Neetel Inside ニートノベル
表紙

三姉妹の夏休み
本編

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 初恋は実らない。
 いや、少なくともこの俺、中野桐緒の場合はそうだった。初恋の相手は従妹の木下香澄。彼女は俺の知らない男と結婚してしまった。それは俺が十歳で香澄が十六の時のことだった。
 あれから、八年が経った。俺は県外の私立大学に入学し、小さなマンションの一室を借りて一人暮らしをしている。
 初めての一人暮らしは戸惑うことばかりで苦労をしたが、八月にもなると、段々慣れてきた。
「あーあ、やばいなあ」
 小説の締め切りが近い。――と言っても別に作家業なんてたいそうな仕事をしているわけではない。サークル活動で小説を書いているのだ。
 しかし、もうすぐ締め切りだというのに一行も書けていない。正直この時期にこれはやばい。
――ピンポーン
 呼び鈴が鳴った。
 なんだろう。セールスだろうか。軽く舌打ちをして立ち上がる。
「はいはい、どちらさんですか」
 俺は扉を押し開けた。
 セミの大合唱が耳に飛び込んでくる。清らかな八月の青空が、パソコンに汚染された目を洗い流した。
「あれ? 誰もいない?」
 呼び鈴を鳴らした人間を探す視線は虚空を切った。
 その時、ジャージのズボンが何者かに引っ張られた。
「こんにちは」
「始めまして」
「……」
 見下ろすとそこには三人の幼女が並んで俺を見上げていた。
 一番右の少女はショートカット。健康的に日焼けした肌にちらりと光る八重歯が可愛らしいスポーツ少女だった。身長は一番高い。
 真ん中の少女は長い髪をツインテールにまとめている。色白で赤いほっぺが可愛らしいが、腕を組み、生意気そうな目でこちらを見上げてくる。
 一番小さな少女はツインテールの少女の後ろに隠れるようにしてこちらを窺っている。ストレートのロングヘア。前髪はパッツン。
 驚くべきはこんな幼女が三人も俺の前にいることだけではない。彼女たちは――全員メイドの恰好をしていたのだ。
「……何。君たち」
 戸惑いながら尋ねる。
「今日からここに住むことになった藤崎凛々香だよっ」
「今日からここに住むことになる藤崎京香よ」
「……今日からここに住むことになる、藤崎香恋です」
 なんて図々しいガキどもだ。
「――ってか藤崎?」
 藤崎という名には聞き覚えがある。あまりいい記憶ではなかったはずだが……。なんて考えていたら思い出した。
 香澄と結婚した男の名だ。
「お前ら香澄の娘か?」
「その通りだよっ」
「思ったより物分かりが早くて助かるわ」
「……ミジンコに昇格」
 は? というかミジンコの前は何だよ! 確かに顔の造りも言動も香澄に似ている。
「意味が分からない。いいか、俺は香澄のことを思い出したくないんだ。さっさと自分のお家に帰りな」
「ひどいよーっ」
「人間の台詞じゃないわ」
「……便所虫に降格」
「ふんっ。帰れったら帰れ」
 そう言ってメイド少女達を睨みつける。最近やっと忘れられるようになってきたってのに……。香澄のやつ。どこまで俺をおちょくれば気が済むんだ。
「仕方がないなぁっ」
「あの手を使うしかないわね」
「とっても不本意」
 三人は両手を筒状に合わせて、それぞれの口元にあてた。
「な!?」
「「「助けてー!」」」
「うおっ! お前らやめろ!」
 幼女の悲鳴がマンション中に響き渡る。このままでは、誤解されたあげく警察に逮捕されて俺の社会的立場は地に堕ちる。第二波を放とうとするやつらの口を塞ぎにかかったその時。
「あんた……何してんの?」
 恐ろしく冷たい声のほうに視線を向けると、果てしなく軽蔑しきった目で東条睦月がこちらを見ていた。
 
 

     

「いいじゃない。夏休みの間でしょ」
 家の中。必死に状況説明したおかげで「馬鹿じゃないの?」と言われながらも、なんとか俺の尊厳は維持された。
 東条睦月は大学で知り合った友達で、同じ経済学部に所属している。とある授業で隣の席になったことがきっかけで話すようになった。俺が一人暮らしだと知ると、たまに家事を手伝ってくれるようになった。
 そして間が悪い時にやって来たわけだ。
 三姉妹に話を聞くとどうやら、夏休みの間だけこの家で遊びたいらしい。
「しょうがないな。わかったよ」
 結局折れた。睦月の視線が怖かったしな。
「わーい! ありがとっ」
「これから世話になるわ」
「……なまこに昇格」
「便所虫からなまこですかい」
 何気にこのチビッ子がむかつく。
「つか、どうして俺のところに来たんだ? 今まで会ったこともないのに」
「お母さんが困ったらここに行きなさいって言ってたからさっ」
 ショートカットの長女、凛々香が無邪気に笑う。香澄がニヤニヤ笑う様子が目に浮かぶ。あの女、昔から俺をからかうのが生きがいだった節があった。
 その時、『くぅ~』という間の抜けた音が聞こえた。
「――っ!」
 次女、京香が顔を真っ赤にして俯いている。腹の音か。時計を見るとそろそろ一三時だ。
「……空腹」
「俺も腹が減った……」
 そういえば食料も底をついていた。買いに行かねば食べるものがない。
「そんなことだろうと思ったわよ。ほら」
 睦月が持ってきていた大き目の鞄からタッパーに入った弁当が現れた。二日分はありそうな量だ。
「おお!さすが睦月」
「お姉さんありがとーっ」
「ありがたいわ」
「……女王様」
おいおい、三女。評価が少しおかしくないか?
「温めるからそこで待ってて」
「おお、ありがとう」
 睦月はすらりと立ち上がると台所へ向かった。
「そういや、なんでお前らメイドの恰好してるんだ」
 三姉妹のコスプレについて尋ねてみる。だいたい、こんなフリフリな服を着ていたら暑いだろうし、何より目立つ。
「お母さんが、このお家に行くときはこの服を着なさいって作ってくれたんだっ」
 凛々香の返答にほかの二人も頷く。
「なんだと! 香澄のやつ俺の趣味をどこから……! 誰にも話したことなかったのに!」
「……馬鹿なこというと止めなさいよ。ほんとに変態くさいわよ」
「俺は至ってノーマルな一八歳男子だぜ。幼女のメイド服に萌えるわけなだろ」
 ハハハ。睦月の視線が痛いぜ。
「すぐできちゃうから。ほらあなたたちも準備を手伝って」
「はーいっ」
「わかったわ」
「……お腹空いた」
 ドタドタと駆けていく子供たち。まず手を洗ってから、と叱られ洗面所、もとい風呂場に駆けこむ三姉妹を見ながら俺はなんともやるせない気分になった。
「あーあ。やっと忘れられると思ったのに……」
 ため息をつきながら天井を仰いだ。

     

睦月が帰る頃には日が沈み、辺りは暗くなっていた。
「……睦月さんは晩御飯一緒に食べないんですか?」
 やたらと三女、香恋に好かれたらしい睦月は、抱きつかれながら満更でもない顔をして答えた。
「ごめんね。家では親がご飯作って待ってるのよ」
「家まで送ろうか」
「いいわ。それよりこの子たちを見てて」
 ちなみに睦月は近所の東条神社の神主の娘だ。たまに家の仕事の手伝いで巫女服を着たりしているらしい。ぜひとも一度見てみたいところだ。
「桐緒」
「ん? なんだよ」
 睦月がくいくいと人差し指でこっちに来いとジェスチャーする。
「……あんた。この娘達に変なことしたら殺すわよ」
「意味わかんないんですけど!?」
 いくらなんでも、こんな幼女に変なことするなんて考えもしませんでしたよ!?
「何かあったらここに電話してね」
「どこまで信用ないんだよ」
 睦月はメイド三人組の携帯電話に自分のアドレスを送信する。
「まあ、あんたがへたれってことはよく知ってるわ。そこだけは信用してる」
「ひどいな……」
 言いたい放題言った後、何やら複雑そうな顔をして睦月はじゃあね、と帰って行った。
「さて俺らも準備して外に晩飯食いにいくか」
「わーいっ。外食外食っ」
「外食なんて久しぶりだわ」
「……桐緒、ご飯作れないの?」
「別に作れないわけじゃないが、今日は面倒だから外食ですまそう。お前らとりあえずそのメイド服着替えてこいよ」
 そう言うと三姉妹は不思議そうに揃って首を傾げた。
「これしかないから着替えられないよっ」
 長女、凛々香のセリフ。
「お前ら……」
 なんてやつらだ。あんなコスプレ一つで着替えも持ってこないとはなんて神経してやがる。
「下着もないのか」
「大変だぁっ! 変態さんがいるよっ」
「香恋、電話しなさい」
「……合点承知の助」
「ちがーう! 変な意味で言ったんじゃないから! 睦月に電話するのはやめろ!」
 こいつらと会話するのは疲れる……。着替えが無いってことはこれから下着だけでも買いに行かないとな。
「はぁ……」
 俺たちは駅前のデパートに向かうことにした。



 その後、予想通りメイド服のおかげで周りから変な目で見られた。当分あのデパートに行けない。結局なけなしの貯金をはたいて、やつらの替えの服一式と、下着を買い与えた。残高を見ると涙が出てくる。
 その日はファミレスで夕食を食べて帰宅した。



……壮絶に騒がしい日々はここから始まった。

     

 まず連中について詳しく語ろう。連中とはあの三姉妹のことである。
 まずは長女。藤崎凛々香。八歳。年齢的に香澄が一六歳の時に生んだことになる。三姉妹の中では比較的素直なこの少女は非常に好奇心旺盛なところが玉に瑕だ。その好奇心は、この狭い部屋に巧妙に隠された四十二のエロ本を全て見つけ出すほどの探求心を生み出している。しかも無邪気な顔してエロい質問を睦月にするもんだから、真っ赤になった睦月に撲殺されそうになった。もちろん俺が。
 エネルギッシュな凛々香は動き回るのが大好きなようで、毎日のように俺を部屋から引っ張り出して、睦月の家の神社で走り回っている。睦月の親父さんが快く境内で遊ぶことを許してくれたからだ。最初は嫌々だった俺も今では一緒にバトミントンや、バレーボールを買って凛々香たちと遊んでいる。まあ、そのなんだ。たまには外で遊ぶのも悪くない。
 次は次女。藤崎京香。七歳。やたらと大人ぶった生意気なガキだ。素直な姉と違ってひねくれている。そのくせ三姉妹の中で一番の弱虫だ。寝るときに真っ暗が怖いと泣き叫ぶ。
 家はワンルームなので寝るときは同じ部屋だ。三姉妹をベッドで寝かせて俺は床で寝るようにしていたが、寝に入って一五分ほどすると、まず京香がもそもそと布団から這い出し、俺の腹に抱きついてくる。
 その後、凛々香も香恋も前後からやってきてしがみついてくるので、結局ベッドで4人で寝ている。こいつらは何がしたいのかさっぱりわからん。寝苦しいったらありゃしない。しかも京香は夜トイレに行くときにわざわざ俺を起こしてくる。
「別に怖くないもん! だけど一応起きてて!」
 京香はトイレに行っている間に寝てしまうと泣き出す。京香のせいで俺はまともに寝ることさえ許されていない。
 京香に関しては、昼間でもくっつきたがる癖があった。例えば本を読んでいると、腕の中に入り込んで胡坐に座り込んだり、俺が料理していると、腰にしがみついて離れなかったりする。
 あと、睦月とよく謎の言い争いをしている。
「京香ちゃん、あんまり歳の差があるのも良くないのよ?」
「そんなことないと思うわ」
 あとで、睦月から睨まれるのは何でだろう。
 次は三女。藤崎香恋。六歳。いやあ、毎年生んだんだな。香澄は。
 香恋はやたらと……認めたくはないが頭が良い。六歳にして九九が言えるのはどうだろう、と思ったりする。勉強……というか新しい事を知るのが何より楽しいらしく、良く凛々香や京香、さらには睦月から色々教わっていた。
 また変わった嗜好の持ち主で、香恋の中では謎のヒエラルキーが定めれているらしい。ヒエラルキーについて尋ねてみてもむっつりとしてなかなか教えてくれない。一番上はカタツムリであることを凛々香が教えてくれた。ちなみに俺の今のランクは馬の骨だ。
 料理の味にはうるさいようで、外食するといつも文句を垂れている。光栄なことに俺の手料理は気に入ってくれたようで、香恋に加えて他の二人も静かに飯を食べていた。
「――お母さんのご飯の味に似てる」
 香恋がそう呟いたのが印象的だった。確かに俺は香澄から料理を教えてもらっていたから。
 運動はあまり得意でないらしく、いつも公園で遊ぶ時はびりっけつの座を獲得している。もちろんトップはこの俺だ。相手が子供でも容赦なく本気を出すからな。
 負けず嫌いの三姉妹は凛々香と京香が俺にまとわりついている間に香恋に勝たせる作戦でおれをやっつけにくる。おれがまんまと地面に這いつくばっている様子を見て、睦月が大笑いしていた。
 三人ともに言える話だが、俺が買い与えた服は一着ずつだったため、外に遊びに行くとき以外はメイド服を着ていた。もう一着ずつ買ってやりたかったのだが、4人分の食費などのことも考えるとお金に余裕がなかったのだ。家でメイド服を着せていることを睦月が知ったときは本当に殺されるかと思った。
「なんだ桐緒が趣味で着せているわけじゃないんだ」
「違う、違う! だから矢をこっちに向けるのはやめろ! 俺が先端恐怖症だって知ってるだろ!」
「馬鹿ね。知ってるからやってるんじゃない」
「鬼! 鬼畜!」
――あいつの目は笑ってなかった。あいつとの思い出は殺されそうになったことばっかりのような気がする。
 最初煮詰まっていた小説だが、この三姉妹のことをネタに書き進めていくことにした。すると、トントン拍子に話が頭に浮かびあがってきて、キーボードを叩く手が良く進んだ。
 まあ、連中が来て良かったこともあったてことだな。

     

 ある日のこと。いつも通り凛々香に引っ張られて東条神社へと向かった。東条神社の境内は参拝客も滅多にいないので、俺たちにとっては丁度良い公園スペースだった。睦月の親父さんもいい人で三姉妹を目を糸にして可愛がる。
 今日も境内に行くと親父さん、もとい神主さんが箒で掃除をしているところだった。
「おや桐緒君。今日も来てくれたんだね。こんにちは、凛々香ちゃん、京香ちゃん、香恋ちゃん」
「こんにちはっ」
「あら、こんにちは」
「……こんにちは」
 こんなに暑い中、大して汚れてもいない境内を掃除していたのは三姉妹を待っていたからに違いない。このおっさんなかなかやりおる。
「うちにアイスがあるから三人とも食べにおいで。もちろん桐緒君もね」
「はあ、ありがとうございます」
 その時、後ろから涼やかな声がした。
「お父さん、鼻の下伸ばしすぎよ」
 振り向くと、そこには巫女姿の睦月がいた。東条神社に通いだしてから睦月の巫女姿は初めて見た。睦月のやつ、なかなか似合っているじゃないか。
「ちょ、ちょっと」
 まじまじと見ていると、睦月は体を隠すように身をよじった。
「何? 私がこれ着たら変?」
「いや、似合ってるよ。すっごく」
「――ッ!」
 その時、京香が俺の腹に頭突きをかましてきた。
「――ぐはあっ!」
 抱きついたまま離れない。
「おい、暑いだろ。離れろよ」
「いや!」
 そして、睦月にあっかんべーした。
「……」
 睦月から蛇のような殺気が迸った!
「お、おいおい! 京香! 挑発はやめろ。ほら仲良く遊ぶぞ」
 危ない危ない。親父さんは殺気を感じたと同時にそそくさと退散していった。さすが親父さん。この女が怒ったらいかに恐ろしいか解かっていらっしゃる。
「睦月もそんなに怒るなよ。今日は一緒に遊ぼう。な?」
「京香ちゃんずるい……」
「え? なんて?」
 声が小さくて聞き取れなかったので、聞き返すと睦月はむくれた顔で言った。
「なんにもないわよ! ほら遊ぶんでしょ。着替えてくるからちょっと待ってて」
そしてすたすたと歩いて行ってしまった。



 炎天下の中、遊びまくった俺たちは睦月の家へあがらせてもらった。実は睦月の家に入ったのはこれが初めてだった。住居と神社は別の建物で、何気に住居スペースの方が大きかった。
「すごいすごーいっ」
「へえ」
「……思ってたより広い」
 三姉妹はうれしそうにはしゃいでいる。今までずっと遊んでいたのによくそんな元気があるな。
 疲れ切った睦月と俺は睦月の親父さんが用意してくれていたアイスを舐めながら三姉妹を眺めていた。
「ねえねえ、睦月さんっ」
 凛々香が睦月に声をかけた。
「ん? なに? 凛々香ちゃん」
「神社の方に入ってもいい?」
「中が見たいのね。いいわよ」
「俺も行っていいか? 一回見てみたい」
 神社の中ってどうなっているのか、一度見てみたかったのだ。
 睦月に連れられて神社の中に入った。中は色々なものが雑多に置かれていた。
「おいおい、なんか散らかってないか?」
「今整理している最中なのよ。でも暑くて全然はかどらなくて」
 その時凛々香が言った。
「ここに神様がいるんだねっ。死んだ人ってどこに行くの?」
「なかなか哲学的なことを聞くわね。凛々香ちゃん。色々言われているけど、神道では神様の治める世界に行くみたいよ」
「ふーん」
「はい、もういいでしょ。暑いし、家に戻りましょう」
 その日は睦月のお母さんに料理をご馳走になって帰った。さすが睦月の母親。めちゃくちゃ料理が上手かった。なにせ香恋が褒めたほどだ。俺もあれくらい上手くなりたいものだ。


     

そんなこんなをしながらも八月の真ん中が近くなってきた頃に、凛々香がこんなことを言い出した。
「遊園地に連れてってよっ」
「遊園地?」
 遊園地なんてこの辺りにあっただろうか。俺は思案する。
「あたしも遊園地行きたい!」
 初めの頃に比べて随分砕けた様子の京香が寝っ転がった俺のジーパンを引っ張る。やめろ。ズボンが脱げる。
「……遊園地は好き」
 香恋がそう呟くのを聞いて凛々香と京香が騒ぎながら俺の背中をよじ登る。
「行こうよ行こうよっ」
「たまにはいいじゃないのよ」
 どさくさに紛れて香恋も登ってくる。おいっ。メイド服のスカートを顔に被せるな!
「や、やめろ! 重い! わかった、わかったから!」
 三人を引き離すと俺は携帯を開いた。
「くそっ。睦月にきいてみるか」
 困ったときの睦月頼りだ。
「何? 桐緒」
 睦月はワンコールで出た。毎回思うが出るのが早い。
「凛々香達が遊園地に行きたいって騒いでさ。どこかこの近くに遊園地ないかと思って」
「ふうん……。随分父親っぽくなったわね」
「はあ!? 何言ってるんだよ!」
 そんなことはない。ただ、連中も神社で遊ぶばっかりじゃ、夏休みの思い出としては可哀想だろうと思っただけだ。
「まあ、良いことよ。いいわ、丁度新聞屋さんから遊園地のタダ券をもらったの」
「巻き上げたんじゃ……」
「もらったのよ」
 新聞屋も可哀想に。
「五枚もらっておいたから、今度一緒に行きましょう」
「お前も行くのか?」
「……何よ? 不満?」
 やばいな。受話器越しに不穏な気配を感じる。
「いや、子守を手伝ってくれると助かる」
「そう。それじゃあ、明日は空いてるかしら」
「ああ、空いてるよ」
「じゃあ、決まりね」
 電話を切ると三姉妹が期待に満ちた目で俺を見る。
「お前ら喜べ。明日は遊園地だぞ」
 ぎゃあー! という叫び声をあげながら三姉妹は狂喜した。
 その日はなかなか寝ない三姉妹を寝かしつけながら、何だか妙な気分になった。まるでこいつらの本当の父親になったような……。そうだったらどんなに幸せだったろう。どんなに願っても俺の隣に香澄はいないのだ。その夜俺は久しぶりに香澄を夢で見て、少し泣いた。

     

 当日。 暑い八月の日差しを浴びながら、電車を何度も乗り継ぎして、わりと有名な遊園地に辿り着いた。まさかこんな遊園地があるとは。地方出身の俺はこの遊園地の名前だけは知っていたが、実際には来たことがなかったので不覚にも胸がわくわくする。
 三姉妹も来たことがないようで、「うわー……」とか言いながら遊園地の入り口を見ている。
「ほら。行くわよ」
 睦月だけは経験者らしく、先に立ってスタスタ歩く。
 入り口を抜けるとマップを見て三姉妹が騒ぎ始めた。
「このドラゴンが出てくる急流滑りに乗りたいっ」
「待って、凛々香! こっちのタコに襲われるのを体感するボートツアーの方を先に行くべきよ」
 ……京香のやつ。ビビッて泣き出すくせにそんなアトラクションに乗りたがるのか。
「香恋ちゃんは何に乗りたいの?」
 睦月の問いに
「……このタイムトラベルを体感できるのに乗りたい。……今後の参考に」
 香恋は香恋で末恐ろしいことを言っている。
「じゃあ順番にまわりましょうか。一番近いのはボートツアーだからそれに決定」
 睦月の意見に全員賛成して、ボートツアーに向かった。
 案の定、タコが出てきた途端に京香はビービー泣き出した。あんまり叫びまくるものだから、緊迫感を演出していた添乗員のお姉さんは苦笑しながら手加減してくれた。
 そのあとは、泣き止まない京香を俺が見ている間に、他の三人で急流滑りに行った。睦月曰く、あのタコで怖がるなら、京香にはあの急流滑りは無理だそうだ。俺たちは外で三人が降りてくるのを待つことにした。
 本当は俺も乗りたかったのだが、京香が俺の腰にしがみついて離れないのだから仕方がない。「他のやつには内緒だぞ」とソフトクリームを買ってやって、ようやく泣き止んだ。
 急流滑りに関しては、滑っている最中の写真を撮ってくれるサービスがあって、それを見ると凛々香だけが笑顔でピースサインをカメラ目線で送っていた。この女には恐怖という感情は無いのだろうか。睦月は少しひきつった顔をしていて、それを笑うと本気のグーで殴られた。とっても痛かったです。
 水を大量に使ったショーを観たときは、四人とも楽しそうだった。香恋と睦月がこの世から陸地が無くなるのは何年後になるかを笑顔で計算していて、少しひいた。
 その後は、香恋のリクエスト通りタイムトラベルを体感できるアトラクションに乗ることになった。これもスリル系だったので京香を乗せるわけにはいかない。
「今回は私がみてるから、桐緒は乗ってきなさいよ」
 睦月がそう提案してくれた。
「いいのか?」
「ええ。前にも乗ったことあるし。さっきからとっても乗りたそうに見えるけど」
「サンキュ! 実はめちゃくちゃ乗りたかったんだ」
 すると睦月は顔を赤くして、
「行くならさっさと行きなさいよ! ……その顔は反則だわ」
 最後はぼそぼそと聞き取れない声で言ったあとそっぽを向いた。
 そうして俺はアトラクションを楽しむことができた。
 そうして、色々なショーやパレードをみんなで楽しんで、俺たちは帰ることにした。一番はしゃいでいた凛々香は帰宅途中、寝てしまったので、俺がおんぶして帰ることになった。
「……ん……むにゃ。急流滑り……もっかい乗りたい」
「……寝言言ってるのか」
「……お母さん……お父さん……」
「…………」
 俺は凛々香を起こさないように静かに歩いた。

     

 そして八月三十一日がやってきた。八月最後の日。三姉妹が帰る日だ。
 その日は朝から荷物をまとめる作業に入った。三人の私物はメイド服だけだったはずなのに、いつの間にか増えていて、今では俺の部屋のいたるところに置かれていた。
「なんか、変な感じだな」
 三姉妹は黙って自分たちの荷物を片づけていた。
 どんどん部屋が広くなっていく。こいつらが来るまでこんなに広い部屋に一人で住んでいたのかと思った。
 もう、京香に夜起こされることも、用を足してる最中凛々香に覗かれることも、香恋の毒舌に傷つく必要も、香澄の記憶に振り回されることもないのだ。晴れて、自分のかつての生活を取り戻すことができる。それは喜ばしいことのはずなのに。なんだか気分が乗らなかった。
 それから三人を駅まで送った。睦月も見送りにやって来た。
「このメモ通りに電車に乗れば帰れるから」
 俺は三人にメモを渡して言った。
「それじゃ、またな」
「また遊びに来てね」
 睦月と俺の声に三人は寂しそうな笑顔で答えると、改札を抜けていって、俺たちの視界からいなくなった。
「寂しくなるわね」
「……そうだな」
 そういえば今日は京香も全然くっついてこなかった。
 そんなことを考えながら、その場でぼーっとしていると、睦月に「行きましょう」と促されてその場を後にした。
 事件はその日の昼に発覚した。

     

 すぐに自宅に帰る気にならなかった俺は、睦月と喫茶店で時間を潰していた。すると携帯電話が鳴りだしたのだ。それは実家の母からの電話だった。
「もしもし!? 桐緒!? まだ、香澄ちゃんの子供たちいる!?」
「いや、午前中に帰ったよ。もうとっくに到着してるころだと思うんだけど」
「それがまだ帰ってきてないらしいのよ。連絡も急に取れなくなったって」
「……は?」
 そんな馬鹿な。いや、あいつらならありえる。あの三馬鹿姉妹なら。くそ! 最後の最後にふざけたことをしやがって!
「わかった。こっちでも探すからなにかあったら連絡してくれ」
 携帯電話を切る。
「なに? どうしたの。あの子たち帰ってないの?」
「ああ、連絡もつかないらしい」
 睦月はすぐさま携帯電話で三姉妹それぞれに電話をするが、どれも繋がらなかったようで、携帯をポケットにしまった。
「だめだわ。電源を切ってるみたい」
「俺、今から思い当たるところ探してくる」
 俺が席を立つと睦月も
「私も探すわ。お互い携帯で連絡を取り合いましょう」
 と言ってくれた。
 三姉妹捜索が始まった。



 睦月と別れた俺は真っ先に自分の家に向かった。まさか、家の扉の前にいるんじゃないだろうか。いたずら好きなやつらのことだ。帰ってきた俺を驚かせるためにマンションに隠れているかもしれない。しかし、自宅前に到着したが連中の姿は見当たらなかった。
 くそ! まさか誘拐? あの三姉妹は香澄に似て整った顔をしているし、変質者に狙われてもおかしくない。
 だが、なんとなくそうじゃない気がした。多分俺の近くにいる。そんな気がするのだ。
 自宅のマンション周辺や、付近の良く出入りした店を捜しつくした後は、かつて遊んだ遊園地に向かうことにした。あいつらかなり喜んでいたからな。
 駅に向かって思わず走り出した。もう、かっこつける余裕なんかこれっぽっちもなかった。必死だった。本気であの三姉妹が心配だった。
 遊園地に到着したころには、もう夕方になっていた。入場ゲートは帰りの客で溢れていた。ゲートの係員へと走り寄る。
「あのっ! ここにこんな子供たちが来ませんでしたか?」
 何日か前に撮った三姉妹の写真を見せて尋ねた。が、さすがに大量の客を見ているためにわからないと言って首をふられた。そして、事情を話すと園内を探す許可を出してくれた。
「ありがとうございます!」
 思い当たる場所へと走り出す。あの日みんなで回ったルートを辿る。
 睦月は睦月で思い当たる場所を探してくれていて時々連絡を送ってくれるがまだ見つからないとのことだった。母親にも電話したが、三姉妹はまだ帰ってきていない。
 もやもやとした不安で押し潰されそうになる。あいつらに何かがあったら。くたくたになった体を無視して必死に走った。
 タコの出てくるボートツアーのアトラクション入り口に辿り着いた。が、しかし三姉妹は見つからない。ここじゃないのか。時間の経過と思い当たる場所が無くなっていく事実が大きな焦りを生み出し、冷静に考える余裕を奪い去っていく。
 もうこの遊園地しか思いつかない。ここのどこかにいるに違いない。いなければ困る。頼むからいてくれ。そんなわけのわからないことを呟きながら、次のアトラクションへと走り出す。
 急流滑り、ショーのステージ、タイムトラベルのアトラクション。思いつく限りの場所を探し回った後、再び入場ゲートの前に一人で立っていた。
 いない。三人ともどこにもいない。
 絶望的な喪失感と共に、遊園地を後にした。



 俺達を救ってくれたのは、睦月だった。

     

 遊園地から帰ってくると、睦月から電話があった。
「……見つけたわ」
「――――ッ! どこにいた!」
「うちの神社の中」
 なんでそんなところに!
「わかった! 今から向かう。……助かった。マジで本当にありがとう」
「お礼はいいから。それより早く来てあげて。あの子たちにはあなたが必要なんだから」
 そう言って睦月は電話を切った。



 俺が神社に辿り着くと、すっかり暗くなった神社の入り口で睦月が立っていた。
「早く行って」
「……ああ」
 睦月も必死で探し回ってくれていたのだろう。いつも綺麗に手入れされている髪はくしゃくしゃになっていて、顔には疲労が浮かんでいた。
「本当にありがとうな」
「感謝なんかする必要ないわ。真っ先にうちの神社を探せば良かったのに、こんなに気付くのが遅くなるなんて……。ほんと死にたいくらい馬鹿だったわ。私。ほら! さっさと行きなさい。神社の中にいるから」
 睦月に言われ、俺は神社の中へと踏み込んだ。木造で古びた神社の中は、明り取りから差す月光に照らされている。その隅っこに、怯えるようにして三人は蹲っていた。
「なあ」
「――ッ!」
 三人がびくりと震えた。
「どうして、神社に来たんだ」
 少しの躊躇いの後、凛々香が震える声で言った。
「お母さんとお父さんは――っ。死んだ人は神様のところにいるって睦月さんが言ってたからっ」
 その言葉に鈍器で殴られたかのように思考が固まった。
「もっと桐緒と一緒にいたいよっ」
 かける言葉を失った。
 こいつらの両親は今年の春――交通事故で死去していた。三人は施設で保護され暮らしている。こんな甘えたい盛りの子供たちが突然両親を失ったのだ。寂しくないわけがない。その時香恋が言った。
「……帰りたくない」
 こいつらに対して何もしてやることができない。何もできない。
 無力さ加減に体が震えた。
 何故こいつらがこんな目に遭わなければならないんだ。
 春。香澄が死んだと聞いたとき、涙が止まらなかった。初恋なんて自分では吹っ切れたと思っていたのに。いつもいつも俺をからかって笑っていた香澄。お前は何故、こいつらに俺の存在を教えたんだ。俺をからかうためだけが目的だったのか。いや、違うだろう。結婚して以来全然会いに来なかったじゃないか。それなのに、困ったらここに行きなさいって子供たちに教えていたのは、つまり自分に何かがあったら俺を頼れって、そういうことだろう?
 だけど。無力感に歯噛みする。俺には自立した経済力がない。こいつらを引き取って育てることなど到底できないのだ。こいつらに何ができる。何をしてやれる。香澄を何を求めてこいつらを寄越した? 考えて考えて、
「――ッ!」
 三人を力いっぱい抱きしめた。
 その時、凛々香が堰を切ったように泣き出した。
「うああぁぁ……! お母さぁん……、お父さぁん!」
 それにつられるように、京香と香恋も泣き出した。
「あああぁぁぁぁ……!」
「うああああぁぁぁぁ……」
 三人はずっと俺の胸で泣いていた。優しく差し込む月の光が俺たちを包んでいた。

     

 四ヵ月後。
 八月に書いた小説は、文章が拙い、誤字脱字が多い、テンポが悪い、現実味がない、何が面白いのかわからないなど、散々な評価をもらった。ただ、睦月だけは、
「まあまあじゃない? あんたにしては」
 と、褒めて(?)くれたのが唯一の救いか。
「そろそろ冬休みね」
 睦月が言った。
「そうだな」
 十二月。冬の寒さに身を震わせながら、二人で俺の家へと向かって歩いていた。
「そろそろ来るんじゃない? あの子たち」
「――もし連中に来る気があるならそろそろだな」
 マンションの階段を上る。
「あら?」
 家の扉の前。――そこにいた三人の小さなメイドが俺に飛び掛かってきた。
「おかえりーっ! 桐緒!」
「やっぱり桐緒の傍が落ち着くわ」
「……馬の骨から夫に昇格」
「――ははっ。何だよ夫って……」
 睦月の殺気が俺に刺さる。
 その時、どうしても綻んでしまう自分の口に気付いて、思った。



 騒がしい冬が始まりそうだ。










これでこの三姉妹のお話は終わりです。読んでくださった方、コメントをくださった方ありがとうございました。

コメントに関してはコメント返信を改めて掲載します。

次回作も読んで頂ければ嬉しいです。

それでは、さようなら~。

       

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Neetsha