「外界からの侵入者ってのは、今どこら辺まで来てんだ?」
 重鎮達が騒ぎの鎮静化の為に切羽詰まった口論を展開する玉座の間で、妖精王はつまらなそうに手近にいた一人へ訊ねた。
「は!レイス殿とラバー殿がそれぞれ足止めに向かい、残りはこちらの戦力を突破しながら外壁付近まで侵攻を進めています!」
 戦況に頷いて、妖精王は周囲を見回す。
「ファルスフィスがいねーな。もう出たか?」
「おそらく」
「俺の護衛に回ってる近衛も向かわせろ。この世界には戦闘に熟達した妖精はさほど多くないからな」
 一応は有事の際に出撃する妖精達には基本的な戦闘技能の習熟は行わせているものの、それを実際の戦場で万全に発揮できる者となればほぼいない。際立った戦力は数えるほどしかおらず、あとは数の多さでフォローするしかないのがこの世界の弱点にして欠点だった。
 唯一常日頃から模擬戦を欠かさず行っている王の近衛部隊を向かわせ、妖精王は肘掛けの上にトントンと指を叩きながら、
「…おい、外壁を連中が突破しそうになったらすぐ俺に報告を入れるよう全員に通達しとけ」
「はっ、はい…?」
 国の一大事を前に欠伸を噛み殺している妖精王が、呆気に取られている配下へと目の端の涙を拭いながらこう続けた。
「国内に入れるわけにいかないだろ。最悪俺が出る。連中の狙いはわかってるつもりだしな」



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「は、はあ、…ふうっ…!」
 ようやく件の国が視認できるようになって、妖精達の攻撃はより一層苛烈なものとなった。自分達の住まう国へこれ以上近寄らせるわけにはいかないという決意の表れそのもののようで、守羽は侵略者という己が立場を改めて実感する。
 背後で息を切らす静音の様子に注意しながら、遥か前方に見える外壁の上や門から続々と増え続ける妖精の援軍に舌を鳴らす。
 琥珀色の瞳に闘志を滾らせ、静音の護衛と援護を兼ねている音々へ指示を向ける。
「音々、身体強化の唄もっと頼む!それと空飛んでる連中どうにかできるか!?」
「私の口は二つも三つもないっての!」
 そう言い返す音々の言葉の裏側で、不思議な旋律の唄が流れる。まるで喋り続ける音々の声に副音声が伴っているかのように、彼女の口から複数の音が発せられた。
 一つは連携を図る為の言語会話の声。一つは力強く聴く者の心を燃え上がらせる唄声。心地良く鼓膜に吸い込まれていく音を受け、守羽と由音の二人に力が湧き上がる。
 そして守羽の要望によって同時並行でさらにもう一つ、指向性を持って上空へ解き放たれた唄が空に満ちる。
 魔性の唄声によって何十何百もの船や乗組員を海底へ沈めてきたセイレーンの魔声。それは一つの声帯から複数の音を発し分け独特の旋律で意味ある現象を発生させるもの。
 聴覚を侵す魔の唄は、直接精神へ干渉して時に強さを、時に弱さを引き摺り出す。
 薄羽で飛翔し空からの襲撃を画策していた妖精達が、地上から昇ってきた唄に身体の自由を奪われ次々と落下してくる。唄で脳を汚染し四肢や五感への命令伝達を不全にされた妖精に、もはや空を自在に飛び回ることなど許されなかった。
(よし!これで…、ッ)
 意識を地上にのみ注げるようになり状況の好転を見た守羽を、無数の火球が背後の音々と静音ごと覆い尽くす。
「ああ!?守羽!!」
 “再生”頼りの強引な攻め手で三人よりやや前方を先んじていた由音が千切れ掛けた腕を修復しながら驚いた様子で振り返る。そんな由音へは頭上から雨霰の如く巨大な尖った氷の槍が降り注いだ。貫通した氷が地面に着弾すると同時にそれらは一瞬で周辺の大地を凍てつかせ、氷柱の塔を築き上げる。
 氷柱の塔の先端にふわりと白い老翁が降り立ち黒煙立ち込める眼下の戦場を見下ろす。
 一糸乱れぬ完璧な行動を成すは、連帯感を深める為に全員が同一の近衛制服に身を包んだ妖精王の護衛人達。
 火球の直撃を確認しても、彼らはその警戒を少したりとも緩めたりはしない。それは真下の氷柱に敵を封じ込めた氷精ファルスフィスとて同じことだった。
 この程度で倒せる相手であればここまでの侵攻を許してなどいないのだから。
 バサァ、と。黒煙を引き裂いてゆっくりと巨大な二つの羽が左右へ広げられる。
「…」
 自身だけならばいざ知らず、音々と静音をも守るとなると手段は限られていた。躊躇を見せずに背中の羽を最大に展開して蕾のように守羽は自分ごと二人を包み込んで火球の熱波と衝撃を防ぎ切った。
 自分の肩に手を置いた静音が無言で焼け焦げた羽を“復元”させるのを任せながら、守羽は出せる力に制限・ ・が掛けられていることを実感する。
 それは妖精界突入直前、空間の孔を潜る時に行われたアルとの会話でのことだ。

『あ、先に注意しとくけどよ旦那の倅。多分向こう入ったら俺らの力は大幅に削られっから気を付けろよ』
『…さっきも言ってたよな、お前。向こうじゃ自由に力を使えないとかなんとか。どういうことだ』
『俺は元妖精として、お前は半分妖精として属性掌握の能力を使えてるわけだが、ソイツの根本は大気中に生息してる微弱な力の精霊種に協力してもらってる部分が大きい。んで、人間界こっちならともかく妖精界に満ちる精霊種は侵略者である俺達へは絶対に力を貸さねぇ』
『まあ、自分達の世界にとって敵である相手に協力しようなんて普通思わんわな。ってことは妖精界では属性掌握能力は使用不可能ってわけか』
『素質によるとこもあるがな。事実、風精の寵愛を受けてるシェリアなら西洋四大地水火風の中でも限定的に風の力だけは無制限に使いまくれるはずだ。俺も金行だけは極めまくったからある程度は使えるとは思うが、その出力は本来の半分にも満たない。だから自前で武器持って来てんだよ今回は』

 どの属性にも目立った適性を持たない守羽は、自覚した通りに五大属性の力を使えなかった。以前までは言外の意思疎通で惜しまぬ協力をしてくれた精霊達の声なき声が、今は何も感じない。やはり妖精界と人間界とでは精霊種の認識にも大きな差異があるということか。
 神門守羽を構成している性質の半分はこれで使い物にならないことが判明した。残りは退魔師としての力と、父親から引き継いだ異能、そして『神門』の家系由来の力。
 これまでの連中とは明らかに一線を画する制服姿の妖精達を、守羽はすぐさま戦闘に特化した部隊だと見抜いた。その数は二十ほどか。
「ほう。やはりこれで終わるほどやわではないか」
 氷柱から跳び下りたファルスフィスも、内側から亀裂を走らせるそれを見て悪霊憑きの少年の動向に気を尖らせる。中心に爆薬でも詰めてあったのかと思うほどの衝撃で氷を粉砕して氷柱を倒壊させた相手を、杖をついたまま老齢の妖精が間髪入れずの追撃で押さえ込もうとした。
 しかし氷漬けにされていたはずの少年の姿がどこにも見えない。
「…む?」
 疑問の声を漏らした時、足元の地面が大きく揺らいだ。察知したファルスフィスが大きく跳び上がると、その場の大地が盛り上がり噴火のように爆ぜて飛び散る。
 直上に十数メートルも噴煙を上げた邪気の獣が空に跳んだ老精霊のことなど放って暴れ回り、近衛の妖精達も巻き込んでがむしゃらに地を砕き土煙で視界を濃く埋めて行った。
「モグラかあいつは…」
 氷柱を砕いた瞬間からその場の地面を掘り進めて地中からファルスフィスへ不意の一撃を仕掛けた相方へ呆れた視線を向けると、獣を模した甲冑のような邪気を纏う由音が親指を立てた片手を向ける。
 いくら騒ぐのが好きで常時テンションの高い由音とて、ここまで無意味に暴れたりはしない。土を巻き上げての目くらまし。守羽達に先へ進めという合図だろう。
 目だけで前進の指示を下し、静音を両手で抱えた音々がそれに首肯して続く。
 深く濃い土煙のせいで視界は不明瞭なままだが、確実に妖精界唯一最大国はすぐそこまで迫っていた。



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「追っかけられると思うなよ!」
 近衛部隊の足止めとファルスフィスとの攻防を同時にこなしていた由音が、完全に土煙の晴れた平野で遠ざかる三つの人影への追手を拒絶する。
「『黒霊の憑代』か…!」
「『鬼殺し』の神門守羽と同じだ、奴を人間と思うなよ」
「了解だ。あの邪気は尋常じゃない」
「確実に全員で叩くぞ」
 東雲由音という存在へ一片の油断もなく身構える妖精達の中央で、杖を両手で突いて立つ白髪の翁を見て由音も確信した。
「お前、『イルダーナ』んとこの」
「ファルスフィスという者だ、東雲由音。シェリアは息災かの」
「『アーバレスター』の!東雲由音だクソジジイ!!よくまあそんなこと聞けたモンだなこの薄情もんがっ!」
 人間界で、レイスと共にシェリアを置いて撤退した彼の爺の姿は嫌でも覚えていた。由音の中では仲間シェリアの言葉に真摯に耳を傾けることすらしなかったろくでもないヤツだと認識している。
「シェリアの言葉、ちっとは聞く気になったか!?」
 ジリジリと左右に広がって包囲網を形成する近衛の妖精達には目もくれず叫ぶ由音に、場にそぐわぬゆったりとした動作で首を左右に振るうファルスフィス。
「いいや生憎と。いつかの侵攻以来、妖精界は裏切者に厳しくなってしまったでな」
「…………ふうん」
 裏切者。その言葉だけで由音は理解した。
 この連中は何もわかっていない。あの猫耳少女の苦悩と葛藤を。何を想い何を考えてここまで来たのか。あの子が何のためにらしくもない表情で涙を浮かべたのか。
 何もわかっていない。
「馬鹿しかいねえのな、この世界は」
 由音は戦闘にのみ限り、相手を選ぶ傾向がある。日常生活では(守羽などの例外を除き)どんな種類のどんな相手だろうとほとんど平均的に平等に接する由音が、闘う時には相手をよく見極めるのだ。
 それは相手を殺していいかいけないか。あるいは手心を加えるか否か。あるいは理解を示そうと努力するかどうか。
 ここの連中には、そんなことを考えてやる価値すら、見出せなかった。
「殺す気はねえよ。こんなクズみたいなゴミ共でも、あの子にとっちゃ大切な故郷の大事な仲間だからな」
 黒色に淀んだ瞳には興味の失せた動く的しか映らない。認識は改まった。
 邪気を纏い呑み込むその声色は、底冷えするほどに冷たく、そしてよく響いた。
「妖精は治癒の力ってのがあるんだろ?じゃあ、いいよな」
 近衛の一人の顔面が潰れ、突き抜けた衝撃波が周囲の仲間を弾き飛ばす。突然の事態に咄嗟に考えたのは恐怖。身に迫る死の気配。殺す気が無いといった相手から放たれる明確な殺意。
 受け止めた上で動けた者は距離を取り、防御に身を固め、回避に専念した。
 攻撃に転じられたのは白装束のファルスフィスのみ。
「殺す気はねえよ。だからもし喰らったら死ぬ前に治してもらえ。でなきゃ、こっから失せろ」
 悪霊を宿す漆黒の獣が、全周包囲する氷の猛威に吹き飛ぶ手足を即座に“再生”させながら最後にそれだけ告げて戦闘に全ての意識を注ぐ。