Neetel Inside ニートノベル
表紙

リアルな鬼ごっこ
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「鬼ごっこやる人この指とーまれ」
 リーダー格のつよし君が人差し指を立てた。
 小学二年生の夏。担任のみちこ先生は彼氏が結婚してくれないと毎日を泣いて暮らし、母は中年ばかりが若作りの格好をしている男性アイドルを追い掛け回し、妹は幼稚園児のくせに彼氏ができ、彼氏の鼻水が黄色い件について僕に散々からかわれて泣いていた。そんな夏。
「鬼ごっこなんてつまらない遊びをしている暇はない。どうして妹の彼氏の鼻水は黄色いのか研究する必要がある」
 そっぽを向いて鬼ごっこを回避しようとした僕。しかしふらふらと二人の男が間抜けな面をしてつよし君の指を握っていく。出来レースだ。ここには五人しかいないのだ。鬼ごっこを拒むことは、民主主義社会で育った僕には難しい。つよし君が勝ち誇った顔で僕を見た。知ってるぞ。この顔。ドヤ顔だ。
「ねえねえ、あのねえ」
 その時、温かくて少し汗ばんでいて、そして砂でじゃりじゃりしてる手が僕の手を握った。
「たっくんも一緒に遊ぼ?」
 ありすちゃんが僕の顔を覗き込んできた。長くて綺麗な髪が僕の男心をくすぐる。ありすちゃんは同じクラスの女子だ。僕は女子が嫌いだけど、ありすちゃんは嫌いじゃない。むしろ大好きだ。
「言われなくてもやるよ! ほら!」
そう言って、つよし君の指を握る。
「やったー!」
ありすちゃんも嬉しそうにつよし君の指を握る。
「よーし! ルールを決めるぞ!」
 得意気につよし君が仕切り始める。
「今、俺たちがいる公園と、隣のマンション周り、そして地下駐車所が範囲だ。出たら負けな。いつもどおり、鬼は十数えたら探し出す。タッチされたら逃げる側の負け。あと、今回は増え鬼な!」
 つよし君の腰巾着のまさお君とさとし君が露骨に嫌そうな顔をした。何を今更。だからお前らは馬鹿なんだ。この増え鬼は酷い搾取ゲーム。
「俺が始めの鬼になる。五時半までの二時間逃げ切ったやつはセーフ。捕まった奴は明日の給食のゼリーを始めの鬼によこすんだ。公平だろ?」
 何が公平なものか。これなら妹の彼氏を泣かせて鼻水を研究していた方が何倍も時間が有意義に使えるというものだ。ありすちゃんも泣きそうな顔をしている。
「ありすちゃん。こんなのやめよう。それより僕と一緒に妹の彼氏の鼻水採取活動をしないか? 何故か彼の鼻水は黄色なんだ。丁度、うちの家に遊びに来ているところなんだ。この謎は解き明かしたら、ノーベル賞さえ貰えるかもしれないと睨んでいる」
「おい」
その時、つよし君が嘲笑うように言った。
「逃げるのか? 腰抜け」
 その時、くるりと振り向いた。
「言ったな……」
 この男言いやがった。言ってはいけないセリフを!
「よろしい。ならば戦争だ。いいかい? ありすちゃん」
 あっさり挑発に乗った僕に少し噴き出しながらありすちゃんは頷いた。
「たっくんがやるならいいよ!」
 僕は守るぞ! 自分のゼリーを! そしてこの少女を!




つよし君はしらない。僕が二週間も前にこのゲームを予測していた事を。
つよし君はしらない。完全勝利を目指すために二週間も前から準備していたことを!

     

「ありすちゃん! 僕についてきて!」
「うん!」
 つよし君は数えるのが反則的に早い。つよし君が数え始める前にありすちゃんの手を引っ張って、地下駐車場へと走り出す。
 つよし君は足が早い。対して、ありすちゃんは断トツに遅い。
 まともに平地を走れば負けることは明らかであるため、まずは地下駐車場の暗闇に隠れる! これが僕が編み出した定石。車の影が完全な闇に包まれるそこは隠れ家としては極上である。
「いいかい、ありすちゃん。声は出しちゃだめだよ。見つかったら終わりだからね」
「うん」
 つよし君の作戦は解っている。まずはまさお君とさとし君を速攻でタッチして、軍団を作るんだ。それで三人掛かりで僕を捕まえる。いつもそのパターンだ。
「何度も同じ手にかかるか、ごりらが」
「たっくん、しゃべっちゃ、だめー!」
「ごめんね。ありすちゃん」
 その時、静かな地下駐車場に足音が響いた。
「おーい、たっくん。ありすちゃん! どこだい? 僕も一緒に逃げていいかい?」
 これは卑怯者のまさおの声だ。
 仲間に入れてあげようよと言いたげにありすちゃんが僕の手をギュッと握った。
「だめだよ。ありすちゃん。ここはやり過ごすんだ」
「僕はまだ捕まっていないよ。嘘じゃないよ!」
 黙れ! ペテン師め! 純真なありすちゃんは騙せても僕は騙されないぞ。
 その時、ありすちゃんが、影から出ようと立ち上がろうとした。
「ん――っ」
 咄嗟にありすちゃんの口を抑えて、しゃがみ込む。そのまま、動けないようにぎゅっと抱きしめた。
 耳元で囁く。
「だめだって。ありすちゃん僕を信じて?」
 ただでさえも暑い季節に狭い空間で抱きしめているとさらに暑くなってくる。なんだか体が熱くなったのはきっとその所為だ。
 ありすちゃんは激しく首を縦に降った。
 そうこうしているうちにまさお君はどこかへ消えた。当然だ。この場所を知っているのは僕と、つよし君の二人だけなのだから。
「そろそろ移動しよう。つよし君がここに来たら見つかる」
「うん」
 ふふふ。とっておきの隠れ場所があるんだ! 精々探し回っていろ! ゴリラつよしめ!

     

そこは、柊の生垣にぽっかりと空いた空間だった。入るには相当痛い思いをする。
「ありすちゃん! 葉っぱが痛いかもしれないけど、早く隠れるんだ!」
「ええええ……! 痛いよう……」
「大丈夫! 僕を信じて!」
ありすちゃんはなんとか、生垣の中に入り込んだ。あとは僕が入るだけ。その時、恐ろしくむかつく声が上がった。
「つよし兄ちゃんたち! いたよ! あの馬鹿がそこにいるよ!」
 そこには黄色い鼻水を垂らした幼稚園児がいた。あれは! 妹の彼氏! つまりつよし君の弟だ!
 くそ、つよし君のやつ! 弟を使って人員を増やすとは卑怯な!
「でかした!」
 その声に引き寄せられて、つよし君とまさお君とさとし君がやってきた。
 急いで柊の生垣に逃げ込む。体のあちらこちらが硬い刺のついた葉にえぐられて血が出た。正直泣きたい。
 だが、ここに逃げ込めば勝利条件はクリアだ。正直、鬼のスタート地点に限りなく近いこの生垣に入り込む事が最難関だったのだ。
「ははは! 捕まえられるものなら捕まえてみろ!」
「言ったな! たっくんを捕まえたらゼリーを返してやるぞ! まさお君、さとし君行くんだ」
 ゼリーの誘惑に駆られて、腰巾着の二人がふらふらと生垣に近づいていく。――その瞬間。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「くせえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
二人の足は深い落とし穴に嵌っていた。そこには妹が趣味で集めてきたものがいっぱい入っている!
「うんこだあああああ!」
さすがにつよし君もびびったようだ。
「臭い! 俺に近づくな!」
僕は知っている。妹があの鼻水小僧を好きなのは、鼻水がウンコみたいな色をしているからだって事を。
 妹が集めてくるウンコの量は半端ではない。
さとし君とまさお君の靴からは非常に香ばしい匂いがむんむんと漂っていた。それはそれは酷い匂いだった。
 阿鼻叫喚の地獄絵図を見せる二人を尻目に、つよし君は冷静だった。
「ふん。準備をしていたようだな。たっくん」
「当たり前だろ? こうなることは給食の献立が発表された時から予測していた」
「たっくんすごーい!」
 ありすちゃんが抱きついてくる。
「おい! ありす! そんなやつにくっつくな!」
 つよし君が怒鳴った。
「いや! だって私、たっくんと結婚するもん」
――その時だった。
「私を差し置いて誰が結婚するだってええええええええええええええええええええええええええええええ!」
 恐ろしい絶叫がどこからか聞こえた。
「ふふふ。お前ら……やっちまったな。怒らせちゃいけない人を怒らせたようだぜ」
 つよし君がにやりと笑った。
「ま、まさかお前! あの人を召喚したのか……!」
「ああ、そのまさかだ。準備をしていたのはお前だけじゃない。ほらよ!」
その瞬間、辞書程もある本が生垣に投げ込まれた。
重たい本は柊の葉をものともせずに僕の元へとやってきた。
「ゼクシィ……? これはまさか!」
その時、「ふしゅうううううう」と言わんばかりの鼻息が聞こえた。
「つよし君。私のゼクシィが見つかったって電話してきたけど、どこかしら」
 そこにいたのは鬼のような形相をした我らが担任みちこ先生だった。
「あそこです! 先生! たっくんが盗ったんです!」
「きえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
 その奇声にありすちゃんは怯えている。これは相手が悪すぎる!
「ち、違いますよ! 先生聞いてください」
「ゆ、ゆるさ……ん! くえええええええええええええええええええええええ」
 みちこ先生はもうすぐ三五歳だ。今の彼氏は結婚の話をすると無視するらしい。そこで必死に結婚関連の雑誌を買ったりして、アピールしているらしいが。ここまで必死だったとは!
「ありすちゃん! ここは柊を揺らして防衛するんだ!」
 お年穴――間違えた、落とし穴に嵌ってウンコまみれになってもなりふり構わず生垣に突っ込んできた先生を必死に葉っぱで攻撃する。
「ぎええええええええええ! ぎゅあおおおおおあああああああああああ!」
 さすがのみちこ先生も物理的苦痛には耐えられないらしく、生垣から逃げ出した。
「あのねえ。あのねえ。ここを逃げきったら結婚しようねー」
「だ、だめだよ、ここでそのセリフは!」
みちこ先生がまるで貞子のように長い髪を、扇風機のように振り回して突っ込んできた。
「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼおおおおおおおおおおおおおお」
 鉄板の死亡フラグありがとうございます!
こうなったら! 僕は這い寄るように突っ込んでくるみちこ先生の頭をごつんとゼクシィで叩いて怯ませた後、雑誌を生垣の外へと放り投げた。
「私の結婚があああああああああああああ!」
ぼちゃんと音を立てて糞の中に落ちた。
 みちこ先生はウンコの中からゼクシィを取りだすと放心したようにそこでへたり込んだ。
「ふふ。やるじゃないか。たっくん」
「お前もな。つよし君」
最後の最後の一騎討ち。つよし君は僕の用意した鉄壁の要塞をどう攻略する? 無理に決まっている。
「俺がその要塞を攻略するのは無理に決まっている。そう思ったな? たっくん」
「な、なんだと!」
「ふふふ。確かに、外からは無理だろう。みちこ先生をぶつけても無理だったんだ。俺が行っても無駄……。認めよう……。その悪魔的発想……!」
そこでポケットの中から一つのキーホルダーを取りだした。
「ありすー? このパンダのキーホルダー拾ったんだけど、誰のかな?」
 それは去年ありすちゃんの誕生日に僕がプレゼントしたパンダのぬいぐるみのついたキーホルダーだった。
「ああああ! それわたしの! 返してよう……」
 ありすちゃんは既に泣きそうな顔をしている。
「返して欲しければ降参してそこから出てこい。さもないとウンコつけるぞ」
 つよし君はしゃがみ込み、キーホルダーをウンコ塗れのゼクシィに近付けた。
「十数える前に出てこい。俺が数える速さ知ってるよな? ありす」
「ありすちゃん! 行っちゃだめだ! キーホルダーなんて、いくらでもあげるよ! パンダが好きならもっと大きいパンダのぬいぐるみもあげる。だからここから出ちゃダメだよ……僕は君を守るって決めたんだ……」
 するとありすちゃんはとても悲しい顔をして言った。
「あのね。あのね! だめだよ。たっくん。あれはたっくんから初めて貰った誕生日プレゼントなんだよ? 他に何をもらったって代えられないよ」
「そんな……そんな。君はそこまであのパンダを大切にしてくれていたんだね」
「ごめんね。たっくん。裏切ってごめんねえ……」
 ぽろぽろと涙を流しながら謝るありすちゃんを見て、僕は何も言えなかった。
「じゃあ……行くね」
 生垣を自ら出ていくありすちゃんは、とても小さく見えた。守ると決めた、小さな背中。僕は女性一人守れない男だった。
「くそ! くそ! 僕は自分が悔しいよ! 悔しい!」
 悔しさのあまり涙が溢れた。
 その時、妹の彼氏が黄色い鼻水を垂らしながら、笑った。
「ひゃははははは! 泣いてるよ! 小学生のくせにないてるっちょ! うぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃ」
 こいつは絶対後で虐めてやる! そう心の中で誓いながら、涙で歪んだ視界の中で、ありすちゃんがタッチされてしまうのを見た。
「降参したんだから。パンダ返して」
 ありすちゃんはぼろぼろ泣きながら、つよし君に懇願した。
「だめだ。その前に、その生垣をもう一度通ってたっくんをタッチしろ。それで返してやる」
 さすが僕とやりあえる唯一の男。最後の最後まで徹底している。僕はありすちゃんを傷つけるような防衛手段は出来ない。チェックメイトだ。
「ほら、早くいけ! ありす。パンダをウンコの中に突っ込むぞ」
 つよし君がにやにやとパンダを落とし穴の中に近付けた。
 仕方ない。自分から出よう。
 決意して、立ちあがったその瞬間。
「調子に乗るな」
ありすちゃんは低い声と共に、右足を一八〇度の角度まで振り上げると、強烈なかかと落としをつよし君の頭に振り落とした。
――ぐちゃ
つよし君の顔は落とし穴のウンコに突っ込んだ。
 その時、その場にいた全員が戦慄し、理解した。そう。だれが一番強いのかということを。


「おままごとやる人この指とーまれ」
 可愛らしい呼び声に釣られて、まさお君とさとし君がふらふらと間抜けな面をして、ありすちゃんの人差し指を掴む。
「くそ! ありすのやつ! あれは俺のセリフだったのに!」
 つよし君は不満たらたらだけど、仕方がない。ボスは替ってしまったのだ。
「あのね、あのね。つよし君、たっくん。一緒に遊ぼう?」
「あ、ああ。いいよ、ありすちゃん」
「わ、解ったよ、ありす」
 あの一件以来誰ひとり、ありすちゃんに逆らうやつはいなくなった。当然だ。つよし君をマジ泣きさせたのだ。
 ウンコに顔面突っ込ませてぐりぐりと踏みにじるありすちゃんの姿にその場にいた全員が凍りついた。そして学習したのだ。――この女が一番恐ろしい、と。
「たっくんは私の旦那さんね。まさおくんは卑怯なバッタ。さとし君は空気の役ね」
「空気!?」
さとし君が茫然とした顔をしている。
「つよし君はペットの犬ね」
「い、いいけど蹴ったり踏んだりするのはやめてくれよ」
「あのね、あのね! 大丈夫安心してね。優しくするから」
「ちょ、それ答えになってないじゃん……」
「たっくん! これからも二人で幸せになろうね!」
「あ、ああ」
 こういうありすちゃんも悪くないのかも知れない。そんなことを思った、小学二年生の夏でした。



おしまい。


ちょっと休載します。たぶん。
コメントくださった方ありがとうございます!
コメ返します!

       

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Neetsha