遠目からは見えていたが、いざ入城となると巨大な国の中心に位置する王城までは徒歩でそこそこの時間を要した。もちろん妖精である以上羽を使って飛んでいくことも出来たが、それは警戒を厳とする周囲の近衛兵達が許さないだろう。
 しかしそのおかげで、城に到達するまでの間にゆっくりと妖精界、そして同名の国であるグリトニルハイムの内部を観察することができた。
 基本は煉瓦を用いた西洋風の建築物がほぼ大半を占めている。生活水準は一定に達しており、逆にいえば一定以上を踏み越えようという意思を感じさせない空気があった。
 電気やガスといったものの使用は一切なく、そもそも電線やガス管といったものすら埋められてはいないらしい。
 長らく自然の中での暮らしを善しとして、外界との関わりを極力避け続けていた妖精界にとってはこの形が生きて行く上での最良の手段と判断したのだろう。必要以上のテクノロジーは邪魔というわけだ。
 建築もそうだが、どうも全体的にこの世界は中世ヨーロッパの風景に近しいものがある。妖精の本来の起源を考えれば、またそれも自然なことかと守羽は考えた。
 茶色と白の煉瓦建築を横目に、綺麗に敷かれた石畳を歩く先の城を見上げる。
 鋭く尖った三角屋根がいくつも連なり左右対称になるよう配置された、それそのものが芸術品のようにも見える白亜の城。
 周囲の妖精に悟られぬよう、静かに唾を飲み込む。
(虎穴に入らざれば虎子を得ず…ってヤツか。虎と言っておきながら出るのは鬼か蛇か…いや鬼はもう勘弁してほしいなぁ…)
 既に妖精王は帰還しているらしいそこ。父の捕らえられた敵地の最奥。生え揃った牙の内側へ、守羽は勇猛果敢に単身乗り込む。



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「はいっ、そこに座って座って!えっと、飲み物は紅茶でいいですか?あっでも育ってきた土地的には緑茶の方がお口に合いますか。茶葉とかは一通り揃ってるのでなんでもリクエストしてくれていいですから!」
「あぁ、はい」
「あ!だとするとお茶請けも煎餅の方がいいですね。それとも羊羹?守羽さまは甘味は大丈夫でしょうか?」
「まあ、甘いものは好きですけど…いやそうじゃなくて、お構いなく」
 玉座の大広間にて、即席で設置されたらしいテーブルと椅子に招かれた守羽は口を挟む暇すら与えられず歓待された。
 てきぱきと、熱々の緑茶を(わざわざ蓋つき湯呑茶碗に注いで漆塗りのお盆に乗せて)羊羹と共に運んできた妖精の少女に戸惑いながら、ひとまず困惑を紛らわせるように置かれた湯呑に口を付ける。
 その時、何か出し忘れに気付いたのか再び広間の奥に引っ込もうとしていた少女を、先程まで守羽を囲み警戒していた軽武装の妖精達が血の気の引いた表情で追い掛け叫ぶ。
「女王様ぁ!貴女様は席にお座りください!そのようなこと、私共が全ていたしますので!!」
「ぶっ!」
 聞き捨てならない単語を拾い、呑みかけていたお茶を溢してしまう。今あの妖精、聞き違いでなければとんでもないことを言わなかったか。
「守羽さまは私のお客さまですから。あなた達はこれから参られる賓客の方々の出迎えに向かってください。こちらは私だけで大丈夫なので!」
「で…ですがこの者は妖精界に無断で踏み入った不届き者であって…」
「い・い・か・ら!早く行ってください!」
 強い口調で近衛兵達を下がらせ、最後に少女は両開きの大扉に向けて、
「そこにいるのはわかってますから。あなたも下がりなさいレイススフォード」
「……仰せの、ままに」
 扉の裏で短い返事があり、息を潜めていたレイスが引き下がる。直接顔を合わせてはいなくとも、レイスが自分への警戒心から様子を見ていたのだろうことを察する。
「…さて。それじゃ、改めまして。ようこそ守羽さま、私は」
「待てルル」
 兵も出て行き、広い玉座の間には守羽と少女のような姿の妖精。そしてもう一人、先程からずっと口を閉じて玉座に足を組み座り込んでいた者が会話を止める。そして、
「おめーも邪魔だぞジジイ。レイスといい師と弟子が揃って部屋の外から様子を覗き見たぁな。教育が疑われるぞ」
「ほっほっ。流石に隠密のルーンを編んでも界の主オベイロンには通じぬか。下世話失礼、退散するとしよう」
 玉座の間の右壁面に取り付けられた窓の外から声だけして、老齢の妖精が翻した死装束のように真白な着物の袖だけがちらりと見えた。
 姿は見えなかったが、こちらも守羽には覚えのある声だった。氷精ファルスフィス。用向きはおそらくレイスと同じようなものだろう。
(まあ、気持ちはわからんでもないな)
 何せこの場にいるのは余所者である神門守羽と、この妖精界の頂点であり主でもある妖精王。そして。
「ではでは再び改めまして、ようこそ妖精界グリトニルハイムへ。私はルルナテューリ、この世界では妖精女王ティターニアとも呼ばれております」
(やっぱりか…!)
 妖精界の二大トップが眼前にいる。このような状況、妖精界に住まう者であれば気が気でないことくらい余所者にだって容易に判断できる。
 白を基調とした金刺繍のロングドレス。妖精女王の無垢さを現すかのような純白のスカートがふわりと揺れて、薄い色素の長髪がゆっくりと移動に合わせて引かれて行く。
 琥珀色の瞳が、いつの間にやらすぐ目の前にあった。
 接近に気付かないほど、その妖精を凝視していたらしい。守羽が何か挙動を起こすより先に、妖精女王ルルナテューリは手にしたハンカチを座る守羽の太腿に当てた。
「そのままでいいですから、動かないでくださいね」
 ぽん、ぽんとハンカチでズボンに零れたお茶を拭っていく。それも終わると、すぐさま離れると思っていたルルナテューリがこちらをじっと見つめて来た。
 その瞳に、顔に、妙な既視感。酷く懐かしい…何故か安堵を覚える表情。
 判然としないまま身動き出来ずにいる守羽へ、ルルナテューリの両手が頬へ伸びる。
「…やっぱり、良く似ていますね。顔立ちもそうですけれど、何より目元。優しい心根は、しっかり受け継がれているみたいですから」
 そっと、割れ物を扱うように小さな両手が守羽の顔をなぞっていく。指先が彼の黒い毛先に触れた時、ふと彼女の瞳が丸められる。
「そういえば、髪は黒いのですね。目も…」
「いや違うぜ。そりゃ力を抑えてる状態だからだ」
 暇そうに肘掛けに半身を預けている妖精王が言葉を挟み、煽るように薄い笑みを浮かべる。
「見せてやれよ神門守羽。本来の姿を」
「……」
 なんとなく、散々手痛い目に遭わされたあの王の言うことに従うのは癪だったが、それ以上に妖精王の発言に期待を寄せるルルナテューリの視線があまりにもそれを望んでいるようだったから。
 ただ黙って瞳を閉じ、力の拘束を解く。
 根元から髪の色が変化し、背中に熱を感じる。
 そうして開いた瞳は、眼前の女王と同じ琥珀のそれ。髪は何にも染まらない生成色。肩甲骨の辺りから伸びる半透明の薄羽は妖精種の因子を確かに示していた。
「わぁ…!」
 守羽の変化を間近に見て、妖精女王は感極まったように目をいっぱいに見開く。
 また、強い既視感。
「……あなた、は…」
 子供のようでいながら、大人であることを知っている。そんな表情を守羽は今までの人生で幾度も見て来た。誰より近くで、産まれた時から。
 理解する。この人は、あの人の肉親であることを。
「もしかして、母さんの」
「はい。あなたの母君は、私の姉さまでもあります。…本当に、よくぞここまでいらっしゃいましたね、守羽さま」
 にっこりと微笑むその顔も、またよく似ている。同様の心境を相手も感じ入っていることには気付かずに。
 守羽はただ。自らの半身が本当にこの世界の中にあったということを、静かに再認識した。