第七話 賓客達のそれぞれ 《昼の部》


「別に何もしねぇよ」

 妖精達にとっての理想郷であるこのグリトニルハイムにとり、あまりにも不釣合いな色合いに身を染める『反魔』の男。
 あえて人通りの少ない路地を選んで通っていたのは一重に騒ぎを大きくしない為だ。二度目の侵略を遂げた彼を、温かく出迎えてくれるほどにこの世界は寛容でない。それはアル自身もよく知っていたことだ。
 石畳の歩道をひた歩き、行き着いた先は国の城壁にほど近い外れの広場。それも王城正面にあるような大噴水の設置された規模には届かぬ、精々が子らが遊びに使う程度の広さ。
 くだらない思い出の沁み込んだこの土地で、アルは背後にひたと感じる気配に向けて言う。
「だからこんなとこまで足運んでやったんだろが。昔はガキ共おれたちの溜まり場だったってのに、こうも変わるモンかね」
 気付かれていたことに気付き、姿を現した妖精は口を開くことをしない。それでも構わずにアルは感傷に浸るような素振りを見せる。
 そんな気は、どうやったって一切湧かないというのに。
「俺らの同世代は今頃どうした。外に出たとは考えづらいし、大方この国でなんかやってんだろうとは思うが。まったく理想郷とは聞いて呆れる。テメェらのそれは思考放棄に他ならねぇ逃げだ。籠から逃れることすら考えつかなくなった大馬鹿の末路だ」
「…………」
「この国の出身で、なおかつ外の世界に興味を示す連中ってのは稀だ。その稀こそが賢明なんだけどな?そう、たとえばテメェが妹のように可愛がりを見せる妖精猫ケット・シー、シェリアシャルル。たとえばかつてこの国を望んで離れた女王筆頭候補、リリア―――」
 彼にしては長々と厭味ったらしく続けられた口上は最後まで言い終えることはなかった。突如として飛来する水の刃を、堅く握った拳骨で殴り散らす。
 僅かに裂けた拳をひらひらと振るって、アルは蔑むような瞳を振り向ける。
「癪に障ったか?優等生くんよ。ええ、なんとか言ってみろよ近衛騎士レイススフォード」
「貴様はやはり害だ。裏切者のアルムエルド」
 アル以上に軽蔑の念を視線に込めるは水の使い手、『イルダーナ』所属のレイス。王城を出てからずっと監視の目を光らせていた彼に、アルもいい加減うんざりしていた。
 それと、聞き捨てならない単語にも我慢がならない。
「アルムエルドってのは、この国に嫌々住んでた哀れな妖精の名前だろ。そんな野郎はもういない、死んだとすら言える。ここにいるのは魔性に堕ちた半端者、『突貫同盟』の妖魔アルだ。騎士サマってのは満足に人の名前も判別できねぇのか?」
 自らを貶すような名乗りにも幾許かの誇りが見え隠れしているのは、この国にいた頃のまだ純粋な妖精だった時分よりマシだと捉えているからか。
 ともあれ、かつて同じ師を持ち互いに切磋琢磨を繰り返した者同士に、培われた友情などもはや欠片も有りはしない。
「話を戻すかレイス」
「貴様と話すことなぞない」
「テメェの周りは賢いヤツばっかだよ。外に出て、見聞を広め、そして理解する」
「何を言っている」
「どこまで行っても馬鹿野郎だテメェは。なんで周りを見習わない。行き過ぎた無知ってのはもはや重罪だろ」
 互いに互いの言い分を一切無視して行き交う言動に、とうとう限度を超えたのはレイス。次なる水の一手を用意し、いつでも放てるよう構える。
 すぐ撃てば良かったものを、その装填・射出の挙動に間を置いたのが致命的だった。
 眼前に迫ったアルの、その額が真っ向から頭部にぶつかる。
「ぐっ…!?」
「空回りばっかだよ、お前ってヤツは」
 仰け反るレイスの胸倉を掴んで引き寄せ、褐色に染まった魔性のアルは直近に顔を寄せる。
「いい加減気付け。お前の判断は間違いだらけだ。なんでシェリアを好きにさせない、なんで東雲由音と距離を狭めることに悪態を吐く。テメェのくだらねぇ偏見と愚考でアイツらのこれからに横槍を入れる気か」
 別に、アルにとってはシェリアも東雲由音も特別視するほどの存在ではない。これはただの建前でしかなかった。
 本当に言いたいのは、あの二人と同じような関係を築き上げた『あの二人』のこと。
「最初の間違いでどうして反省しない。神門旭と添い遂げたあの人の本心を知ってもまだ、お前はシェリアに同じことを言って繰り返すつもりかよ」
 正答というものがどれなのかはアルにもわからない。ただ、盟友である恩人でもある神門旭の決断が誤答であったとはどうやっても考えられないし、それに付いていった同盟員である自分達の行動にも間違いなんかは見当たらない。
 紆余曲折の末、最終的に旭との未来を選んだ女王筆頭候補の独断だって、何もおかしなことではなかったはずだ。
 そう断じるアルと、今なおそれが間違いであったと信じて疑わないレイスとの間で深まる溝は埋まることを知らない。それ自体にアルはなんの不都合も感じていない。
 ただ、言っておかねばならないことがある。
 それは不完全ながらも『反転』を経験したこの身だからこそ言えること。
「いつまでもそうやって改めないでいるとな、レイス。いつか呑まれるぞ。テメェみたいな『自分こそが正しい』なんて凝り固まった考え方しか出来ねぇヤツは、それが決定的に折れた時こそ堕ちるんだ」
 要因こそ違えどもアルには分かる。自分の全てを覆してでも許せないこと、有り得ないことに直面する時こそが、全てが丸ごと引っ繰り返る危機なのだと。
「……ちがう」
 いつもなら、胸倉を掴まれた時点で振り払うであろうレイスの態度が今回は違って見える。今の言葉を受けてか、それとも思い当る節にもぶつかったのか。
「…違う。俺が、俺が戻さなければいけないんだ。いつか後悔するから。あの方のように、人間なんかと添い遂げようとするものなら、いつか、きっと。…だからッ」
「っと」
 振り上げた拳が頬を横殴りにする前に手を離し一歩下がるアルと、鏡合わせにまた一歩後退するレイス。
「貴様なんぞに分かるものか…貴様、なんぞに!」
 激昂するレイスの周囲に集う大気の水。それらを収束させ始めたのを確認して、アルも鼻息一つで嘲笑する。
 諭すつもりは毛頭無かったが、結果としては上々か。
 既に守羽から騒ぎを起こすなと言われたことも頭からすっぽ抜け、アルはただ脳内を駆け巡る闘争本能にのみ身を任せる。
 これがアルという魔性が生み出した妖精ならざる本質。人外という存在上、この手の本能には基本抗う術はない。呪いに似た本能に駆られるままに徒手を構える。
 武器は無い。この世界の内においては生み出すことも叶わない。
 でも、だからどうした?
「ハハハッ、いいぜ。鬼神に比べりゃお粗末な相手だが、これくらいのハンデがありゃそこそこ楽しめるかもしれねぇしなァ!!」
 凶悪な笑みを浮かべ腰を落としたアルと水刃を従え敵を切り刻まんとするレイス、両者の交錯した視線が開始の合図となった。
 次の瞬間、先手を打って跳び出した真下の地面から氷柱が飛び出しアルの胴を打った。
「いでぇっ!?」
 蹴り出した速度が真上に打ち上げられそのまま空高く舞うアル。唖然とするレイスには周囲に氷の槍が取り囲う形で突き立って牽制となる。
「やめよ馬鹿者。外ならばともなく、ここを何処だと心得る。妖精の国土をこれ以上荒らすでない」
「……ファルスフィス殿」
「チッ、ジジイが」
 くるくると回転しながら着地したアルが忌々し気に白装束の老妖精を睨みつける。両手で杖を握り、コンコンと地面を二度叩くと出現していた氷柱や氷槍が自壊して消え去った。
「レイス。彼らは賓客として今ここに居る。これ以上の狼藉は王も黙っておらんぞ。いくら相手があの男だとしてもな」
「…申し訳、ありませんでした」
「うむ、下がるが良い。『何かを起こすまで』は侵略者の一派には不干渉を続けよ」
 機先を制されたことで落ち着きを取り戻したのか、一礼してからレイスはおとなしくその場で水の羽を広げて飛び去った。
 アルにとっては不自然な撤退にしか見えなかったが、レイスにはあれ以上の問答を続けるつもりもなかったのだろう。あれは、明らかなまでの逃げだ。
 レイス自身きっと分かっているくせに、アレはこの場から去ることで逃げることを善しとした。臆病者め。苛立ちに唇を噛む。
 そして、癇癪の向く先は当然ながらそれを誘導した老翁。
「ほんっと、テメェも邪魔ばっかだなクソジジイ。そういうトコも、俺は大嫌いだった」
「老婆心というものを少しは汲め、若造」
 まるであたかも自分の行いが百%正しいと信じて疑わないといった物言いに、怒り心頭だったアルも流石に噴き出さざるを得なかった。
「ぷっ!かハハッ、笑わせんなよジジイ。今は真面目な話してただろ、なんでいきなりふざけたこと言い始めんだよ」
「はて。儂は端から大真面目だが」
「それが本当なら」
 ファルスフィスの言葉を遮り、一瞬で表情を殺意に滾る表情に切り替えて右足をダンと一歩前に踏み出す。…やはり、地中に呼び掛けてもこの世界の金精は武装の創造に応じてはくれなかったが、それは仕方ない。
「やっぱりテメェはブチ殺さなくちゃならねえな。何から何までキナ臭ぇんだよクソジジイ。俺に近付くな、レイスの馬鹿野郎にも構うな。何を、一体何を考えてやがる」
 ビッと指した人差し指の先で、白装束の矮躯は着物の内側で身体をごそりとよじって首を傾ける。
「…『反転』というものは、妖精不信にも陥るものであったか?だとすれば早急に対処が必要だの」
(あくまで知らん顔か。大根役者め)
 問答に期待はしていなかった。収穫は無い。関わるだけ時間の無駄だ。半殺しにして問い質してやってもいいが、ここにきてアルにも冷静さが戻ってきていた。守羽達の立場をこれ以上危うくするのは良くない。
「失せろ。俺ももう騒ぎは起こさない。これで満足かよ老い先短いクソ氷精」
「善処、感謝するぞ闘い好きの悪魔よ」
 嘲弄に利かせる耳など無い。さらに気分を悪くしたアルは、肩を怒らせながらもさっさと大した思い出も無いそこから歩き去り始めた。