大濠公園の池を貫く道の途中。春の日差しが水面に反射して、まばゆい景色が広がっている。
 陽の強さに俺は目を細め、狭くなった視界の中心に椎名の姿を捉えている。
「ねえ草野。私は魔女なんだよ」
 椎名は空気を抱えるみたいに両手を広げて言った。
 何を言ってるんだ?俺は大きく首を傾げ、理解できないと言った素振りを見せる。
「私みたいな精神障害者はね、昔は魔女だと決めつけられて、拷問を受けてたんだよ」
「うまいこというなあ」
 『魔女狩り』とかいう奴にかけているのだろう。納得はしてしまったが、どんな返事も不謹慎な気がして、ただ感心する言葉を贈ることしかできなかった。
「それにしても。田原、来ないな」
 風が吹いて、水面が揺れる。波が防波堤代わりの石垣へぶつかり、小気味良い衝突音を立てた。
「私、大濠に来るの初めてなんだよね。だから、この公園も初めて」
「それは良かった」 
 椎名は欄干に肘をつく。その真下には鴨の親子が優雅に泳いでおり、それに気づいた椎名は鴨に声をかける。なんと和やかな光景だろうか。
 田原が居ないと、まるで初々しいカップルのぎこちないデートだな。道端にある時計の針は正午を回っており、約束時間はとうに過ぎている。
 しばらくして、椎名は池を眺める事に飽きたのか、再び歩き始める。
「ここ、マリリンモンローが新婚旅行で来たんだよ」
「有名な話だよね。福岡県民なら皆知ってるかも」
「レストランにはモンローが使ったテーブル席が残ってるんだよ。後で行ってみない?」
「ファミレスじゃないんだよ。高校生が行ける所じゃない」
「じゃあ、田原に奢ってもらおうかな」
 田原を何だと思ってるんだ。
 小さな橋を渡り、池に浮かぶ島へ昇る。すると、島からもう一本小さな橋が伸びておりその先に朱色の柱で支えられた、お堂が見えた。
「うきみどう?」
 椎名は石碑に掘られた『浮身堂』という文字を読み上げると、小さな橋を渡り、堂の下へ潜り込んでいく。
 俺がゆっくり後を追うと、彼女は堂の柱を撫でながら「何か御利益があるのかな?」と言って首を傾げる。
「さあ。だけど御利益は、善い行いをしたことへの神様からのご褒美みたいなものだからね。ここに触っただけでは、駄目だと思う」
「成程、じゃあ草野に御利益は届きそうにないね」
 またその話か。返す言葉に困り、小さく咳払いをする。
 いつの間にか、椎名は元の島へ戻っている。落ち着きのない奴だ。
「ねえ、ここはちょうど中間地点かな?」
「いや、まだだと思うけど」
「池の外周が約2キロだから、池の中を通るこの道の長さは650メートルくらい?」
 どういう計算だ?
「まさか、外周と円周率を割ったのか?池は円じゃないし、この道は中心を通ってる訳でも、直線でもないからね」
「変な事ばかり詳しいんだね」
 揚げ足をとられた事に腹を立てたのか挑発的な言葉を返してきた。野暮なことを言ってしまったかと反省する。
 そして椎名は引き返すことに決め、来た道を戻っていく。
 五分程かけて池の周回路に戻ると、先程より散歩やジョギングに励む人やベンチに腰掛ける老夫婦が増えていた。
 この時間帯になると暇を持て余した近隣住民達が多いようだ。そして、やはり高級住宅地の大濠だけあってか、公園に集う人々は皆、上等な身なりをしているように感じる。例えば、ジョギングに勤しむ青年のジャージやランニングシューズさえ、大層な品に見える。
 俺と椎名は携帯を各々覗くが、田原から連絡は入っていない。
「どうするか」
「家に行ってみる」
「そうだなあ」
 再び携帯を開き時間を確認する。
 いい加減、おかしい。田原が時間を守らない事は初めてだ。
 よし、行ってみるか。と声をかけようと隣をみるが椎名の姿がない。すると、前方から、「ちょっと」と声が聞こえた。
 目を向けると椎名は案内板の前に立っていた。
「あの道の長さ約700メートルだって。やっぱり私が正しかったじゃない」
「そうなのか」
 椎名が正しかったのか、どうか。なんとも微妙である。