Neetel Inside ニートノベル
表紙

退魔を担う彼の場合は
番外編 妖精界にて

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「…えー、こうして悪い魔女は倒れ、王子様と王女様は末永く幸せに暮らしましたと、さ」
「……よかった」

 広い部屋、豪奢なベッドの端に腰掛け、絵本を片手にお伽噺の定番でもある締めを終えて青年が本を閉じる。隣で聴き入っていた少女は、何度も何度も首を縦に動かして感じ入ったようにそう呟いた。
 頷く度に揺れる肩付近で揃えられた白銀の頭髪は、シルク地の淡い空色ワンピースと合わさって見る者を瞬間釘付けにするほどよく映えていた。
 対する青年はといえば、そんな少女とはお世辞にも釣り合っているとはいえない、毒々しいまでの寒色で統一された風貌をしている。
 表皮からして褐色で、それもよくよく見れば濃くも薄くも大体デタラメで、間近で見れば若干濃淡で斑に見える部位もある。髪は焼け焦げ煤けたような赤茶色。瞳も魔性種が如き澱みを含んでいた。
 とてもではないが、この『世界』に居座っていい容姿ではない。ないが、彼は元の性質を汲んで同情と情けの上に成り立つ例外として此処にいる。
 それを余計だと思うし、別にそこまで憐れまれる謂れもない。まったくもって不愉快極まりない待遇である。こんな所、今すぐにだって出て行きたいくらいだ。
 彼自身、青筋を浮かべながら文句を垂らしながらもこうしてここ、人の住まう空間とは隔絶された異世界に身を置き続ける理由は、何に置いても隣にぴったりと寄り添う少女以外に有り得ない。
「……ね、アル」
 彼の逞しい腕を自分の華奢な両腕で抱き寄せ、愛おしげにその名を呼ぶ。
「なんだ白。お昼寝にするか?」
 対する彼も、普段からは想像も出来ないほど柔らかい声音で応じた。さらりと傾いだ絹糸のような白銀の髪の間からじぃっと見上げる少女が、彼へと拙い口調で告げる。

「……これ。もっかいよんで?」
「オイ嘘だろ何十回読めば気が済むんだ」

 妖精から悪魔へと半堕ちした妖魔アルムエルドと、療養と介護の甲斐あってすっかり元気を取り戻した幻獣種の白。
 二人が過ごす蜜月の時は、その大半を絵本朗読に費やされていた。



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 人間の持つ畏れや憧れ、恐怖、希望。
 様々な感情の集積によって産み落とされる人外なる存在に、人の住まう世界はあまりにも窮屈で。
 だからこそ彼らは試行錯誤の末に生み出した。人間と同じように、自分達が望み希う理想の土地を。
 一つの世界を強引に割り裂いて切り開いた僅かな、しかし広大な空間。人世とは隔絶された異界。
 “具現界域”と呼ばれるそれはこの世のどこかに点在し、またそこに住まう者達も多種に及ぶ。
 ここはその内の一つ、“具現界域・妖精界”。またの名を『神聖理想国土グリトニルハイム』。

「ふう……」
 白の延々と続く絵本朗読おねだりから解放されて、アルはようやく一息つく。
 『仙薬』の一件を終え、白を連れてこの地に訪れた時、この国に住まう妖精達は歓待した。
 もちろん、彼らが歓迎したのはアルではない。
 高位の幻獣種ユニコーン。同じ『聖族』の大別の仲にあり、さらにユニコーンの存在は妖精達にとっても馴染みの深いものだった。
 古来より伝わる大古株でもあった人外の衰弱っぷりに、初めはそれを担いできたアルに疑いの目が向けられた。だが、弱りながらも必死にアルを庇い弁明をしようとする白の真摯な様子に妖精達はひとまずの納得を示した。
 …両手に剣を握っていつでも薙ぎ払える用意を整えていたアルだけが、酷くつまらなそうに聖域の土に唾を吐きつけていたが。
 ともあれ白の身柄はすぐさま丁重にこの地と同名でもある唯一最大国グリトニルハイムの王城に通され、最大級の持て成しと豪華な一室を与えられたのだった。
 妖精界での生活から、早半月が経とうとしている。いい加減、アルにも限界がきそうだった。
 何の限界か、と言えば。
(……喧嘩してぇー)
 基本的に妖精種は総じて温厚で争いを嫌う種族である。その中にあって、アルの存在は殊更異常であるように映った。

 妖精とは見えるだけのものが全てである一面性しか持たない性質が大半であり、そもそもが『反転』なる性質の裏返り現象が起き得ない。ただしもちろん、例外も存在する。
 北欧神話にその起源を持つ、光の妖精アルヴ。
 山奥の地中深くを根城とし、そこで鉄を打つ『魔法の金属細工師』の異名で呼ばれることもある。一説によればこのアルヴから派生して生まれたのがドワーフやエルフ、果ては神としても一部引き抜かれている記述が存在する。
 だが光の妖精もキリスト教の布教が広まることで起源を塗り潰され、これを闇に住まう悪魔として蔑まれるようになった。このことから、後の民間伝承においてもアルヴとは病魔を運び眠りを妨げる者デーモンと呼び名を変え、起源どころか存在そのものを悪に堕とされてしまう。
 つまりこの世に形を持って誕生した妖精アルヴの種は、いつか必ず何かの拍子で後天的に押し付けられた悪質を現出させてしまう、呪いに似た宿命を背負っていた。

 妖精アルムエルドは『仙薬』の一戦にてこの経歴を裏返され悪魔に身を変じかけた。引き金となる要因はいくつかあれど、アルムエルドにとっては『人間に対する正気を失うほどの憎悪』が切っ掛けとなったのは言うまでもない。悪感情は容易く『反転』を誘発させる。
 堕ちた原因も、堕ち切るのを防いでくれたのも同じ人間だったというのが皮肉な話だが、アルにとっては関係ない。陽向旭が命の恩人であることに変わりはないが、それでも白のように人間全てを無条件で愛せるほどではない。
 ともあれ結果的にアルの『半・反転』とも呼ぶべき状態で存在構成が安定したのは非常に稀有な例であり、妖精界への帰還にも大きな波乱を生んだ。
 本人としてはすぐに出て行ってもよかった話だが、白の療養には落ち着ける場所が必要不可欠だったのと、なんだかんだの末に国王がアルの存在を許容したことでひとまずの収束を見せることになった。
 アルにとっては全てがどうでもいい。この国にも、世界にも、なんら興味は無い。何せ彼を満足させてくれるものがここにはないのだから。
(どっかにいねえもんかね)
 彼は渇望する。
(死ぬほどワクワクさせてくれる喧嘩のできる、とんでもなく強いヤツは)
 魔への半堕ちで新たにアルの闘争心は磨き上げられ、それはもはや人外の持つ本能にも等しく渇きをもたらす。
 尋常ならざる闘争本能。
 それこそが、呪いを乗り越えたアルに与えられた次なる呪い、あるいは恩恵だったのかもしれない。



     -----
 白の昼寝の時間を利用して、アルは気分転換に王城の尖塔の頂きに立っていた。そこから見える城の広い中庭を見下ろす。

『せっ!はぁっ!!』
『もっと腰を落とせ、力が伝わり切ってねえぞ。突き殺す為の槍だ、両手でしっかり握れ』
『はいっ!!』
『精霊種の力を借りた属性技術だけに頼りっきりじゃ近衛としては不出来だぞ。肉体を磨き、武器の扱いによく習熟しろ。それでようやく「近衛兵」だ』

 そこでは数十人の妖精達が、半裸の状態でそれぞれに武器を構え拳を握り様々な技術の修練に励んでいた。
 争いを嫌う妖精にしては珍しい光景だが、ことグリトニルハイムという世界と国においては当然ながら『戦える妖精』の存在は必要不可欠だ。侵攻の心配はほぼ無いとはいえ、いざ何者かに攻め入られた時に対抗できる戦力がなければ国は容易に陥落する。
 喝を入れつつ一撃一打を真剣に振るう妖精達に指導をしているのは、同じく半裸の妖精。その場の誰よりも強靭で大柄な肉体は刃すら通りそうに見えない。アルの見立てでも、やはり一番強いのはあの男だ。
 今から跳び下りて奇襲を掛ければ、だいぶ面白いことになるかもしれない。
 疼く身体を持て余しているアルがふとそんなことを考え付いてしまう。あとで模擬戦闘の一環としてやったことだと説明すれば許してもらえるかもしれない。いやもらえないだろう。
 しかしこれではストレスが溜まるばかりだ。前まではアルの好きなタイミングで勝手に外へ出て喧嘩三昧の日々を送ることが出来ていたが、今それをやってしまえば残された白に寂しい思いをさせてしまう。
 それだけは出来ない。自らの命と剣を賭して守ると決めた少女を第一に考えなければならないのは明白なのだ。そう思えば、多少自身が我慢を覚えれば済むだけのことだろう。
「…で」
 尖がった先端に片足を乗せてバランスを取っているアルが、沈黙に飽いたように真下へと視線を落とす。
「何をやってるんすか、女王筆頭は」
「…あは、気付いてた?」
 尖塔の影からひょこりと現れた小柄な妖精に、アルは呆れたように答えた。
「ずっと前から。まーたレイスに追っかけ回されてんですかい」
「うーん。言い方が少しあれだけど、でも間違ってはいない、かな」
 琥珀色の丸い瞳でアルを見上げて、少女と見紛う妖精―――リリヤテューリが高所の風に煽られる色素の薄い長髪を片手で押さえる。
 今現在、この国の次代を担うに相応しきとされている妖精女王の筆頭候補とされている彼女が、近衛騎士である男に何かとお小言と共に束縛されがちなのはアルもよく知るところだ。大方、そこから逃げてきた矢先か。
「俺と同じっすな、筆頭」
「え?」
「俺も小喧しいクソジジイから逃げてきたとこっすわ。剣術は及第点にしといてやるから、次はルーンを覚えろとかなんとか言いやがって」
 リリヤの側近でもある彼と同じく、アルもまた以前からとある初老の妖精から剣術の指南を受けていた。
 『反転』によって変化した禍々しい容姿にも顔色一つ変えることなく、まるで何事も無かったかのように指南の続きをすると言い出すものだから、流石にアルも面食らった。
 この半月、白の部屋にいる時以外はその爺との指南から逃げ続け、逃げ切れなかった際は実戦と称して襲い掛かり、それを悠々と躱しながらも腹立たしいことにルーンなる北欧の術を教えることにも余念が無い。
 おかげで多少なりともストレスの捌け口にはなっているものの、これまで一撃とて当てられたことのない苛立ちを含めれば、結局のところ同じことなのかもしれない。
「じゃあ、わたしと一緒だね。アル」
「そうなりますねえ」
「あと、その筆頭とかいう呼び方もやめてね?名前で呼んでよ」
「あー…じゃあ、リリヤ様で」
「さま、もいらないんだけど…いっか」
 尖塔で笑い合う二人だが、このような関係になったのはアルがこの地に戻って来た半月前からだ。それまでは互いに顔や素性は知っていても二人きりで話すような間柄ではなかった。
 アルとリリヤを繋ぐ間にいたのは、とある退魔師の存在。
 それは『仙薬』事件を終え、それぞれが帰路につく直前のこと。

『―――あ、そうだ。君も妖精種ならもしかして知ってるかな。えっと…リリヤテューリって妖精のこと、知らない?』
『あん?うちの女王候補がなんだって?』

 聞けば何年か前に、退魔師絡みの仕事で巻き込んでしまった折に知り合ったという。時々思い出す程度だったそれを、同じ妖精種のアルを見て思い出したそうだ。
 グリトニルハイムに戻り、たまたま出会った際に彼女にも旭のことを訊ねてみれば、リリヤは途端に表情を明るくしてアルに詰め寄って来た。彼女にとっても退魔師の存在が気に掛かっていたらしい。
 それからというもの、リリヤはアルに外界のこと、出会った人外のこと、喧嘩に明け暮れた中で見たもの聞いたことを聞きたがるようになった。殊更、陽向旭の話に触れると傾聴に熱が入っていたようにも見える。
「旦那か…」
 アルが人間の中でも認めている数少ない相手。今も彼は、退魔師として強力な人外を相手に激戦を繰り広げているのだろうか。
「楽しそうな家だよなあ、陽向ってのは」
 彼らの家系が担う重要な使命だとは分かっているが、しかしアルにとってはまさしく垂涎の的である。羨ましい。
「旭さん、大丈夫なのでしょうか…」
 リリヤも同一の人物を連想して空を見上げているが、そこには憂いがある。ただ死闘を羨ましがっているアルとは違い、本心から心配しているようだ。
 そこまで思っているのなら、いっそ会えばいいのではないか。旭も気に掛けていたし、互いに対面すれば得しか生まれない。
 さらに言えば、きっと任務の最中で、そこでは恐ろしく強大な人外が陣取っていて…。
「リリヤ様よ、旦那に会いに行きませんか」
「ん…、えっ?」
 想いを馳せていたリリヤが、突拍子もない提案に呆けた顔をする。
「あなたがよけりゃ、俺が案内しますよ。旦那の連絡先も知ってるし、外界にある電話ってヤツを使えばなんとかなりますし。ちょうど白もこのクッソ面白味の無い世界に飽きる頃だろうしなあ。ちょっくら外で色んなモン見せてやりたいと思ってたとこなんすよね」
 捲し立てるアルの言葉に、リリヤはわたわたと表情を二転三転させる。華やいだ顔をしたと思えばすぐしゅんと申し訳なさそうに顔を伏せる。大方、この世界を出るに当たって浮上してくる厄介事に悩んでいるのだと判断した。
 だから即座に言ってやる。
「書置きでも残しておきゃ平気っすよ。なんなら護衛に俺を雇ったって体でもいい。白は人生経験の為に人の世を見せるってことで」
 そしてもちろん、アルは自身がもっとも望むことに近付く為に。
 損はない。利害は一致している。問題は皆無。
 そうと決まれば話は速い。
「んじゃ明日にでもこそっと出ましょうや!白にもたっぷり睡眠を取らせておかねえとなー。バックも用意して、あの子の着替えとかタオルもか?…ああっ、おやつも沢山持っていこう!ははっ!楽しくなってきやがりましたぜリリヤ様ァ!」
「えぇー……い、いいの、かなぁ…?」
 未だ戸惑いがちなリリヤの背を押すようにして、アル達は尖塔から舞い降りる。
 憂慮すべきことはいくつかあれど、それでも会いに行くということ自体にはなんら反対も抵抗も無かったリリヤの戸惑いは、ほんの数刻後にはほとんど消え失せていた。
 いざ目指すは人間界。彼らにとっては二度目の対面となる退魔師のもとへ。

       

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Neetsha