―――現在時刻八時過ぎ。
 ―――妖精界全土を敵に回す一大作戦の決行まで、残り約十二時間。


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「……こうして、妖精の少女と魔物の王は共に手を取り合って末永く幸せに暮らしました、とさ」
「めでたし?」
「うん、めでたしめでたしだね」
 シャルル大聖堂院の庭園に据えられたベンチに腰掛け、両隣にぴったりと座った子妖精の問い掛けに頷き、膝に置いた絵本をぱたんと閉じる。
 この国ならではの独自の創作語りだったが、中々興味深かった。
 妖精界で生まれ育った純粋無垢な妖精が、外の世界で出会った魔物の王と恋仲となり駆け落ちするという、子供に読み聞かせるにはやや過激に思えなくも無い内容。どうやら絵本だけでなく、この国に古くから伝わる伝承を元にしたものらしいが、その真偽は甚だ怪しいものである。
 そう。過激といえば、この子達の遊び方もだ。
「シェリアねーちゃんあれやってー!」
「よーし、てゃー!!」
 ねだる子供の脇に手を差し込んで、シェリアが思い切り真上へ持ち上げる。それは華奢なシェリアの腕力では到底叶わないはずの行為だったはずだが、どうやら風精の加護とやらが助力しているらしい。
 ぶわりと風に煽られて、高い高いをされた子供が数十メートル上空まで吹き上がる。
 最初こそ、その光景を前にして慌てふためいた静音だったが、シェリアに宿る加護は的確に落下する子供を受け止め地表近くでゆっくりとその身を降ろしてくれた。
 きゃっきゃと喜ぶ子供の様子を見る限り、ずっと前からこうしてシェリアは孤児の弟妹達にこうして遊んであげていたのだろう。
「ねっねっ!おねぇちゃん、あたしにも!あれっ」
 シェリアが静音を姉と呼んでいたからか、他の子妖精達も静音や由音を姉兄と呼び慕うようになっていた。
 しかしあれを、と言われても参る。
「私はあんな風にはできないけど、これくらいなら」
 静音の細腕でも、子を背の高さまで持ち上げるくらいならば出来る。それでこの子らが満足するかは分からないけれど。
 同じように子供の脇に手を差し入れて、持ち上げる。その間際に思ったこと。
(私も、せめてもう少し実用的な異能だったら。あんな、風に)
 静音にしては珍しい無い物ねだり。自らの異能を意識しながら、そんなことを胸中に抱く。
 気付くと手元から子供の姿が消えていた。
「……え。っ!?」
 疑問はすぐさま焦りへ。
 消えた、のではない。
 のだと、何故だか直感で理解した。
 瞬間で見上げた晴天の空。今さっきまで眼前にいた妖精の子が宙に放り投げられている。
「わぁー!」
「…!」
 無垢にはしゃぐ子供は落下の恐怖を知らない。焦燥に駆られているのは静音だけだ。
 シェリアを呼ぶ間は無い。自力で受け止めるしかない。
 理由に思考を割く暇は無い。ともかく仕出かしたことに対しての責は負う。手足折れてもあの子を無傷で助ける。
 覚悟を決めた静音の決意は、しかし杞憂に終わる。
 落下間際になって、子を守るように集った風のクッションが的確に勢いを殺し尽くして妖精の子を地面に降り立たせた。
「わはーっすごい!」
「シェリアねーちゃんとおんなじことできるんだ!」
「すごいすごーい!次わたしねー!」
 シェリアはそれを見ていなかった。見ていたのは周囲に取り巻く妖精の女の子だけ。その子達も、人間が妖精と同じことをしたというあまりもの違和感に気付くことなく無邪気に手を鳴らして喜ぶだけ。知らないのだろう、ただの人間には不可能な業であったことを。
 だから唯一、行使した本人だけがじわりと滲んだ汗を拭って困惑に戸惑う。
 自覚はある。確かにあの瞬間、あれを行ったのは自分だ。
 ただおかしい。異能力者は自身の異能を展開した際にその感覚を得る。
 静音が行ったのは、自身が使える〝復元〟だ。
 出来もしない風の属性行使などを、使用した覚えはない。
 あくまで使ったのは〝復元〟だけ。
(―――いや。……ま、さか)
 それはあるべきものを元の姿に戻す力。
 そう思ってこれまで生きていた。それしかないと思い込んで使い続けていた。
 これは、そういうものだと考えていた。
 ならば。
 何を。
 久遠静音は、何を、異能の対象にした?

(……現象を。起きた現象を、認識した力を……っ?)

 人に宿る異能は年月を経て成長する。進化する。
 〝復元〟の真価が、その片鱗を見せ始めていた。



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「妖精王よ。無断での謁見、我が不敬をどうか許されよ」
「あ?別に構いやしねーよ。なんだティトティラス」
 王の間にて。
 突然に扉を押し開いて現れた少年の姿に、イクスエキナは横目一つで応じた。
 小さなテーブルを挟んで向かい側に座る守羽は、卓上に置かれた盤面を凝視したままの状態で『イルダーナ』の組織員である妖精を相手に、そうと察せられぬよう気を払いつつも警戒した。
 一見してただチェスに興じているだけの二人だが、その実は違う。
 世間話に紛れてイクスエキナは王城の内部詳細を明かしていた。それは今夜にでも行われるであろう守羽達『アーバレスター』による大罪人奪還作戦の助けになる為の情報開示。チェス自体はそれを隠すための手遊びの一つに過ぎない。
 とはいえ守羽としてはそこそこ本気で掛かり、そして劣勢に追いやられていたのも事実だが。
 外部への無許可出入を許された『イルダーナ』ナンバー2の存在は確かにそれなりの権威を有してはいるが、それでも何の許しも無くいきなり世界の主へ直接的に対峙することの意味は大きい。
 おそらく守衛の目をも盗んだ独断行動。そしてそれに伴うだけの大事。
 瞬時に状況を見定めたイクスエキナは無意味な問答を嫌い、全てを省いた上でただ一言。
「妖精殺しの件か」
「ご明察にございます」
 本当であれば先にファルスフィスを通した上で伝えるべきだった用件。しかし当の氷老精の姿はどこを探しても見当たらなかった。ティト自身、苦渋の決断であった。
「何があった。ああいや確信も確証もいらん、ありうる可能性を全て話せ」
「は、では。……」
「こっちの小僧は気にすんな」
 椅子ごと向き合った妖精王の言葉に頷き、守羽の耳にも入ることをやや渋ったティトも従って、いざベレー帽を脱ぎ去り意見を口にする。
「『イルダーナ』として収集した情報は以前お伝えした通り。そしてそこから察するに妖精殺しの目的は情報経路の寸断。妖精界と、人界との」
「だろうよ。狙いはこの土地、ここの生命。精霊妖精の類を食い物にする魔獣の類じゃねーかって結論には、行き着いてたよな」
 だがその程度の低俗な連中では妖精界には入り込めない。いやどれだけの力を持った人外とて、妖精とそれに連なる者でなければ妖精界はその門戸を開かない。
 これは妖精王と妖精女王、そして世界全域で暮らす全ての生命の協力と拒魔晶石の存在があって確立されたもの。抉じ開けることは不可能とまでは言わないが、行うのであれば相応の格が必要となる。
「魔獣風情の浅知恵で突破されるほど軟な造りでないことは私も承知の上。…そもそもが、喰らい殺すことしか知らぬ畜生に、妖精界と繋がりを持つ人界の妖精を的確に探り当てる技術も方法も無いはず」
「となりゃあ、相手は最低でも魔獣以上。それも、堂々とここに出入りできねぇ『魔族』の側」
 だとしても問題は無かった。来るにしろ、入れないにしろ、接近と接触にはそれぞれに警報を鳴らす術式が備え付けてあった。人界から妖精界へ出入りする為の門は数ヵ所点在しているが、そのどれにも同様のものが付与してある。
 例外といえば、事前にその情報を得ていた元妖精界の住人アルによる破壊工作が施された門くらいのもの。それも補修は済んでいた。
 なら残る懸念事項は。
「…そうか」
 
 イクスエキナは静かに顎を擦る。
 かつて、この国に無断で踏み入った退魔師の人間は最初手酷い返り討ちを受けた。男は妖精界の磐石堅固な砦の如き機構を理解していなかった。いや理解した上で冷静になりきれず結果として敗北した。妖精女王筆頭候補の拉致という大罪は、その愚行を省みた上で行われた二度目の侵攻で引き起こされた。
 この一件はそれとは違う。初手からスムーズに妖精界を敵に回す為の丁寧な『詰め』が打たれていた。
 知っている。
「……おい妖精王。まさか」
 ついに沈黙を維持出来なくなった守羽が口を挟む。イクスエキナもそれに軽く頷きを返し、神妙な面持ちで吐き捨てる。
「バレてやがるな。クソが、密偵スパイでも紛れ込んでいやがるか」
 答えは簡単にして明瞭。ただ、妖精界という特殊な世界構造がその予想に及ばせなかった。
 誰が。
 一体誰が、この閉鎖的な平穏を望み続ける世界に混沌を呼び起こそうなどと考えるか。それも、内部の者に限って。
「ティト、今すぐにグリトニルハイムに繋がる全ての門を閉じろ。『イルダーナ』と今動ける近衛兵団を全員呼び戻せ。俺はこれからルルと妖精界の結界強度を上げる」
「承知しました」
 ベレー帽を胸元に抱え、片膝立ちで深く頭を垂れたティトはすぐさま立ち上がり踵を返す。
「神門守羽。悪いがお前らに構っていられるような状況じゃなくなりそうだ。それでもやるってんならもう今すぐにでも」
「固めろ」
 自国に迫る不可視の危機を肌身に感じながらもなけなしの温情を与えようとした妖精王の言葉を遮り、同じように椅子から立ち上がった守羽が短く告げる。
「―――あ?」
「即座に守りを固めろ。出せる戦力を総動員で配置に着かせろ」
 じわりと滲んだ汗が額から滑り落ち、真下のチェス盤に跳ねる。
 誰よりも何よりも真っ先に気付いたのはほぼ同時に二人。
 共に退魔師として継いだ第六感が急速に全身を強張らせた。

 叫ぶ。




「……ゃ、く。はや―――く……!」

「…おい。なんかあの大罪人、さっきからしきりに何か口にしてないか?」
「ああ…でもここからじゃなあ。掠れて何言ってるか分かったもんじゃない」

「―――…………ごほっ!ぁ、かっ……………く、る…ぞ」




 叫ぶ。
 満足に喉も震わせられない父親の分まで、神門守羽が脅威を叫ぶ。

「早くしろ!!来るぞッ!!!」



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 ―――時刻は十時を回る。

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 二人の退魔師に続いて、妖精界全土の感知を可能とする八名の賢者が異常を掴む。それは瞬く間に王城の重鎮達へと精霊を介した念話によって届けられた。
 次に気付いたのは、意外にも異邦の住人。
「……」
 それは自身の扱う邪悪なる力の本質がざわついたからか。
 東雲由音はたった今まで子供達と楽しんでいた感情を一呼吸で押し殺し、無言で空を見上げる。
 気象操作で常に都合の良い青天を維持されていたグリトニルハイムは、瘴気に似た青紫色の天空に支配されていた。



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 ―――世界を相手取った身内の奪還作戦。そこに住まう無辜の民草に迷惑を掛けてでも必ず成し遂げると決めた飛矢の一団。

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「ほほォ、なるほど。コイツはまた」
 黒翼をはためかせて構えていた暇潰しの魔獣女から視線を離し、妖魔はニィと口元に笑みを作る。
「随分と懐かしい気配じゃねぇの。愉しくなりそうだぜ、音々」



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 ―――作戦の決行まで残り十時間を切った。
 ―――……その、はずだった。

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