「……」
 外が騒がしい。
 自分のいるここが城内の牢獄だと知っている彼は、普段ここまで城がざわついたことが無いのを思い返して僅かに閉じていた瞳を開く。
(何かが起きたか…何か)
 激戦の傷は未だ癒えず、手足を縛る枷によって行動範囲は牢獄の内側、その壁際から半分程度のものだった。手足を壁と繋ぐ鎖は特殊な結晶体…薄っすらとした翠色の鉱物のようなもので鎖を形作られ彼の身と力を封じている。
 どうにか生き長らえている状態の彼の五感は著しく低下し、意識すら薄弱だ。壁に背を預けたまま頭を垂れて精一杯に意識を繋ぎ止めていた彼の耳に、遠く二つの声が届く。

「いえ、ですから」
「会うだけですから。誰にも言わないですし、ちゃんと内緒にしとくますから」
「そういう問題ではなくて、ですね…!」
「大丈夫、何かあったら私が責任持ちますから。ねっ」
「あぁ、ちょっとお待ちを!?」

 何か慌てたような声を置いて、何者かの足音がこちらへ近づく。同時に正面に誰かの気配。五感が薄れていただけで、意外とすぐ近くまで来ていたらしい。
「…酷い怪我。どうして放置して…これじゃ衰弱死しちゃいますから!」
「おっ、お止めください!ヤツはこの程度の傷では死にません、最低限の処置は施してありますし、過度な治療は控えよとのお達しがありまして…っ」
 中に入ろうとしているのか、獄の錠を外そうとガチャガチャする音を追い付いてきた男の声が止める。
「過度でもなんでもないです、からっ。こんなのあんまりです!」
 あまりにも騒ぐので、瀕死の彼も流石に無視はできなかった。億劫そうにゆっくりと顔を上げる。その顔色はまるっきり死人のそれであり、顔を見た男の方は一瞬短い悲鳴を上げた。
 しかし女の方はそんなことお構いなしに、彼の生存を檻越しに確認してひとまずの安堵を吐息に混ぜて漏らした。
「良かった。陽向…ああ、えっと今は神門?旭さま、とりあえず…大丈夫ですか?」
(……君は)
 出そうとした言葉を声帯は受け付けず、掠れた息だけがヒューと穴の開いたタイヤのように零れてしまう。
「大変なことになりましたから、お知らせに。旭様のご子息が…」
「いけません、そのような情報を教えてしまっては!どんな気を起こすかわかったものでは!」
(…………あぁ、そうか。やはり…)
 そんな気はしていた。来てしまったか。あの時の自分と同じように。
 それ自体にはさほど驚きはしない。それよりも、今は目の前の少女に見紛う妖精の女の方に意識が向いていた。
 前に、ずっと昔に。見たことのある顔だ。彼女にそっくりの顔立ち、容姿。最愛の彼女に、とてもよく似た…。
「どんな気も何も、あの方は旭様の大切なご家族なんですよ!知る資格はしっかりありますから!それにあの方は、神門守羽さまは―――」
 さらに続けようとする少女に、男は焦れたように半ば叫び気味に彼女を諌める。
「私の、私の姉様の大事な子なのですから!」
!!」
 それを聞いて、確信に至った。
 この少女は、この国を統べる妖精王の伴侶、今代の妖精女王ティターニア
 そして、彼女がもっとも慈しみ、彼女を最も敬愛していた妖精。
「……ルルナ、テューリ…」
「…!覚えていて、くださったのですね。旭さま」
 彼女が大事にしていた大切な妹。関係上、妖精界との絶縁状態にある今でも旭にとっては義妹であり、現妖精女王を務めている国の最高位。
 霞がかって薄れた意識の中でそれを思い起こし、ゆっくりと口角を上げて笑みを形作る。
 無言の笑みを受け、妖精女王ルルナテューリは同様に笑顔を向けようとした。
 その時、俄かに牢獄の外の騒ぎがより一層激しくなったのをその場にいた三名は聴き取った。

『おい…!?王は、妖精王はどこへ行かれた!?』
『お前!ついさっきまで王へ敵勢の侵攻状況を報告していただろう!!何故王が玉座におられない!?』
『し、侵略者数名が包囲網を突破し国の城門手前まで差し掛かっていることを報告した!その後にはもう姿が消えていたんだ!』
『玉座の壁面に立て掛けてあった宝剣も無いぞ!まっ、まさか…!!』

「じょっ、女王様!!」
「うん、これもう行っちゃいましたから、たぶん」
 ジャリ、と特殊な鎖を鳴らして旭が四肢に余力を注ぎ込む。
 不味いのだ、妖精王が動くのは。出来るのなら、王が動き出すより前に返り討ちに遭うか早々に撤退を判断して逃げてほしかった。
 旭は先代の妖精王の性能しか知らないが、あの今代妖精王は明らかに先代より強い力を持っている。およそ一国の頂点に君臨する者にあるまじき武力を有している。
 首を差し出す前に逝くことは避けようとしていた旭も、この状況ではそうも言っていられなかった。なんとしてでもこの牢から外へ、せめて守羽達をこの世界から逃がすだけでも。
「旭さま。ご無理をなさらないでください」
 そんな旭の様子を牢越しから不安そうに見つめるルルナテューリが、牢番をしていた妖精に告げる。
「今すぐ連れ戻してきてください。彼、あんまり加減とか知りませんから」
「はっ…!」
 女王の命令に慌てて出て行く兵を見送り、ルルナテューリは静かに繋がれた旭を見やる。
 少し身体を動かすだけで咳き込み吐血してしまうような有様の人間を、放っておくわけにはいかない。このままでは手足首を切り落としてでも鎖から逃れ外へ飛び出てしまいそうだったから。
「今しばらく、ご辛抱ください。旭さま。…必ず、守羽さまを悪いようにはさせませんから」
 弱り切った退魔師は返事もままならず、ただひたすらに懇願にも似た視線を彼女へ向けることしかできなかった。



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「今すぐ退け。まだ見逃してやれる」

 さして高くもない城壁に、国を囲うようにそびえ立つ巨大な八つの六角柱。
 内部の騒ぎがここまで聞こえて来る、その城門から堂々と歩き出て来た巨躯の男が短く警告する。
 周囲の兵達は皆が一様に驚愕を顔に貼り付かせ、口を開いたり閉じたりを繰り返していた。
「…あんた、まさか」
 妖精達の妙な反応と男から発せられる気配の高潔さ。明らかに上に立つ者のそれだと守羽にはわかった。
妖精王オベイロンって言えばわかるか?半妖のお前でも」
「ッ…音々、静音さんを守って後方に下がれ。コイツは…」
「ええ、ヤバい部類のヤツね。流石に回りの連中を相手にしながらじゃこの子守り切れないわ。下がりましょう」
「守羽っ」
 周囲を囲う妖精達だけであれば、おそらく音々と負傷を治せる静音の組み合わせでも充分だろう。だがあの妖精王だけは別格だ、質が違い過ぎる。
「いきなりボスが出たか。王ならそれらしく玉座でおとなしくしててほしかったけども」
「そうもいかんだろ。王たる役目は民と国を守ることってなぁ妖精界こ こに限らず外でも同じだろうが。だから」
 汚れ一つ無い豪奢なローブを躊躇なく地面に投げ、妖精王は背中に背負っていた大剣の柄に手を掛ける。
「こっから先は俺の領域だ。容易に踏み込めると思うなよ」
「そうかい」
 琥珀色の瞳を見開き、薄羽を先端まで張り詰めて最大展開、生成色の髪が突風で逆立つ。
「神門旭を返してくれ。聞き入れてくれないなら強引に押し通るしか無くなるが、俺達もあんたらの国を荒らすのが目的で来たわけじゃない。要求さえ呑んでくれればおとなしく帰る」
「無理だと言ったら何をする」
「テメエの領域とやらをお構いなしに引っ掻き回して荒らしながら強引にでも目的を果たして帰る」
「親子揃って似たようなこと口走りやがる」
 呵々と快活に笑う妖精王は、やがて周囲に視線を散らして妖精達に言う。
「お前らも下がってろ。巻き込まれると治癒より先にくたばるかもしれんからな」
 王自らの出陣に何か言いたげにしていた妖精達は、妖精王の一睨みによっておとなしく引き下がる。
「先に言っとくが、万が一にも俺を倒せたところで他の妖精共は退かんぞ。お前等に勝ち目は無い」
「前例があるのに何言ってんだあんたは。一度あったことは二度も三度もあるんだよ。そういうもんだろ」
「ふん、かもな」
 展開させた羽を駆動し、莫大な推進力を持って妖精王に先手を叩き込もうと意気込んだ守羽の左右後方を、突如として分厚い土の壁が囲った。
(退路を奪った、わけじゃねえか!!)
「さっさと退けよ、その辺まだ巻き添え領域だっての」
 それは妖精達に放った言葉でもあり、守羽の後方にいた音々と静音に向けられた言葉でもあった。
 抜剣し振り落とした斬撃の余波を吸収しながら土壁が粉砕し、その中央にいた守羽へ問答無用に直撃が襲い掛かる。