第三話 妖精達の想いと願い

 神門宅にて、少女のような容姿の妖精は畳敷きの部屋にぺたりと座り込んでぼんやりと日の暮れ始めた夕焼け空を眺めていた。
 既に守羽達が出立して半日が経過している。向こうでは、おそらく一日と半分程度は立っているだろう。
「…ねえ」
 ぽつりと小さな唇から零れた呟きを、同じ部屋で幼い白埜のおままごとに付き合っていたレンが聞き取る。
「はい、なんですか姐さん」
「……?」
 同様に顔を向けた白埜も小首を傾げてそちらを見る。二人の視線を受けて、空を向いていた両目が部屋の中に戻って来る。
 しばし何事か考えていた様子だった表情は、その瞳は、何かを決意したように揺れを無くして鋭さを増す。
「旭さんは、言ったんだ」
 そうして彼女は噛み締めるように夫の発した言葉を反芻する。それは連れ去られる少し前に、おそらく自らが陽向日昏との決闘の後にどうなるのかを予感した上で放った言葉。
「『君は君の正しいと思うことをしなよ。僕も、そうするから』…って」
 一言一句違わず口にし、ほうと吐息を漏らす。
 その一言は、まるで彼女に決定権を委ねたかのような内容と見せかけて、その実は彼女の行動を極端に制限させる意図であったことを彼女自身が知っていた。
 旭の行動を無意味にさせない為にも、彼女にはこれ以上のアクションを起こすことが出来なかった。それは二人の最も大切とする息子、神門守羽を守る為にも必要なことであった。あの時の言葉は、言外に守羽を外敵から守り自身も危険に晒してくれるなよという意味合いを含んでいたのだ。
 それを分かっていたからこそ、彼女はあの状況で家から出て連れ去られる旭のもとへ向かうことを愚行と断じた。
 だが、その息子は母の制止を説き伏せ行ってしまった。自らに半分も流れている同胞であるはずの、妖精の国。彼にとっては敵地に等しいその只中へ。
「守羽も、こう言ったんだよ」
 家を出る時に玄関で言い残した守羽の言葉と表情は、しっかり覚えている。それがあまりにも父親のそれと似ていたから。
「『これは俺達家族の問題だ。だから俺は俺の思う通りに動く。母さんも、本当にそれが正しいと思うのなら、それをした方がいい』…だってさ」
 やはり親子なのだなと、思わずにはいられなかった。いつも肝心な場面、大事な局面でその遺伝が発揮されてしまっていることを両名は自覚しているのかどうか。ともあれ、三人の家族の中で夫と息子は自身の正道を迷いなく進んで行った。
 なら、残りは自分だけだ。
「……アキラと、シュウのとこ。いきたい?」
 レンと向き合って遊んでいた白埜がすっくと立ち上がり、白銀の髪を綿毛のように軽やかな動きで揺らめかせながら澄んだ瞳で彼女を見据え問う。
 それに真っ向から受け止める瞳もまた、純然たる澄み切った琥珀の色を宿す。
「うん。わたしだけが、ここで待ってるわけにはいかない」
「…姐さん。先に言っておきますけど」
 白埜の隣で胡坐を組んだレンが試すように彼女を見る。
「仮に今から出たとして、もう妖精界では数日は確実に経ってる。事態がどう転んでいても、それに間に合うかはわかりませんよ」
「わかってる」
「姐さんを行かせたとあっては、留守番頼まれた俺がアルや旦那さんに怒られちゃうんですが」
「ごめんね」
「今のあなたはもう昔ほどの力は無い。あるとしても、豊穣の女神に受けた神癒の加護くらいのもんですよ」
「それでも、行く。でなきゃきっと後悔する」
「はい、わかりました」
 散々危険とリスクと迷惑の確認を取った割にはあっさりと、抹茶のような深緑色の短髪をがりがりと片手で掻きながら、もう片方の手を白埜の頭において重そうに腰を持ち上げる。
「なら急ぎましょう。たいした力はありませんけど、道中は俺と…白埜で守ります。頼むぞ聖獣様」
「……おまかせ」
 乗せられた手に自分の小さな両手を重ね、白埜が力強い返事をする。
「うん。…ありがとう」
 同盟の仲間達に心からの感謝を述べ、かつて妖精界を統べる女王として君臨する資格を持っていた彼女は、ただの妖精、ただ一介の夫と息子を想う妻として決意を固める。



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 神門宅での決意が固まって少し後、日が沈み薄闇が空を覆いだした頃。倒壊し崩壊したビルの残骸が散在する廃れた土地で、未だかろうじて原型を保ったままの廃ビルの入り口から内部へ入る影が二つあった。
 体こそ筋骨隆々の人間のそれだが、頭部はそうではなかった。片方は首から上が馬の顔、もう片方は牛の顔。
 それぞれの頭部にはその動物由来ではない角が生えており、馬面には頭部の左側に太枝のようなゴツゴツとした角が、牛面には右側に湾曲した凹凸のある角が一本ずつあった。
 人外、地獄の獄卒とされている鬼性種の牛頭と馬頭だ。
 外での情報収集を終えた二名の鬼が、この廃ビルの一室を根城にしている主へと報告の為に戻ってきたところである。
 数日前、『鬼殺し』の二つ名を持つ神門守羽との一騎打ちにて、右腕の消失と共に敗北を喫した最強の鬼神・酒呑童子がここにいる。
 主が療養している部屋のドアを開けて、まず最初に入った牛頭が何に置いてもまず先に報告を口にする。
「頭目、やはり『鬼殺し』はもうこの街におりません。おそらくはもう出たものかと……」
「出遅れやしたぜ頭領、こりゃもう…あ?」
 続いて入室した馬頭が片手を馬面の頭に当てながら入るが、そこで部屋の異常に気付き声を上げる。
 ここで酒を喰らい傷の治療に当たっていたはずの主の姿が、どこにもなかった。
 牛頭と馬頭は揃って狭い部屋の中を見回すが、あの巨体の姿が隠れられるスペースなどはあるはずもなく。馬頭は首を鳴らしながら疑問符を浮かべる。
「おっかしいな、頭領どっか行ったか?」
 考えられる線としては、大の酒好きである酒呑童子が飲み干して無くなった酒を求めて外を出歩いているというところか。牛頭馬頭とは違い酒呑童子は自身の持つ神通力で人の姿に変化することが出来るので何に気兼ねすることもなく人の世を堂々と闊歩することができる。
「まだ腕が治ったばっかだってのに、元気だなー頭領は。なあ牛頭?」
 お気楽に結論を出した馬頭が能天気に相方へ返事を促すが、当の牛頭は顔を俯けたままで動こうとしない。見れば、俯いた視線の先には片手に摘ままれた紙片がある。それがなんなのか、気になった馬頭がプルプルと震える牛頭を怪訝な表情で流し見ながら紙片を覗き込む。

 『神門守羽がこの街を離れた。気配でわかった。楽しい予感がする。ちょっくら行ってくる。テメェらはそこで留守番してろ。』
 
 端的に、それでいて割と達筆に書かれたそれが主の残して行った書き置きだと理解するのに時間は掛からなかった。
 しばし間を空けて目を数度瞬いてから、馬頭は相変わらず奔放な主のこれまた突飛な行動に呆れにも似た息を吐く。そんな馬頭を背後に、書き置きの紙片をぐしゃっと握り潰した牛頭が額に青筋を浮かばせながら主の名を大声で叫んだ。
 今回はちゃんといなくなる理由を置いてったんだから文句ねェだろ?
 そんなことをドヤ顔で言い切る酒呑童子の姿を配下一の苦労人である牛頭は脳裏に浮かべ、またしても行方知れずとなった主への心労をダメージとして直接胃へ叩き込まれるのだった。



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「ああ、ようやく。ようやくだ」
 青紫に染まる天を仰いで、夜の帳が降りて来るのを睨み上げるは一人の女。狂気的な笑みを湛えて、女はガチリと上下の歯を噛み合わせる。
「神門、神門……神門神門神門神門神門神門ッッ」
 傷が癒え切っていない体になんの配慮もなく、栗色の髪を三つ編みにした女―――人にして人ならざる力を宿す特異家系の出である四門操謳が、血走る両眼を見開きただ一人の名前にあらゆる感情をありったけ込めて口にする。
「…神門…守羽!!!」
 両手足頭部に巻かれた解け掛けの包帯を風に流して、四門は迷いなく足を前に出す。
 目指す先は知っている、分かっている。そこは人の世にあらず。
 
 妖精界に、かつてない波乱が起きようとしていることに気付いた者は、果たして一体どれほどいたことか。