「うわ、あああ!?」
 骸の兵が、子供を抱いたまま尻餅を着く妖精の男へと錆に塗れた剣を振り被る。
 切れ味の鈍い剣身が男の頭蓋を砕き割ろうという間際、横合いから割り込んだ手刀が兵の剣を叩き落とした。
「叫んでる暇あんならとっとと立てっつの」
 次いで貫手を深々と突き立て、白けた顔でアルは屍兵の一体を仕留める。
「逃げろ。間違っても家に引き籠ろうなんて考えんじゃねえぞ。王城へ向かえ」
 血と肉片に染まった手でしっしっと妖精を追い払い、次の敵へと視線を定める。
 魔神出現から今までの僅かな時間で発覚したことがある。
 敵の中におそらく一人、極めて高位な転移の使い手がいる。
(となりゃあ、籠城は既に意味がねえ。戸を閉じようが錠を掛けようが、敵が空間を跳んで現れるなら止める手立ては無いからな)
 展開は目に見えて明らかだが、逃げ惑うよりはこちらの方が幾分被害は軽減できるだろう。
 頭を引っ掴んで膝蹴りで顔面を蹴り潰した兵隊を投げ捨てながら、アルは一息大きく吸って周囲一帯へよく響く声を張り上げた。
「妖精共、王城へ集まれ!!精霊との融和性の高い連中は女子供や年寄り共を防壁で守りながら殿で気張れ!出来んだろ!?やれなきゃ俺がケツを蹴り飛ばす!!」
 魔神が降伏を受け入れるはずがない。より手間取らない虐殺が捗るだけだ。
 取れる道は徹底抗戦。それが防戦であろうが時間稼ぎの遅滞戦闘だろうが。
 今はその一択に懸ける他無かった。
「情けねえ野郎共だ。余所モンにおんぶに抱っこで守ってもらって、一丁前に国の一員のつもりでいやがる!馬鹿か!?ここは何の国だ、テメェらはどこで暮らしてる何なんだよ!!」
 本来外敵であったはずの男が放つ発破の怒声に、一瞬呆けていた妖精達は僅かに気勢を上げる。特に、若い男達にその傾向は強かった。
 人にせよ妖精にせよ、守るべきものを前に逃げ出す奴は男じゃない。そういった認識が、非戦を掲げる彼らにも確かにあった。

『早く行って!ここは僕らで止めます!』
『棒切れでも木板でもなんでもいい!とにかくなんか持ってあいつら押しやれ!』
『爺さん!?いいから逃げろって腰でもヤったか!?』
『馬鹿言うな!お前ら若造なんぞよりも精霊達との対話には慣れとるんじゃい!全員逃げてから大通りの道を土精に頼んで塞いでもらう!』

 若い者だけでなく、長きを生き古くから精霊と懇意にし続けていた老翁までもが家族や民の為にと踏ん張りを利かせる中、この場はしばらく保つと判断したアルは大通りの敵をなるだけ蹴散らしながら駆け抜ける。
 両の拳と足には仄かに灯る何かの記号が浮き上がっていた。普段は滅多なことでは使わないようにしているルーン術式が刻印という形で恩恵を示す。
 アル本来の、武装を生み出す戦術は使えない。少なくとも
(敵の転移は厄介だがさほど精密ってわけでもねえ)
 出現する数こそ多いが、グリトニルハイム全域を対象としているせいか箇所もまばら。初めから大軍勢を一つ所に呼び出さなかった時点で予想はついた。転移の使い手は断続的に兵隊を送り込んでの撹乱に重きを置いている。
 そうやって内側から崩していき、本命で真っ向から潰す。
(どうせ使い手も中に入ってきてやがるんだろうが、そっちは別のヤツにやらせるしかねぇわな。そんでもって、俺は)
 内側にいるであろう小細工担当は誰かが突き止める、あるいはもう衝突していることを期待するだけだ。
 妖魔であるアルには、もっと適役がある。
 北へ走り抜け、駆け上がり、高い城壁の頂上へ到達する。
 途端にその顔に邪悪な笑みが浮かんだ。
「……ハッ。いい景色じゃねえの」
 並の精神なら吐き気すら催したであろう、眼下の光景。
 ドス黒い悪意の津波がゆっくりと王国へ浸食を進めていた。
 一見したところで数は数百万といったところか。それが地平線の彼方からぎっしり、地面を隙間なく埋めて迫っている。
 異様、と言う他あるまい。
 魔神はただの一体とて油断予断を許さない大いなる災厄だというのに。それに加えてこの常軌を逸した軍勢の規模。
 そして魔軍の最奥に、屹立する禍々しき威容を見つける。
(アレか、お山の大将は)
「案外ビビりなのね、魔神様ってのも」
 遥か遠方の相手へ向けた罵りを口にして、ばさりとはためく黒翼を横目に捉える。隣に降り立った音々だった。
「こんな数にもの言わせなきゃ勝てるもんも勝てませんってこと?呆れたわね」
「遅ぇよクソアマ」
「全速力で来たってのクソ悪魔」
 音々への返事もそこそこにいつもの口喧嘩を始める二人の調子はやはり、普段といくらも変わりない。これだけの窮地、絶望を前にしてもアルと音々にとってはとうに慣れたもの。
「…で?アレを殺せばおしまいってことでいいのかしら?」
「さぁな。終わりかどうかはわからんが、一戦交える価値はある」
「そりゃアンタの個人的な思惑でしょうが」
「どうでもいいだろ、利害と目的は一致してる。どの道殺すか殺されるかしか有り得ないんだからな」
 寄越せ、と。アルは真横に立つ音々へ手を伸ばす。
 強烈な気配の出現と同時、アルは国の外側の脅威へ対抗する為の手段を音々に取り返すよう命じていた。渋々ながらに事態の深刻さを受け止めた音々もまた、悪態と共にその言葉に強く頷きを返し、両手に持つそれを手渡した。
 踵を返し、未だ混乱状態にある王城内から半ば強引に奪い取って来た二つの刃。取り上げられ武器庫に保管されていたアルの武器。
 正真正銘の大名刀、天下五剣が一振り、童子切安綱。
 贋作上等の大業物、呪いと破滅を齎す〝不耗魔剣ティルヴィング〟。
「唄え。俺の為にな」
「死ぬほど嫌なんだけど……まあ、しょうがないか」
 刀を腰に提げ剣を背に担いだアルの太々しい物言いに睨みを返しながらも、嘆息する音々の声帯からは確かな旋律が紡ぎ上げられる。
 それは戦士を鼓舞する高揚の音律。セイレーンたる音々の調べが与える力の恩寵は決して小さくない。
「さて、大将首を引き摺り出すのにどれほど掛かるかね」
「ってかアンタほんとにやる気?あの数相手に」
 器用に唄と会話を両立させる特殊な喉で、音々は組織仲間の正気を疑う。
 無論、この男が狂気に浸されていることなど知ってはいたが。
「勘弁してほしいもんだぜ」
 呑気にストレッチなんてしながら準備運動をするアルがやれやれと首を振るう。その瞳は既に、かつて半分ほど堕ちた際に見たものと同じ澱のような濁った黒色に浸食されていた。
「親が親なら子も子ってか。つくづく―――飽きさせねえよなァ」
 尖った犬歯を剥いて城壁から外側へと飛び出した妖魔が数十秒後、哄笑と共に黒い津波の第一波を吹き飛ばしたのを高い視界から確認し、もう一度だけ嘆息を吐く。
 これで北は多少の間は食い止められるだろう。あの妖魔と魔獣の唄が合わされば僅かな時を稼ぐ程度なら容易と捉えた。…魔神が前線に出て来ない限り、という前提あっての話だが。
(残りの二方位までは負担し切れないわ。内側で湧いて来る敵のこともあるし、残存する戦力じゃ追い払うどころか抵抗することすら難しい…)
 北方の勢力の国に近い側から行動遅延の唄を浴びせかけつつも、背後に広がるグリトニルハイム国内の様子にも注意を鋭くする。もはやあらゆる方角からの強襲が成立する状況では安心して背を晒せる場所などどこにもない。
(…最悪でも、ボスだけはなんとしても連れ帰る)
 この国と妖精達を見殺しにすることになっても。
 一時の感傷で目的を忘れることは出来ない。それは守羽とて同じ思いのはずだ。
 ただしこの現状ではそれもまず不可能。
 一言で端的に表せば、詰んでいた。

「くっハハッ!豆腐の方がまだ斬り応えあるんじゃねえか!?オラどうしたもっと来い!!」

 解決策も見出せないままに注意を引き付け暴れ回るアルの体力がどこまで続くか。目下最大の気掛かりはそこにある。



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「報告します!魔獣セイレーンの女が先程、城内の護衛兵を昏倒させ武器庫から妖魔の剣を強奪!!そのまま城を離れました!」
「ほっとけ。どうせ神門旭を奪還するまで連中は退かねえ、精々敵の掃討に一役買っててもらえばいい」
 言葉とは裏腹に内心では感謝の念すら抱きつつ、妖精王はあくまで妖精界グリトニルハイムあるじとしての責を果たす。
「近衛兵を全て国内に出現した敵の撃破に当て…いや、三割は残せ。そっちは王城内部の護りに徹しろ」
 転移する敵は城にも例外なく現れている。各所に戦力を配備しなければ国の前に城が落ちる有様だ。
 妖精王イクスエキナは、現状の情報でアル以上の推理と仮説を組み上げていた。
 一度転移した敵はそれ以上の転移行動を起こさない。そしてこれはアルも確信を得ていたものだが、転移そのものは国内のみに限定しそれより細かな場所指定は行えない。
 さしもの魔神といえども、万に及ぶ個体の転移を正確に行使できるほどの余力は無いと見た。でなければ初めの十分でグリトニルハイムは終わっていた。
 ただし、そんなものを問題視させないほどの物量差が厳しい。一体一体の悪魔の力はそれほどではないにせよ、どうにも妖精界の戦力は一部を除いて全体的に練度が低い。
 今現在で特筆すべき戦果を挙げているのは大まかに三つ。
 妖精王直々に鍛え上げた近衛兵団の面々。
 荒事に慣れ切った『イルダーナ』の数人。
 そして外部からの来訪者達。
(誰だか知らんが国の妖精達を王城こっちに避難誘導してくれてんのは助かる。転移とかいうふざけた術式の使い手をぶちのめすまで引き籠りは悪手だ)
 思考を回し続けながら、壁から取り外した大剣を手に取る。
「王、何を…!?」
「伏せてろ」
 有無を言わさぬ威厳を以て、圧迫を掛けた重鎮が跪いた頭上数ミリの空間を斬撃が通過する。重鎮の妖精が上げた悲鳴の終わりには両断された黒い悪魔の死体が転がっていた。
「クソがよ、人様の国で好き勝手やってくれやがる」
 吐き捨て、王は玉座を立つ。
「ルルナテューリに伝えろ。今すぐ王城含むその近辺に界域結界を三重にして張り直せ。転移は具現界域の結界を超えては使えねえと見た」
 これも現在の状況が物語っている。魔神は具現界域・妖精界に踏み込んでから転移を実行した。
 ならば妖精界の内側からさらに空間の層を生み出し断絶すれば敵の転移は干渉できない。
「今から全国民がここへ来るだろう。お前らはそれらを受け入れられるように城内の敵を殺し続けろ」
「はっ!……して、王は何処へ?」
 嫌な予感を覚えつつも、重鎮の一人は大剣を肩に担いだ妖精王の面を仰ぎ見る。その表情に特段の変化は見られなかったが。噴き上がる激情が荒れ狂う様子は誰の目にも明らかだった。
「言わなきゃわからんか莫迦共が。お前らもよぉく知ってる通り、今代妖精王サマはこんな事態になってもまだ金ぴかの椅子にどっかり座り込んでいられるほど寛容じゃねえんだ」
 ギシリ、と。
 剣の柄が尋常ではない握力に軋む音だけが、混乱に惑う城内の中で密かに王の怒りを代弁していた。