Neetel Inside ニートノベル
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「そうですか、やはり貴方がこの国にやって来たという…」
「うっす!東雲由音っす!」
 シャルル大聖堂院の応接間に通され、ここにきて由音は初めて国に住まう普通の妖精と対話するに至った。
 ちなみに今現在、ソファーに座して対面する二人以外、応接間には誰もいない。シェリアは入るなり二階へと上がってしまい、『ちょっと皆と会って来るからお母さんとお話しててっ』と言い残してそれっきりだ。
 普通友人の身内(それも初対面)と二人っきりともなれば多少なりとも気まずさを覚えるものだろうが、そんなものは由音には通用しない。ひとまずは元気な挨拶をと名乗って頭を下げた。
 シェリアと同様、艶やかな黒髪から飛び出た猫の耳。黒の尻尾。
 間違いなく彼女が妖精猫ケット・シーの一族であることが窺える容姿に加え、目鼻立ちにも共通する部分は多々見受けられる。
 しかしどう見てもやはり、
「姉妹とかじゃないんすよね?」
 守羽の母親といい、純粋な妖精種は外見と実際の年齢が釣り合わない。母親というには若すぎる。
 そんな、あくまでも人間としての視点から口を突いて出た言葉に、彼女はびくんと一瞬体を硬直させた。挙動の違和感に疑問を抱くと、ばつが悪そうに苦笑を浮かべて見せた。
「…流石ですね、東雲さん。その慧眼、おみそれしました」
(えマジで?)
 まさか本当に冗談だったのか。いやでもシェリアは彼女のことを母と呼んでいたけども。
 困惑する由音をよそに、彼女は自分の胸に手を当てる。
「名乗るのが遅れました。私はセラウと申します。シェリアの…本当の母、シャーレイの妹です」
(あ姉妹ってそっち?)
 どうやら由音の発言の意図するところを勘違いしたようだが、なんか褒められてしまった手前もうそれを指摘する気にはなれなかった。黙って続きを聞くことにする。
「姉は元々体の弱い人で、シェリアを産んで少しして病に…。だから私が姉の代わりに母親としてシェリアを育ててきました。この聖堂も、元は身内を亡くした子達の面倒を見る為に姉が建てたもので……そうですね、人の世で言う孤児院というものが近いでしょうか」
 それを聞いて、由音は玄関前で感じたいくつもの視線を思い出す。玄関扉の隙間から覗くいくつもの人影にケット・シー以外の特徴も垣間見えたのはそういう事情か。
「人間の世界から連れて来られる子も多いんですよ。時折妖精界から派遣された一団が保護して来て。ちょうど今、シェリアが属している組織ですね」
「…あー!うんうんなんだっけ、なんだっけ。……そうガンダーラな!」
 『イルダーナ』の組織名を語感だけでうろ覚えしていた由音の適当な記憶が適当な名前を導き出した。無論間違いであるが、まだ命名から日も浅い為にセラウにもそれが誤情報だということは分からない。
「へぇーなるほどなあ。アイツらってそういうことしてたのか。嫌な連中だと思ってたけど結構良いヤツらだったんか」
 由音にとっては自分達を襲い、シェリアを突き放し、挙句の果てに守羽の父親を連れ去った極悪人の集まりだという認識しか無い。故に悪印象しかなかったが、それを聞いて彼らへの敵意もいくらか和らぐ。
「…それで、お聞きしたいのですが。東雲さん」
 これから相対することになるであろう敵の素性を再確認していた由音へ、セラウがおずおずといった様子で身を乗り出す。
「はい?」
「シェリアは…その。大丈夫なんですか?」
 心底から不安そうに、セラウが目を伏せる。
「聞けばあの子ったら、ふらふらと危なげに人の世界を渡っているようで。今回だって、レイス様の庇護から外れて独断行動を取ったという話を受けました。どうにも昔からそういうところのある子で、まさしく風のように吹くも向くもが勝手気儘な性分でした」
 そこまで矢継ぎ早に続けてから、ふと何かに気付いたように顔を上げた。由音を見つめる瞳が、僅かに申し訳なさそうに揺れる。
「…貴方がたが邪な者達でないというのは分かります。私達の世界にとっての大罪人も、そちらにとってはまったく違うのでしょう。正直なところ、私にとっては神門旭という人物も、その処遇も、どうだっていいのです。全て終わった、過去のことですから」
 でも。そう足してから、揺れた瞳にこればかりは譲れないという意思を宿して眼差しを固めた。
「あの子だけは守りたい。亡くなった姉が遺した愛娘なんです。この世界の総意だの、大罪人だの、にあの子を害されるわけにはいかない。だから…!」
「大丈夫っす」
 熱の入り始めた口上を途中で遮り、由音は笑みを消した真顔で言い切る。
「オレが守ります。オレがアイツを傷つけさせない。何がどうなったって、シェリアが無事にここへ帰れるようにしますんで!」
 当たり前のように、初めからそうと決めていたことかのように、由音が躊躇いなく即答したことにセラウは戸惑った。
「…ど、うしてですか」
「ん?」
「どうして、そんなすぐ言い切れるんですか?これは貴方がたと妖精界との抗争、戦争でしょう?その渦中にあの子も呑まれかけているのに、貴方はどうしてそんな簡単に言えるんですか?」
「いや好きだから」
 またしてもしれっと答えて、冷静になりかけたセラウが言葉を失う。
 言葉足らずかと思い、由音が身振り手振りを交えてこう続けた。
「オレらの大将ってすげぇヤツなんすよ。悪い連中ぶっ倒して、色んなヤツに手貸して助けて。オレもずっと前に助けられたんすけど。めっちゃいいヤツで、んでオレと同じでその大将に助けられた先輩ってのも優しくていい人なんっすわ。それでーえっと、オレたちのやることに付いてきてくれたシェリアもいいヤツですよね!……オレさっきからいいヤツしか言ってねぇな!?」
 自らの語彙力に嘆きながらも、結論だけは違えない。これは東雲由音の信条であり信念、これは何があっても間違えない。
「ともかく、オレはいいヤツが好きなんですよ。だから力になりたいし、守りたい。シェリアもそうっす。オレが一番に優先するって決めたのは大将あいつですけど、でもオレは信じてくれるヤツを裏切りたくない。だからあの子はオレが死んでも守ります!元々死にづらいんで!!」
 最後の方にはいつも通りの快活な笑顔で、由音は自らの覚悟を吐露した。
「…ふふっ」
 しばし唖然としていたセラウも、ついに吹き出して口元を手で隠した。少しの間そうしてくすくすと笑うと、涙の滲んだ目元を擦って顔を戻す。
「そう、そうですか。うん、その言葉が本心なら、きっと貴方も大概良い人ですね」
「そっすかね!?アホとか頭空っぽとかはよく言われますけど」
 またしてもそうやってお互いに笑い合ってから、納得したのかセラウも小さく頷いて、またにっこりと少女のような顔で微笑んだ。
「ありがとうございます、東雲さん。おかげで幾分安心できました。…あ、そうだ。お客人にお茶も出さずに私ったら」
 腰を上げて扉へ近づいた後ろ姿、黒い尻尾がしゅるしゅると機嫌良さげにしなって揺れるのが見えた。ぴんと立った耳がピコピコ揺れているのも、上機嫌のシェリアと同じだった。
「んふ、それとね東雲さん」
 少しだけ気安くなった口調で、振り返ったセラウが自分の頭に手を伸ばす。黒髪に紛れた猫耳の片方を軽く摘まんで、
「私達ケット・シーの耳が特別良いのはご存じかしら?とりわけ、親しい人の聞き慣れた声だったらなおさら」
 返事を待たず応接間を出て行った彼女の背を黙って見送って、由音がはてと首を傾げる。
 シェリアの耳が良いことくらいは知っているが、
「なんで今それ言ったんだ?」



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「―――……えへ」

 ぶんぶん。ぶぅんぶん。
 スカートが浮き上がるほど大きく振るわれる尻尾。高速で前後に揺れる猫耳。
 大聖堂院二階に続く踊り場で短く、それでいて溢れんばかりの喜びに満ちた笑みを声に出した少女が一人。言い様の無い想いを抱いて握った両手を胸に重ねる。
 この感情を正しく理解しないままに、満たされる心地良さに身を委ねるだけの彼女は未だそれの正体には気付かない。

       

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