第二十五話 凶星の化身、墜つ


 特殊な意味を持つ位置関係を、順繰りに踏み締めることで効果を発生させる歩き方がある。
 それは陰陽の術、その基本にして深奥の一角、歩行法。
 歩行法の数は退魔師ごとに変わり歩行の仕方もそれに準じたものとなる。
 陽向晶納の場合、彼を象徴するは真名を由来する『三』となる。だが晶納はそれに自らの存在を加えることで半ば強引に数を一つ重ねることに成功していた。
 それが歩琺改式、“是歩ぜっぽ四岑鐙破ししんとうは”。
 対の天秤刀、左手の直刀、そして陽向晶納へと陰陽術の恩恵が纏わる。
 何らかの変化を感じ取ったのか、無言の内に鉄平の斬風が正面から迫り来る。
 回避を択ばず、突き出した直刀柄鋤かなつきで風を斬り払う。ぎらつく両眼には全開の“鋭化”が宿っていた。
 研ぎ澄まされた感覚から、相手の五感の死角を最大限突いた後方斜め上空からの天秤刀金脇の突撃。これは羽団扇による振り向きざま一薙ぎの突風で矛先を逸らされ阻止された。
「ッ!」
 一秒にも満たなかったはずの視線の移動で既に晶納の姿は掻き消えていた。周囲に首を回してみても行方が知れない。
 相手は普通の人間ではない、異常な殺意を持った退魔師。とはいえ人は人外とは違う。空は飛べない。
 そんな至って常識的な判断が、鉄平から『上空からの奇襲』という可能性を奪っていた。
 結果として、真上から降って来た晶納の一閃はまったく対応することもされずに天狗の背中を斬り裂く。
「がっ…!?」
 完全に虚を突かれた。だが驚愕の原因はただそれだけではない。
 強化されたこの身を、刃が通ったという事実。痛みと共に驚き戸惑う。
「クソ硬ェな、分断するつもりだったってのに…!!」
 しかし大天狗へ痛撃を与えた晶納の呟きは苦々しい。渾身の一撃を防御も無しに直撃させた上でのダメージがこの程度だったと憤っているようでもあった。
 マチェットナイフの柄を口に咥えて両手持ちで柄鋤を握っていた晶納へと豪速の回し蹴りが唸るが、直前に割って入ってきた銀脇の幅広な刃を盾にして天秤刀ごと後方へ飛び上がる。
 空中で銀脇を蹴り上げさらに高く空へ。見上げる高さまで跳んだ退魔師を囲う斬撃の風は一つたりとも彼へ掠らない。落下途中でさらに主を追い掛けてきた金脇を足場にして空を駆け回っていたからだ。
 奇襲の正体を知った鉄平が、自らも羽団扇から生み出した風を纏って飛行する。法衣がバサバサと揺れ、結袈裟が舞い上がる。
 空中戦へと移行した晶納と鉄平が夜空をステージに交差しながら飛び交い身を削る。
(速度と、重さが、飛躍的に…増している。退魔、の術法か。……厄介な)
 冷静に相手の能力が向上している現状を認め、鉄平は空中で身体を伏せ直刀を躱す。両断された頭襟がゆるやかに地上へ落ちて行った。
 もはや退魔師の刃は一つとして看過できるものではなくなっていた。油断すれば一太刀の内に今度は命ごと分断されかねない。
 長くを生きる大天狗にも、この状況の急変には目を回しかねないものがあった。
 時代の移り変わりの中で禹歩うほ反閇へんばいなどと呼び名を変えて来た歩行術には、呪術的な足遣いによって地を清め気を高め、心身を豊かにする清浄の意を持っている。『陽向』の退魔師はこの歩行術によって身体能力や呪力の強化を行う基礎を幼少の頃より叩き込まれてきた。
 晶納はその基礎を三年と半を掛けて極限まで叩き上げ、真髄の域に至った者の一人。
 これが五行術も他の基本的な術式もロクに扱えない陽向晶納が単体戦力としては最大レベルの火力馬鹿と呼ばれる所以だが、当然ながらそんなことを天狗が知る由は無い。
 既に不要と認識したのか腰の鞘にナイフを仕舞い、天秤刀の金脇・銀脇を飛び回らせながら足場にし続け縦横無尽に跳ぶ晶納の姿を視覚と斬風で追い掛けながら、
「…く、ふふ」
 大天狗の口元には笑みが浮かんでいた。出血の止まらない背中の傷が痛み、心地良い疼きを与えてくれる。
 古くから続く天狗という種の上位個体、大天狗の半生は闘いそのものだ。弱肉強食そのもの。強きに正義があり、弱きは悪であることが当然の世界。勝利することが全てで力を持つことが誇りであった。
 闘いに生きる者が感じる命の喜びというものは、疑いの余地もなく闘いそのものなのである。
 時の経過によって武力から富力へと強きの基準が転じた今となっては感じることも無くなった歓喜の感情が、この場で久方ぶりに再燃している。
 命の削り合い。自分と並び立つ実力者との死合。
 これが、これこそが本来の我たる大妖怪が在るべき本懐。
「くっクク…はは、ハハハァ!!」
「ぬぅおあああああ!!」
 天秤刀二つを足場に使っている為、また一撃の威力を最大限発揮させる為に晶納の攻撃手段は両手持ちの直刀一振りに限られている。斬撃の風を相殺させながら高速移動と並行して大天狗との攻防を成立させていく。
 歩行術の影響を受けて刀身から淡い光を揺らめかせる柄鋤と羽団扇が振り回される度に互いの身体が裂けて血が噴き出る。返り血が身を染め、噴き散らされた血液が地上へ通り雨のように赤い雫を無数に落とす。
 興奮か怒りか、悪鬼の如く表情を変える晶納の握る直刀が衝突と交差の間際に天狗の胴体を真一文字に斬って飛ぶ。同様に退魔師の右肩にも深い裂傷、ついでのように受けた殴打で鎖骨も砕けた。右腕に込めていた力が急速に緩む。
「チィッ!!」
「はは、ハ!!いいぞ、退魔師!お前、なら……お前にならッッ!!」
 振り回す縦回転の踵落とし、暴風を脚に纏わせたそれの射程圏内に捕らわれた晶納の体が強烈な圧力を受けて直下へ墜落したのを二振りの両刃刀が追随した。
 地面へ叩きつけられる手前で追い付いた天秤刀を二つ重ねてクッションとし、かろうじて墜落死は免れる。再度上空へ跳び上がるべくキッと見上げた空の彼方。
 そこで晶納は星の輝きを見た。
「……あぁ?」
 夜の空を煌々と照らす一等の光。自らの名にも組み込まれている、星の脈動。
 ただ、あれは違う。一等星のそれを遥かに凌ぐ、強烈な白光。大天狗のかざした左手をすら焦がす勢いで、それは放たれようとしていた。
 どこへ?
 決まっている。
「お前になら、いやお前にこそ使おう!これが大天狗の全霊、存在を賭した全開!!貴様と同じくして、星を起源に持つ我が総力の重みを知れ―――!!」
 太古の昔、爆音を上げながら空を一条に走り抜ける光に怯えた者達は、それを咆哮と共に天を駆け下りる走狗に見立てて忌み嫌った。それは災禍を落とす凶星であると信じて恐怖した。
 だが実際のところはなんということのない、大気圏を超え火球と化した流星のことである。これは空中で自壊し爆散、大音響を周囲一帯に発したものを知恵の乏しい古代人が誤認しただけの話。
 最古の記録を辿れば天狗の由来はこれに起因する。中国から端を発したこの説は、唐より帰国した学僧によって日本にも伝えられ日本書紀の一節に記されることとなる。
 山の主や神であると言われる以前の最初期、天狗の大元は星空から成る。
 当時としては永劫届かぬ領域とされていた空の果てより現れる災禍の星。それを彼らがいかに恐れ怯えたのか。度合いはそのまま、この世に現界している天狗という人外の強さに反映されている。
 さらに相手は上位個体、その古株である。長く生きる人外は、己という存在の起源や由来を具現し操ることが出来る。
 なればその輝きは、紛うこと無き最凶の流星。
「……ッ!!金脇、銀脇!!」
 苛立ちに自身の分け身でもある天秤刀を呼び眼前に構える。回避し切るだけの余裕は残されていない。それに位置、角度も悪い。
 大天狗は上空からアレを撃つ気でいる。直撃を避けられても、おそらく工場街は丸ごと吹き飛ぶほどの威力。なら回避はあり得ない。だが防御などもっての外、身体が灰塵と帰すのは明白だ。
 残る手は。
(天秤刀で受け、逸らす!野郎の位置から俺へは斜めの軌道。入射角から考えて極力浅く反射すりゃ地表ギリで逸らし切れる…はず!)
 力を全て天秤刀二振りへ注ぎ回転させる。高速で回る二つの刃が退魔師の力を受けて白く輝きを見せる。まったくもって皮肉なことに、あの空に照る光と同色。星の光。
「…来いやクソ妖怪。テメエの陳腐な星明かりなんぞ、この俺が叩き潰してやらぁ」



「―――“我が身は陽を宿す者”」
 タン、タンッ、と。
 軽やかに地を蹴り朱色の袖が揺れる。



「ああ。このひと時をこそ、求めていたものだ」
 大天狗の左手の上で圧縮された光星が暴れ狂う。右手の羽団扇から生み出す風でようやっと押さえ込んでいるそれを、一息に振り下ろした。
 存在そのものと言い切っても過言ではない一撃。かつての古人はそれをこう呼んだ。
「“奥義・アマキツネ”」
 万物を焼き尽くす流星の砲撃が、落雷に似た轟音を引き連れて地表へ槍の如く尾を引いて墜ちる。



 流星の墜落を視界に入れ、彼女は最後に大きく踏み込み、屋根を破壊しながら跳躍。
「“重なる陽極ようぎょくを讃え、納めた祝詞のりとに誓いこれに遵守を示せ”」
 連ねる文言が力を具現させる。一節ごとに彼女の本質を練り上げる。



 高速回転する天秤刀の盾を前に晶納の肌を焼く大熱量が隕石のように落下した。
 レーザーのように突っ込んできた光線を、真っ向からではなく斜めに受けることで威力の流れを逸らし向きを変えることに専念する。
 眼前で指向性を持った光熱が容赦なく晶納を炙り焦がしていく。交差して重ねた天秤刀がみるみる内に熱し真っ赤に染まっていくのを一番近い距離で目撃しながら感じる。
 熔ける、貫通する。これは出来ない。逸らすどころか、触れることすら…、

「“その陽は撫ぜ愛でる調和の恩光”―――消し炭になりたいの?どいて晶兄ぃ」

 呆れたような声音、真横から天秤刀の盾と持ち主の間に割って入って来るのは小柄な着物姿。
 小生意気な新人退魔師、神童と持て囃される晶納達にとっての妹分。
 さしもの晶納も驚きと焦りで汗だくの表情を強張らせる。
「おまっ、何して…退け馬鹿!!」
「どくのはそっち。解放、『陽向日和』」
 端からドロリと熔解し欠け始めてきた天秤二刀の回転する大盾に手を近付け、大天狗との勝負に割り込んできた日和が真名を解き放つ。
 陽向日和もまた、攻性とも防性とも判別しづらい能力の持ち主である。その点では、共に旭の許嫁として同棲している昊とも通ずるものがあった。
 ただ、こちらに至ってはとてもシンプルではあるが。

 分かり易過ぎるほどに端的に陽を示すは『日』の一文字。それに続く『和』。
 和らぎ、柔らかく、穏やかに、のどかに、静かに、晴れやかに。
 この一文字に集約される意味は数多くあれども、そこには無論のこと共通する項が存在する。
 昂っていたものが和らぎ、強張ったものが柔らかく、荒ぶれば穏やかに、慌ただしくはのどかに、喧しければ静かに、曇りが晴れに。
 転じる力、整える力、抑える力。それが『和』の言霊。
 過剰なものを定値へ引き戻す。あるいは不足まで落とし込む。
 激流を整流へ、あるいは緩流へ調整することを日和は可能とする。
 そう。例えば。
 わかりやすく例えてみるのなら、それは単純に一つの例として。
 
 陽の下に、日和は調和の力を司る。

「…なに?」
 流星の砲撃による反動で焼け焦げた腕から伝わる出力の低下に、大天狗は何事かと怪訝に表情を曇らせる。
 今現在、地上へ向けて射出されているアマキツネの一撃が、並大抵の相手であれば即座に塵と化す最大最強の絶技が、何らかの干渉を受けて弱化させられている。
 陽向晶納が何かしたか。だがどの道、これを凌ぎ切れるはずがない。退魔師の特殊な術法を用いたところで、人間風情で押さえ切られるほどに大天狗の高名と存在は安くない。
 流星の稲光が周囲を真昼のように明るく照らす中、着弾地である地上の一点では半ば以上熔解した二振りの巨刃が健気にも回転を続けながら重なり盾としての役目を果たしていた。
 もって十数秒。そう見積もった鉄平が確信の勝利に口元を綻ばせかけたのと、小さな童女の小さな溜息が漏れたのは同時のことだった。
「……真名解放、出力…“十倍”」
「―――…!!?」
 強烈な虚脱感。自己が不安定に感じるほどの喪失感。先刻とは比較にならないほどの、砲撃アマキツネへの強烈な過干渉。
 威力が削ぎ落とされるだけの話ではない、この流星は大天狗そのもの。砲撃を介し、この干渉は鉄平自体へ弱体化を侵蝕させている。
 有り得ない、なんだこれは。退魔師とは、ここまで出鱈目を押し通す者だったか?
 こんな話は聞いたこともない。明らかにこれまで闘って来たどれとも違う。当然ながらにして今更だが、これを行っているのが陽向晶納ではないとも勘付く。
 尋常ではない。
 冗談ではない。
 大天狗の古株。この最大威力を封殺しかねないこの力は一体何だ。
 答えを見つけ出す前に、アマキツネの軌道が天秤二刀の完全熔解と共に捻じ曲げられる。地上の工場や建物を通過の衝撃と放熱で抉り貫きながら、空から墜ちた流星は再び明後日の方角の空へと帰っていった。
「…………」
 大きく焼けたクレーターの中央に立つ少女が、掲げていた両手を静かに下ろす。着物の袖は両側共に肩口まで焼けて白い肌が露出している。
 あれだけの火力を受け切って、それでも少女は多少息を荒げているのみ。真に恐るべきは、その柔肌に火傷の一つも見当たらなかったことだが。
 脅威だ。アレは、アレらは。おそらく神格にすら通ずる才覚の持ち主だ。鉄平が初めから全力で挑んでいたとして、果たしてアレを打倒せしめたかは心底怪しいものである。
(だが、まあ)
 空に留まる鉄平の周囲を風が取り巻き、斬撃を放つ。
 既に地上からあの少女と入れ替わりに晶納が消えていたことは知っていた。直刀が斬風を迎撃する甲高い音がどんどん間近に迫る。
 真横に視線を転じれば、血塗れの退魔師が刀を引き絞り眼前へと到達していた。天秤刀が熔解した今、おそらくは後先を考えていない大跳躍。
「くたばれクソがぁ!」
「ふぅッ!!」
 右手の羽団扇を手首でくるりと返し、じゃらんと数珠を鳴らせて左手を強く握り突き出す。獣のように吼えて顔を歪ませる晶納と対照的に、鉄平は酷く穏やかな瞳と心地で破砕の一打を放った。

 力は出し尽くした。
 言い訳のしようが無い。
 拳は当たらなかった。刃は胴を裂いた。
 強者が、より高みの強者に敗れただけのこと。
 ならば、良い。
 この闘いは、実に我らしかった。
 きっと大天狗という妖怪に相応しい、決着と末路。
 ああ。
 やはり最期はこうでなければ。
 金なぞ、富力なぞ、財産なぞ、どうでもいい。
 血みどろの殺し合い。高潔な死の応酬。武力で競り合う野蛮な闘争。
 これでこそだ。

 ようやく妖怪大天狗の本懐を遂げられたことに安堵すら覚え、真っ二つに上下両断された鉄平は、落下の強風を受けながら見える逆さまの世界を最期に天寿を終えた。
sage