Neetel Inside 文芸新都
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Tuesday/幼馴染は負けフラグ




 教室において物品の取引が行われることは、ままある。
 小学校や中学校にくらべ、高校では地理上広範の生徒が集うのもあるだろう。学校外でたやすく会えない友人同士では、もっぱら教室のみが社交の場になる。漫画の貸し借り、誕生日プレゼント、金の融通。諸々を、休み時間に済ませてしまえば効率がいい。
 厳密に言えば、娯楽品の持ち込みは校則で禁じられている。が、わが校の生徒は基本的におとなしい。風紀を乱す無茶はしないだろうと、教師陣にも見過ごされることがほとんどだ。
 しかし中には、加減を知らない者もいる。緩い規則にあぐらをかいて、やりたい放題。学業をそっちのけで、怪しげな文化振興に励む。まして、受験を控えた三年生にもなってそんなことをしているやつは、世間ズレしていると言わざるを得まい。
「新斗殿、先週お貸ししたアニメDVD、返していただくのは今日でしたな。持ってきましたか?」
 四限目の数学を終えた直後。倦怠感が漂う教室内。前に立つ男は、関数も極限も存ぜぬという顔をしている。小太りの体格、黒縁の丸眼鏡に天然パーマ。洗練と真逆をゆく風貌は、まだ見ぬキャンパスライフに備えて洒落るクラスメイトと相容れない。世間ズレしていると、言わざるを得ない。
「持ってきたとも。まってろ」
 俺は机の横のバッグを漁る。取り出したパッケージを手渡すと、男はそのまま立ち去るのかと思いきや、そのパッケージを俺の机の上に置く。窓際に立てかけてあったパイプ椅子を引っ張ってきて、対面にどっかと腰を下ろし、爆竹みたいな笑みを咲かせた。
「さてっ、オタク談義といきましょうぞ、新斗殿」
「しょうがないな、付き合ってやろう、タク」
 俺はこなれた呆れ顔で、弁当の包みを開いた。
 こいつはタク。重度の二次元オタクにして、俺の愛すべき友人である。
「今回お貸しした『空の鍋を混ぜて!』はおもしろい作品だったでしょう。ハーレムの恋愛ものと聞けば珍しくもないかもしれませんが、あれほど意欲的な展開はそうありません。そもそも、『空混』は恋愛アドベンチャーゲームが原作になっていまして、そこでのコンセプトというのが――」
 タクが語る内容は、パンピー(あるいはにわかオタク)の俺にとって、八割方が意味不明だ。けれど、構わない。瞳に宿る情熱と、声にこもる変態性を楽しむだけでも、十分鑑賞の価値がある。
 噂によればこの男、入学後一週間のうちに、学校中の隠れオタクをあぶり出したとか出さないとか。タクというあだ名はもちろん、『オタク』からきている。オタクから敬意を取り除いてタクというわけだ。半ば蔑称のような呼び名だが、こいつを信奉するオタク仲間からは御御御おみおタクと呼ばれているとかいないとか。なにもかも真偽は定かでないが、とにかく、一部界隈でカリスマ的存在らしい。
 進路への不安が先走りがちな三年次では、こういうズレたやつほど友人としてありがたい。さながら、受験ストレスを緩和する一服の清涼剤(それにしては汚らしいが)である。
 友人の種類はなるべく多い方がいい。人生が豊かになる。俺の持論だ。
「で、新斗殿としては、どのような感想を抱かれましたか?」
 さんざん喋りまくったあと、タクが水を向けてくる。俺は、きのうまで見ていたアニメの内容を思い返した。腕を組んで、考え込む。
「うーむ……。俺としては、そうだな。主人公のことをむかしからずっと好きだった子がいたじゃないか。あの子が報われなかったのは可哀そうだったな。たいそう献身していたのに」
「なるほど、ごもっともです。しかし、まあ、致し方ありません。『幼馴染は負けフラグ』ですからな」
「負けフラグ?」
 俺が疑問符を浮かべると、タクは中指で眼鏡を押し上げた。
「幼いころから主人公と親しいヒロインは、恋に破れるのが常ということです。大昔から変化のない関係が、進展する道理はなかなかありませんからな。あと、一歩メタに踏み込んでしまえば、新興ヒロインの当て馬にしやすいという理由もあります。身も蓋もないですがね」
「ふぅむ、なるほどな」
 説明は不思議と胸に落ちた。『幼馴染は負けフラグ』。オタクの世の格言は的を射ているかもしれない。俺が千恵と付き合えないのも、要はそういうことなのだ。長い時間を共有した二人のあいだで、恋愛は禁忌になる。性欲やら愛欲やらは劇薬だ。過去の関係までもぶち壊してしまいそうな恐怖が、情動を押しとどめるのだろう。
「新斗殿が幼馴染萌えということであれば、おすすめのアニメがありますよ。ほら、ちょうどここに。『西鳩』、往年の名作ですよ」
 タクがどこからともなく新たなパッケージを取り出したとき、声が掛かった。
「ちょっとっ、そこっ!!」
 見れば、教室の隅から委員長が指さしている。
「あんたたちね、なに堂々と教室に私物を持ち込んでるのよ。やるならもっと、陰でこそこそやりなさい。没収するわよ、没収」
 立ち上がり、肩をいからせやってくる。『西鳩』が彼女の手にかかると、タクは激しい抵抗をみせた。
「引っ張るなぁっ、やだっ、拙者やだぁっ! 初代『西鳩』の奥ゆかしい空気感はオンリーワンなのですっ、至高なのですっ、絶妙の間とセル画の色合いで表現されたノスタルジーはまさに美少女アニメ界の幼馴染っ、記号的キャラクターの中にセピア色の魂が吹き込まれているのですっ、三次元女には遥かに届かぬ領域なのですっ、二十周年がめでたいのですっ、離せぇっ」
「知るかっ」
 二人はやかましく言い争っている。
 委員長は、洗練された目鼻立ちにスクエア型の眼鏡を引っかけた恐美人。低めでまとめられた団子髪もいかにも神経質そうだ。見るからに正反対なタクとは相性が悪い。黙っていれば、争いは果てなく続くだろう。俺はしぶしぶ、割って入ることにした。可能なかぎり控えめに。
「ま、まあまあ委員長、ここは俺との仲に免じて……」
「あんたと私の仲ってなによ。ただの腐れ縁じゃない」
「友達、友達、ユーアーマイフレンド。俺たちの友情は最高じゃないか、なあ?」
 肩を抱き、必死の懐柔を試みる。腕はすぐに払いのけられた。
「なれなれしく触んないでよ。私、彼氏持ちなんだから。男女の友情とかお呼びじゃないの。はあ、まったく、もう」
 声色は変わらず刺々しいが、一応効果はあったようだ。委員長は『西鳩』から手を引っ込める。舌打ちをひとつくれてから、吐き捨てた。
「しょうがないわね、今回だけは見逃してあげる。次から気を付けなさい」
 鋭い眼鏡を反射で光らせ、歩き去っていく。勇ましい後ろ姿。室内用スリッパを履いているはずなのに、ヒールのような靴音が鳴る。恐ろしい女だ。彼氏はさぞ包容力のある男性に違いない。
 ともあれ、ようやく危機は去ったらしい。安堵する俺の横で、タクが呪いのように呟いた。
「……『眼鏡は不人気』。言われる理由がよくわかりますな」
「ハァン?」
 聞きとがめた委員長が振り返るまで、コンマ一秒とかからなかった。
 てゆーかタク、お前も眼鏡だろ。

――――――
――――
――

 もはや処置なし。
 眼鏡のツルで血だるまにされるタクを眺めながら、俺は食事を再開した。
 ステンレスの弁当箱には、タコさんウィンナー、卵焼き、から揚げ、プチトマト。王道のおかずラインナップのほかに、鶏の照り焼き、キンピラごぼう、ほうれん草の卵とじがひしめき合っている。おそらく、弁当箱を逆さにしても落ちてこないだろう。それくらい隙間なく詰められている。
 明らかに一食分を超えた物量に顔をしかめる。ふと目を移すと、弁当箱の蓋に、メモ用紙が貼られているのを見つけた。丸く可愛らしい文字でメッセージが添えられている。

 『兄くんへ。きのう兄くんが食べなかった分の夜ごはんも入れておいたよ。ちゃんと残さず食べること(怒)』

 わが家の台所担当からお達し。きのう、晩飯を食べずに寝てしまったことに怒っているらしい。(怒)と付いているのだから間違いない。それにしたって、わざわざ二食分を詰めずとも、晩飯の残りだけを弁当にすればいいのじゃないかと思うのだが、家族の栄養管理を担う彼女とすれば許せないのだろう。なにはともあれ、今日の弁当は残せないということだ。
 苦しい食事たたかいになる。覚悟し、まずは卵焼きから片付けてやろうと箸を伸ばした。
 そのとき。
「へぇ~、先輩って、わたしに隠れてこういうアニメ見てたんですね」
 背後の頭上から声が降った。
「ぉっ……!」
 音もなく驚嘆を発する俺を無視して、声の主は回り込み、机上のパッケージ――『空の鍋を混ぜて!』を左手に取った。
「このちっちゃい女の子かわいいですね。わー、このひと胸おっきい。あ、真ん中の子はわたしにちょっと似てるかも。ねぇねぇ先輩、先輩はどの子がいちばん好みなんですか? もしかして、真ん中の子だったりしません?」
 顔を寄せ、まんまるの目を宝石みたいに輝かせる女の子。一晩たったら恋情がなくなるとかいう算段は甘かった。今日も今日とて、千恵はかわいい。アニメの女の子よりもお前のほうが好みだぞ。……と言ってやりたいところだが、冗談には冗談で返すのが俺たちのルールだ。
「千恵に似てる真ん中の子? ああ、そいつ一番ロクでもないやつだったぞ。人とか刺したりする。はぁん、なるほど、たしかにお前そっくりだな」
「わたし人とか刺しませんからっ!?」
「そんなことよりお前、いったいどうしてここにいるんだ。三年生の教室だぞ」
「たまには一緒にお昼でも食べようかと思って。かわいい後輩が訪ねてきたんですよ、もっと歓迎してください」
 悪びれる仕草もなく、右手に持った弁当箱を見せびらかす。空席になっていたパイプ椅子に腰掛けると、俺と向かい合うかたちになった。「都合よく椅子まで用意してあるなんて、もしかしてわたしが来ること期待してましたか?」なんて世迷言をのたまう。むしろいまは間が悪い。俺とて、千恵と昼食をとることはやぶさかでなかったが、告げねばなるまい。
「無理だな。お前とは同席できそうにない」
「え」
 千恵が、弁当箱を開ける手を止める。
「どうしてですか。せっかく、一年生の教室からはるばるやって来たのに。もしかして先輩、わたしとごはん食べたくないんですか。正面にいると食欲を失う顔だって言いたいんですか。ひどい。たしかに、アニメの女の子ほどかわいくないかもしれないけど、そこまで言うことないよ。わたしだって年頃の女の子だよ。面と向かって気持ち悪いなんて言われたら傷つくよ。デリカシーに欠けるよ。配慮が足りないよ」
 相当気分を害したらしい、敬語すら忘れてまくし立てる。
「いや、そういうことじゃなくてだな」
 俺は、千恵の肩越し、向こう側に目をやった。
 奥では、血の制裁が済んだところだった。
 もの言わぬタクが床に伏して死んでいる。その横、委員長がまるで幽鬼のように立ち上がる。獲物に飢え、炯々とくりぬかれた双眸が、千恵の背を捉えた。
「あらぁ、千恵ちゃん」
「あ、いいんちょさんじゃないですか、お久しぶりです」
 千恵は座ったまま、振り向いて対応する。
「久しぶりねぇ。あなたが中学生のとき以来かしら」
「ですです」
「ちょっと見ないあいだに美人になっちゃって」
「いえいえ~、いいんちょさんほどでは~」
 眼鏡の奥から放たれる剣呑さに、千恵は勘付いていないようだ。のん気な態度が場をほだすかとも思ったが、そうそう上手くはゆくまい。いつもの委員長ならいざ知らず、現在の彼女は校則の鬼、ルールの暴走機関車だ。有名無実化した些細な決まりも妥協しない。
「でもね、千恵ちゃん。ゆっくり旧交を温めたいところだけれど、ひとつ言っておかなくちゃいけないことがあるの。
 休み時間に関する校則は知ってるかしら。『他クラスの教室への出入りは原則禁止』。生徒手帳に書いてあったでしょう。入学からひと月で校則破りとは、ずいぶん大胆になったものね、いい度胸だわ」
 言葉の最後にはドスを効かせ、千恵の襟元を掴む。力任せに、軽々とパイプ椅子から引きずり下ろした。
「え? え?」
 戸惑う千恵。抵抗する暇すらなく、扉のほうへ引きずられていく。
「お昼ごはんなら、私と一緒に食べましょう。いくらでも楽しくお話してあげるわ。わが校の風紀と規則について、ね」
「あわぁぁぁぁ……。センパーイ、たすけてくださーい」
 断末魔のような悲鳴が遠ざかって消えていく。
「……南無」
 卵焼きを頬張りながら、合掌。俺にできたことはそれだけだ。


****


 今日の晩飯はオムライスだ。
 ガラス製のテーブルに配膳された料理は二人分。花柄のランチョンマットの上に、隣り合って置かれている。うちは両親ともに仕事人間のため、基本的に兄妹だけでの食卓だ。料理を作って食べる妹、作られた料理を食べるだけの兄。残念ながら、貢献度の違いは明白である。食事に関することについては、俺は常に、頭を低くしていなければならない。
「兄くん、なんか食べるの遅いね。おいしくない?」
 およそ三分の一を残したオムライスを前に、俺はスプーンを止めていた。
「おいしくないことはない。だが知っての通り、昼食の弁当が重かったからな」
「ああ、弁当、そっか。きのうの夜ごはんも入ってたもんね」
「入ってたもんね、とは他人事みたいに言うじゃないか。入れたのはお前だろう?」
 隣の席の皿をうかがうとすでに、きれいに平らげられている。作った料理は廃棄しないのがVIP野家における鉄の掟だ。よって、食べきれなければ次回に持ち越し。
「いい? 今日の夜ごはんを食べきらないと、明日のお弁当もその分、重くなるよ」
 俺は唸った。
「ぐぅっ……。作る量を調節する選択肢は?」
「ううん」
 強権なる台所担当はかぶりを振る。ミディアムの髪が静かに揺れた。「ない」
「なぜ?」
「料理の量はね、愛情の量なの。兄くんには、妹が心を込めて作った料理をぜんぶ食べる義務があるんだよ」
「愛が重い」
 俺は、オムライスの小山を崩して弄び始めた。チキンライスと卵の部分を分解し、味に変化をつける作戦だ。『食べ物で遊ぶな』、という非難の視線が、隣から刺さっているような気がしないでもない。
「食器洗いたいから、なるべく早く食べちゃってね」
 視線の主は催促して、テーブルの上で脱力する。ガラス製の天板に、ミディアムヘアが垂れ落ちた。饅頭みたいな頬っぺたを横たえて、じっとこちらを見てくる。早く食べろ。早く食べろ。繰り返される無言の圧力。針の筵である。
 ちょうどそのとき。唐突に軽快な電子音が鳴った。流行りの女性歌手が歌うJ-POPは、俺の携帯の着信ではない。
 電話ならば助け船だと思ったのだが、着信はメールだったようだ。それでも、食事から話題を逸らすチャンスと踏んで、尋ねる。
「父さんか母さんからか?」
「ううん、中学の友達からだった。……ふむふむ、えっとね、彼氏と喧嘩しちゃって破局の危機なんだって。大変だね」
「ふぅん、大変だな。知らんけど」
「……そういえばさ」
「ん?」
「兄くんて、ひょっとして恋愛のことで悩んでたりするの?」
 俺は、チキンライスをチキンとライスに分解する手を止めた。
「なんだ、藪から棒に」
「だって、きのう明らかに様子おかしかったから。兄くんが勉強で思い詰めることってあんまりないし、もしかしたらって。当たってた?」
「……さ、さあな」
 こいつ、妙なところで鋭い。
「わわ、図星なんだ。あーっ、わかった、わかったよっ。もしかして相手は、yahoo野さんちの子じゃない? 近所の幼馴染の女の子に、ある日とつぜんドキドキしちゃってどうしよう、みたいなっ。そっか、そっか、兄くんも年頃だもんね、恋愛のひとつやふたつくらいするかぁ。
 ……うーん、けど、兄くんて女の子の扱いは上手そうじゃないなぁ。だって、変なトコで真面目なんだもん。うん、ムリムリ、うまくいかない。付き合ってもきっと、長いこと手も繋がないでいて、そのうち愛想尽かされちゃうよ。ああ、兄くんかわいそう……。でも、だいじょうぶっ、悲しまないでっ、兄くんには一生独身のまま、かわいい妹を可愛がって生きる将来もあるよっ」
 ……戯言を。俺はスプーンを握り直した。
 平皿の上、バラバラ死体になったオムライスをいっぺんにかき込んで、立ち上がる。空になった食器をまとめて、台所に放った。
「皿洗いは頼んだぞ」
 そのまま、逃げるようにして部屋を後にする。
 ダイニングの扉を締める直前。背中から、勝ち誇ったような呟きが追いかけてきた。
「なぁんだ、ちゃんと食べられるんだね」

       

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Neetsha