Neetel Inside 文芸新都
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どうでもいい話集
学校へ行○う!

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 20XX年、新都社大学は重大な危機に瀕していた。学生が登校しないのである。
 学校経営は長らく安泰だった。明治初期から続く長い歴史と、趣のある校舎。権威によって学生たちは集い、学生たちは校外にて権威を証明した。滞りのない良循環。私立大学にとって冬と言われる時代においてさえ、勢いは衰えなかった。輝かしい実績が、いつしか“新都社神話”などと呼び表されるようになったのも必然である。
 ところが近年、神話は崩壊しつつあった。
 授業の集団ボイコット。人材に資する教育体制の、根幹を揺るがす事態である。
 学生たちが大学に行かない理由は様々であった。自らの頭脳への驕り、日本的ムラ社会の崩壊、一部青年男性にとって極めて有意な電磁的脅威(エロゲー)、あるいは低血圧。とにかく、学生たちは大学を休んだ。
 はじめ、難治性学習拒否症候群サボリグセに冒された学生は少数だった。彼ら初期感染者たちは皆、過激派である。一人は早々に卒業を諦め、社会の彼方へと消えた。一人は遠方の親を欺くため、成績資料を偽造・改竄した。一人は孤独の深淵に踏み入り、大学どころか人生から卒業した。やがて、校舎に姿を現す人数が減り始めると、変化は起こった。『大学に行かんでもよかろうもん♪』というミームは空気を介して伝染し、瞬く間に構内を席巻した。未曾有のバイオハザードである。
 そして、今。がらんどうになった大教室の一角に、賢治はいた。
「はあ……またか」
 最前列に座って黒板へ目を向けるなり、賢治はため息をつく。
 チョークで書かれた文言はこうだ。
 『教授不在により自習』
 本日、自習を言い渡されたのは三度目だ。すなわち、講義に出席した回数でもある。驚くべきことに、ここ最近というもの、九割以上の授業が指導者を欠いている。
「まあ、無理もないことだが……」
 聴衆なき選挙演説に価値がないように、読み手なき零細web小説に価値がないように。学生なき授業にもまた、価値はない。
 教授たちの怠慢を咎める正義はなし。悪いのはひとえに学生側なのだ。
 賢治は座ったまま振り返り、教室を見渡す。人っ子一人見当たらない。月曜の三限にこのような惨状があっていいものか。
「不良どもめ」
 吐き捨てる。
 怒りとは手が届かぬものにこそ、煮え滾るものだ。賢治にとっては、学友たちがその対象であった。今や姿を見かけることもない、堕落した者たち。彼らを生み出した怠惰という業。どちらも憎たらしかった。
 現状、授業は形骸化しているのだから、大学に登校する意味も失われている。向学心を満たすためならば、自室で本を開けばよい。事実、幾人かは自宅学習の後、試験に出席して単位を獲得する者もいた。賢治がわざわざ教室に訪れるのは、自身の立場を確認し、同時に、敵を忘れぬためである。
 厳めしい表情のまま、賢治は教科書を開く。講義されるはずだった該当範囲を探し当てると、すぐに取り掛かった。
「法哲学はわたしの得意分野だぞっ。どれ、哲学的難題をふっかけてみろっ、キヒッ、ヒャハハハハハァッ」
 妄執は精神を蝕む。日に日に霊障チックな独り言が増していることに、彼は気が付いていない。
 いつしか。改めて教科書と向き合えば、独り言も消えた。時おり挟まれる筆記音は静謐を害さない。
 賢治の集中が頂点まで達したころ。教室の外から声がした。




 …………――――あおおぉぉぉぉん――――うぉぉおおおおおん――――…………




 聞きようによっては獣の遠吠えとも取れる。しかし、耳を傾ければ確かに人の肉声であった。
 賢治は声の正体を知っている。珍しいものでもない。この大学に通う者であれば、一日に一度は耳にするであろう。それは、断末魔だ。大量に単位を落とした者の。あるいは、留年が確定した者の。
 怠惰には必ず報いがある。内定取り消し、重い学費、両親からの勘当。安寧とした生活がデッドラインを踏み越えた瞬間から、莫大なツケがのしかかる。残酷な世の常。片隅に追いやっていた道理を眼前に突き付けられたとき、人は咽び泣くのだ。
 賢治は手を止め、聞き入った。
「馬鹿なやつだ……。いっそ心が壊れてしまえば、楽になれるだろうに」
 優越感と哀れみ、ない交ぜになった感情が起こる。打ち消すように、胸の前で十字を切った。




 講義開始の時間からちょうど90分後。鐘の音とともに、賢治は立ち上がる。
 そのとき――ふと、気配を感じて振り向いた。

       

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