Neetel Inside 文芸新都
表紙

魔女旅に出る
過去①

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草野

 10年前、平成18年初春。天神の地下街。
 最近、自分の感情や思考が自分の物では無いような、まるで他人の物であるかのような錯覚に襲われることがある。だからといって簡単に異状者と呼ばれるわけではなく、思春期~青年期では頻発する症状で、決して異状な所見ではないと先生は言っていた。
 高校三年生に上がろうとしている青年期真っ只中の俺は、今、何か感情を持っているのだろうか。
 例えば、目の前で和気藹々とする制服姿の二人を、俺はどんな気持ちで見ているのだろう。
「ねえ田原。男の子ならさ、そろそろ、指摘しなよ」
「男の子なら、草野も居るだろ」
「うーん。草野は不束者だからなあ」
「どんな言い回しだよ。というか、酷い事を言うなよ」
「そう?ごめんね、草野。気にしないでね」
 椎名は振り向いて言った。
 特に気にしていなかったが普通は、どうなのだろう?苛立つ所なのか?
「あ、髪切った?」田原は思いついたように言う。
「正解。草野の負けだね」
 謝ってすぐに、つっかかってくるとは。3年前の出来事を未だ引きずっているんだろう。
「そんな気はしてたけど。間違ってたらさ。恥ずかしいし」
 俺は負け惜しみのような言い訳をする。実際、肩甲骨あたりまで伸びていた髪は、肩にギリギリ届かない長さまで短くなっているのだから、一目瞭然である。
「だったら言わなきゃ伝わらないし。仮に間違ってても、女の子は嬉しい物だからね。そんなんじゃ彼女出来ないよ」
 俺は黙って頷く。そういうものなのか、知らなかった。
「草野は童貞だからさ。仕方ない」
「どうていって何?」椎名は恥ずかしげもなく首を傾げる。
 田原は俺を見て、わざとらしく目を瞬かせる。思いの外、純粋だった椎名を見て自責の念に駆られたのだろうか。彼は「なんでもない」と答えた。
「ところで、今回は誰の真似だよ」
「何で真似だって分かるの?」
「椎名が大胆に変えるときは、決まって誰かの真似だ」
「真似って言い方は良くない。リスペクトとでも言ってほしいね。ちなみに今をときめく堀北真希のリスペクトだよね」
「堀北真希って、野ブタ?」
「そうそれ。似合う?」
 すると田原はうーんと唸り、「似合ってるよ」と言った。
 確かに、似合っている。
「まあドラマと同じで、陰のある、幸の薄そうな感じがね」
「それ褒めてないよね?」
 田原が冷かして、椎名は頬を膨らます。いつもの光景だ。
 俺は、この光景を眺めて楽しんでいる。だろうか?
 いまひとつ、実感がない。微かに感じる原因不明の鬱屈さも、他人の感情であるような気がしてならない。
 やはり俺は異状者なのではないだろうか?
 だけど先生は、気にすべき疾患は別にある。といっている。
 確かに、その通りかもしれない。
 その後も寄り道をしながら進み、雑貨屋の角を曲がると、天神駅の案内が見えた。田原が先頭に小さな階段を昇り扉を抜けると、すぐに改札口に出る。
「じゃあ、二人とも。明日の13時、大濠公園に集合だな」
 一人だけ路線の違う田原は先に別れを告げた。
 彼を見送ると、椎名は習慣づいた肩にかかる髪を払う動作を見せる。しかし、堀北真希に似せた短髪のせいでブレザーを撫でただけの空振りに終わる。
「田原は良いよね、近くて」
「確かに、天神に近いのは羨ましいかも」

     


 大濠公園の池を貫く道の途中。春の日差しが水面に反射して、まばゆい景色が広がっている。
 陽の強さに俺は目を細め、狭くなった視界の中心に椎名の姿を捉えている。
「ねえ草野。私は魔女なんだよ」
 椎名は空気を抱えるみたいに両手を広げて言った。
 何を言ってるんだ?俺は大きく首を傾げ、理解できないと言った素振りを見せる。
「私みたいな精神障害者はね、昔は魔女だと決めつけられて、拷問を受けてたんだよ」
「うまいこというなあ」
 『魔女狩り』とかいう奴にかけているのだろう。納得はしてしまったが、どんな返事も不謹慎な気がして、ただ感心する言葉を贈ることしかできなかった。
「それにしても。田原、来ないな」
 風が吹いて、水面が揺れる。波が防波堤代わりの石垣へぶつかり、小気味良い衝突音を立てた。
「私、大濠に来るの初めてなんだよね。だから、この公園も初めて」
「それは良かった」 
 椎名は欄干に肘をつく。その真下には鴨の親子が優雅に泳いでおり、それに気づいた椎名は鴨に声をかける。なんと和やかな光景だろうか。
 田原が居ないと、まるで初々しいカップルのぎこちないデートだな。道端にある時計の針は正午を回っており、約束時間はとうに過ぎている。
 しばらくして、椎名は池を眺める事に飽きたのか、再び歩き始める。
「ここ、マリリンモンローが新婚旅行で来たんだよ」
「有名な話だよね。福岡県民なら皆知ってるかも」
「レストランにはモンローが使ったテーブル席が残ってるんだよ。後で行ってみない?」
「ファミレスじゃないんだよ。高校生が行ける所じゃない」
「じゃあ、田原に奢ってもらおうかな」
 田原を何だと思ってるんだ。
 小さな橋を渡り、池に浮かぶ島へ昇る。すると、島からもう一本小さな橋が伸びておりその先に朱色の柱で支えられた、お堂が見えた。
「うきみどう?」
 椎名は石碑に掘られた『浮身堂』という文字を読み上げると、小さな橋を渡り、堂の下へ潜り込んでいく。
 俺がゆっくり後を追うと、彼女は堂の柱を撫でながら「何か御利益があるのかな?」と言って首を傾げる。
「さあ。だけど御利益は、善い行いをしたことへの神様からのご褒美みたいなものだからね。ここに触っただけでは、駄目だと思う」
「成程、じゃあ草野に御利益は届きそうにないね」
 またその話か。返す言葉に困り、小さく咳払いをする。
 いつの間にか、椎名は元の島へ戻っている。落ち着きのない奴だ。
「ねえ、ここはちょうど中間地点かな?」
「いや、まだだと思うけど」
「池の外周が約2キロだから、池の中を通るこの道の長さは650メートルくらい?」
 どういう計算だ?
「まさか、外周と円周率を割ったのか?池は円じゃないし、この道は中心を通ってる訳でも、直線でもないからね」
「変な事ばかり詳しいんだね」
 揚げ足をとられた事に腹を立てたのか挑発的な言葉を返してきた。野暮なことを言ってしまったかと反省する。
 そして椎名は引き返すことに決め、来た道を戻っていく。
 五分程かけて池の周回路に戻ると、先程より散歩やジョギングに励む人やベンチに腰掛ける老夫婦が増えていた。
 この時間帯になると暇を持て余した近隣住民達が多いようだ。そして、やはり高級住宅地の大濠だけあってか、公園に集う人々は皆、上等な身なりをしているように感じる。例えば、ジョギングに勤しむ青年のジャージやランニングシューズさえ、大層な品に見える。
 俺と椎名は携帯を各々覗くが、田原から連絡は入っていない。
「どうするか」
「家に行ってみる」
「そうだなあ」
 再び携帯を開き時間を確認する。
 いい加減、おかしい。田原が時間を守らない事は初めてだ。
 よし、行ってみるか。と声をかけようと隣をみるが椎名の姿がない。すると、前方から、「ちょっと」と声が聞こえた。
 目を向けると椎名は案内板の前に立っていた。
「あの道の長さ約700メートルだって。やっぱり私が正しかったじゃない」
「そうなのか」
 椎名が正しかったのか、どうか。なんとも微妙である。

     


 ただまっすぐに路地を歩いているだけで、大濠が高級住宅地であることをつくづく思い知らされる。
 周辺の建物は大層な佇まいのマンションばかりで、時折見受けられる一戸建ての住宅も和風の頑強な門構えに周囲は中の様子を窺わせまいと成人男性の身長よりも遙かに高い塀で囲まれている。俺の実家である大宰府では、隣近所との隔たりなんて小さな植木位で、視覚的、聴覚的にも筒抜けで、存分に差を思い知らされた。
 だが、高級住宅地であるがために、塀に囲まれ閉塞感のある環境で生活せざるを得ないのであれば、それは本末転倒ではないか。多少の嫉妬も混じっているだろうが俺のような田舎者はそう考えてしまう。
「ここじゃないかな」
 椎名は指を立てて言った。
 住所は曲がり角のプレートで確認したから間違いないとして、やはり高い塀に囲まれている家だ。勿論、姓を示す表札はかかっていない。
「前に田原が言ってたでしょ。赤い屋根の家だって」
「ああ」
 そういえば、言っていたな。
 周囲の和やかな景観に溶け込まない、刺激の強い赤のタイル張り屋根だ。この付近は赤い屋根の家どころか、一戸建てすらほとんどない。彼女の言う通り、ここで間違いないのだろう。
「じゃあ、行こうか」
「いや。待って」
 躊躇なく敷地内に足を踏み入れようとする椎名を慌てて制止する。
「何よ」
「ここは俺達が住んでる所とは違うんだって。ほら門構えに、周囲の軒並みだってそうだろ。俺達の基準で考えてはいけないんだよ」
「どういうこと?筑紫野を馬鹿にしてるの?」
「そうじゃないけどさ」
「まあ、言いたいことは何となく分かるけど。田原の家だけは門が開いてるよね」
「確かに約束を守らない田原といい、不自然に開いた門と言い、少し妙だ」
「だからさ、行ってみようよ」
 それは、どうなのだろうか。もし本当に事件が起きていたら、危険なんじゃないか?
 そんな疑念が湧いているのに、俺は椎名の意見を否定できない。もしかして、俺は何か、楽しんでいるのか?
 結局、俺は椎名の意見に頷き、覚悟を決めていよいよ敷地内に足を踏み入れる。
 門をくぐった先に待っていたのは、まっさらな灰色の壁だった。これがこの家の一体どのエリアに当たるのか、そして、この家がどれ程の面積を有しているのか把握することが出来ない。それ程にただ一面、情報の薄い無機質な壁が広がっているだけだった。
「これは二手に分かれた方がいいかもね」
「俺は右から行くよ」
 この状況を俺は楽しんでいるのか?再度同じ疑念が浮かぶ。
 少なくとも、この時まで予感は何もなかった。

     

椎名
 草野と二手に分かれ、門から向かって左へ足を運ぶ。
 壁伝いに進み、表情のない打放しコンクリートの外壁が続く。壁に窓がないのは防犯の為なのだろう。認めたくはないが草野の言う通り私たちが住んでいる地域とは常識が違うようだ。窓の代わりに排気口らしき設備がいくつかあるが、それでは中から外の景色が見えないのではないか。部屋でくつろぎながら夜空を眺める事に生きがいを感じる私には耐えられない環境である。
 足元に敷かれた砂利はギシギシと音を立てる。一度先入観を持ってしまうと、こんな些細な物まで防犯対策なのではないかと勘繰ってしまう。
 それにしても、家の全体像が把握できないまま既に二回角を曲がっているため、自分が今どこにいるのか分からず、細やかな遭難をしている気分になる。
 足を進めるにつれて不安は大きくなる中、遂に玄関が姿を現した。
 木製の引き戸で、ここにはインターホンもあった。迷わず押してみるが、反応はない。
「こんにちは」
 インターホンを押した以上は一応挨拶をするのが礼儀だと思い、口に出してみたが何となく虚しさが増してしまった。そして、もしかすると、行き違いになったかと思った時、中で何か物音がした。
 また新たな不安に包まれ、引き戸に手を伸ばすが、やはり動かない。
 連絡のつかない田原に、家の中から聞こえる物音。怪しい、引き返すべきだろうか。だけど、表通りに出るためには引き返すのと、このまま進むのと、どちらが早いかも分からない。ならば、とりあえず進んでみることにしよう。
 更に進んだ先の突き当りを曲がると、急に空間が広がった。
 先程までの砂利道とは違い、発色の良い芝生に手入れの行き届いた庭木。先程の大濠公園と比べれば当然スケールは小さいが、それでも立派な池がある。そして、その庭を眺めるための、大きな出窓もあった。
 なるほど、塀に囲まれている分、この庭に景色を詰め込んでいるのだろう。やはり文化が違うんだなあ。
 そういえば。慣れない事の連続で草野の事を忘れてしまっていた。彼と未だ合流できていないのはおかしい。さすがに敷地の外周を半分は回っていると思うのだが、まだ合流できないのは、やはりおかしいのではないか。
 先程から嫌な予感ばかりが生まれ、いよいよ気が滅入ってきた。帰りたい。
 何気なく出窓の方に目をやると、ブラインドが中途半端に開いている事に気づく。中を覗けるなと思い、近づいてみると、最初に赤い円形の絨毯が目に入った。
「魔法陣?」
 そう感じさせる、幾何学的模様の入った神秘的な赤い絨毯の上には、クッションだろうか、何かが置いてある。窓が少なく陽が入らない為か、照明の灯いていない部屋は薄暗く、物の認識が難しい。
 目を凝らす。
 違った。あれは、人だ。顔は見えないが、田原だろう。何故なら。
 いや、それより。あれは、何だろうか。
 人の身体には、必要のない何かがある。つまり異物だ。そう、異物がある。
 その瞬間、私を包んでいた幾つかの嫌な予感は全て恐怖へと還元され、次の瞬間にはその場から駆け出していた。

       

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Neetsha