Neetel Inside 文芸新都
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2007年9月
テキサス州エルパソ

少年は、ガレージの中に足を踏み入れる。
エルパソのオールドタウン、そこの片隅にあるこのガレージはとても雑然としていた。
一応、バイクショップとしての看板は表に出ているが、中はただのジャンクヤードにしか見えない。
分解された車体や、取り外されたエンジン、色々な工具や部品が整理されずに並んでいるだけではなく。
アフリカの呪いに使うような仮面や、インディアンの精霊を顕しているような人形。
東洋のものであるらしい衝立に、ヨーロッパのどこかからきたような木製家具。
ここの主が、世界中を巡って収集したガラクタも放置されているような気がする。
少年は、足元に気をつけながらガレージの奥へと入っていく。
褐色の肌に黒い髪、黒い瞳、しかし顔の形は彫りが深くメスティーソのように見えた。
少年は、奥の事務所に向かって声をかける。
「セニョール、セニョール・ジェット」
奥にある事務所の扉が開き、長身のおとこが姿を現す。
青い瞳に白い肌で、アングロサクソンらしく鼻が高く彫りの深い顔を持つおとこだ。
身につけたデニムのジャケットは作業着として使っているらしく、ところどころにオイルの染みがついている。
頭にテンガロンハットを載せており、白くなった髪はその帽子に隠されていた。
老いたというほどに年はとっていないように見えるが、顔に刻まれた皺は決して若いとはいえないことを示している。
しかし年の割には気さくな性格らしく、穏やかな笑みを少年に向けた。
「よお、ホンダの修理なら終わっているぜ」
ジェットと呼ばれたそのおとこは傍らのシートをめくり、その下にあるホンダのオフロードバイクをむき出しにした。
少年は、嬉しそうに微笑む。
「ありがとう、セニョール・ジェット」
「それにしても」
ジェットはポケットから煙草を取り出すと、唇に咥える。
「このあたりでこんな小さなバイクに乗ってるのは、お前くらいだろう」
少年は、苦笑した。
「大人になって稼げるようになったら、デカいバイクを買うさ。その時セニョールの店がまだあれば、ここで買うよ」
ジェットは苦笑を返しながら、煙草に火を点ける。
「ああ、店を潰さないようせいぜい頑張るよ」
少年は、バイクに跨るとエンジンをかける。
ホンダは、快調なエンジン音を響かせた。
「おい、どうやってここまで来たんだ? 歩いて来たわけでもないだろ」
「ヒッチハイクだ。道を教えるついでに、車に乗せてもらった」
ジェットは、驚きと共にガレージの外へ目を向ける。
外の光を背に受け、逆光で黒い影となっているひとがいた。
シルエットから判断すると、おんなのようだ。
ジェットは、少し目を細めた。
おんなは数歩進み出て、ガレージの蛍光灯に身を晒す。
ジェットは懐かしそうに、笑った。
「よお、フランソワーズ。久しぶりだな」
銀灰色のロングコートを纏ったそのおんなは、笑みを浮かべてうなずく。
幅広の帽子に隠されているが、その顔にはジェットと同様に深い皺が刻まれている様だ。
老いたというまではいかないが、若さはとうの昔に置き去りにしてきた年齢にみえる。
「またね、セニョール」
少年はジェットに向かって手を振ると、ホンダを発進させる。
ジェットは、その背に叫んだ。
「今度は転ぶんじゃねぇぞ」
少年はギヤを入れ前輪を多少浮かしながら、表へ飛び出す。
ジェットは、それを見送るとゆっくり煙草の煙を吐きながらフランソワーズを見る。
「車を、中に入れなよ。路駐のままにしておくわけにも、いくまい」
フランソワーズは頷くと、ガレージの外へと消える。
入れ替わりに入ってきたカブリオレを見て、ジェットは軽く口笛をふく。
貴婦人が持つ優美で美しいボディラインを描いた、スポーツカーであった。
ワインレッドの赤いボディは、気品を漂わす。
美しい外見にはそぐわない、獰猛なエンジン音を響かせている。
「シトロエンD21じゃないか、まさかオリジナルじゃないだろうな」
オリジナルであれば、70年代ごろに作られた車ということだ。
30年以上の月日を生き抜いた、老戦士ということになる。
自分ならそんなメンテナンスが面倒そうな車は、ごめんだなと思ってしまう。
フランソワーズは、エンジンを切って車を降りると涼しげな笑みを浮かべた。
「言っておきますけれど」
フランソワーズは、腰に手をあて少し悪戯ごころを含ませた笑みを浮かべる。
「メカニックのメンテナンス技術は、あなたより上だと思うわよ」
ジェットは、苦笑した。
「なんにでもコンピュータを組み込めばいいと思っている今の時代は、どうも好きになれないんだよな」
ジェットはわれながら、なぜこんな言い訳をしてるんだろうと思いつつ、フランソワーズを手招いた。
「とりあえず、中に入りなよ。コーヒーでも入れよう」
奥の事務所は、ガレージと違いとても片付いている。
殺風景な部屋といっても、いいくらいだ。
無造作に長い事務机が置かれ、その奥にデスクトップコンピュータの設置されたワークデスクがある。
ジェットは、事務机のそばにある椅子を指さす。
「まあ、座ってくれ」
腰を降ろしたフランソワーズの前に、ジェットはマグカップを置く。
そして、パーコレーターからコーヒーを注いだ。
こころを落ち着かせる香りが、部屋を満たしていく。
「豆はメキシコ産だが、フルシティローストで焙煎した。味は、悪くないと思うぜ」
フランソワーズは、マグカップを手にする。
ジェットは、彼女の眼差しがコーヒーに向けられていないことに気がつく。
ワークデスクの後ろにある壁にかけられた写真、フランソワーズの目はそこに向けられている。
とても古い、写真のようだ。
カラー写真を引き伸ばしたもののようだが、既に退色してしまいセピア色に近づいている。
古い思い出にふさわしい、色褪せぶりだ。
そこには、8人のコンバットジャケットを纏った兵士が写っている。
コンバットジャケットはマルーンレッドに染められており、いわゆる軍装とはおもむきが異なっていた。
皆、首に山吹色のマフラーを巻いていた。
まだ若い、少年少女といってもいい年齢にも見える兵士たちである。
そして、少年のひとりはジェットの面影を持つ。
また、フランソワーズの面影を持った少女もいた。
フランソワーズは、まだ乳飲み子のように見える子供を胸に抱いている。
そして、中央にはひときわ目立つ少年がいた。
少女のように、繊細な顔立ち。
少年らしく、凛々しい眼差しを持っている。
顔の形は東洋人のようだが、髪は亜麻色で瞳はブラウンだ。
人種は様々な少年少女たちであったが、その写真からチームとしての一体感のようなものが感じられる。
そんな写真だ。
ジェットは、少し苦笑する。
「この写真だけは、どうにも捨てられなくてね」
フランソワーズは、マグカップに口をつける。
「おいしいわ、ジェット」
フランソワーズは、悪戯っぽく笑う。
「多分、あなたバイク屋より喫茶店をしたほうがいいわよ」
ジェットは再び、苦笑する。
「悪い知らせがあるんだな」
ジェットの言葉に、フランソワーズは目を見開く。
ジェットは、少し懐かしむような目をする。
「フランソワーズ、君はいつも悪い知らせを言う前に、戯れ言を言うくせがあった。変わってないよな」
フランソワーズは、そっと笑みを浮かべ壁の写真を見つめる。
そして、投げ出すような調子で言った。
「チャンが死んだわ」
ジェットは新しい煙草に火をつけ、ゆっくり煙を吐き出す。
「そうか」
「香港で、交通事故にあったの」
「ああ」
ジェットは、少し眉をしかめる。
「PLA・GSDの第二部だな」
フランソワーズの眼差しは、写真に向けられたままだ。
「チャンは、協力を拒んだのよ」
ジェットは、長いため息をつく。
「ピュンマは、ダルフールで。ハインリヒは、チェチェンで。ジュニアは、イラク。皆、戦場で平和維持活動に従事して、死んだ」
ジェットは、青い眼差しを曇らせる。
「PLA・GSD・第二部、スペツナズ・アルファ部隊、CIA」
ジェットは、ため息をつく。
「やつらにしてみれば、冷戦時代の遺物ともいえるおれたちは目障りなんだろうな」
フランソワーズは、投げやりな眼差しを投げ出している。
「グレートは、違うわよ」
「ああ」
ジェットは、苦笑する。
「浮気がばれて、恋人の雇った殺し屋に殺されたんだな、やつは」
ジェットは、眉間にしわをよせた。
「どんな色男にも変身できるってのは、おとこにとって危険な能力だぜ」
フランソワーズの目に、苛立ちの色が浮かぶ。
「誰も殺される必要は無かったはずよ、うまく立ち回りさえすれば」
ジェットは困ったように、微笑む。
「まあ、そうだな。君のように生きれば、殺されることはない」
フランソワーズの瞳に、冷たい炎が宿っているように見えた。
「ジェット、チャンは紛争をなくすために、動いていたわけじゃない。彼は、ただの中華料理屋だった。それでもPLAは放っておかなかった。判るでしょ」
ジェットは冬の空を映したように青い目で、フランソワーズを見る。
「君のクライアントは、ロスチャイルドだったかな」
フランソワーズは、頷く。
「まあ、面倒くさいということだ、そういうやり方が」
フランソワーズが口を開こうとするのを、ジェットは目で止める。
「殺されるつもりはない、うまくやるさ。おれなりにね」
フランソワーズは一瞬だけ寂しげな目をしたが、結局は頷く。
もう彼らは、写真に映っている少年少女ではないし、チームでもない。
どのような決断であろうと、変えることはできなかった。
「生き残っているのはおれと君、それにジョー、そしてイワンか」
ジェットは、フランソワーズの目を見る。
「そう言えば、イワンはどうしているんだ」
「いるわよ」
フランソワーズは、自分の足元を見る。
そこには、影があった。
床に零れた黒い液体が、広がっていく。
影は、そんなふうに動きはじめた。
やがて影は平面から解き放たれ、空間の中へと浮上していく。
ジェットは、雲が湧き上がる様を連想した。
瞬く間に黒い影は、形をとりはじめる。
そこに出現したのは、黒い犬だ。
黒い毛並みは濡れた液体の輝きを、放っている。
ジェットは、感嘆の吐息を漏らす。
黒い犬は、ジェットの頭の中に直接語りかけてきた。
(やあジェット。久しぶりだね)
「やれやれ、なんでそんな姿になったんだい、イワン」
黒い犬は、満月の金色に光る目をすっと細める。
ジェットは、イワンが笑ったように感じた。
(サイコキネシスはあっても、乳幼児の身体は少々不便なのでね)
ジェットは、肩をすくめる。
「歩ける身体があるなら、影の中に潜むことはないんじゃないのか?」
ジェットの問いに答えたのは、フランソワーズだった。
「犬の身体で動き回ることはできるけれど、結局起きている時間は一日に数時間なのよ。だから眠っている間は、ディラックの海に沈んでいる」
「なんだって?」
ジェットは、眉をあげる。
今度は、イワンが答えた。
(量子化して、虚数空間に溶け込んでいるんだ。簡単にいえばね)
いやいや、どこが簡単だよと思ったが、ジェットは口にださない。
イワンは脳のナイトヘッドと呼ばれる未使用領域を活性化する能力を、サイボーグ化によってえた。
そのことによって、テレパシーやサイコキネシスといったサイキック能力を使えるが、その代償として一日の大半を眠って過ごしている。
また肉体も、サイボーグ化手術を受けた一才児の時点から、成長することはなかった。
犬の肉体をえても、そこは変わらないということだ。
多分、影に潜むのはテレポーテーションの能力を応用しているのだろうが、ジェットにはよく理解できないし理解する気もない。
ジェットは、少し首をふる。
「何にしても、その姿じゃコーヒーをすすめるわけにも、いかないな」
(ミルクなら、歓迎するよ)
ジェットは立ち上がると深めのスープ皿にミルクを注ぎ、机におく。
犬の姿のイワンは、前足を机にかけ器用にミルクを舐めていった。
「それで、ジョーのやつはどうしているんだ」
ジェットの問いに、フランソワーズは目を細める。
「相変わらずよ」
「やつはまだ、17才の姿で記憶を封印したままなんだな」
かつて9人のひとびとが、サイボーグ化手術を受けた。
それは、非合法組織による人道を無視した、人体実験である。
イワンもフランソワーズも、それにジェット、また既に死んだチャン、ハインリヒ、グレート、ジュニア、ピュンマ、彼らもサイボーグ手術を受けていた。
彼らは半ばひとであり、半ばサイバネチック・ウェポンである。
しかし、ジェットやフランソワーズはまだひととしての部分が大きく残されていた。
だから年齢に応じて、老化していく。
ジョーは、違った。
彼は最後にサイボーグ化実験手術を受けたので、それまで踏み込まなかった領域まで改造されている。
ひとの部分は、ジェットやフランソワーズ以上に削られていた。
フランソワーズは表情を見せたくないとでもいうかのように、少し目をふせる。
「彼のサイボーグ化は、あまりに深すぎる。だからひととして、老いることもゆるされない。ジョーの精神は、彼の肉体を許容することはできないの。だから、そのこころは封印したまま。多分。これからもずっと」
(僕が彼の精神をコントロールして、永遠に17才の時をループするようにした。その精神制御を解除するのは、とても危険だ)
ジェットは、少し口を歪める。
かつてひとつのチームとして共に戦った友のことを考えると、いつもこころを抉られるような気持ちになった。
イワンの判断が正しいのは、もちろん判っている。
素手でT90戦車を破壊し、F22戦闘機を撃墜できる戦闘機械に狂った精神が宿るのは、とてつもなく危険だ。
メルトダウンした原子炉なみに、やっかいな存在といえる。
殺さないという選択をするのなら、精神制御をするしかない。
けれど、それが残酷なことのように思えてならない。
ジェットはイワンを見つめ、フランソワーズを見つめる。
拳を握って、また開いた。
言うことは色々あるような気もするが、言葉にしようとするとそれは思考から逃れていく。

       

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