Neetel Inside 文芸新都
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じんせいってなんですか?
ファーストキスはドブの味

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待ち合わせにしていた仄暗くマゼンタに光る部屋に入ると、下着一枚で中年の男が嬉しそうにベッドの上に座っていた。
「こっち」と手招きされ、私は歩みを進める。一歩一歩と近付く度に滲むように臭うツンとした汗臭さと獣のような生臭さ。鼻が曲がりそうになった。堪えて私猫撫で声で「お待たせ」と言う。すると耳元で、生温い吐息で、「可愛いね」と魔法を唱えてキスをした。

ファーストキスは、ドブの味がした。
小学一年の時。今はもう縁が切れたミナという友達と近所の公園で遊んでいた。ブランコ、滑り台、鉄棒、砂場、どれもが私たちのものだった。
でもそれらが私たちのものになっているのは下校時間が早いからで、上級生が来た時点で私たちのものではなくなる。彼らは我が物顔でブランコを奪い取り、滑り台の上で喋り、砂の山を潰し、鉄棒で自慢気に前回りをする。それを私たちは死んだ魚の目でジッと見つめ、家へと帰っていくのだ。これが小学一年の私のルーティン。
 でもあの日はいつもとは違っていた。
「ねーぇー」
いつも通り上級生から遊具を奪い取られて帰ろうとしたときに一人の上級生に呼び止められた。上級生の顔は集団登校の時に見たことがあった。名前は確か、ユウタ。上級生のグループでも一人だけ浮いていて、大人から子供まで腫れ物扱いされている子。ニッと歯を見せて笑った時に一つだけぽっかり空いている穴が目についた。
ミナは「どうしたの?」とユウタくんに聞いた。するとユウタくんは何も言わずミナを殴った。ずっと殴っていた。ミナの不細工な顔は見る影がないくらい腫れ上がっていた。ミナは遂に泣いた。するとユウタくんは殴るのを止め、その瞬間にミナは逃げていった。
ミナがいなくなったらユウタくんの目は私に向いた。ミナの姿が見えなくなっても、ユウタくんはジッと私を見ていた。細い三日月の中に私の顔が二つ並んでいる。もしかしたら私もミナみたいに殴られるかもしれない。そう思うと怖かった。すっごく怖かった。
だから私はその場から動けなくなっていた。
ユウタくんはくしゃりと笑って、「可愛いねぇー」って、私の髪を撫でた。砂まみれの指。私の髪に砂が被って口の中がジャリジャリした。奥歯でジャクジャクと砂を磨り潰す。目の奥でギュリギュリと唱えられた呪文を磨り潰す。「可愛いねー」「可愛いねー」って唱えられた呪文は魔法となった。「可愛い」と魔法を唱えてキスをされた。
ファーストキスだった。ドブの味がした。
唇を離すと歯の隙間から糸が引いていた。ドブの味がした。
糸を手繰り寄せて舐めた。ドブの味がした。ドブの味しか、しない。
ずっと、ずっと、ずぅっと、ずぅーっと、キスがドブの味……。

今日も私は「可愛い」「可愛い」「可愛い」ってずっと魔法を唱えられながらキスをされる。
私のキスの味はきっと、ずっと、これからも、死ぬまでも、生まれ変わるまでも、ドブの味なんだろう。
あーあ。なんて素敵な魔法……。
口端から顎へと涎の糸が引いていた。糸を舌で手繰り寄せて舐めた。
いつも通りの、ドブの味だった。
あーあ。なんて最悪な呪文……。

       

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