Neetel Inside 文芸新都
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2007年9月
ヨコスカベース、グランドゼロ

空はどこまでも青く、突き抜けている。
空気は乾いており、風は穏やかだ。
透き通った空気に満ちている秋の日、その街は空白である。
道の両側に立ち並ぶビル、その一階に設けられたショウウインドウ、街角に開かれたオープンテラスのカフェ。
どこにでもあるような平凡な街並みであったが、ひとつだけ決定的に違うことがある。
その街は、無人であった。
道にも建物にある窓の奥にも、どこにもひとの気配は無い。
そして、死に絶えているかのように無音であり、動くものもなかった。
道端にはいくつもの自動車が停車されているが、エンジンがかかっている車はひとつもない。
フランソワーズは、その静寂が君臨する街の道路をゆっくりと歩く。
車道の真ん中を歩いても、クラクションがなることもないというのは不思議な気もする。
フランソワーズは、まるで写真の中に入り込んでしまったようだと思う。
誰も動くことはないその場所は、時のとまった写真の中のようだ。
フランソワーズは、メアリー・セレスト号の伝説を思い出す。
食事の支度や洗面器に髭をそった後を残したまま、乗員が全て姿を消して海を漂っていたというメアリー・セレスト号。
この街は、メアリー・セレスト号と同じくひとびとが生活の痕跡を残したまま消え去ったようにみえる。
ただ、メアリー・セレスト号と異なるのは、ひとびとが消えた理由がはっきりとしていることだ。
ちょうど、一年前のこととなる。
この街の港に寄港していた原子力空母に対して、爆破テロがしかけられた。
空母は内蔵する原子炉の冷却装置に損傷を受けたため、原子炉を停止する。
しかし、炉の停止と同時に排出された燃料棒が高熱を発し、冷却水から酸素を奪い水素を生み出した。
その水素が爆発を起こし、半径5キロ圏内に放射性物質をまき散らしたという。
放射能に汚染された区域は、グランドゼロと呼ばれ立入禁止となった。
ただ、この街が属する島国の政府は、直接グランドゼロを調査したわけではない。
全てをコントロールしたのは、原子力空母が所属する、ユナイテッド・ステーツの軍隊であった。
だからこの島国の民は、誰も本当にテロによる事故がおこったのか、放射能がまき散らされたのか、真相を知ることはない。
とはいえ放射能がまき散らされたというステーツのアナウンスを疑うものもいなかったため、グランドゼロに指定されたヨコスカベース10キロ圏に立ち入るものはひとりもいなかった。
今、フランソワーズはそのグランドゼロを歩いている。
彼女は、歩きながら歌をうたっていた。
ひとの可聴域を越えた音によって奏でられるその歌は、誰にも知られず街を満たしていく。
フランソワーズの歌は、無人であるその街の様子を逐一彼女に伝えていた。
この街で動くものがあればそれは、歌をつうじてフランソワーズに把握されることになる。
そして今、ふたつのチームが彼女を補足するために動いているのも、判っていた。
いわゆるフォーマンセルのチームが二つ、八人からなる部隊が彼女の前後に配置されている。
たったひとりのおんなを相手に十六人とは過剰なようだが、エリア51から情報がいっているのかもしれない。
だとすれば、逆に少なすぎるともいえる。
おそらく彼らは、威力偵察をしかけてきたというところなのだろう。
そしてフランソワーズの前面に、四人の兵士たちが姿を現す。
残りの十二人は、フランソワーズからは見えない位置で待機していた。
フランソワーズは、立ち止まる。
四人の兵士は、NCBスーツに身を包んだものものしい姿であった。
顔は、大きなバイザーのついたガスマスクに隠されており表情がよめない。
彼らの手にした四丁のM4カービンはなんの躊躇いもなく、フランソワーズに向けられている。
従わなければ、容赦なく発砲するというのだろう。
兵士のひとりが、フランソワーズに声をかける。
使っている言語は英語で、あった。
「ここは放射能に汚染された、立入禁止区域だ。すぐに引き返しなさい」
いつものように銀灰色のコートを纏い、鍔広の帽子で表情を隠したフランソワーズは紅い唇を笑みの形に歪める。
兵士たちは、まるで有閑マダムが散歩にきたようなその風情に、少したじろぐ。
「おかしいわね」
おとこたちが応える前に、フランソワーズはかってに言葉を続ける。
「わたしのガイガーカウンターが、壊れているのかしら。ここの放射能は、東京以下なんだけれど」
「当然、場所によって汚染濃度は異なる」
兵士は、落ち着いた口調で応えてきた。
「ここより先に進めば、命の保証はしかねる」
「それは、撃たれるってことかしら」
兵士は、肩を竦める。
「もちろん被爆によって、死ぬってことだ。ただ、指示に従ってもらえないなら、あなたの身柄は拘束する」
「なぜ? この先には何かがあるのかしら」
フランソワーズは、平然とした口調で問いかける。
兵士は、静かに言った。
「軍の機密に関することで、応えられない」
フランソワーズは、そっと微笑んだ。
「この先に、軍の機密とされているものが、あるということなのね」
おとたちは、正確にフランソワーズをM4カービンの射線上にとらえている。
しかし、いきなり撃つようなことはしなかった。
拘束して排除することを、試みるつもりらしい。
三人の兵士がM4カービンで狙っている状態で、ひとりの兵士が近づく。
フランソワーズが探る限り、スナイパーはいなさそうだ。
しかし、目の前の兵以外に、十二人の兵が彼女に照準をあわせている。
兵士は無造作に、フランソワーズの腕をつかもうとした。
ひとの耳には聞き取れない歌が、少し密度をあげる。
兵士は、腕をつかもうとしてあげた手を途中でとめていた。
バイザーで顔は見えないが、立ったまま意識を失ったかのようだ。
不振に思った残りの三人が、フランソワーズに近づこうとする。
しかし、その三人もマネキンのように動作の途中で凍りつく。
フランソワーズの周囲だけ、時間が止まったようだ。
異変に気がついたらしい四人の兵士たちが、前方の建物のかげから姿を現す。
また、後方の八人も姿を現していた。
フランソワーズは、満足げに紅い唇を歪める。
前方の兵士たちは、M4カービンを撃つつもりらしく肩付けをしていた。
フランソワーズは、叫ぶ形に口を開く。
無色透明でかつ無音の爆発が、起こった。
道路からは砂塵が巻き起こり、小規模な竜巻が起こる。
前方の建物は窓ガラスを打ち砕かれ、光の破片を撒き散らす。
四人の兵士は、カービンを撃つことなく地面に倒れ臥した。
フランソワーズは銀灰色のコートを翼のようにはためかせ、跳躍する。
サイボーグ化の深度が深くないフランソワーズではあったが、普通のひとと比べると遥かに速い跳躍であった。
その速度は、野生のガゼルを思わせる。
残った八人の兵士が、一斉にM4カービンを撃ったがフランソワーズの速度に追い付かない。
フランソワーズは跳躍しながら空中で身を反転させると、もう一度叫ぶように口を開く。
もう一度爆風がおこり、透明の力が兵士たちに襲いかかる。
路駐されていた自動車のボンネットが、吹き飛んだ。
見えない腕に薙ぎ倒されたように、八人の兵士は倒れる。
フランソワーズは着地すると同時に、走りはじめた。
身体の動きは最小限であるが、短距離走者なみの速度があるため宙を飛んでいるように見える。
走るフランソワーズの影から、黒い犬が姿を現した。
黒犬は、フランソワーズと並んで走りはじめる。
(何体いるんだい、フランソワーズ)
頭の中に語りかけてきたイワンに、フランソワーズがこたえる。
「四足歩行ロボットが、四体。5.56ミリの自動ライフルと、20ミリの対人用榴散弾を装備している」
(思ったより、貧弱な装備だね)
フランソワーズは、苦笑した。
「ハインリヒやジョーなら平気でしょうけど、わたしならかすっただけで動けなくなるわよ」
黒犬は、ちらりとフランソワーズを見る。
(意識をもった兵士は苦手だけど、ロボットなら僕のサイコキネシスでなんとでもなる。まかせて)
イワンの言葉が頭で響き終わると同時に、前方で閃光がはしる。
灰色の廃墟となった街を切り裂く四本の光が、フランソワーズたちのほうへ向かっていた。
対人用榴散弾である。
四本の赤い光は、緩やかな放物線を中空に描きつつ向かってきた。
黒犬の瞳が、一瞬黄色い輝きを宿す。
四つの光は、目に見えぬ壁に弾かれるように軌道を変えた。
フランソワーズは、イワンのサイコキネシスが上手く働いたことにそっと安堵の吐息をもらす。
50メートルほど先の道路に、四体の四足歩行ロボットが姿を現したのを認め、フランソワーズは道からそれるよう進路を変えた。
三発の対人用榴散弾は、フランソワーズたちから逸れてビルの壁にあたり爆煙をあげる。
四足歩行ロボットは、フランソワーズたちをめがけ自動ライフル撃ってきた。
しかし一発の対人用榴散弾が、軌道をロボットたちに向けたのを認識したらしく、射撃を停止し回避運動をはじめる。
対人用榴散弾はロボットたちの近くに路駐していた、大型セダンに命中した。
ガソリンタンクに直撃したらしく、派手な爆音が響き炎が吹き上がる。
爆風がセダンの部品を吹き飛ばし、近くにいた二体の四足歩行ロボットを薙ぎ倒す。
二体のロボットは、道路に沈みそのまま火焔に巻き込まれた。
それでもまだ、二体のロボットはフランソワーズたちに向かって走ってくる。
フランソワーズは、黒い犬をつれて横道にそれた。
路駐されている、ワンボックスカーの影に隠れる。
二体のロボットは獲物を追う猟犬のように道路を駆け、フランソワーズたちの前に姿を現した。
その瞬間、突然路駐されていた大型バイクがエンジン音を轟かせながらロボットの一体に襲いかかる。
前輪を浮かび上がらせて金属の野獣となったロボットに襲いかかったバイクは、ロボットを道路に沈めた。
衝突の衝撃で火花が散り、それがバイクのガソリンに引火したらしくロボットはバイクごと炎につつまれて動作を停止する。
最後に残った、一体の四足歩行ロボットはフランソワーズたちの前まできた。
しかし、ロボットは攻撃することなく、フランソワーズたちの前に佇んでいる。
(そのロボットを、ネットワークから切り離して孤立させた。こいつのスタンドアロンシステムを、ハックできるかい、フランソワーズ)
フランソワーズは、馬鹿にしたように鼻をならす。
「そんなの、とっても簡単」
フランソワーズはポケットから取り出した携帯端末を、ロボットのメンテナンス用ポートにLANケーブルで接続する。
フランソワーズは、携帯端末を操作した。
ロボットは一度停止し、動きを止める。しかし、すぐに再起動し動き始めた。
歩き始めたフランソワーズの後ろをついいて歩いてゆく。
黒犬と金属でできた犬、フランソワーズは二頭の猟犬をつき従えた狩猟の女神となる。
フランソワーズたちは、メインストリートへ戻ると再び走り出す。
(これで終わりというわけでは、無いだろうね)
イワンの言葉に、フランソワーズは皮肉な笑みをみせる。
「前菜すら、出てきてないと思うわ」
やがて、ゆくてに巨大な建物が見えはじめる。
おそらく、巨大な塔の基礎となる部分のようだ。
通常のビルであれば二十階分の高さをもった城壁のような構造物が、円形を成している。
その円は、半径が百メートル以上はありそうだ。
まだ建築中らしく、上部からは巨大なクレーンが幾つもつき出している。
その建物をみたフランソワーズは、バベルの塔という言葉がこころに浮かび上がった。
もし完成するようなことがあればとてつもない高さになりそうだが、そうなるまで何十年もかかるのではないかと思う。
その「バベルの塔」に向かって道路は真っ直ぐのびているが、直前で封鎖されている。
バリケードで封鎖した道路の警備を行っているのは、四足歩行ロボットだ。
十二体が、存在している。
先程フランソワーズたちを襲った四足歩行ロボットより、一回り大きい。
犬というよりも、虎かライオンほどの肉食獣のサイズだ。
頭に相当する部分に、自動ライフルが装備されているのは同じだが、背中にはミサイルキャニスターがつけられている。
サイズから見て、ジャベリンのような対戦車ミサイルが四機格納されているようだ。
(あれは、僕の手にあまるな)
フランソワーズは走るのをやめ、歩きだす。
サイコキネシスでものを動かすと、手でものを動かしたときと同じくらいの体力を消耗する。
裏返していえば、腕力以上の力が必要とされるものは、動かすことができない。
対人用榴散弾ではなく、推進剤を使用して赤外線センサーで追尾するミサイルの軌道を変えるのは無理がある。
しかも、サイコキネシスで複数のものを同時に動かすのは限界があった。
せいぜい、五つくらいが限界である。
十二体が同時に対戦車ミサイルを発射すれば、避けようがない。
フランソワーズは、それでも顔色を変えず平然とロボットたちに向かって進む。
黒犬と、金属の犬もそれに従う。
間違いなく対戦車ミサイルの射程には入っているのだが、ロボットたちは撃ってこない。
フランソワーズがロボットたちの手前十メートルまで近づいたとき、ロボットたちは礼をするように前足を畳み頭を垂れた。
(君の仕業だね、フランソワーズ)
イワンが、称賛するような調子で語りかける。
フランソワーズは、穏やかに微笑んだ。
そして傍らを歩む金属の犬に、手を触れる。
「この子をネットワークに接続して、センターシステムをハックしたのよ」
フランソワーズは、くすくす笑いながらロボットたちの間を通り抜ける。
「USアーミーのシステムは、相変わらずセキュリティホールだらけだわ」
フランソワーズと黒犬は、バリケードも通り抜け「バベルの塔」の正面に立った。
「さて」
フランソワーズは、そっと首をかしげる。
「この塔に入るための審査に合格していれば、いいのだけれど」
フランソワーズの言葉に答えるように、「バベルの塔」の正面の扉が開いた。
(オーディションには、合格したということかな)
フランソワーズは、くすりと笑う。
「そうであることを、祈るわ」

       

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