Neetel Inside 文芸新都
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魔女旅に出る
さめない

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草野
「山田は違ったみたいだな。悶々と過ごした大学生活と、この数年間は何だったんだ」
 俺が泣き言を口にすると、椎名が、「自分ばっかり」と言い、睨みつけてきた。
 良かった。
 大学に入学して間もなく、田原の事件が自殺で処理された事で、行き場を失い、燻り続ける復讐心により、苦しみ、もがいていたのは俺だけじゃなかったのか。
「症状は出てないの?」
「ああ。田原の事件以来だ」
「そう。ちなみに、事件の事は?」
「まだ、思い出せてない」
 そう。思い出せない。
 俺は何を見て、何をしたのか。俺は事件の第三者か、被害者か。加害者の場合だってあるのだ。つまり、自分が何者なのか、掴めていないのだ。
 10年間続く浮遊感。憑き物に憑かれているような地に足がつかない感覚。
 俺の指紋が現場に残っている事から部屋に入った事は間違いない。
 窓から侵入した俺は、ドアを開け、殺人現場のリビングへ辿り着く。その後は、数々のパターンが再生される。いずれも客観的情報で構成された、イミテーションの記憶なのだが。
「ねえ、今回戻ってきたのは山田を追及するため、だけじゃないんでしょ?」
 鋭い。
「実は、もう一人の容疑者に出会ったんだ」
「それって、東京で?」
「そう。そいつは福岡の企業に勤めていて、出張で東京に来てたらしい。何の因果か、俺も仕事で偶然出会ってさ。会社を辞めて戻ってきたんだ」
「え?」

     

椎名
「やめた?」聞き間違いだろうか。会社を辞めただとか。
「だから、仕事を辞めてきたんだ」
「何で?」
「決まってるだろ。そいつを調べるためだよ。名刺も、ほら。貰ってるし」
 草野は名刺を差し出す。
「いやいや」
 社会人にとって仕事というのは、衣食住の全てを支える柱であるだろうに。いくら何でも身を切りすぎである。
「田原の為なんだ」
 草野は、しっとりした様子で言った。
 また始まった。昔から変わらない。この感じ。
 高校、大学とこれまで何度かあった。他人の為に色々な物を捨ててまで行動する、草野の正体不明の活力。
 本当に、何なのだろうか。
「そこに入ろう」突然、草野が屋台を指差す。
 一度、溜息をつき、気持ちを落ち着かせる。
「いいよ」
 草野はさっさと屋台の空席に入り込み、遅れて私もその隣へ座る。店主に注文を聞かれ、一応、水割りを頼んだ。
「東京にも屋台はあるけどさ、やっぱり天神駅前の屋台には敵わないよな」
 世間的に屋台と言えば、中州の川沿いに軒を連ねる屋台なのだが、草野の言う通り、私たちに馴染み深いのは天神駅前の方だった。
 あっという間にラーメンが届き、草野は箸を伸ばした。
 彼が屋台を楽しむ姿を見て、変わらないな。と思った。
 同窓会で再会するときの決まり文句ではあるが、本当に、そう思ったのだから仕方ない。そして、草野の先程からの身勝手な言動により覚えた小さな怒りも、霧消してしまった。
「それで、どうするつもりなの?」
「会社に忍び込む。と言っても、隠密に潜入するだとか、そんな非現実的なことはしない。正規の警備員になって、それから建物に入って。そして、少しずつ、情報を仕入れていく」
「なるほどねえ」
 刑事ドラマ等ではよく見る手法であるが、これも十分、非現実的である。
 果たして、そう上手くいくものなのか。
 それにしても、草野も、私も田原に固執しすぎではないか、とりあえず今日の所は、草野との再会を喜ぶべきではないのか。
 そう思い直して、私は運ばれてきた水割りを手に取った。

     

草野
 先生の診察室は、部屋全体を切り取りそのまま持ってきたのではないかと思うほど、5年前と変わらなかった。
「私はね、草野君は社会を生き抜くことが出来るのか、心配だったんだよ」
「それ、就職前にも言ってましたね」
「そうだったかな」先生は咳払いをする。
 部屋と比べて、先生は随分と変わった。眼鏡の度も大分強くなったようだし、頭髪は全白髪になっている。もう50代であるが、遠目で見ると70代にも映るだろう。
「それも杞憂に終わったみたいだ。特に症状も出ず。しかし、田原君の事件は、もう10年前かな?その記憶はまだ思い出せないのだろう?」
「ええ」
「今となっては、それもいいのかもしれないな」
「どうしてですか」
 先生は「そうだねえ」と呟き、パソコンのマウスに手を伸ばす。
「ジョハリの窓と言うんだけど」
 モニターには白い背景の中央に、四等分された四角形が表示されている。
「これは様々な用途で使われるんだが、精神医学では、この四角形を、自らの心理状態を分析するために使うんだ。ここまでは分かるね?」
「はい」
「例えばね」と言って、先生は図形の左上を指差す。
「ここは、開放の窓といって、自分と他者のお互いが知っている心理面の事を言うんだ。次に隣にある盲点の窓は、自分は知らず、他者は知っている心理面。左下の秘密の窓は自分だけが知っていて、他者は知らない心理面。そして右下、未知の窓、今回はココが重要だ、これは自分も他者も、誰も知らない、心理面のことだ」
「田原の事件に関する俺の心理は未知の窓に属するってことですね」しかし、それが何なのだろうか。
「そういうことだ。そしてだね、人の心理状態というのは、これら4つの側面が共存することで平静を保つことができるんだ。つまり、知らないでいる事も、今の草野君の心が保たれている、一つの要因かもしれないんだ」
「なるほど」
 自分の事を自分で知らない、そういうことも、あるのか。
「じゃあ、今日はここまで」そういって先生は奥の扉を開き、扉の先へ行ってしまった。
 久しぶりに先生の診察を受けたが、やはり、気が楽になる。
 そう思った時、違和感が生じる。これは、何だろうか。そうか、看護師が迎えに来ないのだ。以前は、先生と入れ替わるように、間髪入れず、迎えが来たのだが。
 この場合、どうすればいいのだろうか。一先ず立ち上がり、俺は先生が入った部屋の扉を開いた。
 その先には、殺風景な診察室とは打って変わって、壁一面の本棚と、部屋の中央に一脚のリクライニングチェアが置かれていた。部屋の一番奥には、外へ続く出窓があり、その手前に先生が立っていた。
「すみません」と声をかけると、外を眺めていた先生が振り返る。
「どうした?」
「看護師さんが迎えに来なくて」
「そうか。大丈夫だよ、一人で退室して構わない」
「そうですか。失礼しました」
 すると先生は再び、外へ視線を戻した。
 機嫌を損ねてしまったかと思い、慌てて扉を閉め、診察室を出ると看護師が待ち構えていた。
「もしかして、先生の個室に入ったんですか」
「入ったというか、扉を開けただけです」
「駄目ですよ。私達職員だって基本的に入れないんですから」
「何かあるんですか?」
「何かっていう程でもないけど。先生が休憩される部屋だから、あまり邪魔されたくないんじゃないですかね」
「なるほど」
 先生と初めて出会ってから、随分と経つが初めて知った。これだけ長い付き合いでも知らない事があるのだから、自分の事を自分で知らないというのも十分ありえるのだろうか。

     


 実家に帰るのも五年振りだった。家の外観というのは、数年で目立って変わる物ではなく、せいぜい庭の椿が取り払われていること位だ。
 両親の顔を見るのも、やはり五年振りだ。事前に連絡していたとはいえ、母は跳ねるように喜ぶ。一方、父は不器用に言葉を繕う程度だ。外見は二人とも変わってしまったが、内面は変わっていない様だ。
 俺の部屋の物は殆ど動かしていないとの言葉を受け、部屋へ向かう。
 扉を開くと、床の上に幾つかの段ボールの山があった。
 上京前にいつか送ろうと、部屋の物を全て箱に詰めたのだが、結局、そのまま放置されていたのだ。
 ベッドに腰掛け、部屋を眺める。並べられた段ボール箱は墓石の様だ。まるで福岡での出来事、記憶を埋葬した墓場みたいだと思った。
 そういえば、宝物というには大袈裟だが、それなりに大切にしている物を集める場所があった事を思い出し、奥の襖に手を伸ばす。
 左下のワイン箱だ。引っ張り出して中を見ると、当時、良く聴いたレディオヘッドやグリーンデイのCDだったり、デヴィッドフィンチャーの映画のDVDが詰められたりしていた。
「え」
 しばらく箱を漁っていると、箱の底に見覚えのある厚紙でできた筒が現れた。
「これは」
 田原が大切にしていた、色鉛筆入れだった。
 何故、こんな所に。
 自分の知らない自分の記憶が、再び斬りかかってきた。そんな気がした。

       

表紙

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