第七話 賓客達のそれぞれ 《昼の部》


「別に何もしねぇよ」

 妖精達にとっての理想郷であるこのグリトニルハイムにとり、あまりにも不釣合いな色合いに身を染める『反魔』の男。
 あえて人通りの少ない路地を選んで通っていたのは一重に騒ぎを大きくしない為だ。二度目の侵略を遂げた彼を、温かく出迎えてくれるほどにこの世界は寛容でない。それはアル自身もよく知っていたことだ。
 石畳の歩道をひた歩き、行き着いた先は国の城壁にほど近い外れの広場。それも王城正面にあるような大噴水の設置された規模には届かぬ、精々が子らが遊びに使う程度の広さ。
 くだらない思い出の沁み込んだこの土地で、アルは背後にひたと感じる気配に向けて言う。
「だからこんなとこまで足運んでやったんだろが。昔はガキ共おれたちの溜まり場だったってのに、こうも変わるモンかね」
 気付かれていたことに気付き、姿を現した妖精は口を開くことをしない。それでも構わずにアルは感傷に浸るような素振りを見せる。
 そんな気は、どうやったって一切湧かないというのに。
「俺らの同世代は今頃どうした。外に出たとは考えづらいし、大方この国でなんかやってんだろうとは思うが。まったく理想郷とは聞いて呆れる。テメェらのそれは思考放棄に他ならねぇ逃げだ。籠から逃れることすら考えつかなくなった大馬鹿の末路だ」
「…………」
「この国の出身で、なおかつ外の世界に興味を示す連中ってのは稀だ。その稀こそが賢明なんだけどな?そう、たとえばテメェが妹のように可愛がりを見せる妖精猫ケット・シー、シェリアシャルル。たとえばかつてこの国を望んで離れた女王筆頭候補、リリア―――」
 彼にしては長々と厭味ったらしく続けられた口上は最後まで言い終えることはなかった。突如として飛来する水の刃を、堅く握った拳骨で殴り散らす。
 僅かに裂けた拳をひらひらと振るって、アルは蔑むような瞳を振り向ける。
「癪に障ったか?優等生くんよ。ええ、なんとか言ってみろよ近衛騎士レイススフォード」
「貴様はやはり害だ。裏切者のアルムエルド」
 アル以上に軽蔑の念を視線に込めるは水の使い手、『イルダーナ』所属のレイス。王城を出てからずっと監視の目を光らせていた彼に、アルもいい加減うんざりしていた。
 それと、聞き捨てならない単語にも我慢がならない。
「アルムエルドってのは、この国に嫌々住んでた哀れな妖精の名前だろ。そんな野郎はもういない、死んだとすら言える。ここにいるのは魔性に堕ちた半端者、『突貫同盟』の妖魔アルだ。騎士サマってのは満足に人の名前も判別できねぇのか?」
 自らを貶すような名乗りにも幾許かの誇りが見え隠れしているのは、この国にいた頃のまだ純粋な妖精だった時分よりマシだと捉えているからか。
 ともあれ、かつて同じ師を持ち互いに切磋琢磨を繰り返した者同士に、培われた友情などもはや欠片も有りはしない。
「話を戻すかレイス」
「貴様と話すことなぞない」
「テメェの周りは賢いヤツばっかだよ。外に出て、見聞を広め、そして理解する」
「何を言っている」
「どこまで行っても馬鹿野郎だテメェは。なんで周りを見習わない。行き過ぎた無知ってのはもはや重罪だろ」
 互いに互いの言い分を一切無視して行き交う言動に、とうとう限度を超えたのはレイス。次なる水の一手を用意し、いつでも放てるよう構える。
 すぐ撃てば良かったものを、その装填・射出の挙動に間を置いたのが致命的だった。
 眼前に迫ったアルの、その額が真っ向から頭部にぶつかる。
「ぐっ…!?」
「空回りばっかだよ、お前ってヤツは」
 仰け反るレイスの胸倉を掴んで引き寄せ、褐色に染まった魔性のアルは直近に顔を寄せる。
「いい加減気付け。お前の判断は間違いだらけだ。なんでシェリアを好きにさせない、なんで東雲由音と距離を狭めることに悪態を吐く。テメェのくだらねぇ偏見と愚考でアイツらのこれからに横槍を入れる気か」
 別に、アルにとってはシェリアも東雲由音も特別視するほどの存在ではない。これはただの建前でしかなかった。
 本当に言いたいのは、あの二人と同じような関係を築き上げた『あの二人』のこと。
「最初の間違いでどうして反省しない。神門旭と添い遂げたあの人の本心を知ってもまだ、お前はシェリアに同じことを言って繰り返すつもりかよ」
 正答というものがどれなのかはアルにもわからない。ただ、盟友である恩人でもある神門旭の決断が誤答であったとはどうやっても考えられないし、それに付いていった同盟員である自分達の行動にも間違いなんかは見当たらない。
 紆余曲折の末、最終的に旭との未来を選んだ女王筆頭候補の独断だって、何もおかしなことではなかったはずだ。
 そう断じるアルと、今なおそれが間違いであったと信じて疑わないレイスとの間で深まる溝は埋まることを知らない。それ自体にアルはなんの不都合も感じていない。
 ただ、言っておかねばならないことがある。
 それは不完全ながらも『反転』を経験したこの身だからこそ言えること。
「いつまでもそうやって改めないでいるとな、レイス。いつか呑まれるぞ。テメェみたいな『自分こそが正しい』なんて凝り固まった考え方しか出来ねぇヤツは、それが決定的に折れた時こそ堕ちるんだ」
 要因こそ違えどもアルには分かる。自分の全てを覆してでも許せないこと、有り得ないことに直面する時こそが、全てが丸ごと引っ繰り返る危機なのだと。
「……ちがう」
 いつもなら、胸倉を掴まれた時点で振り払うであろうレイスの態度が今回は違って見える。今の言葉を受けてか、それとも思い当る節にもぶつかったのか。
「…違う。俺が、俺が戻さなければいけないんだ。いつか後悔するから。あの方のように、人間なんかと添い遂げようとするものなら、いつか、きっと。…だからッ」
「っと」
 振り上げた拳が頬を横殴りにする前に手を離し一歩下がるアルと、鏡合わせにまた一歩後退するレイス。
「貴様なんぞに分かるものか…貴様、なんぞに!」
 激昂するレイスの周囲に集う大気の水。それらを収束させ始めたのを確認して、アルも鼻息一つで嘲笑する。
 諭すつもりは毛頭無かったが、結果としては上々か。
 既に守羽から騒ぎを起こすなと言われたことも頭からすっぽ抜け、アルはただ脳内を駆け巡る闘争本能にのみ身を任せる。
 これがアルという魔性が生み出した妖精ならざる本質。人外という存在上、この手の本能には基本抗う術はない。呪いに似た本能に駆られるままに徒手を構える。
 武器は無い。この世界の内においては生み出すことも叶わない。
 でも、だからどうした?
「ハハハッ、いいぜ。鬼神に比べりゃお粗末な相手だが、これくらいのハンデがありゃそこそこ楽しめるかもしれねぇしなァ!!」
 凶悪な笑みを浮かべ腰を落としたアルと水刃を従え敵を切り刻まんとするレイス、両者の交錯した視線が開始の合図となった。
 次の瞬間、先手を打って跳び出した真下の地面から氷柱が飛び出しアルの胴を打った。
「いでぇっ!?」
 蹴り出した速度が真上に打ち上げられそのまま空高く舞うアル。唖然とするレイスには周囲に氷の槍が取り囲う形で突き立って牽制となる。
「やめよ馬鹿者。外ならばともなく、ここを何処だと心得る。妖精の国土をこれ以上荒らすでない」
「……ファルスフィス殿」
「チッ、ジジイが」
 くるくると回転しながら着地したアルが忌々し気に白装束の老妖精を睨みつける。両手で杖を握り、コンコンと地面を二度叩くと出現していた氷柱や氷槍が自壊して消え去った。
「レイス。彼らは賓客として今ここに居る。これ以上の狼藉は王も黙っておらんぞ。いくら相手があの男だとしてもな」
「…申し訳、ありませんでした」
「うむ、下がるが良い。『何かを起こすまで』は侵略者の一派には不干渉を続けよ」
 機先を制されたことで落ち着きを取り戻したのか、一礼してからレイスはおとなしくその場で水の羽を広げて飛び去った。
 アルにとっては不自然な撤退にしか見えなかったが、レイスにはあれ以上の問答を続けるつもりもなかったのだろう。あれは、明らかなまでの逃げだ。
 レイス自身きっと分かっているくせに、アレはこの場から去ることで逃げることを善しとした。臆病者め。苛立ちに唇を噛む。
 そして、癇癪の向く先は当然ながらそれを誘導した老翁。
「ほんっと、テメェも邪魔ばっかだなクソジジイ。そういうトコも、俺は大嫌いだった」
「老婆心というものを少しは汲め、若造」
 まるであたかも自分の行いが百%正しいと信じて疑わないといった物言いに、怒り心頭だったアルも流石に噴き出さざるを得なかった。
「ぷっ!かハハッ、笑わせんなよジジイ。今は真面目な話してただろ、なんでいきなりふざけたこと言い始めんだよ」
「はて。儂は端から大真面目だが」
「それが本当なら」
 ファルスフィスの言葉を遮り、一瞬で表情を殺意に滾る表情に切り替えて右足をダンと一歩前に踏み出す。…やはり、地中に呼び掛けてもこの世界の金精は武装の創造に応じてはくれなかったが、それは仕方ない。
「やっぱりテメェはブチ殺さなくちゃならねえな。何から何までキナ臭ぇんだよクソジジイ。俺に近付くな、レイスの馬鹿野郎にも構うな。何を、一体何を考えてやがる」
 ビッと指した人差し指の先で、白装束の矮躯は着物の内側で身体をごそりとよじって首を傾ける。
「…『反転』というものは、妖精不信にも陥るものであったか?だとすれば早急に対処が必要だの」
(あくまで知らん顔か。大根役者め)
 問答に期待はしていなかった。収穫は無い。関わるだけ時間の無駄だ。半殺しにして問い質してやってもいいが、ここにきてアルにも冷静さが戻ってきていた。守羽達の立場をこれ以上危うくするのは良くない。
「失せろ。俺ももう騒ぎは起こさない。これで満足かよ老い先短いクソ氷精」
「善処、感謝するぞ闘い好きの悪魔よ」
 嘲弄に利かせる耳など無い。さらに気分を悪くしたアルは、肩を怒らせながらもさっさと大した思い出も無いそこから歩き去り始めた。

 普段は妖精達で賑わうであろう、王城へ続く大通りの道には誰も居なかった。ただ、上機嫌に前を行くシェリアと、それに手を引っ張られる由音だけが道の真ん中を歩く。
 無論、この国に住まう妖精達がそれぞれの仕事を放って姿を消している理由は由音にも分かっていた。
(気配だけは感じんな。みんなやっぱり家の中に引っ込んでんのか)
 自分達がこの国を踏み荒らした侵略者という立場であること、それによりどういうわけか『賓客』として王が迎え入れた異常事態。妖精達の警戒は上限を振り切った状態にある。いくら普段から直情思考で突っ走っている由音にだってそれくらいは理解できた。
「こっち、こっちだよシノ!」
 ぐいぐいと手を引いて先を歩く少女の上機嫌に弾む猫耳を後ろから眺めつつ、ふと思ったことが口を突いて出る。
 それはこの妖精界における現状や自分達の状況とは一切関係なく、ただほんの少しだけ気に掛かったこと。
「……シノ、ってさ」
「んー?」
「オレだけ苗字じゃん?名前で呼んでくれよシェリア」
 初対面の時から、東雲由音を覚えきれなかったシェリアは頭の二文字だけを取って由音を呼び続けていた。守羽は旭との呼び分けの為に神門と言うのを避け、同性同士で親密な仲にある静音もまた名で呼ばれている。
 自分だけ苗字だったということが不服なのではない。ただ少しだけ引っ掛かった。どうしてそうなったのかは自分にもよく、わからないが。
 ぴこんと耳を立てて、手を引いたまま半身振り返ったシェリアが真顔で数秒唸ってから、
「…ん、と。えへへ、シノって名前にゃんだっけ?」
「由音だよ!東雲由音!」
 まさかまだフルネームで覚えられていなかったのか。再度名乗ると、また誤魔化すように笑って強く頷いた。
「うん、よし!じゃユイだね!!」
「おう!」
 相変わらず略す癖があるのか半端な呼び名となったが、これで充分だ。負けじと呼ぶ声に応じて、大通りから十字路を右に曲がってさらに先へ。その途中で立ち止まった場所が、どうやらシェリアの帰るべき居場所であるらしかった。
 王城からざっと見下ろした時に確認した民家と比べると随分と大きい。二メートルほどの鉄柵で覆われた建物は横にも縦にも大きく、玄関までの間には小さいながらも左右に広がる芝生の庭がある。
 由音の中にある知識はあまり豊富ではないが、それでも外観からして感じる第一印象は聖堂、あるいは教会か。
 十字架こそ無いけれど、全体的に丸みを帯びたフォルム。大きさに反して威圧感を極力拭い去ろうと汲み上げた建築の仕方を思わせる大聖堂。妖精界であっても信仰する神は在るのだろうか。
 両開きの玄関扉の上端には、表札にしてはやけに大きな木の横板が嵌め込まれている。横一行に綺麗な文字が走っているが、日本語ではない。英語…にも近いが違うような、もしかしたら妖精界で発展した人界には存在しない文字だろうか。
「シャルル大聖堂院だよ、ユイ」
 勝手知ったる様子で鉄柵の扉を押し開けながら、木製の横板表札を見上げていた由音にシェリアがそう答えた。
「大聖堂院?…シャルル?」
「うん。ここはねー皆のお家にゃんだよ。そんでねぇ」
「―――シェリア?」
 開け放ち、再び由音の手を取って玄関へ向かう道すがら語る説明は途中で遮られた。鉄柵の軋みを耳に入れたのか、聖堂の中から一人の女性が玄関から現れた。
 由音には一目でそれがシェリアの関係者であることがわかった。妖精種では非常に稀有な黒髪を三つ編みに結った猫耳姿。エプロンドレスの彼女は間違いなくケット・シーの一族。
 ということは。
「お母さん!」
「やっぱり、シェリアシャルル!」
 駆け出し、母と呼んだ女性へとシェリアが跳び付く。やはりあれがそうか。どうにも人間の基準で考えると若いどころか幼くすら見えてしまうが、この際だから人の常識はもう捨て去ってしまった方がよさそうだ。
「シェリア、シャルル。……ふーん?シャルル…」
 嬉しそうに強く抱き合う母子を見て、もう一度(読めないが)表札を見上げる。そして肌に感じる妙な視線。
「ん?」
 顔を正面に戻す。すると、開けられたままの玄関扉の隙間から小さな人影がいくつか。それに応じた視線を一身に受けている。揺れる毛先は黒のみならず、どうやらケット・シー以外の妖精も中にはいるようだ。
(大家族?なんだな。とりあえず手ぇ振ってみっか!)
 ぶんぶんと大きく手を振って奥にいる複数の人影に挨拶してみれど、彼らは応じてくれず。どころか一目散に引っ込んでしまった。
「え、なんでよ。オレそんなに顔怖かった?」
 納得がいかずに首を捻る由音を、久方ぶりの再会を済ませたシェリアが家へと招く。玄関扉をくぐる時にはもう、彼らの姿も気配もとっくに消え失せてしまっていた。



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 王城の外周には等間隔にシンメトリーを意識した花畑が広がっている。色彩まで統一して順序よく揃えられているのは流石と言うべきか。妖精界最重要ともなる城の造形美を損なわないように細心の心配りが成されている。
「この世界…国のこと、どう思います?静音さん」
 その色とりどりの景色をなんともなしに眺めながら、少女の歩幅に合わせてゆっくり歩く守羽が訊ねる。
「良いところだと思うよ、率直に言ってもここはまさしく理想の国家なんじゃないかな」
 気象天候に脅かされず、悠々と育つ農作物。一切外敵のいない空間。君臨する王も暴君に非ず、女王もまた慈愛心に満ちた器量好しと来てる。
 人世の歴史でもここまで条件に恵まれた国は稀だ。しかも此処はその繁栄が永続を確約されている。何かしらのイレギュラーさえなければ。
 彼のことをよく知る静音には、その心中が窺い知れた。
「…やっぱり荒らすのは抵抗がある?」
 見抜かれていることすら不思議にも思わず、守羽は隠すことなく戸惑いを顔に表す。
 だが覚悟だけは揺らがない。
「この世界には本当に申し訳ないと思ってます。でも俺は、例えここが取り返しのつかないほど滅茶苦茶に荒れ果てることになろうとも。それでも父さんを助けたい」
 その為の『アーバレスター』であるし、そうでなければ付いてきてくれた仲間達に面目が立たない。
「そうだね。うん、それでいいと思う」
 立ち止まり、暖かな微風に揺れる長髪をそっと押さえて。静音は守羽の全てを受け入れる。
「私達はどこまでも貴方に付いていくよ。その途上で起きた罪も責任も、私達全員のもの。守羽一人だけで抱え込まなくたって大丈夫。私も由音君もそういう覚悟でここにいる。……だからそんな、暗い顔をしないで」
 巻き込まれたわけではない、自分の意思でここまで来た。守羽もそれを知っていながら、それでも一人で抱え込みがちな性分は中々治らない。既にこの身、この魂までを彼と共に在り続けることを誓ってすらいるというのに。
「一人じゃ潰れちゃうような重いものでも、分担すればきっと楽になるよ。だから私にも分けて、最後まで一緒にいさせて。お願いだから、置いていかないで」
 背中に片手を擦り寄せて静音が守羽の身体に触れる。強く掴むわけでもなく、それでも絶対に放すまいとする強い想いを掌から伝えて。
 撃ち放たれる一本の飛矢、それがアーバレスターたる名の由縁。加わった時点で、あとはもう目的へ向け真っ直ぐに突き進むのみ。何を犠牲にしようとも。そういう気概を込めて命名したはずだった。
 それを、組織の長が再認識させられることになるとは。まったくここまで不甲斐ないと苦笑すら浮かばない。振り返らず、ただ花畑を視界に収めたままこくりと頷く。
「はい。……はい、分かりました。一緒に背負ってください、最後まで付き合ってください。絶対に離しませんから。置いてなんて、行きませんから」
 思えばことここに至るまで、自分は支えられっぱなしだ。弱気になれば由音に檄を飛ばされ、迷っていれば静音が道を照らしてくれた。
 しっかりしなければならない。今や自分はかつての父親と同じ長の立場にある。誰一人置いていくことなく事を終える。その為にやれることは全てやる。それが外道の所業でも。
「おう、まだこんなとこをうろついてやがんのか。花畑以外何もねえってのに」
 声に面を上げると、この世界を統べる王がそこにいた。
 石畳の道の向こうから巨躯がずんと現れ、二人を見下ろして意外そうな顔をした後に軽く笑う。とても敵に向けるべき表情ではないと、守羽には思えた。
「アンタこそ何してんだよ王様。お花にお水をやりに来たわけでもあるまいし」
「いやわかんねえぞ?このナリで案外そういうのを愛でたりするかもな」
 冗談に冗談で返し、武器も持たずに妖精王は風に揺れる花々に目を眇め、
「行くとこねえならちょっと付き合えや神門の。それなりにもてなしてやるからよ」
 二人が返事をするより早く踵を返し王城へ引き返して行った。付いて来るのを疑いもしていないような足取りに思わず嘆息する。
 せっかくの二人きりを、とまでは言わない。王も名指しで呼び出した以上は何か思うところあってのはずだ。付いて行くだけの価値はあるのだと思いたい。
 だが。
「はあ…」
 やはり僅かばかりの憤りはある。色とりどりの花畑に男女の二人。ここまでムードの整った舞台はそうそうなかろうというもので。端的に言って絶妙なタイミングで邪魔されたと苛立ってもいる。
「行こう、守羽。妖精王様も考えなしに連れて行くわけではなさそうだし」
 それでもこの先輩がそう言うものだから、守羽としてはおとなしくあの後ろ姿を追い掛ける他ないわけなのも確かであった。
 しかしそれでも、守羽にとってはそれに続いた台詞が幾分なりとも荒んだ心を癒してくれた。
「……きっと、月光に照らされた花畑も綺麗だよ。夜になったら、また一緒に見れたらいいね」
「…はい。見に来ましょう。―――今度こそ、二人っきりで」
 これだから久遠静音という女性は侮れない。こういう時に年上らしさを見せてくるから。
 そんな風に言われたら、夜を楽しみにしながらも妖精王の戯れに付き合うしか選択肢は残されていないのだから。

「そうですか、やはり貴方がこの国にやって来たという…」
「うっす!東雲由音っす!」
 シャルル大聖堂院の応接間に通され、ここにきて由音は初めて国に住まう普通の妖精と対話するに至った。
 ちなみに今現在、ソファーに座して対面する二人以外、応接間には誰もいない。シェリアは入るなり二階へと上がってしまい、『ちょっと皆と会って来るからお母さんとお話しててっ』と言い残してそれっきりだ。
 普通友人の身内(それも初対面)と二人っきりともなれば多少なりとも気まずさを覚えるものだろうが、そんなものは由音には通用しない。ひとまずは元気な挨拶をと名乗って頭を下げた。
 シェリアと同様、艶やかな黒髪から飛び出た猫の耳。黒の尻尾。
 間違いなく彼女が妖精猫ケット・シーの一族であることが窺える容姿に加え、目鼻立ちにも共通する部分は多々見受けられる。
 しかしどう見てもやはり、
「姉妹とかじゃないんすよね?」
 守羽の母親といい、純粋な妖精種は外見と実際の年齢が釣り合わない。母親というには若すぎる。
 そんな、あくまでも人間としての視点から口を突いて出た言葉に、彼女はびくんと一瞬体を硬直させた。挙動の違和感に疑問を抱くと、ばつが悪そうに苦笑を浮かべて見せた。
「…流石ですね、東雲さん。その慧眼、おみそれしました」
(えマジで?)
 まさか本当に冗談だったのか。いやでもシェリアは彼女のことを母と呼んでいたけども。
 困惑する由音をよそに、彼女は自分の胸に手を当てる。
「名乗るのが遅れました。私はセラウと申します。シェリアの…本当の母、シャーレイの妹です」
(あ姉妹ってそっち?)
 どうやら由音の発言の意図するところを勘違いしたようだが、なんか褒められてしまった手前もうそれを指摘する気にはなれなかった。黙って続きを聞くことにする。
「姉は元々体の弱い人で、シェリアを産んで少しして病に…。だから私が姉の代わりに母親としてシェリアを育ててきました。この聖堂も、元は身内を亡くした子達の面倒を見る為に姉が建てたもので……そうですね、人の世で言う孤児院というものが近いでしょうか」
 それを聞いて、由音は玄関前で感じたいくつもの視線を思い出す。玄関扉の隙間から覗くいくつもの人影にケット・シー以外の特徴も垣間見えたのはそういう事情か。
「人間の世界から連れて来られる子も多いんですよ。時折妖精界から派遣された一団が保護して来て。ちょうど今、シェリアが属している組織ですね」
「…あー!うんうんなんだっけ、なんだっけ。……そうガンダーラな!」
 『イルダーナ』の組織名を語感だけでうろ覚えしていた由音の適当な記憶が適当な名前を導き出した。無論間違いであるが、まだ命名から日も浅い為にセラウにもそれが誤情報だということは分からない。
「へぇーなるほどなあ。アイツらってそういうことしてたのか。嫌な連中だと思ってたけど結構良いヤツらだったんか」
 由音にとっては自分達を襲い、シェリアを突き放し、挙句の果てに守羽の父親を連れ去った極悪人の集まりだという認識しか無い。故に悪印象しかなかったが、それを聞いて彼らへの敵意もいくらか和らぐ。
「…それで、お聞きしたいのですが。東雲さん」
 これから相対することになるであろう敵の素性を再確認していた由音へ、セラウがおずおずといった様子で身を乗り出す。
「はい?」
「シェリアは…その。大丈夫なんですか?」
 心底から不安そうに、セラウが目を伏せる。
「聞けばあの子ったら、ふらふらと危なげに人の世界を渡っているようで。今回だって、レイス様の庇護から外れて独断行動を取ったという話を受けました。どうにも昔からそういうところのある子で、まさしく風のように吹くも向くもが勝手気儘な性分でした」
 そこまで矢継ぎ早に続けてから、ふと何かに気付いたように顔を上げた。由音を見つめる瞳が、僅かに申し訳なさそうに揺れる。
「…貴方がたが邪な者達でないというのは分かります。私達の世界にとっての大罪人も、そちらにとってはまったく違うのでしょう。正直なところ、私にとっては神門旭という人物も、その処遇も、どうだっていいのです。全て終わった、過去のことですから」
 でも。そう足してから、揺れた瞳にこればかりは譲れないという意思を宿して眼差しを固めた。
「あの子だけは守りたい。亡くなった姉が遺した愛娘なんです。この世界の総意だの、大罪人だの、にあの子を害されるわけにはいかない。だから…!」
「大丈夫っす」
 熱の入り始めた口上を途中で遮り、由音は笑みを消した真顔で言い切る。
「オレが守ります。オレがアイツを傷つけさせない。何がどうなったって、シェリアが無事にここへ帰れるようにしますんで!」
 当たり前のように、初めからそうと決めていたことかのように、由音が躊躇いなく即答したことにセラウは戸惑った。
「…ど、うしてですか」
「ん?」
「どうして、そんなすぐ言い切れるんですか?これは貴方がたと妖精界との抗争、戦争でしょう?その渦中にあの子も呑まれかけているのに、貴方はどうしてそんな簡単に言えるんですか?」
「いや好きだから」
 またしてもしれっと答えて、冷静になりかけたセラウが言葉を失う。
 言葉足らずかと思い、由音が身振り手振りを交えてこう続けた。
「オレらの大将ってすげぇヤツなんすよ。悪い連中ぶっ倒して、色んなヤツに手貸して助けて。オレもずっと前に助けられたんすけど。めっちゃいいヤツで、んでオレと同じでその大将に助けられた先輩ってのも優しくていい人なんっすわ。それでーえっと、オレたちのやることに付いてきてくれたシェリアもいいヤツですよね!……オレさっきからいいヤツしか言ってねぇな!?」
 自らの語彙力に嘆きながらも、結論だけは違えない。これは東雲由音の信条であり信念、これは何があっても間違えない。
「ともかく、オレはいいヤツが好きなんですよ。だから力になりたいし、守りたい。シェリアもそうっす。オレが一番に優先するって決めたのは大将あいつですけど、でもオレは信じてくれるヤツを裏切りたくない。だからあの子はオレが死んでも守ります!元々死にづらいんで!!」
 最後の方にはいつも通りの快活な笑顔で、由音は自らの覚悟を吐露した。
「…ふふっ」
 しばし唖然としていたセラウも、ついに吹き出して口元を手で隠した。少しの間そうしてくすくすと笑うと、涙の滲んだ目元を擦って顔を戻す。
「そう、そうですか。うん、その言葉が本心なら、きっと貴方も大概良い人ですね」
「そっすかね!?アホとか頭空っぽとかはよく言われますけど」
 またしてもそうやってお互いに笑い合ってから、納得したのかセラウも小さく頷いて、またにっこりと少女のような顔で微笑んだ。
「ありがとうございます、東雲さん。おかげで幾分安心できました。…あ、そうだ。お客人にお茶も出さずに私ったら」
 腰を上げて扉へ近づいた後ろ姿、黒い尻尾がしゅるしゅると機嫌良さげにしなって揺れるのが見えた。ぴんと立った耳がピコピコ揺れているのも、上機嫌のシェリアと同じだった。
「んふ、それとね東雲さん」
 少しだけ気安くなった口調で、振り返ったセラウが自分の頭に手を伸ばす。黒髪に紛れた猫耳の片方を軽く摘まんで、
「私達ケット・シーの耳が特別良いのはご存じかしら?とりわけ、親しい人の聞き慣れた声だったらなおさら」
 返事を待たず応接間を出て行った彼女の背を黙って見送って、由音がはてと首を傾げる。
 シェリアの耳が良いことくらいは知っているが、
「なんで今それ言ったんだ?」



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「―――……えへ」

 ぶんぶん。ぶぅんぶん。
 スカートが浮き上がるほど大きく振るわれる尻尾。高速で前後に揺れる猫耳。
 大聖堂院二階に続く踊り場で短く、それでいて溢れんばかりの喜びに満ちた笑みを声に出した少女が一人。言い様の無い想いを抱いて握った両手を胸に重ねる。
 この感情を正しく理解しないままに、満たされる心地良さに身を委ねるだけの彼女は未だそれの正体には気付かない。
sage