Neetel Inside 文芸新都
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椎名

 教会の扉を潜るのは3度目だ。迷わず一番前列の椅子に腰かける。
 私はステンドグラスを通って色のついた木漏れ日を眺める時間が好きだった。特にこの席は眺めやすく気に入っている。
 本来の目的から逸れてしまっているが、少しくらい、良いだろう。 
 人生で、まともに教会へ入ったのは、今回のきっかけが初めてで、もっとシャンデリアや像など様々な装飾が施され、凝った雰囲気があるものだと思っていたが、実際は正面に十字架と教壇、いくつかの古びた椅子が並んでいるだけだ。
 ただぼんやりしているのも不自然だと思い、一応、祈りの所作を作る。
 まさか教会に通い、こんな形だけの祈りを捧げる日が来るとは。いや、一応、祈りはしている。それでも、罰当たりではあるだろう。
 さて、本来の目的である佐藤は、草野の言う通り、居る。
 彼が会社に潜入して入手した情報通り、曜日、時間共に正確である。
 佐藤は髪をオールバックに固めた物腰の良さそうな中年男性だった。一見すると、とても殺人を犯すような人物には見えない。むしろ、一見しただけで、捜査から外れてしまいそうな優男である。
 彼は毎週日曜日の10時ごろ、この教会を訪れている。会うのは今回で三度目なのだが、毎回、彼と目が合い、彼から会釈をしてくる礼儀正しい男性だ。
 草野からは無理をせず、少しずつでも、近づいてほしいとの依頼だ。
 近づいてどうするつもりなのか、打ち合わせているが、正直成功する確率は低いように思える。
 不意に不安な気持ちになり、縋る様に十字架を眺める。
 そして、「これでいいのでしょうか」と、心の中で訊ねる。だが、この心の所作自体、正しいものなのかもよく分からない。
 そんないい加減な事をしていると、誰かが隣に座った。
「最近、よく会いますね」
 声をかけられ、私は目を向けて、ぎょっとする。
 その声の主は佐藤だった。彼の外見に合った、優しい声だった。しかし、想定外である。
「そ、そうですね。最近、近くに越してきたので」
 ここは短く切り上げるべきだろう。平静を装って、用意していた設定を披露する。それにしても唐突だ。
「頻繁にこられるんですか?」
「まあ、週末だけ。数年前、身内の不幸があって、それで供養に来てるんです」
 何の気なしに取り繕う言葉を出すと、佐藤は首を傾げた。
「供養なら、神社がいいのではないですか?」
 佐藤は優しい言葉で私の胸を衝く。
 なんてことだ。こんなに早く墓穴を掘ってしまった。これは、まずいのではないか?
 少なからず不信感を抱いたのではないだろうか。
「すみません、実はそんなに詳しくなくて、ただ通うだけでもいいのかと思って」
 我ながら酷い弁解である。しかし、佐藤は顔を柔らくして口を開いた。
「まあ、ここはプロテスタントの教会で、聖書の解釈は自由だから、大丈夫だよ。流石に供養は違うと思うけどね」
 聞き慣れない語句が並び、返すべき言葉が分からない。下調べが足りな過ぎた。
 しかし、何とか、助かったのだろうか。
「いや、すまない。詳しくない人に話す内容じゃないね。まあ僕も信者ではないんだけどね。簡単に説明すると、キリスト教の上で死者に対しては、神の元へ還ることを祈るものなんだよ。どちらかといえば祝福してあげる事に近いんだ。まあ現代で、特に日本では個人の解釈によるところが大きいけどね。つまり仏教の死者を偲び、供養する風習とは全然違うんだよ」
 佐藤が言う。
 つまり、私がここで祈りを捧げると、田原は神の元へ還るというわけだろうか。
 それは良いかもしれない。いや、田原はお寺に納骨されたのだから。少なくともキリスト教を信仰していた訳ではない。ということは、私がここで祈ることに意味はないのだろうか。
 分からない。何が分からないのかもよく分からない。
 慣れない事はするものではないという事か。
「長々話してすまないね。君にばかり話を聞くのは申し訳ない。少しは自分の話もしないといけないね」
「いえ」
 これは願ってもない好機だ。彼の言葉に期待する。
 佐藤は正面の教壇へ顔を向けるとゆっくり口を開いた。
「僕は、昔。人を殺したんだ」

       

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