Neetel Inside 文芸新都
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じんせいってなんですか?
散文

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誰かの一番になりたかった。絵を書くこと、運動をすること、勉強をすること、とか全てに対して一番になりたかった。理科の点数が95点だった。元素周期表をずっと見てたから。英語の点数が100点だった。英語を習わせられたから。でも今はもう全てだめになった。一番になれない。一番にはなれないからやる前から諦めるようになった。今眠剤の働きで脳の動きが止まっている。止まっていて、耳の奥で雑音がうごめいていて、呼吸をすると心臓が少し落ち着く。でも、落ち着いても私は何に対しても一番にはなれないし、ただ時間を食い潰す。朝日が昇って人の生活音が聞こえて、子供の声が窓の向こうから聞こえて、カーテンから太陽の光が漏れていてすごく眩しくて、脳が動いてなくて、脳が、動いていない。瞼も重い。死にたい。もう早く死にたくて頭の中が空っぽでのにはなかさささささささささささささささささささやらさむい、内臓から寒い。いかげねようりさやささささささささささむいらしぬ死ぬんだ、と思ってたら40分経っても口が苦くなくて焦っている。眠剤の効き目が悪くなっているらしい。心臓がドン! ドン! と鳴り響いていて、グルグルしている。隣がまだうるさいから曲をスピーカー流す。Here with meを聞くと落ち着く。更に落ち着かせるためにタバコを吸う。息が詰まっている、眠剤飲んだのにまだ眠れなくて、それが要因だと思う。深呼吸をするとタバコのメンソールが喉奥をひんやりとさせた。私はいつになったら眠れるんだろうか。焦る。焦る。早く眠らせてくれ。今幸せで好きな人もいて毎日充実してるのに何かがずっと欠けている。埋めてくれるピースはまだ見つかってないんだろうか。いつになったらピースは出てくるんだろうか。どうせ何にもなれないんじゃないか? という諦めも出てきて夜になり、中途半端に酔ったらそれが頭の中を襲いかかってくる。私はきっとこのままでいいんだろう、このままでいたらきっと幸せになれる。幸せになれるんだ。視界がぶれる。二つに見える。視界がぼやける。混ざって見える。深呼吸して落ち着かせないと、落ち着かせないとダメなんだ。薬のせいで脳が小さくなってしまったけど、自分はきっと大丈夫なんだ。そう言い聞かせる。深呼吸をして言い聞かせる。すー、はー、すーーー、はーー……。深呼吸しても、眠れないから、眠れないけど、きっと大丈夫。そう頭ん中で言い聞かせる。大丈夫、これはきっと私を普通の人間にしてくれる魔法だから。すー、はー、すーーー、はー……. タバコが切れた。紙タバコ、KOOLのリトルシガー、2ヶ月前に買ったものが吸い終わった。吸う度に肺がパカパカと動いていて口が臭くなっていた。鏡の前で舌をべーと出すと黄色くなっていて、歯を見ると黄色くて、目の下はクマで薄暗かった。タバコを吸う。音楽を聴きながら壁を見ると狭い。シドと白昼夢が流れていた。鏡の隣にハサミがあった。かしょんかしょん、と鳴らして、「あなたのかみをきらなきゃー、ふんふーん、あなたにーはころされてもいーわー」とがじょんがじょん、と一年くらい伸ばしてた髪を切っていた。半分くらい切って気付いた。なにしてんだこのおんな。工作ハサミで切ってるから毛先ボロボロじゃん。笑う。タバコ吸ってハサミ持ってまたかしょんかしょん、と鳴らす。「あーなたのーかみをきらなきゃー、まーっくろーなそのめーがー、わたしのーめにぃーひかりをうてばーこきゅーがー」がじょん。「できるうー」胸下まであった髪の毛が肩下になっていた。ダルいな。美容院行こ。最近、時々童心に返りたくなる。公園でピカピカの泥団子を作ったり、アスレチックの色を指して色鬼をしたり、広い校庭で鬼ごっこをしたり、をすごくしたい。よく遊ぶ公園は住宅街にあった。だから日が落ちてきたら周りからカレーのいい匂いがする。毎日が変わり映えしないくせに毎日が新鮮な日々だった。両親と私でこたつ机を囲んでご飯を食べる。嫌いな食べ物があったら父親の皿に勝手に載せたり、晩御飯の前にお菓子を食べすぎて怒られたり、お風呂に入れと父親に怒られたり、夜一人で眠れなくて両親の布団に潜り込んだり。そんな日々だった。今私は何してるんだろう。嫌いな食べ物は食べない。お風呂は勝手に自分のタイミングで入る。一人で眠れなかったらずっと布団に潜って眠れるのをただ待つ。私を怒る人がいなくなったなーと感じる。それが良いことなのか悪いことなのかの判断はつかない。でもこの年になって改めて小さい頃が幸せか気付かされる。そういうもんなのかな。ある特定の路地を歩いてたら、ふと思い出すことがある。自分にとったらめちゃくちゃに息が苦しくなるほど忌わしい路地。あの日は梅雨が明けて既に暑かった。深夜だからか部屋から漏れる光すらも失せていて私だけがこの世界にいるんだ、みたいなそういう感じ。アンニュイな感じだけどもその日起きたことは何にも比べられないくらいすごく怖かった。急に視界が真っ暗になってどうすればいいかも分からなかった。とはいえ時間が経てばその場にあった恐怖すらも薄れる。あの日の私はどういう気持ちであの路地で泣いていたんだろうか。あの日の私から今の私は本当にイコールの関係になっているのだろうか。あの日の私はもう死んだのだろうか。と一年以上経ってそう思った。恐らく。記憶が薄れていく時点で、その時にあった路地の恐怖も悲哀も消えていくんだろう。嫌な記憶も嬉しかった記憶も無くなっていく。それが一番私にとっての最善なのだなー。どうせ生きてるもんなー。とおもいまひたまる。チャンチャン。

       

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