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2.クレーター(東京ニトロ先生)

 紹介文によれば、作者の東京ニトロ先生は「読む麻薬」「ラーメン二郎・文章版」と呼ばれているらしい。私は、そこに「パニック小説の村上春樹」を加えたい。

 本作は、長野県の村に発生した正体不明の災害をめぐる物語だ。
 
 故郷に落下した巨大隕石、そして謎の霧。
 ふいに就活の現実から逃げだした「わたし」は、海外の放浪先でその「災害」を知る。
「かみさまに会いに行こうよ、ねえさん」
 何もかも異様な事態の中、振りほどいたはずの過去と現在が交錯する。
 警察、自衛隊を振り払い、たどり着いた災害の中心、「クレーター」で彼女が見たものは…。

 私の稚拙な文章力で、本作のアオリを書くならば、このような感じだろうか。

 誰もが一見してわかる本作の大きな特徴は、そのこってりした文体だ。
 ひとつの段落、いやひとつの文の中さえ、細やかな情景描写、心象描写、そして言い直し、がこれでもかというぐらいに塗り重ねられ、かぶせられていく。そして、不意につきはなすように淡白な一人称「わたし」の所感が挿入される。
 そのリズム、バランス、透明感は、素人目にも「村上春樹」を感じさせる。

 一点、私にとって「村上春樹」をはるかに超えている点は、その明快さである。
 「面白い」、「有名だ」、「海外でも著名」だと聞かされ、「村上春樹」に挑戦するたび、「何が伝えたいのか、何をやりたいのか」、「どうしてそんな持って回った書き方なのか」、「要するにオチはなにやねん」、あげく「頭で理解じゃなく肌で感じるもの?はあ?」と叫びたくなり、今や私の中では、「わからないのが村上春樹」が定説である。何冊も読んで印象に残っているシーン、作品は、ほぼない。しかし、本作は違う、その文章ごと、その段落ごと、シーンごと、そして全体として与える印象は鮮明である。くどくてこってりしていても、その味は確かにわかる。二郎系は食べたことはないが、そんな「天下一品」な印象だ。もっとも、「わからないのが村上春樹」であるならば、あるいは私なぞに明快と評されることは、ひょっとしたら失礼に聞こえるかもしれないけれども。

 何しろ、本作は歴としたSFである。空想科学の世界であればこそ、幻想的、悪く言えば「韜晦」したような描写ではなく、確かな観察や論理性に基づく明快な記述がありがたい。パニック作品の醍醐味は、「現実にはない災害」、少なくともまだ経験も、まだ発生していない事態について、「起こりうること」「起こるはずのこと」が、その細部までシミュレートされることにある、と私は思う。本作は、この「こってりとしつつも明快な」文章で、その「まだない事態」の再現に成功しており、その知識、想像力に素直に脱帽する。個人的には、こういう思考の展開ができる人をすごく尊敬する。多くのパニック映画その他の作品、さらには関連書籍など、勉強し、この異常事態について考え続けてきたのだろうと。

 そして意外にも、本作を貫くテーマはある種の成長劇である。「商品になれ」という就職活動の現実から逃げ出した「わたし」は、この異常事態の中、故郷の日々、旅先での出来事の回想、過去の恋人、家族との対話を通じ、自らを取り戻し、「選択をするという選択」に至る。ラスト数ページ、たたみかけるようなクライマックスは、この濃厚な文体と相まって、私をぐいぐいと引き込んだ。そして、唐突に迎える散文的な結末。そのギャップは、私を奈落に突き落とし、強烈な読後感を心に刻みつけた。

読み終わった時、私の心に浮かんだ感想。
「そうか。ラーメン二郎なのは文体だけではなかったのか。」

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Neetsha