「アンケートにご協力ください」
 駅の入り口で汗を流して働くお姉さんから、アンケート用紙と鉛筆を渡された。内容は最近、駅の構内に張り出されている広告の認知度に関する調査だった。
 自筆の文字を記入する項目はなく、四者、若しくは五者択一でチェックをつける回答方法のみだった。
 字を書くのが苦手な人間にとって、やはり、この形式は良い。私が大学のセンター試験や本入試を終えるまでは、試験の形式はマーク式のままであってほしい。
 ただ、漢字を書くのは得意だった。構成が複雑であると厄介だが、直線を引く事は問題なくできるため、直線で構成される漢字は私にとって得意分野だった。
 しかし、一番付き合いが長い平仮名は未だに苦手である。
 特に『あ』、とか『め』などの曲線で作る文字は大嫌いだ。
 アンケートのチェックを終え、用紙の最下部の余白に『華』と付け加えた。
 この漢字はすばらしい、本来持つ意味自体もさながら、直線のみで作られるこのフォルムの美しさは筆舌に尽くしがたい。
 私が『華』を書くのは、相手に敬意を表するときだ。そして私自身、この字を書き、見るだけで心が洗われる。
「椎名、間に合ってよかった」
 私の空想を破ったのは、田原だった。
「草野は?」
 田原の横に彼の姿はない。
「少し用事があって、遅れてるみたいだ」
「そうなんだ。さっきは何となく、田原を馬鹿にされた気がして、ね」
「まあ、草野も悪気がないのは分かるだろ」
「分かってる。けど、できれば草野にも来てほしかったけど」
 私が言える立場ではないのだが、そう思った。
 田原は私の様子を見て、安心したのか「帰ろう」と言った。
 そして駅のホームへ降りた時、自然と口が開く。
「私さ、草野の煮え切らない態度を見てるとね。昔、虐められてた頃の自分を思い出して、カッとなっちゃうんだよね。それで見ていられなくなって、つい強い言葉を使っちゃうんだ」
 私は辿り着いた答えを田原に伝えると、彼は少しも批判することなく「そうか」と一言言った。
 成程。あの絵に暖かみを感じるのは、きっと、病気の状態によるものではなく、田原の優しさが、そこに反映されている為なのだろう。
 このとき、田原は私の事を気遣っていて周りに意識が向いていなかったのだと思うし、私も周囲の事など気に掛けられなくなっていた。
 だから、駅のホームで起きている出来事に気づかなかったのだろう。