第一話 肝心なこと

「それでは明日より長い休みとなるがー、だからといってだらけることなく生活するようにー」
 例年通りの忠告を台本通りに読み上げる教師の言葉を半分以上聞き流しながら、神門守羽は今後のことを考えていた。
 当然夏休みをいかに満喫するか、などといった平凡なことではない。
「あっぢー……」
 暑さにやられて机に突っ伏す友人の後ろ姿をちらと見やって、守羽は蒸し暑い教室で湿気の高い吐息を漏らす。
 やはり、どれだけ考え抜いても、
(分の悪い戦いになるな…下手をすれば、酒呑との戦闘よりもずっと)
 一つの世界へ吹っ掛ける喧嘩をするのに、こちらの戦力はあまりにも少なかった。



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 終業式を終えて正午で下校となった彼らはそれぞれまっすぐに家へ帰り、各自準備を整えたのちに守羽の家へ集合という形になった。
 事前に準備を終えていた守羽は、居間にいる者達へそれぞれ視線を巡らせる。
 色素の薄い髪を肩に触れるかどうかの辺りで揃えられた、少女と見紛う童顔小柄の母親は人数分作り終えた昼食のチャーハンをテーブルに並べている。
 そして、その手伝いをしてせっせと居間と台所をせわしなく往復しているのは、そんな母親よりもさらに小さな幼女。
 煌めく白銀の髪を持つ白埜しらのが、両手でチャーハンの盛られた皿を持って守羽の前を通過する。
 そんな白埜をじっと見つめている守羽の視線が鋭くなる。
 今やその身に宿る全ての力の全開放に成功した守羽は、その半身を構成する退魔師の力によって人外の性質及び真名を看破する素質も取り戻している。
「……?」
 テーブルに皿を置いてまた台所へ戻ろうとしたところで、視線に気付いた白埜が守羽を見上げる。
(こんな幼子も同盟の一員らしいが。…っ!?)
「……なに?シュウ」
 『陽向』の退魔師には継承されていく知識の恩恵がある。半分しか継げていない半端な守羽でも、全集中して見極めれば相手がどんな人外なのかは大体分かる。
 白埜の本質を視た守羽は表情には出さないまま静かに驚愕した。
(この子…まさか)
 自分の認識が間違っていなければ、この白埜という娘に宿る力は、その本質は。
(アルヴやグレムリン、セイレーンなんて並の妖精や魔獣とは比にならない…こんなところでこんな神聖な存在に出会うとは)
 なんとなく御利益を期待して白埜の頭をくしゃりと撫でると、抵抗することなくただ不思議そうな顔でされるがままになった。
「……アルより、やさしい」
「ん?」
「……アルは、もっと、…ぐりゃーってなでるから」
 撫で方の話かと納得して、最後に頭をぽんと触れて守羽は居間へ戻り腰を下ろす。手伝いをしようかとも思ったが、母と白埜だけで手は足りそうだったので控えた。
「あんまり白埜に手を出すと、アルがキレるから用心な」
 居間には守羽以外にも一人、男がいた。抹茶のような深い緑色の髪をスポーツ刈りにした青年。
 この場にいる白埜と同じく、神門旭を長とした組織『突貫同盟』の一員レンだ。
 今現在、この家には母親と守羽に加えて『突貫同盟』の二名が来ていた。
 理由は単純で、これから守羽達が不在の間にこの家に残って妖精達に狙われている母親を守ってもらう為。
 妖精種全体における大罪人である神門旭を連れ去ったこの状況で、さらに欲張って手を伸ばしてくる可能性は極めて低いが、念には念を入れての態勢だった。
 そして、他の同盟員二名はといえば。
「そのアルは、勝手に先発で行っちまったらしいな」
 畳の上に足を延ばして、守羽は呆れたように言った。
 同盟の主力、魔獣種『岩礁の惑唄セ イ レ ー ン』こと音々ねねと妖精種から『反転』によって悪魔へと転じた『打鋼アルヴ』ことアル。
 この二人は此度の妖精界殴り込み作戦に手を貸してくれるという話だったが、どうやら今朝方にはもう先に出て行ってしまったらしい。
「まあ、仕方ないよ。あの二人だって、そこそこ焦れているんだから」
 弁護するよりかは、むしろそれが当たり前だと言わんばかりの口調でレンは続ける。

「だって旦那さんが連れてかれて、もう向こうじゃ一週間以上経ってるわけだしね」

 最初、レンが何を言っているのか守羽には理解できなかった。
 父親が妖精組織『イルダーナ』の面々に捕らえられて連れて行かれたのは三日前のこと。
 だがここで、守羽はある一つの事実に思い当った。
 神門旭が連れて行かれたのは“具現界域”と呼ばれる、人外達が独自で創り上げたこことは違う空間、違う世界だ。
 となると、そこはこことは違う法則が働いていたとしてもなんらおかしくない。
 それこそ今自分が立っている場所の裏側では日が沈んで夜となっているのと同じように。この世界ですら、同じ時間の中にありながら異なる生活を送っている。
 それが世界ごと異なれば、食い違う箇所が多く広くなって然るべきなのだ。
「レンっ!!」
 声を荒げて、守羽は麦茶をすすりながらのんびり昼食の配膳が終わるのを待っているレンに掴み掛る。
「うわっ、なんだなんだ?」
「この世界と妖精界とじゃ、まさか時差があんのか!?どれだけだ?どれだけの差がある!?」
 旭が連れ去られてからの三日、もどかしい思いをしながらも準備を進めていた守羽の頬を冷や汗が伝う。
「あれ、守羽に言ってなかったの?レン」
 怒声を聞いて台所から出て来た母親が、おっとりとレンに声を掛ける。
「ありゃ、てっきり俺は姐さんがもう説明してるもんかと」
 胸倉を掴まれたレンも、呑気に片手で頭の後ろなんか掻きながら答える。
「そうだよ。時差っていうか、妖精界はこことは時間の流れが違う。あっちはこっちより三倍くらい早いかな」
 確認を取るようにレンが顔を向けると、母もこくりと頷きを返す。
 三倍。
 ここでの一日が、妖精界では三日ということ。そして旭が連れて行かれたのも三日前。
(一週間どころじゃねえ、九日…!!妖精界では既に連行から九日も経ってやがるってのか!)
 レンの胸倉を離し、勢いよく立ち上がる。
「昼飯なんて食ってる場合じゃねえじゃん!早くしねえとヤバい!!」
「え、せっかく今全員分できたのに」
「ちょっと呑気過ぎるだろアンタの旦那だぞ母さん!?」
 旭が連れ去られてから吹っ切れたかのようにこれまで通りののんびり屋に戻った母親に叫び散らすが、それでも動揺することもなく母親は白埜と共に運び終えた昼食をテーブルに並べる。
「大丈夫だよ、元々妖精界で暮らしていたわたしやレンが保障するけど、そんなすぐに旭さんは処刑されたりするわけじゃない」
「でもさ!」
「ほら、座って。腹が減っては戦も出来ないよ。万全の状態で、旭さんを助けに行かなきゃでしょ?」
「いやだから―――」
「おお、うまそう」
「……こんしんの、できばえ」
 鼻孔をくすぐる匂いにレンが歓声を上げて、白埜は満足そうに胸を張ってレンの隣に座る。
 完全に食事に移る流れになった他三名に強い疑問を抱きながらも、仕方なしに守羽はその場に膝を折って座り直す。
(いいのかなーこんなんで……)
 ひたすらに首を傾げながら、両手を合わせてスプーンを手に取り食事を始める守羽だった。
 チャーハンは美味しかった。