Neetel Inside 文芸新都
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フランソワーズと黒い犬は、「バベルの塔」へと続く階段を昇っていく。
その階段を昇りきったところに、開かれている巨大な扉があった。
金属で造られた重厚な扉を通り抜け、塔の中へと入り込む。
フランソワーズは、目の前に開けた景色に目眩をおぼえる。
彼女は間違いなく、この景色をみたことがあった。
あの日。
ベトナムの、カーツ大佐が支配していたブラックゴーストの基地。
そこの地下でみた景色と、全てが同じであった。
高い天井の下、細長い広間がある。
その場所は、礼拝堂にとてもよく似ており荘厳な空気に満たされていた。
とても高い位置にある窓から、清浄な光が降り注ぐ。
壁には装飾はなく、無愛想な剥き出しのコンクリートは太古の神殿の壁を思わせる。
フランソワーズは、全くひとの気配がない広間をゆっくり奥に向かって進んだ。
突き当たりの礼拝堂であれば十字架があるべき場所は、ベトナムの地下と同じで空のステージがあるだけだった。
ベトナムの地下では、そのステージにカーツ大佐が待ち構えていたが、ここは影につつまれておりそこに誰がいるかは見ることができない。
もちろんフランソワーズであれば「歌」をアクティブソナーとして使って、影の中をみることもできた。
しかし、彼女はそうしない。
そうするまでもなく、そこにいるのが誰か知っていたからだ。
フランソワーズがステージの前にたどり着き、その前に立った瞬間ステージへ光が差し込む。
そこには、ひとりの少年が立っている。
その少年の、栗色の巻き毛が額にたれ少女のように薔薇色の唇をした顔は、彼女がよく知るひとと瓜二つだった。
フランソワーズの知るひと、ジョー・シマムラの顔を少年はもっている。
少年は、喜びに満ちた笑みを浮かべた。
「ようこそ、よく来てくれましたね。お母さん」
声もジョーと、同じである。
その言葉を聞いたフランソワーズは、眉間にシワをよせた。
「見ず知らずのひとから、母親と呼ばれるのは不愉快だわ」
「それは失礼しました」
少年は悪びれずに、謝罪する。
「でも、僕が誰かは知ってるのでしょう。フランソワーズ」
フランソワーズは、挑むような眼差しを少年へ向ける。
「ええ、サイボーグ・アルファ」
アルファと呼ばれた少年は、満足げに頷いてみせた。
「ではフランソワーズ、君はサイボーグ・アルファの意味を理解していると思っていいのかな?」
フランソワーズは、皮肉な笑みを浮かべて頷いた。
「わたしたちゼロゼロナンバーは失われたイスラエルの十支族に対応している。なぜならロズウェルでグレイが人類に託したナノマシンは、十支族の遺伝子に適合するように造られていたから。あなたは十支族のうちひとつと、残りの全ての支族に対応したナノマシンを身体に組み込んだサイボーグの完全体」
アルファは、上機嫌に笑った。
「正解だね」
フランソワーズは、刃の輝きを宿す冷たい瞳でアルファをみつめる。
「ひとつ、聞いていいかしら」
アルファは、頷く。
「何かな」
「あなたは、ブラックゴーストを影で操っていたロスチャイルドに協力して、そのサイボーグとしての完全体を手に入れた。なぜ、ロスチャイルドを裏切ったの?」
アルファは、一瞬驚いた顔になった。
その後、突然はじかれたように笑い出す。
アルファはひとしきり笑い終わったあと、真顔にもどった。
「フランソワーズ、君は子供のころ君に牛乳を与えてくれていた牛を殺したとして、牛を裏切ったというのかい?」
フランソワーズは、軽く肩をすくめた。
「サイボーグとひとは、同じレベルではないから、そもそも契約も成り立たないというのね」
「僕らは、イスラエル。神と戦うもの。モータルという神から与えられた宿命と抗い、それを超えて自らを産み出そうとする」
アルファは、少し遠くを見る目をした。
「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない」
そして、再び笑みを浮かべる。
「今こそ、その日、その時がきたのですよ。フランソワーズ」
フランソワーズは、薄く笑う。
「シャンバラの民が、ひとを滅ぼすために地上へ戻ってくる。それが、その時」
フランソワーズは、嘲るような輝きを目に浮かべた。
「で、あなたは、何をするの。シャンバラの民と戦うというの」
アルファは、目をみひらく。
「シャンバラと戦う?とんでもない。彼らは僕らと同じイスラエルであり、サイボーグだよ」
フランソワーズの目が、昏くひかる。
「では、彼らと一緒になってひとを滅ぼすの?」
アルファは、肩をすくめる。
「それもナンセンスだなあ。僕とシャンバラのひとびととの間には、見解の相違がある」
フランソワーズは、苦笑を浮かべた。
「へぇ?」
「彼らはひとが互いに争って、核兵器を使った戦争をおこし地上を取り返しのつかないほど汚染してしまうことを、おそれている。そして冷戦体制が崩壊することによってパワーバランスが崩れて危機が深まったと思っている」
フランソワーズは、そっと頷く。
「その通りだと、わたしも思うわ」
アルファは、やれやれと首をふる。
「核戦争なんて、おこりはしないよ。だって、この僕がいるんだよ」
朗らかに言ってのけたアルファを、フランソワーズは呆れたように見つめる。
「あなたがひとの王となって、支配するっていうわけ?」
アルファは、小バカにしたように指をふってみせる。
「いやいや、むしろひとという子羊の群れを、導くと言ってほしいな」
フランソワーズは、うんざりした顔になった。
「つまりあなたは、ひとを家畜として飼育するといいたいの?いくらサイボーグだって」
「君はさ、フランソワーズ」
アルファは、上機嫌な笑みで彼女の言葉を遮った。
「歌でロボトミーを、することができるよね」
フランソワーズは、口許に悪意を浮かべる。
「全人類に、歌を聴かせ続けるとでもいうの」
アルファは、顔を得意気な笑みで満たしている。
ジョーと同じ顔がそんな表情を浮かべることに、フランソワーズはおぞましいものを感じた。
「僕はイワンと同じように、ナイトヘッドと呼ばれる領域を、使うことができる」
黒い犬の瞳が黄色くひかり、頭の中にイワンの声が聞こえてくる。
(サイキックで歌を伝達するのは物理的な歌より効率は、いいだろうけれどね。世界中に響かせるのはとても無理だ)
アルファは、楽しげな笑みを崩さない。
「全人類に聴かせる必要は、ないね。この世界を実質的に支配しているのは、ほんの数パーセントのひとびとだ。そいつらをまず、支配下におければいいさ」
(それにしても)
イワンは、落ち着いた声を響きかせてくる。
(数万人はいるのだろう。ロケーションも地球上のいたるところに、散らばっている)
「判ったわ」
フランソワーズは、陰鬱な声で語る。
「このバベルの塔が、人工的なナイトヘッドというわけね。そしてそれをフル稼働させるために、全てのサイボーグを部品として組み込もうとしている」
アルファは、子供のように無邪気で楽しげに笑った。
フランソワーズは、ジョーの顔をした少年が笑うのをこころが踏みにじらるような思いで、みつめている。
「で、君はなぜここに来たんだい。フランソワーズ」
フランソワーズはこころの内をみせない、怜悧な瞳でアルファを見つめた。
「わたしは、ロスチャイルドと契約している。彼らは自分たちが巨費を投じて実現させたサイボーグ・プロジェクトを、自分たちの手に取り戻したいと思っているわ」
「嘘は、よくないな」
アルファは、無邪気な笑みを浮かべている。
「少なくとも、簡単に見抜けるような嘘はつくべきじゃないね」
フランソワーズは、ため息をつく。
「では、何が真実だというの? アルファ」
アルファは、大きな笑みを見せた。
それは魂を手に入れんとする、悪魔の微笑みでもある。
「なぜ、ジョー以上に深くサイボーグ化された僕が、狂わずにいるのか。それを知りたいのだろう、君は」
フランソワーズは、うんざりするように応える。
「あなたは、わたしに教えてくれるの?」
「もちろん」
アルファは、受け入れるように両手をひろげる。
「君が、僕に協力してくれるなら、よろこんで教える」
「わたしはあなたと決して、考え方が相容れることはない。だから」
フランソワーズは、鋼の光を瞳に宿した。
「あなたと戦って、奪い取ることにするわ」
アルファは、声をあげて笑った。
とても楽しげで、ナイーブな笑い声である。
「フランソワーズ、一体どうやって僕に勝つというんだ。君は、戦闘用ではないんだよ。それに、イワンの力と同等以上のサイキックを僕は、操れる」
「嘘は、よくないわね」
フランソワーズの言葉に、アルファの顔から笑みが消えた。
「少なくとも、簡単に見抜けるような嘘はつくべきじゃないわよ。あなたのサイキックは、せいぜいイワンと同レベルかそれ以下。だからあなたは、わたしたちの協力を必要としている」
アルファの瞳に、はじめて酷薄な光が宿った。
「まあ、確かにそうだね。ソロモン第三神殿は、未完成だ。でもね、フランソワーズ」
アルファは、一歩進み出た。
彼に浴びせられていた光より前に出たため、アルファの身体は影につつまれる。
しかし、その瞳だけは凶星の輝きを帯びて光っていた。
「君とイワンを力でねじ伏せるなんて、とても簡単なことだよ」
「いつわたしたちは、ふたりだけで来たといったかしら」
フランソワーズの言葉に、アルファの瞳が大きく広げられる。
その瞳は、フランソワーズをとおりこして入り口のほうを見つめていた。
フランソワーズは少し俯いて、そっと微笑む。
アルファの顔を、複雑な表情が通り抜けた。
それは怒りとも悲しみとも、あるいは喜びとも妬みともとれるような、不思議な表情である。
やがてそれらの表情は全てすぎさり、もとの笑みが戻ってきた。
アルファの瞳には、ひとりの人影が映っている。
入り口から差し込む光を背にうけ、影に包まれたそのひとの表情はうかがうことができない。
けれどそのひとが、マルーンレッドのコンバットスーツに身を纒い、山吹色のマフラーを靡かせているのは判る。
マルーンレッドの人影は、次第に近づいてきた。
アルファは、パーティを主催するホストのように楽しげな声でそのひとを迎える。
「ようこそ、よく来てくれました、お父さん」
人影は、光の中に姿を現す。
フランソワーズは振り向いて、そのひとを確かめた。
亜麻色の髪が額にかかり、栗色の瞳が物憂げな光を宿す。
少女のように繊細な顎の線の上、薔薇色の唇がどこか悲しげな笑みをみせた。
「久しぶりだね、フランソワーズ」

       

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