karte5(♂)『黄昏のマニッシュ・ボーイ』

 密会をはじめて間もないころ、五十嵐にこんな質問をされたことがある。
「中原くんは、たいせつな写真は部屋に飾っておく派? それともアルバムに入れる派?」
 派、と言われても、そんなの深く考えたことがなかった。真昼の陽射しを受けて雪解けの朝のように輝く五十嵐の腹部を指でなぞりながら、僕は自分の部屋を頭に思い浮かべた。高二のときの修学旅行の写真や中学時代の部活の集合写真など、それなりに思い出のある写真はどれも写真立てに入れて棚にディスプレイしてある。アルバムに入れるなら、新しい思い出ができてからだ。
「飾っておく派かな。これ、心理テストかなにか?」
「どっちかって言うと性格判断に近いかも」
 診察台代わりのテーブルに、長く美しい黒髪が扇状に広がっていた。その中心で、リップクリームのうるおいを残した唇がかすかに動いた。
「私はアルバムに入れる。本当にたいせつなものは、だれの目にも触れない場所にそっとしまっておくの」
 五十嵐はスカートの右側についたポケットをまさぐり、銀色のキーホルダーを僕の目の前にかざしてみせた。キーホルダーのリングにはよっつの鍵がぶら下がっていた。自宅の鍵、学校の靴箱の鍵、ロッカーの鍵、そしてうしなわれたことになっている第一理科室の鍵だ。第一理科室の鍵にはラバー素材の留め具がついていて、対応する教室の名前がラベルに刻印されている。それを見て、僕は五十嵐の突飛な質問が単なる性格診断ではないことを理解した。
「心配しなくてもだれにも言わないよ」
「そう。ならいいんだけど」
 みんな他人の色恋沙汰に目がない。もしクラスメイトに僕と五十嵐の関係がばれるようなことがあれば、容赦なくいろんな角度からつつきまわされるだろう。監視された恋の寿命は短い。僕としてもそうなるのは本意ではなかった。それに、女子には女子の苦労があるのも察しがつく。秘密主義の五十嵐でなくとも、恋人の存在を隠したがる女子生徒は多いだろう。
「このことは、僕たちだけの秘密だ」
 その日から明確に、僕たちは第一理科室の外ではただのクラスメイトとして振る舞うことになった。つかず離れず、適度に距離を保ってお互いに関心のないふりをする。だれにも僕たちの関係を知られてはならない。もちろん、第一理科室の鍵のことも。
 本当にたいせつなものは、だれの目にも触れない場所にそっとしまっておくのだ。

                    *

 いままさに、そっとしまっておいたものが暴かれようとしている。
「教えて、中原くん。五十嵐さんとつきあってるの?」
 規則的に揺れる箱の中にあって、鶴田さんの悪意のない瞳はまっすぐに僕をとらえて微動だにしない。僕は脳の信号が停止して、返事をするのはおろか、まともに声を発することもできなかった。
 五十嵐とただ一度きりのデートを楽しんだ中間試験明けの日曜日。あの日、鶴田さんも僕たちと同じ場所にいた。脳が活動を再開してその事実を受け入れるのに何秒かかかった。その間も鶴田さんは一ミリも動かずに僕の言葉を待っていた。
 答えられない。五十嵐との約束が、鶴田さんに対する後ろめたさが、上下の唇を縫いつけていた。でも、質問に答えられないのにはもっと大きな理由がある。
 僕にもわからないんだ。五十嵐との関係がなんなのかが。
 こころに不安が滴り落ちて、小さなシミをつくる。シミはどんどん広がってゆき、あっという間に肺腑を満たした。
「ごめん、いきなりおかしなこと聞いて。いまのは忘れて」
 鶴田さんが後悔した様子で微苦笑し、我慢比べのような沈黙は閉ざされた。測ったかのようなタイミングで車掌の声が車両内に響き渡る。救われた心地がした。次の停車駅は鶴田さんの地元だ。
 しかしそんなのは気休めにすぎない。鶴田さんがむやみに他人の秘密を言い触らすとは考えにくいが、このままほうっておくのはまずい。直感がそう警告していた。五十嵐とのデートを目撃された以上、遅かれ早かれなんらかのかたちで事情を説明しておくのが賢明だろう。それは僕に好意を示してくれた彼女への最低限の礼儀であるようにも思えたし、なにより僕自身が答えをはっきりさせておきたかった。
「鶴田さん」
 揺れが収まってドアが開いたとき、僕は電車を降りようとする鶴田さんの腕を引っ張った。
「近いうちにかならず、きちんと話す」
「……うん。待ってる」
 放課後の教室で日誌を書きながら鶴田さんの好意を踏みにじったあの日から、僕たちのこころの距離はぐっと開いてしまった。それでも、彼女はたいせつな友人のひとりだ。猜疑心をあたえたくない。
 乗客が入れ替わり、車掌のマイクが下車を急かす。
 じゃあね、と言って僕たちは別れた。

                    *

 僕には親友と呼べる仲間が三人いる。小林隆太、水野慧、繁原勇樹の三人だ。
 最初に仲よくなったのは水野だった。一年生の一学期にオリエンテーションで声をかけてくれたのが彼だった。彼がコバとカラオケにいくと言うのでついていったら、そこにシゲがいた。そうして僕たちは不可視の磁力によって惹かれあい、いつしか四人ひと組となった。だれかがだれかに友だちになってくれと頼んだわけでもない。現実はソーシャル・ネットワーキング・サービスとは違う。友だちになるのに申請も承認もいらない。
 恋人もそうだと、信じていた。
「困ったことになったね」
 テーブルの縁に腰をかけた五十嵐が、珍しく険しい顔になって下唇を噛んだ。口数がいつもと比べて少ない。善後策を講じているのだろうが、当惑しているのが見て取れる。なにせ秘密のアルバムに入れていた写真が他人の目に触れてしまったのだ。
 きのう、家に帰った後で、僕は話したいことがあると書いて五十嵐にメールを送った。返事がないので何度か電話をかけてもみた。しかしつながらなかった。そういうことは過去にもしばしばあった。結局、鶴田さんに秘密の尻尾をつかまれたことを彼女に伝えるのは、この日の密会まで持ち越されてしまった。
「どうしよう、まさか同じクラスの鶴田さんにばれるなんて」
「とりあえず落ち着こう。ここで会ってることがばれたわけじゃないんだ」
「落ち着いてるって」
 そう反論する五十嵐の口調にはあきらかにいら立ちが含まれていた。電話に出てくれればもっと冷静に時間をかけて対処を相談できたのに、とついむっとしてしまう。
 五十嵐の正面にあるテーブルを離れて、彼女のとなりに移動する。
「ばれたって言っても、いっしょに水族館にいるのを見られただけだ。どうとでもごまかせる。ただし、へたにごまかすと口止めしにくい。つきあったりつきあおうとしているわけでもないのにデートしていて、それを口外しないでほしいだなんて不自然だ」
「じゃあどうすればいいの」
 語気にストレスを感じさせる五十嵐をなだめようと、そっと手を重ねる。ほぼ一日悩み抜いたすえ、僕のほうはすでに腹が決まっていた。
「正直に話そう」
「でも……」
「大丈夫。鶴田さんとは去年も同じクラスだったけど、信用できる人だよ。みんなにはないしょでたまにデートしてるってことにして、ここのことは黙っておけばいい」
 第一理科室は、平時家族との摩擦や同級生への対人不安にさいなまれている五十嵐にとって神聖な隠れ家であり、サナトリウムだ。信用如何にかかわらず、第三者にこの場所を教えることはできない。
 五十嵐はつかの間沈思黙考していたが、最終的には「中原くんがそう言うのなら」と賛同してくれた。本題はここからだ。
「どう説明すればいいのかな」
「え?」
「鶴田さんに、どう説明すればいいのかな。僕たちの関係って、なんなのかな」
 その答えが知りたくて、今回のことを相談したんだ。
 密会を重ねれば重ねるほど、身体を重ねれば重ねるほど、結びつきが強くなっている実感を得られた。五十嵐にとって、僕はなくてはならないものになっている。僕は彼女の傷口を塞ぐ包帯、彼女は僕に安らぎと恍惚をもたらすモルヒネだ。そのことに疑いはない。
 だけどどういう関係なのかと尋ねられると答えに窮してしまう。放課後の第一理科室で偶然出くわしたあの日を発端として、僕たちは自動的にいまの関係になった。どちらかが告白して交際をスタートさせたわけじゃない。僕は「好きだ」というたったひと言を胸に秘めたままほしかったものを手に入れたのだ。だから、この関係がなんなのかがわからない。
 五十嵐は当初僕が望んでいた以上に僕という人間にのめりこんでいる。それは喜ばしいことのはずなのに、なぜかときどき、おぞましさを感じる。
 もしかすると、こっちは恋人になったつもりでいても、むこうはそうは思っていないのではないか。もっと異質な、異様ななにかだと思っているのではないか。鶴田さんに質問されたときからずっと、そんな疑念が頭にへばりついていた。
「恋人ってことで、いいのかな」
 だだっ広い第一理科室を埋め尽くすほどの緊張が支配していた。胸に秘めたままにしていた告白をいまごろになって吐き出した心地だった。
「私は」
 日光を跳ね返す床から顔を上げて、五十嵐が僕を見定める。
「私は中原くんをとくべつな存在だと思ってる。私と同じこころの病気に罹った、たったひとりの理解者だと。それじゃ不満?」
「いや」
 ぱっちりと見開かれた五十嵐の瞳には有無を言わさぬ迫力があり、目をそらさずにはいられなかった。たったいま、僕は告白して、ふられたのだ。
「恋人なんてただの言葉でしょ。そんな言葉で定義しなくても、手をつないで街を歩いたり記念日にプレゼントを贈ったりしなくても、私たちはこころとこころ、傷と傷で通じあっている。違う?」
「……そうだね。野暮な質問だった。鶴田さんには適当に説明しとくよ」
 聞き分けよく振る舞っていても、内心打ちのめされていた。
 これではっきりした。五十嵐は僕のことを恋人だと思っていない。順調に関係が進展していると感じていたのは思いこみだった。実際は僕たちはべつべつの物語を読み進めていたのだ。なにをうしなったわけでもないのに、なにもかもをうしなったような気分だった。
 同時にこわくなった。
 この認識のずれが、いつか僕たちの関係を壊してしまうんじゃないかと。恋人ではないとくべつな愛情を求められる重みに耐えかねて、僕は五十嵐を裏切ってしまうんじゃないかと。
 下校時刻のチャイムが鳴るまで時間はありあまっていた。ほかにすることがなくて、僕たちはこの日も診察をした。だけどいつものような満足感はえられなかった。
 診察をおえて制服を着るときも、ふたりそろってボタンをかけ違えた。

                    *

 遠慮のないシャウトで頭が割れそうだ。
「は~、やっぱワンオク最高だわ」
 部活の声出しで鍛えた声量をたっぷり披露したコバが、ひと仕事おえた男の顔でソファに戻ってきた。高校球児最後の夏はすでにはじまっている。気の抜けない毎日で相当ストレスが溜まっていたのだろう。
 この日、僕はいつものメンバーでカラオケにきていた。学校が休みの土曜日と日曜日は僕にあたえられた短い猶予期間だった。あしたになれば、鶴田さんに五十嵐との関係を説明しなくてはならない。
「水野、おまえ次なに歌うの?」
「ナオト・インティライミ」
「またかよ~。きょう何曲目だよ〜。ミズノ・インティライミかよ~」
「それ言いたいだけだろ」
 いつもと変わらぬコバと水野のやりとりが、ふしぎとこころをなごませてくれる。きのうはせっかくの土曜日だというのに、五十嵐のことと鶴田さんのことで気もそぞろで、まともに休息が取れなかった。洗濯ものを取りこんでいてもそわそわする、本を読んでいても情報が遠い国の降水確率のように頭に入ってこない。そんなありさまだった。カラオケはいい気晴らしになった。誘ってくれたコバに感謝だ。
 カラオケでこころゆくまで騒いだ後はファミリーレストランでささやかな二次会をするのが僕たちの定番コースだった。窓際の席に陣取り、道ゆく女の子を採点したり、水野がバイト先のコンビニで仕入れてきた最新の「きのうの薪黒くん」シリーズで盛り上がったり、そんなことをしているうちに、時間は二倍速三倍速ですぎてゆく。
「なんかさ、こういうの地味にひさしぶりだよな」
 ストローでグラスの中の氷を掻きまわして、コバがしみじみとつぶやいた。
 四月までは、僕たちはしょっちゅうこうして外で集まっていた。平日は学校で毎日顔をあわせているのに、自分でもよく飽きないなと感心するほどだった。それが最終学年になって事情が変わった。コバは休日返上で野球部の練習に出るようになり、水野もバイト先で知りあった女の子とつきあいはじめてからはそっちを優先するようになった。休日はまだしも、いまじゃ学校帰りに四人で遊ぶことなんてほとんどない。僕が五十嵐と密会をするようになったのもその一因だ。
「卒業したらこんなふうにおまえらと遊ぶこともなくなんのかなあ」
「つーかまずおまえ卒業できんの?」
「うるせえ黙れ」
 コバが手首のスナップだけで投げつけたおしぼりを、シゲが腕を組んだままかわした。
 この日は早めの午後六時半に解散した。別段急ぐ理由はなかったのだが、午後六時をまわったあたりでコバがそわそわし出したため、じゃあきょうは少し早めに、という空気になった。きっと丸一日野球から離れると落ち着かないのだろう。近日中にウイニングイレブンとマリオカートで雌雄を決することを水野と約束して、コバは僕たちに背を翻した。
「かっこいいよな、あいつ」
 ふたりになった帰り道で、シゲが出し抜けにそんなことを言った。僕たちは四人とも帰る方向がばらばらだ。コバは徒歩でべつの私鉄の駅に、水野は自転車で直接自宅に向かった。僕とシゲは駅の改札口までは同じルートだ。
「あいつってだれのこと?」
「コバだよ、コバ」
 えっ、と言葉につまる。常日ごろコバをいじり倒しているシゲらしからぬ言動だ。
「コバがかっこいい? どこが?」
「好きなことを好きでいつづけられるところ、かな」
 モノトーンの空に、火床の炭をぶちまけたようなオレンジ色の雲が浮かんでいる。街と空の境界から照らし出す白い光が建ちならぶビルを影にしていた。そのまま絵葉書に使えそうな見事な夕焼けだった。
「うちの学校って野球強豪校でもなんでもないじゃん。どっちかっつーと弱小じゃん。有名中学のエースを引き抜くほど強化に力入れてるわけでもないし。なら弱小なりに死ぬほど練習してんのかって言うとそうでもない。こんなこと言うとコバにマジギレされるかもしんないけど、ガチで甲子園目指してるとこと比べたら、正直うちの野球部なんてお遊びみたいなもんだろ」
「まあ、そうかも」
 辛辣なように聞こえるが、シゲの論評は正しい。僕たちの学校の野球部が、視察と称して対戦校の女子生徒をナンパしにいったり、部室のプレハブでアダルトビデオの鑑賞会を開いたりするようなゆるい雰囲気であることは、部員であるコバの口からさんざん語られている。
「きっとあいつらもうすうす気づいてる。青春のすべてを賭けたやつらだけがいけるのが甲子園だとしたら、自分たちにはそのステージに上がる資格がないってこと。練習も経験も環境も、なにもかもが足りないってことに。コバだって例外じゃない。それでもあいつは野球が一番なんだ。五年後も十年後も、きっと会社のサークルや地元のチームでショートを守ってる」
 なんとなくわかる気がした。夢をあきらめないとか、ストイックに努力を積み重ねるとか、そんな美しいものじゃない。惰性にも倦みにもとらわれず、ただ好きなことを好きでいつづける。それはどんなに難しいことだろう。
「好きでいることに、資格なんていらないんだ」
 最後に、シゲは自分に言い聞かせるようにそう締めくくった。
 やにわに五十嵐のことが頭をよぎる。僕は資格を偽造して彼女に近づき、卑しくも、お互いの要求が食い違っていることにストレスを感じている。
「……人と人もそうだったらいいのに」
「なに? 好きな子でもできた?」
「そういうのじゃないけど」
 錆びついた手すりをつたって二段先を登るシゲが、隠すなよ~、と立ち止まって僕の肩を叩く。駅までのルートには片側二車線の長い道路が横たわっており、遠まわりして横断歩道の信号が青になるのを待つか、幅の狭い階段を上って歩道橋を渡るかを選択しなくてはならなかった。僕たちは歩道橋を選択した。
「シゲはどうなの? まだ花屋のお姉さんとつきあってんの?」
「いや、もう別れた」
 シゲはあまり自分の恋愛については語りたがらない。そんな彼が、コバや水野にはないしょでこっそり恋人の写メールを見せてくれたことがある。ナチュラルメイクで明るい髪をおだんごにした、エプロンとウェリントンのメガネがよく似あう美人だった。学校では全学年の名簿を総ざらいしてもお目にかかれないタイプだ。僕にはそんな女の人と接点のあるシゲが大人に思えた。また、僕にだけ写メを見せてくれたことが嬉しくもあった。
「難しいな、恋愛って」
「弱気な発言だね。シゲらしくない」
「好きでつきあいはじめたはずなのに、いつの間にか傷つけあってる。知れば知るほど、相手のことがわからなくなる。で、もういいやってなって、両手を挙げて降参するんだ。そんなのばっかだよ、俺。恋愛に向いてないのかも」
 やっぱりシゲは大人だと思った。五十嵐が左手首の傷痕に興味を示したあのときから、僕はすべてを手に入れた気になっていた。すべてがうまくいくと信じて疑わなかった。でもそうじゃない。こころの距離が近づくことによって生じるずれもあるのだ。シゲは僕より豊富な過去の恋愛経験からそれを学び取っていた。二歩も三歩も先を進んでいる。目の粗いアスファルトの上を歩くいまだって、毛先が外側に跳ねたベリーショートの髪とタイトめのシャツに包まれた無骨な背中は、僕の前にある。
 シゲの言葉が引き金となり、鎮痛剤がきれたみたいに忘れていた痛みがぶり返した。あした、鶴田さんに納得してもらえるような説明ができるだろうか。恋人ではないと認めた上で、五十嵐とこれまでどおりに接することができるだろうか。どちらも自信がない。
「いまは好きな人いないの?」
 不安をまぎらわそうとして、僕はシゲにそんなことを聞いた。それが命取りになるとも知らずに。
「いるよ」
「へえ、だれ?」
「秘密」
「ってことは、僕の知ってる人なんだ」
 生ぬるい風が髪に絡みつく。梅雨の風には春と夏が入り混じっている。本格的な夏がやってくるのは、期末試験が明けてからだろう。
 シゲは歩道橋の真ん中でふと足を止め、やがて恋人の写メを見せてくれたときと同じように、ためらいがちにつぶやいた。
「おまえこれだれにも言うなよ」
「言わないよ。誓ってもいい」
「……五十嵐」
 こころに大きな空白ができた。その空白をシゲの言葉がじわじわと侵略する。おわりがはじまる予感に、僕はなすすべもなく立ち尽くすことしかできなかった。
 駅のある方角から、電車の通過を報せる遮断機の音が聴こえてくる。
 ひと呼吸置いて、シゲはふたたびその名前を口にした。
「五十嵐が、好きなんだ」
 やけにのどが渇く。
 長い夏がすぐそこまで迫っていた。
sage