セリエント感想(下)

 一方、「代替可能性」という論点から見るならば、この説得力のあるシナリオは、その制約をも示している。上記の条件を裏返せば、先進諸国への浸透の遅れ、金融以外の産業への参入可能性、既存IT巨大企業の変質、住み分けに至る諸々の課題が浮かび上がる。また、本稿の活劇部分で描写される人工知能からも、筆者は「シンギュラリティ」の到来をそれほど容易に考えているわけではないことがわかる。

 例えば、一つは、主人公リアがAIの改善のために戦地に来たという物語の舞台設定そのものであり。もう一つは主人公リアのアドリブによる巨大なAIとの対決。後者について、巨大なリソースと技術を持つ「敵」を少数の主人公の知恵と工夫で戦う構図は、エンターテインメントとしての本作の醍醐味である。また、本作ではそのような戦いが生じる技術的条件、互角以上に戦える条件についても主人公補正だけではなく、かなり慎重にぶ描写されている(ネタバレすると、敵との通信ラグ、計算リソースそのものが市場取引されている世界)。ただ、いずれにせよ、もし、このような対決がありえるならば、そこでは、確かに「人間」が必要とされる世界が描かれている。そこでは、人間によるチューニングと改善が確実に必要とされているのである。ただし、そこで必要なものとして生き残るのは「天才ヒロイン」に限るのだけれども。作者いわく「プログラミングのできない人間は皆死ぬ」。(評者こたえて「むしろ政治屋は死せず」)

 その他、作中でキーワードになる標準人間行動モデルについて、未来のAIによる行動予測が本当に一つのモデルに帰結するのか、(あと、作品において「マンハントのためのモデル構築から対AIの読み合いによる戦い」という戦いの構図の移動(そこで、必要とされる技術がそもそもかなり違う気がする)は少し、私の理解力ではわかりにくかった)、その推計は簡単にアップデートされるか、試行回数が十分に少ないものでモデルの修正、評価は可能か、確率論的な提示について。これらは、現行予測し得る技術の限界点とともに、「計算量の爆発回避のためにモデルは常によりシンプルでなければならない(人間と同様の取捨選択が必要)」「つまり人間を上回る判断とともに、人間と同じように『ばか』にならなければならない」「一人の人間の行動予測が可能か」(歴史心理学では不可能とされた)とかとかの根本的な哲学的な問題もつきまとっているように思われる。

 とにもかくにも、痛快軍事冒険活劇を読みながら、これほどに未来について刺激を受け、いろいろ考えさせられた本作は、SFとして大いに読むべき価値があるものといって間違いない。人工知能の展開についての次の作品が待ち遠しいものである。

 最後に、娯楽小説という点から本作を評価したおきたい。本作は、上記の骨太な世界観と、娯楽との融合を図る試みである。それはミリタリー活劇であり、また美女ヒロインが活躍するライトノベルでもあるという。確かに、ヒロイン像は魅力的である。思わずFAを書くほどである。(次項参照)。なお、作者は冒頭で述べたように、シンギュラリティによる美少女転生の可能性に賭けている。そこで、作者に問いかけたいことは、いったい描きたいのは、「萌えるヒロイン」なのか「なりたいヒロイン」なのか。ということだ。各種スペックの高さ、飛び級で(幅広い見識獲得のための)留年といった像は、明らかに作者や作者の理想像を重ねているようであり、ヒーローとの絡み、お姫様扱いなどは、最後のほんのわずかな「デレ」。明らかにラノベの方法論に則っている。オチなどもラノベ的に非常に微笑ましい。「サイコパスに囲まれたお姫様」という評をどなたかが行っていたが、その二側面はどうも座りが悪い。

 本作は、印刷、頒布した同人誌であり、「売り上げ」との関わりでどうしてもラノベとして、娯楽小説でなければならなかったのであろう。しかし、一読者として私は、リアは作者が「なりたいヒロイン像」で徹底してほしかったように思う。「デレ不要論者」の戯言だけれども。

 以上