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1.見た目は大事 (装丁・組版について)

「これ、市販の文庫本じゃないですか?」

 というのが、本書を手にとって最初の感想だった。
 スタイリッシュな表紙デザイン、装丁、組版、どの点においても、一般書店に並んでいるものと遜色はない。もちろん、その道のプロからすれば、様々なアラを探すこともできるだろう。同席したSF愛好者の方は、一見してフチの余白について違和感を表明した。だが、履歴書の中でだけ「趣味:読書」などと嘯く私程度の人間では、その差を見破ることはできない。

 表紙デザインの凝った同人誌は珍しくはないが、独自デザインかつ「市販の文庫本」に近づけることにここまで血道をあげたものはなかなかお目にかかることがない。あるいは、最近の文藝同人誌というのは、こういうものなのだろうか。ともあれ、1500円という価格設定も、この見た目だけで納得できる。

 もちろん、書籍にとって大事なのは「見た目」ではなく「内容」だ。私は特にそう思う。漫画にせよ、文章にせよ、私は独力で「仕上がったもの」をつくるスキルがないから。主に創作活動を行っているWeb上では、落書きのような私の絵、文章でも概ね許される。それだけに体裁への注力については、言い訳したいという心の力学もあり、つい軽視しがちだ。しかし、本書を実際に手にとって読み始めて、その認識は大きく改められた。

 すべての同人作家、特に文字媒体での作家に告げたい。

「体裁は徹底的に凝るべし。その効果は絶大」

 実のところ、私はweb小説、同人小説は苦手である。特に、web小説は、よほど集中しないと目が滑る。
 web小説は、web漫画とくらべて、手に取って読み始めるまでの心の壁はかなり高い。
 率直に言って、最初に今回「グロエリ本」に関心を持ったのも、ネット上で絡みのある人の創作と極めて属人的な要素が大きい。
 
 もともと文字媒体での創作物は、私にとって概して敷居が高く、どうしても身構え、襟を正す気持ちとなる。気軽に読み流せる漫画、ブログ記事であれば、ノンプロ的な甘さが際立っても、ネームや下書き的な未完成品であってさえ、その荒削りさ、また表現の意図をすくい取って楽しむということもできるのだけれど、「襟を正さして」向かい合わざるをえない小説においては、その心の余裕に乏しい。
(このことで、おそらく多くの傑作を見逃しているのだろうとは思う。)

「市販本と見紛う外見」は、「これは未完成品ではない」と読者に最も最も手っ取り早く伝える手段となる。
「プロ作家のものと『同じように読める』」ということは、同人誌を読むするとき特有の心の障壁を破壊する。
 ついでにいえば、文庫本は読みやすさを追求してきた人間の英知の結晶であり、その模倣は合理的である。
 電車、バス、飛行機、喫茶店、どこで広げても違和感なく読める。

 優れた創作は、それに相応した「見た目」と「形」を得るべきである。

 インターネットが隆盛しはじめた時期、「誰もが創作者に、誰もが発信者になれる」といった夢が語られていた。新都社は草創期からこの夢を体現してきた成功事例の一つであるものの、むしろそういうコミュニティは少数派で、一方では、「その夢はやはり安易ではなかったか」という現実を見せつけられることも多かった。やはり、プロの仕事はプロが作るものなのだ、と。

 「見た目」こそ「誰もが創作者である」ための強力な条件の一つである。これは、私が「グロエリ本」から受けた最初の衝撃である。その仕上げが特殊なスキルによるものか、現在の印刷サービスから見れば、(労力次第で)誰もが獲得可能であるものなのか、そこの評価は、私自身の経験不足により、少し迷う。

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Neetsha