからこそ衝突を避けて我々は縄張り争いや依頼の取り合いなどを控えてきた。それは今回も同じこと。そちらが人面犬を滅すと言うのであれば止めることはしない。滅魔を確認し、我らは集落にて事の顛末を告げるのみ。……だがな」
 ポケットから小さな紙箱を出し、上辺を開けて中にあるものを一本取り出して口に咥える。退魔の教育ばかりで息の詰まる思いの多い彼の、数少ない外での娯楽だった。
「普通、ここまで来ると大抵の退魔師は退かぬものだ。事前に滅魔の動きを知っていればこそ避ける。だが目標の居る地に足を踏み入れて、そこでみすみす引き下がる『陽向』などはいない。…そうではなかったか?貴様等が先程『また』と言った、以前この地を訪れた勇猛果敢な『五人の「陽向たいまし」達』も」
『…………』
 五つの『憑百』が同時に押し黙り、何かを切り替える。
 それは若者への慈悲から、愚者への制裁へ。
「どうやら…」
「命が惜しくないようだ」
「無意味なことを」
「選択を誤ったな」
「短き生、ここで終えよ」
 咥えた一本の先端にマッチで火を点す。ふぅー、吐き出す息を、紫煙が可視化させる。
 安物の煙草を咥えながら、日昏は右手を前に出して指先をちょいと前後させて挑発する。
「生憎と、今人面犬の相手をしている者は大馬鹿でな。耄碌もうろくした老害の言葉など何一つ聞き入れはしないだろう。……俺とて、一族の仇を黙って見過ごす気は毛頭無いぞ」



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「なるほど、『憑百』が来てたのか…」
 結界発動後に合流した旭と昊は、遠方で展開された二つの戦闘を視覚ではない退魔師特有の六感のようなもので感じ取っていた。
 旭の袖を指先で摘まむ昊が揺れる瞳で見上げている。後頭部に括られた鈴の音も、どこか不安を表すかのような不安定な音を発した。
「兄様、大丈夫でしょうか…」
 今にも泣きそうな昊の頭をゆっくり梳いて撫でながら、旭は一切の動揺を見せずに頷く。
「平気だよ、二人には名の解放許可を与えてある。晶納には神代の一振りがあるし、日昏なんて今が夜間である時点で地の利を得たようなものだ」
 それでも苦戦は避けられないだろうけどね、と心中でのみ呟いて、旭は自分のすべきことを模索する。
(さて、昊が感知した正体不明の三つの内一つは『憑百』だった。残り二つもおそらく騒ぎに乗じて動き出すだろう。必然、僕はそっちに回るべきとなる)
 問題は、残り二つの勢力の関係性だ。敵対しているのなら旭の介入で三つ巴となる可能性が高いが、もし手を組んでいたりした場合は、その二つを同時に相手しなければならない。
 昊は戦闘には向かない。安全な場所から援護してもらう。そもそもが、昊はそれこそが本領だ。
 頭を撫で続けながら、旭は周囲に気を配ったまま昊に命じる。
「どの勢力にも手が届かない安全な場所へ行って、そこで君は『そら』を解放して。そうすれば僕達の負担はぐっと軽くなる」
「…兄様は、残りの二つを…」
「うん、行ってくるよ。昊もお願いね。この夜天、君の力なくして乗り越えられるほど容易くはなさそうだ」
 頭から離れた手を名残惜しそうに見つめて、まだ涙の溜まった両目を一度強く瞑ってから開眼する。そこにあった弱気や怖気といったものは全て払拭されていた。
 一度決意を固めれば、昊は強い子だ。ずっと面倒を見てきた旭はそれをよく知っている。
「ご武運を、兄様」
「互いにね」
 胸の前で両手の指を組んで言う昊へ親指を立てて返す。自らに宿す異能を使い、旭は常人を越えた脚力で夜の街を駆け、跳ぶ。
 ひとまず手近な相手へ接触を試みる。どういうつもりか、まったく自分の存在を隠そうという意思が感じられない。まるで悪いことなど何もしていませんよとでも誇示しているようだ。
(自分のしていることに負い目を感じていないか、そうでなければよほど揺るがぬ大義名分でも掲げているか)
 前者にしろ後者にしろ、厄介には変わりない。
 街路樹やビルの壁面を蹴って高く高く移動する。相手もまた高空を跳んで…いや、飛んでいる。
 昊の言っていた三つの内に『同業者』らしきものが二つ、一つは完全に人外のそれだと明言していた。
 飛んでいるのが人外だと確定して、それは追っている旭の側へと真っ直ぐ飛んできていた。
(受けて立つってことかい!強化を三十倍から五十倍へ引き上げ…!)
 どんな相手だろうと構わずまず先手を打つ。
 特に策を講じることもなく愚直な一手を用意して壁を強く高く跳んだ時、ついにくだんの人外と対面した。
 ただし誤算があった。
 旭の予想よりも、少しだけ相手がより高空を飛んでいたこと。これにより、大きく一歩を跳んだ旭は滞空したまま高低の差の中で相手と対面してしまったのだ。
(しまったぁぁあーー!こんなとこでしょうもないポカを…!!)
 悔やむが既に遅い。後悔先に絶たず、思考をすぐさま切り替えて顔を真上へ向けた旭が、次なる誤算に身動きと思考の両方を同時に拘束される。
 何かの術を受けたわけではない。物理的に縛られたわけでもない。
 見惚みとれた。
「―――」
 深い夜空にぽつんと照る下弦の月の淡い光を、幾重もの光彩に変えて反射させるは蝶々のような薄い羽。
 背中に薄い羽を生やす小柄な人外。色素の薄い髪は長く、風を受けて柳の枝のように柔らかくなびく。
 髪と同じく色白な肌。顎を落として真下の旭へ向けた瞳は丸く、髪の合間から綺麗な琥珀色が覗く。
 一秒と少し。たったそれだけの対面を名残惜しませる薄羽の少女が真上を通過していく。
 少し伸ばせば手だって届いた。
 一秒と少しを、少女の儚げな表情が奪い取りさえしなければ。
 いや違う。奪われたのがそれだけの瞬間で済んだのは、

「…逃がさぬ、薄羽の魔物」

 声量の小ささを憎悪で補うおぞましい呟きが聞こえたからだった。
 薄羽の少女を追って新たに現れたのは黒衣の僧服姿の男。
「…五十倍ぃ!!」
 優先順位に逡巡するのも束の間、すぐさま通過した少女よりも眼前に迫る黒衣の男へ意識を注いで強化された脚撃を放つ。
「…邪魔だ、退魔師」
(最後の勢力か!いやコイツ…)
 僧服姿もそうだが、この尋常ではない殺意。明らかに相手を滅ぼす勢いで迫る形相。
「『憑百』…!まだいたのか!」
「二度目は警告だ『陽向』。退け」
 旭の脚撃を防いだ錫杖を振り回し、砥がれた鋭利な先端を容赦なく首筋へ突き出す。
「ぐぬっ!」
 寸前で錫杖を殴って逸らし、空けた間からもう一撃蹴りを見舞うがこれも難なく防がれる。
 数撃の打ち合いで完全に勢いを削がれた両者が真下のアスファルトへ着地した。相手が次のアクションを起こす前に声を張り上げて機先を制する。
「陽向総本家門弟筆頭!陽向旭だ!攻撃をやめてくれ、僕達は争う間柄ではない!」
「三度目は、死のみ」
 少女の追撃を保留にしたのか、静かに錫杖を構える黒衣の『憑百』に聞く耳は無いらしい。ただ名乗りを上げた旭への最低限の敬意のつもりか、聞こえるかどうかの小声でぽそりと。

「憑百家現当主、憑百つくも珀理びゃくり。この名、六銭代わりに三途を渡れ」
 
 我が耳の異常を疑った。それほど信じ難いワードが飛び出たからだ。
(な…ん、だと?当主…?)
 あまりにも疑わしい。特異家系の一つである『憑百』の現役当主がこんなところにいるわけがない。
 だがもし、もし今の言葉を真に受けたとしたら。
(勝てるわけが)
 直後、全身の感覚が消失した。事実に追い付けなかった激痛がようやく全身を支配して、生の実感を得ると共に絶叫が無人の街に響き渡る。