第四話 長き夜の死闘、開戦

 公共機関を複数乗り継いでやってきた街は、特段何か違う部分があるわけでもない平凡そのものだった。
 高い建物、目まぐるしく動き回る人々と車、騒音で満たされた景色。
 閉塞的な集落を築いている陽向の面々にとっては新鮮でこそあれ、田舎育ち特有の都会への憧れや上京の達成感などといったものは覚えなかった。
「相変わらず外はうっせーな。もっと静かに動けよ」
「同感だな。我々にとっては耳に悪い世界だ」
 高層ビルの屋上で、陽向の四人組は喧噪の風景を見下ろしてそれぞれ嫌厭の表情を浮かべた。
「空気も濁っていますね。…体に悪そう」
「水も不味いこと不味いこと。もうちょっとどうにかならないもんかな」
 晶納と日昏の文句に続いて、昊と旭も同意を示す。彼らにとって集落の外、外界というのは瘴気で満たされた毒の世界にしか映らない。
「…それで、この街に人面犬がいるんだよね。ちなみに僕はなんの気配も掴めないんだけど」
「オレもだ。どうなってやがる、…オイ昊」
 一昔前の不良のように爪先立ちでしゃがみこんでいた晶納が視線を下界に投げたまま少女の名を呼ぶと、それに応じて両目を閉じて昊は意識を集中させる。
「……います。極力押し込めた小さな、けれどとても強い気配が一つ」
「それだな。日中は身を隠しているつもりか」
「やっぱり仕掛けるのは夜間ってことだね」
「チッ、鬱陶しい」
 曇天を見上げて舌を鳴らす晶納がさらに文句を連ねるより前に、昊が続けて言う。
「それと、……二つ、いえ三つ。最低でも三つの別種の気配があります。数は…おそらくそれ以上、です」
 目を閉じたまま険しい表情で放たれた昊の言葉に、三人も流石に動揺を見せた。
「なんだそりゃ…犬っころ含めて四つの敵がいるってのかよ」
「敵とは限らんが、それにしても妙だな。何が起きている…?」
「昊、その三つの気配、全て人外かい?」
 旭の質問に、さらに探りを入れるように顎を上げて中空へ顔を向けた昊がしばしの間を置いて返答する。
「一つは、間違いなく人ではないです。でもあとの二つは、わかりません。人のようで、まるで違う何かのような…」
 曖昧な答えだったが、それを答えた昊を含む旭達全員はその相手の正体をなんとなしに予感していた。
 この世界には人々の想像や感情の中で産み落とされてきた人外なる存在がいる。その一方で、そんな常識の枠を超えた存在に対抗する力もまた望まれ、発生し、継承されてきた。
 それは異能と呼ばれる特異な力を宿した人間を指し、それは人にして人ならざる能力を所有する。
 大抵の異能と呼ばれる力は、ほとんどランダムに人に付与される後天的なものだ。故に、その力を悪用する輩も珍しくはない。突然強大な力を手にして、それを善意をもって御す無欲な人間の方が、今の世では稀有なのだから。
 そんな異能力者達とは別に、その異質の力を古くから代々継承してきた一族もいる。後天的な異能力を、血族の継承として先天性のものと変異させたもの。
 魔を祓う陰陽の一族『陽向』がまさにそれであり、旭達がその今代に当たる。
 そして、そんな風に力を引き継いできた一族は決して『陽向』の一大勢力などではない。
「同業者、か」
 忌々しく晶納が吐き捨てる。
「これはまた…厄介に厄介なことになったなあ」
 腕を組んだ旭もどうしたものかと両目を細めて短く唸る。隣の昊が、閉じていた目を開いて小さく息を吐いた。額に汗が滲んでいる。俯く顔に黒髪が垂れ、後頭部に括られた鈴が控えめにリンと鳴った。
「お疲れさま、昊。ごめんね、少し無理をさせた」
「い、いえ。これくらい平気です」
 ややふらついている昊の肩を抱いて支えてやると、恥ずかしそうに頬を染めて再び顔を俯かせてしまう。
 二人のやりとりを脇目に、日昏が本題を進める。
「となると、先の五人の陽向はその同業者や別口の人外との接触で巻き込まれた可能性が高いということになる」
「どうせ連中と人面犬を巡って獲物の取り合いにでもなったんだろ。で陽向こっちが負けたと。ケッ、情けねーこったぜ」
(まだそう決めるのは早計な気がするけど、なんにしても単純な話では無いな)
 思った以上の事態のこじれを想定し、旭は思案する。この四人組での実質的なリーダーは旭であって、最終的な決定権も彼にあった。まあ、晶納の独断行動もよくある話ではあるのであまり権力があるというわけでもないのが現実だが。
 こういう時、真っ先に食いついてくるのは間違いなく、
「オイ旭、今夜仕掛けるぞ!」
(言うと思った…)
 無言で苦笑を返すと、不思議そうな表情の晶納には次の瞬間にメンチを切られた。なにやら癪に障ったらしい。
 だが、今夜決行というのは旭の望むところでもあった。どの道、情報集めに時間を費やせる状況ではなさそうだからだ。
 短期決戦。情報は現場で直接集めるしかない。
 今回の任務、四人掛かりで人面犬のみを目標に絞ることは難しい。それぞれが、多方面から来る別口の勢力を相手しなければならないかもしれない。
 そうなれば必然、強力な人外である人面犬の相手も相応の実力を持つ誰かが担当する必要が出て来る。
 旭は、ここに来るまでの間ずっと肌身離さず背中に背負っていた細長い何かを降ろす。八十センチほどの棒のようなものを、白い布でぐるぐる巻きにしてあるものだ。
 陽向家の宝物殿から貸し与えられた、此度の任務の切り札。
 それを晶納へ投げ渡す。片手で受け取った晶納は、僅かに意外そうな顔をしてしゃがんでいた体勢からゆっくり立ち上がった。
「相当きつい闘いになると思う。僕は今夜の状況を俯瞰して見て、その状況次第で動かないといけない。晶納、君には一番厳しい闘いを任せたいんだけど、どうかな?」
 切り札を託すということは、その使うべき場へ向かわせるということ。
 唯一明確に判明している強大な都市伝説という存在へ、晶納を単身でぶつけようというのが旭の考えだった。
 人面犬を抜きにしても、昊の掴んだ気配は別種で三つ。一人で一つを担当したとしてもギリギリだ。どうやっても戦力と人数的に余裕は生まれない。
 あえて挑発的な笑みと語調で、旭は晶納を焚き付ける。
「できるかい?」
 対する晶納の返しも予想に違わず。
「愚問過ぎんだろバカが。余裕だっつの」
 
 決行は半日後、深夜。
 一切の車両の通行が皆無となった高速道路の広い道の上で、死闘は行われる。




      -----
 彼は違和感に顔を顰めていた。
 いくら深夜帯といえども、高速道路を走る車両が一切無いなどありえない。それはここしばらくの間、この街一帯を縄張りとしていくつもの車両を事故に追い込みドライバーを殺してきた彼だからこそ確信することでもあった。
 妙といえば、車両が通らないこと以外にもある。あまりにも、人の気配が無い。彼特有の高い嗅覚力を発揮してみても、周囲数キロに渡ってまるで人間の存在が無い。
 まるで自分の立つ場所を中心に一帯を切り取り、どこか別の場所へ隔離されたかのような錯覚すら覚える。
 そんな中、唯一嗅ぎ取れた人間の臭いは、存外すぐそこにいた。
 人の気配と共に音すらも失われた静寂の空間に、コツコツとその人影の靴音だけが木霊する。
 高速道路に等間隔に設置された橙色の街灯が、互いの姿をオレンジに照らし出す。
 彼はまたしても顔を顰める。人間の男性そのものに見える顔を渋面にして、大柄な四足の足の爪を地面に突き立てた。
 人の顔を持ちながらそれ以外は犬。不気味な異形の人外を前に、歩みを止めない人影は男性の顔を真正面から見て確認し、静かに頷いた。
「人面犬、か。知名度補正はだいぶ高そうだが、まぁ、勝てない相手じゃねえな」
 相手の少年の中に何か異質なものを感じ取った人面犬は、真顔に戻ってその口から人語を発した。
「…その臭い、ただの人間ではない。何者か名乗り、私を訪ねた目的を話しなさい」
 予想を遥かに超えるダンディな紳士然とした声音と口調に一瞬目を丸くした少年は、すぐに調子を取り戻して質問に答える。
「陽向。ただの退魔師だよ。目的は」
 そこで一度区切り、陽向の退魔師である陽向晶納は左手の中指を立てて人面犬へ向け、右手で腰のベルトに差した片刃のマチェットナイフを引き抜いた。
 晶納は居丈高に告げる。
「―――テメェの抹殺だ、害悪」
 殺意の存分に乗った威圧を受けても動じることなく、人面の犬は四肢を開きいつでも跳び回れる体勢を保持して口をぱかりと開く。
「なるほど。では死因は事故死ではなく噛殺ごうさつとなるな」
 瞬間、メキャリと人間の顔が変貌を遂げ、しかし犬とはとても呼べないような気味の悪い形相となった。
 鋭利に伸びた牙と大きく開いた口から吐き出される特大の圧力が、爆発的に発揮された四足の疾走と共に襲い掛かる。
sage