Neetel Inside 文芸新都
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 部室に行くことになった。
「せっかくだしな。機材ちゃんと回収しとかないと」
「えっ? でも機材の話は嘘なんじゃ……」
「実は本当に置きっぱなしなんだ。取りに来るつもりはなかったんだけど。あの時出た嘘はそれを咄嗟に思い出したんだ」
 アンプの電源を切り、機材を片付け、スタジオの電気を消す。
 スタジオを出る時、僕は涼子さんに声をかけた。
「涼子さん」
「ん?」
「色々迷ってたんですけど、ありがとうございます。少し、答えが見えた気がしました」
 涼子さんは照れくさそうに頬を掻いた。
 部室の棚の中には多くの機材が置かれている。機材を置くための棚は多くの部員が活用するので、度々持ち主が不明の物も出てくる。
 そう言った持ち主が分からない物に関しては、しばらくしたらいつの間にかなくなる事が多い。態度の悪い部員が勝手に持ち帰っているのだろうが、元々持ち主が分からない物だけに犯人を特定して文句を言うこともなかった。
「機材って言ったって、もう随分前の物な訳でしょ? 盗まれてるかもしれませんよ」
 僕はエフェクターケースを棚に置くと、ギターをケースに入れ、他のギターがそうあるように、壁に立てかけた。
「あぁ、分かってる」
「それで、機材って何なんですか?」
「エフェクターだな。学生時代に使ってたやつで、エフェクターケースに入れてあったんだ」
「それだったら絶対盗まれてますよ。まだ使えるエフェクターがあって、持ち主がわからなかったら僕だって勝手に使ってるかもしれません」
「全く、機材の扱いの悪さは昔からなんだな……。まぁ仕方ないか」
 呆れた様に笑って涼子さんは棚を眺めた。それほど必死に探している様子もない。半ば諦めているのだろう。
 と、不意に涼子さんが視線を止めるのが分かった。探るように見つめ、手を伸ばす。
 彼女の手の先にあったのはボロボロのエフェクターケースだった。一番下の段、端の方に、ひっそり佇むようにして置かれていた。
「なんだ、あるじゃないか」
「えっ、嘘」僕は思わず声を上げる。残っているわけがないと思っていた。
 涼子さんはエフェクターケースを手に取り、持ち上げた。
「ちゃんと中身も入っているみたいだ」
 嬉しそうに言い、机にケースを置く。
「随分とボロボロですね」
「長い間使ったからな」
 エフェクターボードにはたくさんのシールが貼られている。それらはライブハウス等で出演者がもらえるパスと言うものだった。スタッフは出演者とお客さんをこのパスで見分けるわけだが、その日のライブが終わるともうパスは用済みとなる。ライブの記念にこうしてエフェクターケースに貼っている人は珍しくなかった。エフェクターケースは中のエフェクターが外に出ないよう頑丈な造りになっているし、何よりこう言ったパスなどを貼りやすいからだ。
「中身入ってるとかすごいですよ。奇跡だ」
「大げさだな」
 恐らく目立たない場所にあったのであまり部員の目に留まらなかったのだろう。奇跡ではなくても、奇跡的だとは思う。
「何やったはるんですか?」
 不意に野沢菜さんが僕の横から覗き込んできた。
「びっくりした。驚かさないでよ」
「驚かしてへんよ。あんたが勝手にビビッたんやん」野沢菜さんはムッとする。彼女からは煙草の臭いがした。
「それで、このエフェクターケース、何なん?」
「私のエフェクターケースなんだ。卒業の時に持って帰るの忘れてそのままだったんだけど、今見てみたら置いてあったから」
「ようありましたねぇ」感心したように目を見開く。先ほどの落ち込んだ様子は一切見当たらない。この切り替えの早さも野沢菜さんの強みだ。
 僕が見ていることに気付いたのか、野沢菜さんと目があった。
「何?」
「いや、別に」首を振って視線を戻す。「それより、開けないんですか」
 ふと涼子さんを見ると、妙に顔が強張っている事に気がついた。
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっとな……」
 涼子さんは言葉を濁す。何か嫌な思い出でもあるのだろうか、このケースの中身に。
「秀、開けてくれないか」
「別に良いですけど……」
「秀?」野沢菜さんが首を傾げる。
「あだ名。昨日つけられた」
「何で秀?」
「アパートの管理人の初恋の相手が秀介って名前で、僕がその人に似ていたかららしい」
「なんやそれ」鼻で笑われる。
「僕だって嫌だよ、こんなあだ名」
 僕が顔をしかめてエフェクターケースに手をかけると、涼子さんが慌てたように僕の手を掴んだ。
「いいか、ゆっくり開けろよ」
「何でですか? 爆弾が入っているわけでもなし」
「虫が湧いていたらどうする」
 その言葉に野沢菜さんが一歩後ずさる。
 開けたらゴキブリの大群がワラワラとケースの中から出てくる。数年間放置してあるケースの中身を想像して、その様な状況が脳裏をよぎったのだろう。僕に開けさせようとしたのはその為か。
 密閉された中でさすがにそれはない。
 僕は彼女の言葉を無視すると一気にボードを開いた。野沢菜さんと涼子さんがひっと声をあげる。
 もちろん中には何も居なかった。
「馬鹿者、なんて事を」信じられないと言いたげに涼子さんは眉にしわを寄せた。
「でも何もいないでしょ」
「そういう問題じゃない」
「そうや。あんたもし中に奴がいたらどうするつもりやったん?」
「その時はその時だよ」
 僕はケースの中身に目を留めた。僕が使っているエフェクターと同じ物もあれば、値がすることで有名な物もある。
「良い機材使ってたんですね」
 ふと見るとエフェクターの下に隠されるようにして何かがある。それは色紙だった。
「涼子さん、この色紙って」
 すると涼子さんも気付いたようだった。エフェクターを退け、色紙を手に取る。中心に『涼さんへ』と書かれ、様々な色で端から端までぎっしりとメッセージが書かれていた。裏にもメッセージが書かれている。
「追いコンの時にもらえるやつですよね、それ」
 追いコン、俗に言う追い出しコンパと言うもので、我が部では毎年二月に四回生を送るために開かれるイベントだ。四年間お世話になった先輩に、部員の皆が色紙にメッセージを書いて渡す事になっている。
「何で色紙がそんな所にあるんですか」
「皆が入れといてくれたんだと思う。私、追いコンには出られなかったから」
「出られなかった?」
「引越しの準備があったんだ。本当はもっと前にしとくべきだったんだけど、進路について両親がようやく許してくれて。専門学校の手続きもあって色々忙しくて都合がつかなかったんだ」
「それでここに入れて、涼子さんをびっくりさせようとしたんでしょうね」
「たぶんな」
「読まないんですか?」
 僕の言葉に涼子さんは首を振った。
「今読むと泣くかもしれない」
 涼子さんの声は心なしか震えていた。
「四年間色々あったんだ。不快な思いも何度もした。自分はここに居ていいのか、ずっと考えていた時期があったんだ」
 僕は野沢菜さんと目を合わせた。僕らと似たような苦しみを、この人も抱えていた。
「でも、答えはここにあったよ。間違ってなかったんだって、今知った」
 その言葉は僕らに対してではなく、過去の自分に対して語っているように思えた。
「涼子さん、写真撮りましょう」
 僕の提案に涼子さんは振り向く。
「追いコン出てないんでしょう? 後輩と写真なんか撮れてないでしょうし、代わりと言っては何ですけど」
「それええな」野沢菜さんも薄く微笑む。
「ありがとう」
 写真に写った涼子さんの瞳は少しだけ光を反射する。何かから開放されたように、彼女の表情は緩やかだった。

       

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