Neetel Inside 文芸新都
表紙

先人と若人は唄う
エピローグ

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 空が青く晴れ渡り、吐き出す息に色がつくことはなくなった。
 寒かった冬が過ぎ去り、もうじき春が訪れるのだ。
 まだジャケットはないと寒いものの、もうマフラーは要らない。
 僕はポケットに手を突っ込むと、郵便受けを覗き込んだ。封筒が一通。その場で開け、内容を見てみる。
 溜息が出た。

 都内にあるアパートの一室。一階にある一番ボロい部屋が僕の部屋だ。
 鍵を開け、中に入る。
「ただいま」誰に言うでもなく言葉にした。もう癖の様な物だ。
「おかえり」
 声がするのでふとリビングを見るとアパートの管理人、悠子さんがコタツに入りながら机の上で手紙を広げていた。いちいち鍵を閉めるので紛らわしい。
「来てると思いましたよ」
「何で?」
「最近よく来るじゃないですか」
「就活帰りの疲れた心に潤いを与えてあげてんのよ」
 悠子さんは僕の着ている服を舐め回すように見る。
「リクルートスーツも板について来たわね」
「まぁさっき一社落ちましたけどね」
 僕は先ほど郵便受けに入っていた封筒を見せた。先日あった二次面接の結果、不採用との知らせだった。
「ダメねえ、全く。早く決めて私を養ってちょうだい」
「お断りします。むしろ僕が養って欲しいですよ」
「おっと、お世話になっている管理人のヒモとして内定を得るかい?」
「冗談ですよ。ちょっと弱音を吐いただけです」
「まだ就活の本番はこれからなんだからへこむのは早いわよ」
「分かってますよ」
 僕は鞄をベッドの上に置くとコタツに足を突っ込んだ。悠子さんの足に僕の足が軽く当たる。
 ふと目の前に封筒が置かれていた。便箋を包む、可愛らしいやつだ。何気なく手に取り差出人を見てみる。筆記体で流暢に書かれた英字だった。筆記体など普段読まないので解読するようにして読んだ。

 Ryoko Hijikata.

「りょうこ、ひじかた……」
「うん。涼からの手紙」
 僕は思わず悠子さんを見た。手紙に視線を落としたまま、彼女は続ける。
「元気でやってるみたいね。今ヨーロッパの美術大学で一緒に行った教授の手伝いしてるってさ」
 悠子さんは手紙の下から写真を何枚か取り出すと僕に手渡した。
「向こうの写真だってさ」
 日本とは異なる風景がそこに映っていた。明るい太陽の下、色濃く描かれた世界は白い。
 最後の方の写真には涼子さんが現地の人と一緒に写っていた。
「幸せそうですね、涼子さん」
「かなり忙しいみたいだけどね。いやぁ、青春しとるわ」
 悠子さんは少し羨ましそうだった。
 ふと、同じ写真が二枚あることに気がついた。手にとって見てみる。
 あの日、部室で撮った写真だ。
 僕と、野沢菜さんと、涼子さんが写っている。カメラを棚に置き、セルフタイマーで撮った。三人が三人、皆異なってはいてもその表情は柔らかかった。
 あの日あの時、僕らは別々の形で、今の自分に必要な『何か』を見つけたのだ。
「あぁ、それねぇ、涼子からあんたにって。あと野沢さん? にも渡して欲しいってさ」
「なるほど、分かりました」
 僕はその写真だけを手元に残し、あとは悠子さんに返した。
「野沢さんってその子よね?」
「はい。同じ部活の部員です。たまたまあの日会ったんで一緒にって」
「可愛い子ね」
「悠子さんには負けますよ」
 冗談のつもりで言ったのだが期待していたツッコミが来ないので見ると、悠子さんは含み笑いでこちらを見ていた。まんざらでもなさそうだ。
「何であんたの写真はあって私のはないのかしらね」
 目が合ったのが照れくさいのか、不機嫌そうな声で言う。
「あの時駅で撮っておくべきでしたね」
「ホント。失敗したわ」やれやれと悠子さんは肩をすくめる。
「手紙、後で僕にも見せてくださいね」
「えっ? ダメよ」少し驚いたように悠子さんは声を出した。
「何でですか」
「何ででもよ。女同士の話だってあるんだから」
 てっきり読めると思っていただけに、少し残念だ。
 と、写真の裏側に文字が書いてあることに気付いた。
 ボールペンで書かれたその文字は整っており読みやすい。涼子さんが書いたものに違いなかった。



 秀へ
 ギターは弾いていますか?
 私はあの日ギターを弾いたことがきっかけで、こっちにギターを持ってきてしまいました。
 歌は言葉の壁を越えて、相手に伝わります。やっぱり音楽は良いですね。
 日本に帰ったら、今度は二人で歌いましょう。
 だからその時まで、ギターを続けていてください。

 涼子


 
 短い文章だ。
「来年の春には会えますかね」
「どうかしらね。……まぁ焦ることないじゃない。あんたどうせ再来年もここにいるんだし」
「えっ? そうなんですか?」
「そうよ。頼れるお隣さんがいないと困るでしょ」
 悠子さんはそう言って照れたように微笑む。その様子は外から射す太陽の光で妙に輝いているように見えた。
 綺麗だった。
「まぁそう言われるとやぶさかではありませんが」僕は慌てて視線を逸らした。そのまま見ているとどうにかなりそうな気がしたからだ。「そういえばもうすぐ桜前線が来るみたいですね」
「へぇ、いつ?」
「来週……だった気がします」
 駅で流れる天気予報を軽く見ただけだったのでうろ覚えだ。
「じゃあお花見をするしかないわね」
「二人でですか?」
「何言ってんの。アパートの住民でよ。就活中だしあんたも気分転換になるんじゃない? 四回生の子はもう出て行っちゃってもうじき新しい住民も越してくるし、懇親会も兼ねられるわ」
「何人かは就活で地元に帰ってるでしょう」
 僕はこっちで就職を考えているので帰省はしていない。
「残ってる子もいるし、意外と暇そうにしてたからやるって言ったら来るでしょ」
「まぁそうかもしれませんね」
「じゃあさっそくスケジュール合わさないとね。来週以降で都合のいい日を決めましょう。土日なら就活もないでしょ」
「そうですね」
「どうせだったら木下も呼びましょう」
「アパート住民の懇親会じゃないんですか」
「木下がいたら多少なりとも盛り上がるでしょ。誰とでも気さくに話すし、他の子も馴染みやすい。一石二鳥よ」
 涼子さんはやる気だ。近づく春の気配に目が輝いている。
 大学を卒業するまで、あと一年になった。だけど、以前の様に人間関係や将来について悲観する事は少なくなった。
 今は毎日が精一杯だ。
 一日一日が全力で、可能な限りの選択肢を見据えることにしている。

 これから僕の選ぶ未来は必ずしも正解ではないかもしれない。
 それでも、自分の歩む道は正解だと、胸を張って言えるよう最大限の努力はしたい。
 もしいつか、涼子さんに会える日が来たなら、その時は自分の選択した答えを堂々と伝えたいと思っている。
「よし、じゃあさっそくお花見会議を開きましょう。大福食べながらね。苺大福」
「あるんですか!」
「昨日送られてきたのよ。あぁ、まだ話していない苺大福のお話をしてあげるわ」
「あるんですか……」
「何よ、嫌そうな顔してるんじゃないわよ」
 悠子さんは不愉快そうに唇を突き出す。
 その様子に、僕は思わず噴き出した。
 だから僕は、今しばらくこの騒がしい管理人と忙しい日々を生きることにする。

 ──了

       

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Neetsha