第二話 突入、妖精界グリトニルハイム

 街で起きた騒動の翌日。人の世では二十四時間経っていなくとも、その世界では既に二日経とうとしていた。
 人間界とは時間の流れの異なる妖精界にて、神門旭は多くの妖精の重鎮達が左右の壁際に立ち並ぶ大広間の中央に跪かせられていた。
 ここは玉座の間。煌びやかな装飾や文様で覆い尽くされた床、天井、壁…どこを見ても目が痛くなるほどだ。
 “具現界域・妖精界”―――またの名をグリトニルハイム。
 一つの世界にある唯一最大国の、その中央にある王城に旭はいる。
 両腕を後ろ手にきつく縛られ、陽向日昏との激闘で受けた傷も最低限の止血と処置しかされていない状態だ。呼吸をするので精一杯という有様の人間を、それでも左右に立つ重鎮達は油断なく視界に捉え続ける。
 跪く旭の正面十数メートル先にはこれまが豪奢な玉座があり、そこへどっかりと腰を落ち着けている大男が組んだ足をぶらぶらさせながら退魔師の人間と視線を合わせる。
「うーん。まあ、なんだ」
 いかにも王様らしい細やかな刺繍の施された丈の長いファー付コートや装飾に装飾を重ねた衣装を纏う大男は、傷だらけの薄汚い人間が玉座の大広間に存在することに寛容な態度を見せ、それどころか同情するような目を向けて言う。
「おめーも難儀なヤツだな。哀れみなんて余計だと思うが、しかしまあ運の無い」
「……」
 妖精種というよりはむしろ鬼性種に近いレベルの体格の良さ。オールバックの白髪。彫りの深い顔つき。
 これが本当に妖精界の頂点に立つ王なのか。少しだけ影武者の可能性を疑った旭だが、それが誤りであることは男の身体から放たれる威圧感をもって理解する。無意識にでも平伏してしまいそうになる風格が、この妖精にはある。
「…そういえば妖精王は代替わりしていたんだったね。前の王はもう?」
 かつて妖精界侵攻の折に見た妖精王との違いをまじまじ確認していた旭の質問に重鎮達が空気を鋭くする。大罪人風情が王へ話し掛けること自体が無礼そのもの。
 だが妖精王はそれを適当に振った片手で静まらせ、旭の質問に応じる。
「ああ。そっちで十年前でも、こっちじゃ三十年前だ。いくら妖精の寿命だろうがそれだけありゃ王座も代わる」
「そっか。まあ会えてもどうしようもなかったけどね、僕はあの王に嫌われてたし」
「そりゃそうだ。自分の許嫁候補を寝取った相手に好意を抱くような変態じゃなかったからなー先代は」
 互いにくすりと笑んでから、ようやく本題が始まる。
「で、神門旭。ここへ連れて来られた理由はわかるよな」
「死罪だろう。いつにするかはもう決まったかい?」
 まるで他人事のように言う旭の達観した様子に、妖精王は意外そうに玉座の肘掛けに置いた手の上に頬を乗せる。
「近い内にだ。しかしさっぱりしてんな、悔いは無いってか」
「山ほどあるさ。だが仕方無いことだ。ただ、死ぬ前に聞き届けてほしいことはある」
 妖精王の無言の促しに感謝して、旭は続ける。
「僕の死後も、僕の家族には手を出さないでほしい。出来れば僕の仲間にも」
 かつての妖精界侵攻と妖精女王筆頭候補の誘拐を補佐した『突貫同盟』なる組織のメンバーも、当然ながらこの世界では罪人扱いだ。さらに旭の妻もその子供も、妖精種にとっては看過できる存在ではない。
 それだけ旭達の起こした騒動は大きく深い事件だった。
 それを自らの命一つで水に流してくれという軽々しくも図々しい言い分に、とうとう王の側近含む重鎮達は黙っていなかった。
「貴様ぁ…神門旭!!」
「王の慈悲に甘えるのもそこまでにしておけ!」
「なんたる不遜な」
「思い上がるなよ大罪人風情が…!」
 堰を切ったように怒号の飛び交う大広間に、コォンと一つの音が響き渡る。
 重鎮達が一斉に音の発生点に反射的に顔を向けると、そこには白髪白鬚に死装束のような純白の着物の老人が背筋をピンと伸ばして立っていた。
 妖精王の重鎮にして、人間界で『イルダーナ』という妖精組織の長を担っている老翁。『氷々爺ひょうひょうや』の呼び名よろしく氷精ジャックフロストことファルスフィス。
 上から下までどこまでも真っ白の老人が、両手で体の前に持っていた杖を持ち上げてもう一度コォンと床を小突く。
「落ち着けぃ皆の衆。そこより一歩も動くな、神門旭の思う壺じゃぞ」
 重鎮達が何の話かと僅かなざわつきを見せる中、変わらず肩肘を付いた妖精王はこの状況を愉しむように薄ら笑いを浮かべたまま、
「…で、話を続けるが。もしその願いをこの場で断った場合どうする?」
 満身創痍で縛られた神門旭は自身の状態を誰より把握していながらふっと笑い、妖精王の言葉を想定済みで返しを放つ。
「この場の全員を殺し、命尽きるまでこの国で暴れ実力者から順に殺せるだけ殺す」
 今度こそざわつきは最高潮に達した。怒鳴り声が怒鳴り声に掻き消され、誰が何を言っているのかすら聞き分けられない始末。とても王の座す広間であるとは思えぬ有様だ。
 それを黙らせるのも面倒なのか、妖精王は無言で旭と睨み合う。先程まではなかった敵意が、僅かばかりその身から滲み出す。それは旭も同じく。
(……まず七人は死ぬな)
 確実に出る死者の数を予想して、やれやれと首を左右に振るう。
 妖精王の眼には、神門旭の周囲に九つの強大な力で練り上げられた玉のようなものが見えた。まだ具現を成されていないそれは、おそらく旭の退魔師としての力だろう。
 玉が一瞬で具現され射出されるとなれば、同時に九人は襲われる。そして実力順にこの場の妖精が標的となるならば、大広間にいる妖精上位九名の内で初撃を防げるのは妖精王と氷々爺の二名のみだ。他七名の重鎮は即死で間違いない。
 不遜な言動で場を乱したのも、自身の願いが通じなかった場合を想定しての初撃を通す為。それを察しているのも王とファルスフィスだけらしい。
 まったく重鎮が聞いて呆れる。自らの国を支える者達の無能っぷりを心中深く嘆きながら、会話を続ける為に周囲を再度黙らせる。
「煩い、黙れお前ら。…ちなみに訊いておくが、妖精界の実力者を殺すってのはあれか。人間界に刺客を向かわせないようにってことか」
「もちろん」
 即答した旭の足元から小刻みに地響きが伝わって来る。家族と仲間を守るには、この世界で強い力を持つ妖精をなるだけ多く殺しておかねばならない。今この瞬間、答え方を誤れば即座に玉座の間は惨劇で満たされる。さしもの妖精王も、この手負いの獣を無傷で押さえられる自信などなかった。
「いいだろう、その願い承った。妖精と人間の怨恨の鎖は、お前の首一つで断ち切るとしよう」
「王!?」
「そんな馬鹿な!」
「神門守羽と同盟員は放置する気ですか!?」
 妖精の重鎮達が騒ぎ立てるのに苛立ちながら、妖精王はそれらを無視することに決める。誰の為にこの提案を呑んでやっていると思ってるのか。唯一その心情を察しているファルスフィスが杖をついたまま王へ同情の視線を向けていた。
「こちとら、いつまでも憎悪だの大罪だの因縁だのを抱えたままじゃ気分が悪いんだ。終わらせられるのならとっとと終わらせたいのさ。できれば俺の代でな」
 ただでさえ閉鎖的な環境を構築している妖精世界の中で、いらぬ負念は余計でしかない。閉鎖環境故の悪循環は負の想念を膨張させ続ける。王自身あまり気乗りはしないが、神門旭にはそれを解消させる礎となってもらう他ない。
「あー、それとな神門旭。一つ質問だ」
「…?」
 急に小声になった妖精王の声に耳を傾ける。何か皆の前では訊きづらいことでもあるのかという旭の疑問は、次の質問でさらに大きくなった。
「お前、最近外の世界で起きてる妖精種絡みの事件について何か知ってるか?」
「……?いや…僕はそんな事件の話、知らないよ」
 そうかと呟いて、妖精王は玉座で両腕を組んで何事か考える仕草を見せる。
 何の話なのか、旭には本当にわからなかった。元々『突貫同盟』のツテで最低限必要な情報は仕入れていたが、必要の無い人外情勢の話は一切興味を向けていなかったのだ。
 思案は後回しにしたのか、妖精王は左右に立ち並びまだ口々に何か言い合っている重鎮共を見渡して、不愉快そうな表情を露骨に浮かべて口を開く。
「…意見を統一するまでにしばらく時間がいる。悪いがそれまで牢で我慢しててくれや」
「……感謝するよ、今代妖精王」
 おそらく、ここからは神門旭の一族郎党と『突貫同盟』総員の殲滅派達の意見を握り潰して強引にでも黙らせる会議が開かれる。基本的には温厚であるはずの妖精種の中にも、やはり強硬派や保守派、穏健派などといった派閥は存在する。
 妖精王には苦労を掛けることと懇願を受け入れてくれたことに謝罪と礼の入り混じった一言を返して、神門旭は再び投獄される。
 ロクに怪我の手当ても受けられぬまま衰弱していく旭が次に変化を感じ取るのは、これより七日後。
 妖精界連行より数えて計九日の後、妖精界は二度と起きることはないと思っていた外部からの侵攻に大いに揺れることとなる。