2.「登坂車線」(ホドラー先生:「架旗透」名義)

 「小気味の良いミスマッチ小説」というのが読後の最初の印象だ。
 結末部分に関わらない範囲で紹介するならば、本作は荒廃した近未来関西を舞台に、会社に疲れたサラリーマン2人が、衝動的に社長令嬢を誘拐することからはじまる逃避行の物語だ。社長令嬢に秘められた謎、「クラハ・モチーフ」が、メタファーとしても構造としても、ドラマ全体の軸となっている。

 「ミスマッチ小説」と呼んだのは、本書を構成する要素の多様性にある。
 作品分析など野暮ではあることは承知しているが、あえてその諸側面を列挙したい。

①ライトな活劇
 本作の読み口は、非常に軽い。
 設定の深刻さにもかかわらず、主人公たちは楽観的で、もっといえば呑気だ。
 直情的に行動し、会社や社会、ヒロイン、敵役に遠慮なく毒づく明るさがあり、読者も、安心して状況を、いわば「ライト」に楽しめるようになっている。
 敷居の高いSF短編集の冒頭を飾るに相応しい間口の広い作品と言える。

②本格的な知識に基づくバイオSF
 すでに述べたように、物語の鍵となっているのは、ヒロイン「クラハ(シートゥー)」の持つ秘密だ。
それは、脳神経細胞、遺伝子操作、再生医療といった最先端技術をベースとしたSF設定だ。本作では、この分野に関する設定、知識が、サスペンス仕立ての構成で慎重に開示されていく。それは、物語の進展とともにプロットに組み込まれ、詩的に応用されることで、読者に知的充足感を、メインテーマに意味を与えていく。私は、この分野の専門家ではないので、本作設定のどこまでが現在のサイエンスでどこまでがフィクションかを厳密に考証することはできない。ただ、この厄介な素材をこれだけ縦横に振り回すことは、この領域に関する豊富な知識、経験の持ち主でなければ不可能であろう。


③ブラックな労働環境とその疲れを描く「お仕事」もの
 この物語の主人公であり、語り部であるのは「逃げ出すおっさん(たち)」である。
 それも積極的な逃避ではなく、仕事に疲れた男たちの日常からの衝動的な退避である。
 ブラックな職場環境、つらい現実、虚しさは折に触れ回想される。ブラック自慢の創作は
 今日ではもはや珍しくはなく、むしろ主人公達の労働環境は極端に劣悪ともいいがたいが、
 ちょっとした描写、セリフのディティールが、仕事に圧殺される恐怖や不安よりも
 人生の疲れに擦り切れていく感覚を浮かび上がらせている。


これらの要素は、そもそも相互に相性が悪く、並立困難である。
一歩間違えれば、目も当てられないバランスとなる。

脳科学、遺伝子、それらに素人が手を出せば、非常に浅薄なアクセサリーにしかならない。
といって、SF設定を重視するならば、ライトな人物描写や展開は読者にとりかえってノイズとなる。
サラリーマンの気だるさの描写は、リアルタイムの実体験か相応の空想力がなければ説得力を持たないが、そんな人の多くは、そもそも小説を書く時間も気力もない。

 この点、本作は非常にバランスとまとまりがよい。
 単なる「ミスマッチ小説」ではなく「小気味の良いミスマッチ小説」と呼んだ所以だ。

 もちろん、細かいことをいえば、気になる点は皆無ではない。主人公コンビ、ヒロイン、敵役それぞれが「なぜそういう行動をとったのか」「そういう気になったのか」、その動機、行動原理について、もちろんそれぞれ説明はあるのだけれど、今一つつかめず、結末付近で「ん?」と感じた点もある。もっとも、私自身は「登場人物の気持ち」を問う国語問題でことごとく全滅してきた読解力の持つ主であるので、あまり参考にならない感想ではある。

 構成要素の多様性にもかかわらず、本作は全体として一つの作品としてまとまっている。読後感は非常に爽やかである。物語に統一感を与えているのが、「エピジェネティク・ランドスケープの丘(を駆け上がる)」というモチーフだ。諸要素はここに結ばれ、ディティールの粗(のようなもの)は乗り越えられ、私は「こういう話だったか」と「納得」する。バラバラの諸要素を滑る、この構成力こそが、本作最大の武器といえよう。
 
 察するに筆者は理系の技術者であろう。しかもかなりの手練れのようだ。文理で人間を区分するのは愚かである、というのは私の口癖のようなものであるが、それでも、これだけの小説が理系技術者によって編まれ描かれた、ということに私は嫉妬する。


 あと、姫路を生きた街と表現するのは、とても素晴らしい。
 荒廃した未来でも、輝くお城、輝く街、それが姫路。