第二話「日記帳、思いの丈」



 鈴の音が北東の方角から鳴り響いていく。
 深い森にたたずむ、まるで小屋のような家のすみっこで、誰にも見つからないように、私は体育座りをしていた。
 ああ、もう私はこれまでなのかもしれない。もう逃げられない。逃げられないということは、つまり私は山神様の生贄に奉げられて、殺されてしまうということなのだろう。
 もう逃げられないのなら、いっそ今までの思いの丈を全て吐露してやろうと思った。だから私は家から持ってきた空色の日記帳に、思いの丈を書き綴った。twitterにつぶやいてもよかったけど、どうせ私のtwitterアカウントには、誰も気も留めてくれないだろうし、それだったら日記帳に書き殴ってみる方がまだましだ。その方が、まだきっと多くの人に見てもらえるはずだ。
 空色の日記帳の空白が、私の思いの丈で埋まっていく……。


 小学校四年生の時、くまのぬいぐるみを母に捨てられた。そのくまのぬいぐるみは、子供の頃からずっと大切にしてきたものだったから、捨てられた時はすごくショックだった。
 私が大事にしていたくまのぬいぐるみを捨てたのは、きっと母だ。くまのぬいぐるみがなくなる前日の夜に、私が抱いて寝ていたくまのぬいぐるみを私の腕からそっと引き剥がして、どこかに捨ててしまったのだ。眠っていると、私の腕から、どこかの何かを引き剥がそうとしているという圧力に気付いた私は、眠りの国から戻ってきたかのように目を見開いた。
 きっと、あの時は目を開けてはいけなかったのだろう。きっと、その方が色々と丸くおさまっていたのだと思う。だけど私は目を見開いて、まどろんだ視界いっぱいに広がる景色を見ることを選んだ。
 目を見開くと、母が私のくまのぬいぐるみを力ずくで引き剥がそうとしていた。母の隣にはおばあちゃんが物憂げに座っていた。
 くまのぬいぐるみが捨てられた日、私は家の近くの野山を駆け回った。たくさん探した。くまなく探した。だけど、くまなく探したけれど、くまのぬいぐるみはなかった。困っていた、くまっていた。
 結局、くまのぬいぐるみは見つからなくって、だけど私があまりに泣き叫ぶものだから、後日おばあちゃんに連れられた私は、デパートでテディベアを買ってもらったのであった。
 お母さんはおばあちゃんのしたことにものすごく怒っていたけれど、私はおばあちゃんがしたことの方が正しいと今でも思っている。
 罪滅ぼしだって、しないよりはする方がマシだって、そんな考え方をいくらお母さんに説明しても、わかってもらえなかったこともあったっけ。


 ずっと、友達が欲しかった。母の監視が行き届いていたのは、せいぜい小学生の頃くらいまでで、それ以降の私は、母に許されていないとはいえ、友達を作れるはずだった。だけど私は友達が一人もできなかった。
 高校の入学式が終わってからの数週間の間に、周りの人間にはぽつりぽつりと友達ができていった。
 その様を、私はただ黙ってみてるしかなかった。私はどこの友達グループにも属せなかった。もちろん、多少はおしゃべりができる人は何人かできたけれど、それはきっとおおよそ友達と呼べるものでもないと思う。グループや二人組を組まなきゃいけない時だけ、あぶれた人と仲良くして、愛想笑いをする。それが私の学校での対人関係の全てだった。
 世間話くらい、私は誰とだってできると思う。だけど、世間話やよそよそしい話をしたところで、友達はできっこない。それ以外の対人関係は、私は持ち合わせていなかった。
 本当に心の内で思っていることを話すと、誰にだって嫌われてしまう気がした。なんというか、私はいつも場の空気が読めていない気がする。
 不器用で、間が悪くて、自分でもうんざりする。それに、私は誰かと友達になることを許されていない気がする。こんなどんくさくて、不器用な人間と、誰が友達になってくれるというのだろう。
 教室の隅で、顔をうつ伏せにしながら、ただひたすらに眠ったふりをしている私には、誰も話しかけてくれない。眠たいの? だとか、声をかけてくれる人が一人くらいいてもいいと思うのだけど、そんな人は私の世界にはいない。


 小学生の頃は、何年生になってもずっと逆上がりができなくて、体育で鉄棒の授業がある前後には、放課後の校庭で、担任の先生の指導のもと、ずっと逆上がりの練習をさせられた。だけど私はずっと逆上がりができなかった。結局、逆上がりができずに私は小学校を卒業した。
 中学生の時は、同学年の人たちと比べて少しだけ勉強ができることが唯一の取り柄だった。小学校の時と違って、母の監視が行き届いていない分、友達らしき人は何人かできたけれど、みんな、私の素性を知ると不気味がって逃げていく気がする。
 ……私の素性なんて、この世に生まれ落ちて以来一人も友達がいないこと、どことなく間が悪い事、それと母親が度を越したヒステリックであること、くらいだと思うのだけれど。だけど、そんな私の素性を知ると、みんな不気味がって逃げていく。そんな気がしていた。


 母からされてきた仕打ちを受け入れるつもりはない。もしも母が明日心変わりして、私に今までしてきた仕打ちを謝罪してきたとしても、私はきっと母を受け入れないだろう。
 だけど、きっとそれでいい気がする。無理をして母を受け入れる必要もなければ、必要以上に母を憎む必要もない。許したくなったり、受け入れたくなった時に、母を受け入れればいいと思う。
 こんな境地に至るまで、幾度の夜を乗り越えたことか。だけど他人は私のそんな事情までは知らない。だから母親と私が並んで歩く姿を見ると、私の気持ちを知らない大多数の人達は、「仲が良いんだね」と言う。仲が良いなんて、そんなことあるか。私と母が仲が良いように見えるのは、仲が良いように外では振る舞うことを母に強制されているからだ。
 だから私は、私と母が並んで歩いているのをみて「仲が良いんだね」と知ったげに言い放つ人間が、たまらなく嫌いだった。中学三年生の時の担任の竹田先生も、三者面談の時に、私と母が隣に並んで座って、雑談とは言えない雑談をしているのをみて、「仲が良いんですね」と言ってたっけ。だけど私は竹田先生をそこまで嫌いではなかったし、むしろ好いていたと思う。あれ? なんでだっけ? わかんないや。だけど竹田先生のことはそんなに嫌いじゃなかったことだけは事実だったと思う。今でも私は、竹田先生のことは嫌いじゃないし。


 空色の日記帳の空白が、私の思いの丈で埋まっていく。鳴り響く鈴の音はますます大きくなっていく。まるで鈴の音に呼応するかのように、私の心拍数も上がっていく。手先が冷たくなってきたと思ったら、今度は頭をハンマーで殴られたかのような頭痛が襲ってくる。
 何かが地面を打ち付ける音がしたので、気になって小屋の外に出てみると、雨が降り始めていた。
 雨を一粒、二粒と手に受け止めた後、私は小屋へと戻った。こんな森の奥にある小屋なんて、きっと、誰も来ないはずなのに、小屋の中に誰かがいる気がした。人影を感じた。
「おい、そこに誰かいるのか」
 誰かが小屋のドアを叩く音がした。ドアを叩く音は、雨足が強くなってきた雨のように、だんだんと強くなっていく。だけど、頭痛のせいで逃げる気にはなれなかった。というか、逃げられなかった。一歩歩くたびに吐いてしまいそうになるくらいのひどい頭痛。もう私は動けない。
 ドアを叩く音は鳴り止まない。
 そうか、私はもう見つかってしまっていたんだ。