Neetel Inside ニートノベル
表紙

激情のエンブレイサー
01:始まりはキャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

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「頼む――――俺を、抱きしめてくれ」

 ショウコが素っ頓狂な頼みを聞かされている合間にも、それは目前に迫っていた。
 見てくれは人間のようだが、両眼は気が狂ったように白を向き、だらしなくよだれを垂らし、猿のような四足歩行で迫ってくる。
 いや違う。狂うだけの“気”すらもないのだ、アレは。
 ヒトが、ヒトらしくなくなった。ただそれだけのモノだ。
「早くしてくれ、もう時間がない! 良いから俺を抱きしめてくれ!」
「ふざけないで!」
 パァンと叩かれる男の頬。
「なんで私が見知らぬ男を抱きしめないといけないのよ! 風俗でも行け!」
「ぐっ……健全な女子中学生がそんな言葉を使うもんじゃないぞ」
「誰が中学生だ。私は立派な高校生よJKよ崇めなさい」
「崇めるんで、抱きしめてくれません?」
 パァン!
「よし分かった。こうしよう。できるだけ小さな女の子を見つけてきてくれ。そしたら代わりにその子を抱きしめるから」
「女の子じゃなくて警察なら呼べるけど」
「待ちなさい。俺は断じて変態ではない」
 初対面でいきなり抱擁を要求してきた男が変態でないとすれば、それはきっと幻覚である。ショウコは踵を返して歩き出した。
「待ってくれ! 奴らの怖さは君だって知っているだろう? 放っておけばそのうち君にも被害が及ぶぞ」
「今日の晩御飯のメニューなんだっけ……」
「無視しないでくれ! 頼む! 君だけが頼りなんだ!
 君じゃなきゃ――――ダメなんだ」
 男の懇願に、ショウコの足が思わず止まる。
 男は嬉しそうに微笑んでいたが、振り向いたショウコの顔は対照的に暗かった。
「……ヒトって、簡単にそういうことを言うのよね。代わりなんて他にいくらでもいるっていうのに、君じゃないとダメだなんて軽口を叩く」
「まさか! 俺が必要としているのはまさに君のような少女だ」
「つまりは私以外でも良いってことなんでしょ?」
 髪の奥で、ショウコの目が鋭く細められる。
「私はもう誰にも必要とされたくない。分かったらさっさと――」
 刹那、ショウコの顔が青ざめる。
 男の背後に奴らがいた。人間の形をしていながら、どこにも人間らしさのないその異形たちは、焦点の定まらない目をグルングルン動かしながら、確実に二人の元へと迫っていた。一番近いので、男とは数メートル離れているばかりだった。
 ――――逃げないと。
 そう思って振り向くも、既に異形はショウコと男を取り囲んでいた。そこでショウコはハッと気づく。バカなことをした。こんなことは異形たちが最も望んでいる行為ではないか。そんなことを、よくもまあ、みすみすと。
「本当に時間がない」
 手が汗ばんできたショウコを諭すように、男は少し優しげな声で言う。
「君に危害を加えないことは命にかけて誓おう。俺は君を守るために――“力”を発揮するために、君に抱きしめてもらいたいんだ」
「何を、言って……」
 侮蔑の言葉を吐きかけたショウコだが、踏みとどまった。
 こんなことをしていれば、奴らの思う壺だ。これ以上同じことを繰り返していれば、ショウコもこの異形たちと同じ姿形になる運命にある。
 ああもう、どうして。
 そう、頭を掻き毟りたくなる思いのショウコのもとに、いつの間にか男が近づいていた。ショウコが離れようとする前に、男はショウコのことを優しく抱き寄せた。
 ――――俺を、抱きしめてくれ。
 そう言った男のものとは思えぬ、温かい抱擁だった。
「さあ、早く」
 ただし鼻息は冷静に荒くなっている。
 何だコイツ……と訝るショウコだが、もはや四の五の言っている場合ではない。もう異形は目と鼻の先だ。今頼ることができそうなのは、この男しかいない。
「……一生恨むから」
「謹んで、マドモアゼル」
 ショウコは躊躇いを覚えながら、男の背に両腕を回し、ぎゅっと力を込めた。
 その時だ。
 眩い、目を閉じなければ視界が真っ白に焼けそうなほどの光が二人を包み込んだ。ショウコは思わず腕を離しそうになったが、背中に気配を感じた。もうすぐそこにまで異形が迫ってきている。ここで離せば一巻の終わりだ。
 いや。そもそも、離さなかったところで同じ目に遭うのでは、とショウコは考えたが――――

「ありがとう」
 それを否定したのは男の凛とした声だった。
「これでまだ、俺は戦える」
 互いを抱きしめる二人を、繭のように異形らが包み込もうとした瞬間。
 グッ!! と男が突き上げた右の拳の衝撃で、そのほとんどが爆発したように霧散した。まるで蜘蛛の子を散らすように、成人男性程はあるだろう異形が面白いくらい簡単に飛んでいった。
 すさまじい衝撃で地響きがするのを、ショウコは男の体ごしに感じていた。
 一体、何が――。
 答えを求める前に、男は口を開いた。
「俺の名前は結良蒼月。“興奮超人”の一人だ」
 興奮超人。その名前は、ショウコはどこかで聞いたことがあった。
 確か、そう。興奮することで、己の身体能力を飛躍的に高めることができる人々が、わずかながらこの世にはいるのだと、聞かされたことがあった。
「ってことは、アンタは女子高生の……」
「いいや違う」
 男――蒼月は清々しい笑みとともに、綺麗な歯を月明かりでで光らせる。

「俺が興奮するのは――――君のような貧乳だけなんだ!」





 ッパァ――――――――――――――――――ン!!

 ひときわ大きなビンタの音が、蓮花町の夜に響き渡った。

       

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