第七話「裏山デート その5」



 雨足の強い雨は、もうすっかり止んでしまっていた。大粒の雨で重くなった透明色のレインコートを脱いで空を仰いでみると、薄暗くてどんよりした雲と雲の間に光が差し込んでいた。
 国語の澤田先生に山神様の話や呪いのフェンスについて聞いてみることにした僕と穂積ちゃんとぜぜちゃんは、裏山を後にして学校に戻ることにした。
 もうすぐ取り壊されると噂の古びた旧校舎の裏手に位置している裏山を、僕達は歩いていく。
 呪いのフェンスの周りには鬱蒼とした木々が生い茂っているが、木々が生い茂っているのはせいぜいその場所くらいで、フェンスから歩いて数分も経つと、すぐに学校へと続く灰色の砂利道が見えてくる。学校へと続く砂利道に向かって、僕達は雨のせいで少しぬかるんだ腐葉土の上を歩いていく。
 学校の裏山というだけあって、獣道なんてものはなく、裏山のどこを見回してみても清掃業者の手が行き届いている様子がうかがえる。もちろん、裏山の中にも生徒が迷わないように現在位置を示す看板がいくつも設置されており、方向音痴の僕でも裏山で迷う心配はない。
 同じくらいの背丈になるように刈り取られた雑草を見ていると、こんなにも現代的に整備され、管理されたこの裏山に呪いのフェンスやお札といった非現代的で非科学的なものが存在するようには思えない。
 だけど、この裏山の果てにあるフェンスに何やらおぞましい文字が書かれているお札を貼られている様を、確かに僕達は目にしたのであった。


 裏山をしばらく歩いた僕達は、無事に学校に辿り着いた。職員室に向かうことにした。
 失礼します、と言って職員室のドアを引いて、ぜぜちゃんを先頭にして、穂積ちゃん、僕の順に職員室の中に入っていく。
 緑の長袖のポロシャツを着て、自分のデスクに踏ん反りかえって座っている白髪交じりの初老の国語科の先生。これが澤田先生だ。澤田先生は美山高校に赴任してからもう二十年以上も経つベテランの先生で、生徒の間では美山高校の生き字引とも言われている。
 そんな生き字引もとい澤田先生に、僕達は呪いのフェンスについていくつかの質問を投げかけてみることにした。
「澤田先生、単刀直入にお聞かせ願いたいのですが、美山高校の裏山に存在すると言われている呪いのフェンスにまつわる言い伝えについて、ご存知でしょうか」
かしこまった表情で、ぜぜちゃんが澤田先生に話しかける。
「呪いのフェンス……? うーん、なんじゃったかなー。いやな、わしの長年の経験からすると、呪いのフェンスのことなんか聞いたこともなかったなぁ」
「そ、そうですか……」
「澤田先生、本当に呪いのフェンスにまつわる言い伝えを一度も聞いたことがなかったんですか? 噂によるとこの言い伝えは美山高校に代々伝わってきた言い伝えだそうなんですけど……」
穂積ちゃんが眠そうな顔をしている澤田先生に質問を投げかける。
「……わしは知らんもんは知らん! そんなことより、だ。大垣、守山が今どうしてるか知らんかね?」
「さぁ……。知らないです……。私達も守山くんを捜しに裏山まで行っていて、その関係でたまたま裏山にある呪いのフェンスを見つけてしまったんです」
「ほう……。まあ、わしは知らんぞ、そんな呪いのフェンスのこと。美山高校の生き字引たるわし、澤田が知らんっていうことは、そんな言い伝えはそもそも美山高校には存在してないという可能性が高いといえるだろう」
「そうですか。わかりました。澤田先生、今日はありがとうございました」
そう言ってぜぜちゃんが澤田先生の前から立ち去ろうとすると、ぜぜちゃんに向かって澤田先生が話しかける。
「そんなことより石山、守山のことは何か知らんかね?」
「……知らないです」
「ううん……石山も知らんか……。おっ、そういえば戸ノ内、おまえは守山と確か友達だったな。守山のことは何か聞いとらんか。先日、守山のお母さんから息子が家に帰ってこないから連絡があってのう……。それで、美山高校としても学校を挙げて守山のことを全力で捜してるんじゃが、全く情報が出てこないし、どうしたものかと路頭に迷っているところなんじゃ。それで今は、守山の捜索願を警察に出そうか出さまいかという話になっておってのう……。守山のお母さんは守山の失踪癖についてはよく理解しておられる様子で、そこまで心配はしとらんみたいなのじゃが、ただ、捜索願を出すとなるとそれなりに大事にならざるをえないだろうしのう。……守山の普段の素行からみて、不良行為のせいでいなくなったとも思えんし、ましてや家庭内の不和や友人関係が理由で失踪したとも思えん。戸ノ内、守山がいなくなったことについて何か知らんかね?」
「え、あ、うーん……。僕は何も聞いてないです」
「……本当かね? 戸ノ内を疑うつもりはないが、何かの事情があって、そのせいで戸ノ内は守山をかばっている……なんてことはないかね?」
「……そ、そんなことないですよ、澤田先生。僕だって大垣さんと一緒に守山くんを裏山まで捜索に行ったくらいですし……」
「……戸ノ内、守山と今連絡は取れるのかね?」
「……取れないです。LINEもメールも電話も、全部駄目です」
「……そうか。ううん……。わかった。戸ノ内、疑ってすまんかった。それと大垣と石山、色々守山について答えてくれてありがとう。もうそろそろ五時半じゃ、気を付けて帰るべし!」
「わかりました。澤田先生、今日はどうもありがとうございました。失礼します」
「失礼します」
「し、失礼します……」
 そう言って、僕と穂積ちゃんとぜぜちゃんは澤田先生の前から立ち去った。
 山神様のことについては聞きそびれたけど、まあ、話も長くなりそうなのでここで切り上げておくことにした。


 一年四組の教室につながる廊下を、僕達はとぼとぼと歩いていく。
 職員室を後にした僕と穂積ちゃんとぜぜちゃんは、ぜぜちゃんの提案で、次は数学の三田先生のもとにたずねてみることにした。三田先生はぜぜちゃんがいる一年四組の担任で、美山高校に赴任してから今年で三年目になるらしい。
 時刻は午後五時三十分。あまり残業をしないという噂の三田先生は、ぜぜちゃんいわく五時以降は職員室には滅多にいないらしい。だけど五時半を過ぎても一年四組の教卓の前で立ち尽くしながら考え事をしていることはままあるらしい。なので青白い肌の三田先生が誰もいない真っ暗闇の一年四組の教室の教卓の前で呆然と立ち尽くしている様子を見た巡回の先生は、「幽霊が出たのか」と心臓が飛び出るほどびっくりした、という事件もあるらしい。三田先生がどうやら先週のホームルームでその話をしていたらしい。
「……でも、ぜぜちゃんはどうして三田先生にお話を聞きにいくの?」
穂積ちゃんが淡々と歩いているぜぜちゃんに話しかける。
「数学の……一年四組の三田先生はね、まだ高校の先生をしてから三年目で、さっきの澤田先生と比べるとまだまだ新米だけど、三田先生は美山高校出身なのよ」
「へぇそうなんだ」
 三田先生が美山高校出身……というのは、夏休み明け前あたりにヤスが話していたような気がする。
「あっ、それ、ヤス……じゃなかった、守山くんも話してたよ。三田先生は幽霊教員だ、って」
「へぇそうなんだ。ヤスくんもぜぜちゃんみたいに私が知らないことを結構色々知ってるんだね」
「ま、まあ……。ヤス……じゃなかった、守山くんは、ああみえて新聞部の部員だし。新聞部の部員だと校内の噂も色々と知ってるみたいだし」
「……守山ヤス、新聞部……?」
そう言いながら、ぜぜちゃんは僕の顔をまじまじとみる。
「……まあいいわ。今は三田先生から早くお話を聞くとしましょう」
ぜぜちゃんがスカートの下からすらりと伸びる足をぴたりと止めて、深呼吸をする。
 一年四組の教室の前だった。


 廊下と違い、一年四組の教室にはどこかひんやりとした空気が立ち込めていた。次の日の日直と日付だけが書き残された緑色の黒板を見ながら、三田先生は教卓の前に立ち尽くしていた。
 僕と穂積ちゃんとぜぜちゃんが教室に入ってきたことをわずかな風の揺らぎから察したのか、三田先生は僕達の方にすぐさま振り返った。
「石山さんと……戸ノ内くんと大垣さん……でしたっけ。どうしたんですか。何か数学でわからないことでもあったのですか」
 肌の青白さだけで幽霊教員と噂されてもおかしくないくらい青白い肌の三田先生が、僕とぜぜちゃんと穂積ちゃんをぐるりと見まわしながら話しかける。
「三田先生……、今日は三田先生におうかがいしたいことがあって、おうかがいしたんです」
「……ほう。なんですか」
「呪いのフェンスの言い伝えについておうかがいしたいんです」
「……呪いのフェンス? 一体なんですか。それは、今流行りの都市伝説か何かなのですか」
「いえ、違います……。呪いのフェンスの言い伝えというのは、美山高校に代々受け継がれている言い伝えでして……」
 ぜぜちゃんが三田先生に呪いのフェンスの言い伝えについて無駄な言葉を一切使わずに簡潔に説明していく。
「……ほう。話はわかりました。それで、その呪いのフェンスの言い伝えやらというのは、先生に何か関係があるのですか」
「三田先生は美山高校出身らしいので、何か呪いのフェンスの言い伝えについて知っているのではないかと思いまして……」
「うーん、そうですねぇ。先生は呪いのフェンスの言い伝えについては今この場で初めて聞いたのですが……。そうですねぇ、しいていうなら、先生も高校生の頃は授業をサボタージュ……げふんげふん、授業を少しお休みして、友達何人かと一緒に裏山に繰り出していたことは何度かありましたね。それで、その内友達の内の一人が裏山で迷子になってしまって、夜になっても戻ってこなかったので、まあ、それで結局その友達もその日の深夜に見つかったのですが、それ以後裏山には現在位置を示す看板が設置されたりだとか、特に生徒が立ち入ると迷子になりやすい場所に関しては背丈の高いフェンスが設置されたということはありましたよ。それを機に立ち入り禁止の看板も裏山の中にいくつか設置された覚えがあります。……もしかしたら、立ち入り禁止の看板や新たに建てられたフェンスが、色々と尾ひれがついた結果として、呪いのフェスの言い伝えが生まれたのかもしれません。まあ、その、とりあえず、先生が高校生の頃は、美山高校に呪いのフェンスの言い伝えなんてありませんでしたよ」
 青白い肌の三田先生の話を聞く分には、どうやら呪いのフェンスの言い伝えの美山高校に「代々」受け継がれてきた、という文言の「代々」という言い方は、どうやら信憑性に欠けるみたいだ。
「……わかりました。そうだったんですね。貴重なお話ありがとうございます。それでは失礼します。明日もよろしくお願いします」
「いえいえ、どういたしまして。もしかしたら、新聞部に話を聞くと興味深い洞察が得られるかもしれません。なんといっても、新聞部は先生が高校生の頃から校内の情報通で有名でしたから。ではでは。さようなら。もうすぐ六時ですから、気を付けて帰ってください」
「さようなら」
「し、失礼しました」
 僕と穂積ちゃんとぜぜちゃんは一年四組の教室を後にした。
 一年四組の教室を出て、僕達は廊下をひたひたと歩く。スマホで時間を確認する。スマホの壁紙に設定している時計の画像は、午後六時を指していた。
 三田先生とはそれほど話していなかったとはいえ、三十分ほど経ってしまっていたようだ。


 九月の初め、少し歩くだけで体の芯に熱が灯る頃。到底秋だとは思えないくらいに熱を帯びた体を少しでも冷やすために、僕は廊下の窓側を歩いていた。
 午後六時。青空も少しずつ夕陽色に染まりゆき、廊下を照らす電灯の明るさにそろそろ気付く頃。
 おさげ髪を揺らして薄暗い廊下を歩く穂積ちゃんの後ろ姿を、そして薄暗い廊下に少しだけ白く照らされている穂積ちゃんの白いブラウスを、僕はただただぼんやりと見つめていた。
sage