Neetel Inside 文芸新都
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どうでもいい話集
沈黙の二人

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 20xx年8月14日。埼玉のとある歩道で、濱田と佐藤は邂逅した。時間にしておよそ3秒。言葉は一言も交わされなかった。周りにいた第三者にとってみれば、男が二人、すれ違ったに過ぎない。しかし、二人は確かに邂逅した。目線を合わせた刹那の時に、勘繰り、傷つけ、和解し、酔いしれた。その日、沈黙の二人は、埼玉で最も密なる応酬を果たしたのだ。
 実のところ、邂逅は再会でもあった。ただし、二人の関係性は希薄である。
 中学時代のクラスメイト。濱田は野球部で、佐藤はオタクだった。狭い教室で対極に位置した二人は、それでも互いを目端に捉えてはいた。行事の際には会話を交わしたこともある。当時ならば、二人の間に反り立つ壁はなかったろう。彼らを狼狽させたのは、10余年という歳月である。
 はじめに気が付いたのは濱田の方だった。
 黒縁眼鏡にぼさぼさの髪形。タイムスリップしてきたかのように変わらぬ佐藤の姿に、濱田は目を見開いた。一体、脳のどこから引き揚げられたか当時の記憶は、いっさい輝きを放っていなかった。どうでも良すぎた。
 濱田は葛藤した。声を掛けるべきか、掛けざるべきか。話したところで、有意義な交流にならないことは明白だ。進路も趣味も性格も異なる相手。二度と会わない人間の近況報告ほど退屈なものはない。懸念があるとすれば、出くわした同級生を無視する罪悪感くらい。しかし、それさえ微々たるものだ。心は素通りの方に傾きつつあった。
 直後、うつむいていた佐藤が顔を上げた。数奇なことに、視線の真正面には濱田が。両者の意識が絡み合う。もはや言い逃れができないほどに、二人は見つめ合った。
 濱田の姿を認めると、佐藤は速やかにディフェンシブ・スタイルに移行した。悪童につつかれたダンゴムシが体を丸めるがごとく、精神を硬化させる。
 徹底した防御とカウンター。佐藤の戦闘スタイルは人生を通して一貫していた。
 そもそも、日常対話式決闘コミュニケーション・デュエルにおいては、受け手側が圧倒的に有利とされている。攻め手は話題を提供せねばならないし、なにより、話しかけた時点で『私はあなたに興味があります』と自ら梯子を外すようなもの。完全無視や忘れたふりをされた場合の精神負荷は計り知れない。反して受け手は、対応が容易だ。相手を観察しつつ、同量のテンションを保てば引き分けは堅い。戦いにおいて、後出しの方が強いという、極ありふれた事実。生半可な覚悟で仕掛ければ、大火傷を負うのが|決闘≪デュエル≫。佐藤は勝負のいろはを理解していた。
 攻め手に勝機があるとすれば、超火力による速攻しかない。怒涛の勢いで相手を脅かし、主導権を渡さない。必要なのはノリ。ただ、その一点。出会い頭に相手の金玉を鷲掴むくらいの度胸が必要だ。
 熟練のディフェンシブ・スタイルを打ち破るには、天賦の才が要る。簡単ではない。しかし、才を持つ者は存在するのだ。体育会系、チャラそう、体がでかい。濱田にはいくつかの要素が揃っている。勝利への自信とともに、背に汗する冷ややかな恐怖も、佐藤は感じていた。
 結論から言えば、恐怖は杞憂に過ぎなかった。濱田は野球部で補欠だったうえ、わりに穏やかな性格をしていた。
 視線が交錯したとき、ひどく動揺したのは、むしろ濱田の方である。互いを認識したからには、声を掛けねばなるまい。と、義務感に押される濱田が見た、佐藤の表情。既に臨戦態勢に入り、形相に浮かぶ覚悟と自信は――『何かあるに違いない』。そう思わせるに十分だった。
 もしや。濱田は思い至る。もしや、佐藤は現在、堅固な社会的地位を築いているのではないか?
 濱田は地元の信金に勤めている。本人は就職先に満足していたし、地元民ジモティーからの評判も上々だった。鼻にかけるほどでないにせよ、己を安心させられる手札だ。とはいえ、親戚や友人からいくら称えられたとしても、所詮、お山の大将に過ぎないということを、濱田はわきまえていた。
 世界は広い。仮に、佐藤がグローバルでクリエイティブな仕事ヴィズィネスに携わっているとしたら。Goo○leの本社で働いています。などと、爽やかに言い放ったとしたら。濱田の指先は小刻みに震えだした。
 言ってしまえば、これも杞憂だった。佐藤の頭脳は文句なしの人並みだったうえ、勤める会社は上場に至っていなかった。
 二人の距離が縮まる。それぞれが誤解を抱えたまま。
 接近。接触。生死の間合い。極度の緊張が、空間から音を消し去る。結界が張られたように、彼ら以外の全てが削ぎ落とされた。
 そして、二人の歩みが横一列に並んだとき――精神が接続した。
 端緒は目撃にある。肩が触れるほどに近づいた二人は、互いの真実を目撃した。首筋に浮かぶ玉の汗と、震える指先。練り上げられた鬼胎を砕けば、心が通う。瞳の奥に、心を見ることができる。人類に遍く隠された、母なる深層意識を介して。千の言葉を紡ぐよりも、万の握手を交わすよりも深く、感情が共有される。
 果たして、二人が下した判断は、通り過ぎることであった。あらゆる事柄が相対化され、聖域を失った社会では、沈黙こそが唯一の正解であると悟ったのだ。
 圧縮された時間が解けていく。交点を超えた二人は、もはや振り返ることはなかった。雑踏に紛れて、他人のように。そうすることが、最大限の誠実さだと知っていたから。
 ただ、去り際。ほとんど同時に、二人は手を挙げた。頑なに前を向いたまま、好敵手への手向けとばかりのサムズアップ。
 晴れやかな空が、男たちを祝福していた。



――――――――――――


 同日、佐藤が帰宅すると、母親が言う。
「ちょっとあんた、同窓会の案内が届いたわよ」
「欠席」
 考えるまでもなかった。

       

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