Neetel Inside 文芸新都
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桜桃前夜
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なんのことはない。
他人が恐ろしかっただけである。

生まれついてから、闘いを余儀なくされている。みな、そうだった。あらゆる生物が爪を研ぎ、歯を剥き出し、相手の肉を喰らい食べる。これは何も山奥だけの話ではない。全生物に共通する宿命である。弱い者は狩られて強い者は生き残る。世界の摂理だ。最近は子供でも知っている。
逃げ続けている。
その実、恐ろしいからだ。
獣は常に格下の養分を捉え、食物連鎖を繰り返してる。その恐怖。捕食される恐怖。踏み躙られる絶望。足が竦み、目は涙が走り、肩は震え上がる、あの眼光。その、力不足に対する軽蔑、侮蔑。
恐ろしかった。
生きてはいけぬほどに、恐怖した。
一目散に逃げ出した。闇雲に後先など考えなかった。葉は流れ、横切り、絡むツタを無意識にちぎり、そして、気がつけば、ここは何処だろう。迷い子になった。
見渡す限り荒野である。大木も草も花もない。まばらに、ウサギ達が身を震わせてしゃがみこんでいるのが見える。恐怖のあまり、痛手を負った獣達。何匹かはすぐに死んだ。

ここまで書いて、明日が太宰治の命日だと気付いたので、これをエッセイにしたいと思う。苦悩の年鑑、津軽などなど、太宰の真髄はエッセイにあると常々思う。人間そのものが物語になった稀有な存在である。市場のリサーチと商品価値を鑑みて作られた商売品ではない。単なる個人の呟き。縦横無尽に飛び回り、高く飛んだと思ったら、地の底に落ちる。渡り鳥。幸せな日はメロス、不幸な日には人間失格。幸福を喜びすぎて暴れまわり、不幸を苦しみすぎて、自殺する。鎖に繋がれた飼い犬から見れば、酷く不愉快だろう。そこに憧れる。

         ×
 私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは、至難の業であった。私はただ、やけ酒を飲むばかりであった。
 私の最も憎悪したものは、偽善であった。
         ×
大した日ではないのである。桜桃忌。日本史の歴史から見れば、死者は何千万、何億いるんだろうか。先日街中で三角パイソンに猛スピードでぶつかった車を見た。
あまりにパキン、と金属的な音が響いたので、死んだんじゃないかと思った。帰宅した。飯を食べ、風呂に入った。春頃だったので、半年間、何の音沙汰もない。
社会に於ける一人の死はその程度である。
俺が個人の死にここまで惹かれるなんて珍しい。凡そ、馬鹿と思われるだろうか。俺と太宰は自己愛でつながっている。他人ではない。

俺は、正真正銘の無学、無教養の男である。これだけは誇れる。貧乏家庭の中卒だ。他人と知を競い争い、蹴落とした事はない。この一文でもう、社会と剥離している。

一方、太宰治は富豪の息子、大学も良いところに行っている。ここを突くと彼が悲しむから、余り言いたくはないのだが、文芸に対する愛の発露、徹底奉仕の念での勉学であったと断じて宣言しておく。桜桃忌なのだ。墓に花を置いて、綺麗にしたい。

散文詩に憧れる。
人間が一貫して思想を継続させるなど、あり得ない。

一歩、歩けば過去を思い出し「あ」と呟いた。
三歩歩けば、街の涼し気な空気を知り、喜び。
五歩と進めば、雨が降る。

人生に一貫性などない。
その点で今日はとても良い気分などである。珍しく酒や薬に頼っていない。太宰さん、誕生日おめでとう。である。桃のジュースを飲む。

猫が子供を産んだ。白猫から灰色の猫が生まれた。可愛かった。俺も、子供に戻りたくなった。
純真とは言い切れない、ただ感鋭く、春の涼し気、夏の気だるさ、四季にも好反応で楽しんでいたあの頃。
もちろん、戻れるわけがない。猿でも知っている。
でも思うのだ。戻りたいと願い恋い焦がれ、苦しみ、離脱していく。
虚像に生きる。合理社会に一矢放つのだ。
もちろん、その程度で合理が崩れるわけがない。でも思い、放つ。

俺が死んだところで、この世に大きな影響などない。知っている。だが、俺を好いてくれる人間が、俺の頭の中だけで存在している。だから生きる。自己愛で生きている。
自己防衛の本能。いかに知識人、哲学者、思想家、諸々が「お前は間違っている」と諭しても、「さあ、正解だか間違いだかは、俺には知るところではありませんよ」としか言わないし、言えないのだ。俺に発言権はない。

革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。
すくなくとも、私たちの身のまわりに於いては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変らず、私たちの行く手をさえぎっています。
海の表面の波は何やら騒いでいても、騒いでいても、その底の海水は、革命どころか、みじろごもせず、狸寝入りで寝そべっているんですもの。

ネグレクトが全ての文化の基礎にあると思う。

愛は嘘である。希望は嘘である。幸福は嘘である。不幸は、嘘である。悲しみは嘘である。絶望は嘘である。虚栄は嘘である。友情は嘘である。
感情は、人前で口にした途端に処世術の武具になる。口を慎め。

6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

虚栄心の塊。ナルシスト。
散文詩に憧れる。

すべての思念にまとまりをつけなければ生きて行けない、そんなけちな根性をいったい誰から教わった?
俺に同一性はない。

刺したければ、刺すがいい。
殺したければ、殺すがいい。
俺は法治の外にいる。君達に地の利はある。
やりたければ、やれ。

子猫の顔を眺めていた。
目が綺麗である。じきに、捻くれた顔に変わっていくんだろう。去り際を逃した生き物というのは、いつも惨めである。
だいたい今の地球には、去り際を逃した人間がノロノロと這っている様に思う。
お前達が欲しいのは、地位、名声や金ではない。
認めないだろうが、確信があるので断言しておく。

真の正義とは、
親分も無し、子分も無し、
そうして自分も弱くて、
何処かに収容されてしまう姿において
認められる

家族が欲しい。仲間が欲しい。
でも、俺がコミュニティに属すると、必ず内部崩壊していく。

指が一本しかない猿の望みは、果物を掴むことです。ですが、一本の指では掴むことは、当然できません。あれこれ試作した挙句、妄想の中で果物を掴むことにしました。
文字に書き起こしました。歌詞にもしましょうか、歌にもしました。
果物を掴めない人たちには、救いとなりました。
でも、偽物。しょせん、空洞は埋まらない。虚仮威しの一生。

土に還った俺から、芽が一つ。
この芽だけは殺すな。
だが、殺されるだろう。そんなもんである。

正義も悪もない。
人間だったのでしょう。

桜桃忌である。誕生日である。素直に喜んでいいものか、迷い始めた。
この世に厭世観の持たない人間なんているのだろうか。
みな、どこかしらで、この世が嫌いなはずである。
その声に素直にならないといけない。
生命への喝采なんていらない。生命の変革が欲しい。封建主義の世でも。

余り文句を言うと、また殴られる。

まったく新しい思潮の擡頭を待望する。それを言い出すには、何よりもまず、「勇気」を要する。私のいま夢想する境涯は、フランスのモラリストたちの感覚を基調とし、その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足のアナキズム風の桃源である。

散文詩に憧れる。
思想は一貫すると、嘘が出る。
バラバラがいい。

他人が自分を愛してくれないから、自分で過剰に自己愛を持つのだ。
つまり、人から愛される価値なし。まあ、仕方ない。
薄ら寒いポジショントークには用がない。
処世となり堕落した陳腐な愛の表現よりも、凡そ自分の姿勢の方が好きである。
陳腐なナルシズム。

グダグダと口喧しい。
ダラダラ、ダラダラと。
虚言と妄言をばら撒いて、何がしたい。
どう言い開きたい?
何が言いたい?

なんのことはない。
他人が恐ろしかっただけである。
それだけである。

       

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