Neetel Inside ニートノベル
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奇跡のアイランド
第四話

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 2-2

「我が背に乗り、往くがいい。」

 紫の宝石のような鱗を身に纏ったドラゴンがそこにいた。俺と咲夜とシュラはあんぐりと口を開け言葉を失っていた。言い訳させてもらうというか、開き直らせてもらう。無理もないだろう?
 その驚くべき巨驅。高さは俺の身長三人分はあった。赤紫の光沢がギラギラと光っている。
 ゴロロロロと喉を鳴らしているのだろうか。そんな音が、顎の振動で楽器のように奏でられる。脈打っている体。

「我が友漆原!久しいな友よ!健在であったか!」

 質量を持った振動が俺達に叩きつけるように響く。

「ええ。お陰様で。」

 漆原とドラゴンが挨拶をして、会話をしている。
 ・・・・・・この生き物は漆原とどういう関係なんだ?さっきから震えが止まらない。蛇に睨まれたカエルってやつか?咲夜とシュラも同じらしい。2人とも俺と同じように震えている。しかし、怯えている咲夜も可愛いなぁ。

「おや、旨そうな食事が三つも。漆原よ。今日は、これをご馳走してくれるのかな。」

 ドラゴンの視線の圧力が俺達に当たる。
 あんなに震えていた体がまるで石になったみたいに俺と咲夜とシュラが硬直する。
 しかし、石の彫像のような咲夜も可愛いなぁ。

「彼らにはその冗談は刺激が強すぎますよ。」

 漆原が真面目に答えた。

「ガララララララ。」

 ドラゴンは大声で吠えた。・・・・笑ってるのか?
 ・・・こいつ、笑ってやがる。なんて思った。俺の口角は音圧を一身に受け上がっている。
 これが、ドラゴンなのか。俺はこんな状況なのに、ドラゴンの凄さに感動していた。これがドラゴン。太古の生き物。最強の生物なのか。
 俺の仲間になれば世界の半分をやろうとか言われても多分違和感がない。
 俺が思わず呟いていた。

「圧倒的だ・・・・・」

 なんだこれは・・・・

「大丈夫なんだよな?漆原。」

 俺は首だけをようやくぎこちなく動かして聞いた。

「ええ。もちろん。彼のおむつは私が変えたぐらいですから。」

「それは逆だ。」

 ドラゴンが言った。少なくとも友好的?というか、話が通じている。だがその事実はこのかけ離れすぎた全てが同じ事実として俺に認識させない。このドラゴンが仮に人間の姿をしていればこんな風には感じなかっただろう。だが咲夜は、その幼さ故か、シュラという存在を小さな頃から認めていたことからか、やや、現実を認識しつつあった。

「儂の方が漆原より長生きしているのでな。」

 そうなのか。そう言われてもそんなに違和感がない。というか、現実感がなさすぎて、頭がうまく飲み込めないんだが。

「あの・・・・アリーシャの事を知っていますか?」

 咲夜がドラゴンに聞いた。
 俺はその咲夜を見たあとドラゴンを見上げた。

「ああ、知っているとも知っているとも。知らんはずがない。この島に住んでいるものならばな。」

 ドラゴンが勢いよく話す。

「また遊びたいものだ・・・・あれは楽しかった・・・」

 ドラゴンが頭を上げ、空を見る。いや、かつての、いつかの記憶を追体験しているのではないだろうか。

「儂の遊びについてこれるものは少ないのでなぁ・・・・」

 悔しがるように鉤爪を動かすドラゴン。

「漆原。そうだそうだ。久々に将棋でもやらんか。・・・・まぁボードゲームならなんでもいいぞ。」

「(新手を思いついたのだ。)」

 ドラゴンが内心を漆原に悟られないよう、さして将棋にこだわりがないかのように言った。

「(将棋やんのかよこのドラゴン。)」

 俺は思った。
 俺はおかしくなって笑った。そしたら咲夜とシュラも緊張の糸が解けたように笑った。

 紫色のドラゴンの眼は渉を見ていた。

「そうか。この子が・・・」

 ドラゴンは渉を見て語調が変わった。
 このドラゴンの心の中にさざ波が起きたのだろうか。

「ええ。」

 漆原は頷いた。
 老人二人は渉を見ていた。このふたりがどういう想いで渉を見ていたのか。いずれにせよこの2人が同じ眼差しで渉を注視していたのは数秒のことで渉は気が付かなかった。

 その後渉と咲夜とシュラはドラゴンの背に乗った。おっかなびっくり彼らは背を登った。

  ドラゴンの背に乗ると、ドラゴンは翼を大きく持ち上げて羽ばたいた。あたりに風塵が巻き起こる。
 漆原はその中で平気な顔で立ってこちらを見上げていた。

 この歳にしては足腰の丈夫な老人なのだが渉も咲夜も驚かない。漆原なら驚くことでもない。という心理だった。

 体が急激に上昇し、体にかつて味わったことのないほどの重力がのしかかった。

 渉達は悲鳴にも似た声を上げて空へと飛び立った。とてつもない勢いで空へと登るドラゴン。
 俺と咲夜はシュラが吹き飛ばされないように支えた。
 ぐんぐんと地上が離れて行く。霞にも似た雲の中を抜けるとそこは蒼穹がどこまでも広がっていた。眼下に広がるのは雲海だ。

  滑空状態の空はとても気分のいいものだった。太陽が渉達を照らした。遮るもののない太陽の恵みそのものが彼らに降り注いでいるようだった。気づいたことがある。ここの空気はとても澄んでいることに。下の空気とは違うが、やはり同じような優しい空気だった。優しい風が渉の頬をすり抜けていった。

 思わず、微笑まずにはいられなかった。
 ドラゴンの首の毛筋。その配下に広がる雲海の白の光と影のグラデーションが美しい。

 すごく綺麗な風景だった。美しい夕焼けだった。

「(あの雲に乗れたらいいのになぁ。)」

「渉。あの雲に乗れたらいいのにって思いました?」

 咲夜が俺の顔を見ていたずらっぽく言った。

「なんで分かるんだよ。」

 俺が苦笑すると咲夜も笑った。

「私もそうだったらいいなあと思ったからです。」


 空の旅はあっという間に終わった。ドラゴンの飛行速度が速すぎたのかもしれない。
  とても楽しく、特別な時間だった。

 丘の上にある一軒家。その一軒家の前にはオレンジ色のポストが置かれてある。
 その家が渉達の家だった。
 渉達は草原に降り立ち、三人はお礼を言う。西の空に消えるドラゴンに手を振った。三人はドラゴンが夕焼けに埋没するまで見送った。

 渉と咲夜とシュラはドラゴンの背から降りたあと特別話はしなかった。話は必要なかった。渉達は明かりが灯るあの家に向かって歩いた。 静かな夜空の中、暖かな灯りが浮かんでいた。
 不意に渉が駆け出して、家に向かった。
 それを見た咲夜とシュラも駆け出した。 その暖かな光を目指して。
 玄関の扉を渉が開け、勢いよくなだれ込む。それに続くように咲夜とシュラも家になだれ込んだ。 家に帰って来た渉と咲夜とシュラ。

 ここは丘の上にある一軒家。
 和洋混合の家。ロマネスク様式の人に威圧感を与えないような優しい外装をしている。
 玄関をくぐると渉達を迎えるのは広い空間だ。そこは晴れた日は玄関の横の天井まで続く全面ガラス貼りの壁から光が降り注ぐ。
 フローリングの床。
 居間には暖炉がある。その暖炉の前には僅かな柵が設置してある。
 肌寒い季節になると上妻家の暖炉は活躍した。

  渉達が玄関に入った時、右の階段から未来と春日井が降りてくるところだった。

「ただいま!」

「おかえり。」

 春日井と未来が渉と咲夜を見て言った。

「今日の夕飯は何?」

「なんだろう。藍子に聞いてみないと分からないな。」

 顎をぽりとかく春日井。赤い繊維が混じったような髪を持つ少年だった。

「そっか。」

 渉と咲夜とシュラはもう一つドアを開けて回廊を通り、食堂まで行こうとする。玄関の大時計を見るに、7時の夕飯の時間には間に合ったようだ。

「 うわっ。どうしたの。こんなになって。 」

 近くまで来た美来が口に手を当てて声を上げる。ボロボロの様子の渉達だ。草が結構ついていた。それにところどころ泥がついていたり、切り傷があったりする。

 渉と咲夜とシュラは自分達の格好をそんなに気にした様子もなく見たあと、お互いに顔を見合わせた。そして同時ににぃっと笑うと、

「「「秘密!!」」」

 と言った。

「なにそれ。」

 美来の顔がほころぶ。美来は二人の元気な様子にほっとしていた。

「えへへ。」

 咲夜が言った。

 渉はそんな美来の笑顔を見て

「(錯覚だろうけど何があっても美来なら受け入れてくれそうだ。)」

 と思った。

「(朗らかなやつだな・・・・)」

「これから夕飯なんだし、ほら。泥だけは落として行こう。」

 春日井が指を指して提案する。と同時に中庭へと通じる扉へと渉達を促した。春日井は中庭の噴水で泥を落としたらどうだろうと提案している。騎士然とした物腰のこの少年。しかし、強さと優しさを兼ね備えている。
 
  中庭の中央には噴水がある。噴水のふちに渉は腰掛ける。石壁についているオレンジ色のランプがあたりを照らす。四方には、四大精霊を形どった、石像の彫刻がある。すなわち地を司るノーム。水を司るウンディーネ。火を司るイフリート。風を司るシルフ。そして中央には精霊王のモニュメントが設置されている。子供の姿をした精霊王だ。水とオレンジ色の灯りが映し出され、光を反射している。
 渉が生まれた時から見慣れた光景だった。小さいころからよくこの広場では遊んでいた。歳の近い家族とよく鬼ごっこや、独自の遊びをした。
 でも咲夜もそうだが、渉も小さいころは夜はこの広場が怖くてあまり行きたくなかった。

「(この家はかなり広いから1人ぼっちっていう感覚に陥ることがあったんだっけ。)」

 この家の中で迷子によくなっていて、藍子や神威、他の家族の姿を見つけると安心したものだった。

  水が吹き出す音のみがあたりにその音を残している。僅かに壁に反響しているようだった。
 いつもの様子だった。渉は漆原の隠れ家にあったししおどしが置かれている空間のことをふと思い出した。

「(同じ水の空間だけど、やっぱり2つは違うなぁ。)」

 洋風の空間と和風の空間。

「(でも・・・・両方落ち着くな。)」

 渉は眠くなってきた。
  風は四方の壁が遮ってくれている。それ以上にこの家が持つ強固な護りの感覚が渉達に安心感を与えた。
 今日ちょっとした危険を味わってきた渉と咲夜とシュラは家に帰って来られて一安心だ。こういうことはやはり家族でないと共有できない。
 絶対的な安心感を覚えていることをお互いが知っている。同じものから得ている。お互いがそこにいることに確かな心を満たすものがある。
 そんな他愛のないことだが。

「早く汚れを落として食堂に行こう。みんな待っているぞ。」

 騎士見習いのようにきっぱりした口調で話す春日井少年。

 汚れを落とす渉達を手伝うため、わざわざいっしょに来てくれるところが未来と春日井らしかった。このふたりに限らず、上妻家の人間はお人好し、お節介、奇特、好事家などそういった名称で呼ばれるような人が多い。その際たる例が神威。渉の父であった。渉の前に立つ春日井は神威によく似ていた。
 外見はあまり似ていないが中身がよく似ている。

 咲夜が草などを払っている。渉も体に着いた泥などをすすいだ。

 小さな擦り傷などは未来が治してくれた。未来が使える精霊術は治療もすることが出来る。精霊の力を借り、人の傷を癒す。精霊術の数多ある基礎の一つ。精霊との交信力。無から有は生み出せない。未来も疲れる。でも未来はそんな疲れなど気にしない。
 自分が傷つくよりも周りが傷ついてるほうが未来にとっては嫌なことだった。

「まったく損な性格してるよな。」

 渉が治療の精霊術の反応で淡く照らされる未来を見ながら呟いた。
 でも、そんなことを渉は言っていたが、渉にとっては眩しく、そしてかけがえなく、有難いことだった。

「俺はもういいよ。」

 渉はちょっと治してもらったらもう遠慮した。

「私達そんなに疲れていませんし、それにこんな傷なんて絆創膏があれば大丈夫ですよ。」

 咲夜とシュラも未来に言った。

「えー・・・・でも・・」

「あー。お腹すいたなぁ!!」

 渉は立ち上がって両手を広げた。

「もうペコぺコだよ。」

 それを見ていた春日井は渉の気持ちを汲み取ってくれた。

「カレーの臭いがしないか?今日はカレーなんじゃないかな。」

 二人の男の子は今から食べる豪華ば食卓に想いを馳せた。

 二人のやや確信的な話題転換に咲夜とシュラも便乗。

「わーい。藍子のカレーだーやったー!」

「おかわりするぞー!」

 にっこにこの四人は食堂へと足並み揃えて息ぴったりに向かおうとする。
 が、咲夜だけは未来に止められた。

「駄目です。」

 えらくきっぱり言った。

「えぇ・・・」

 咲夜とシュラが同時に言った。咲夜は離れてゆく俺の方向と未来とを交互に見た。

「(まぁ・・・あとは女の子同士やってくれ。)」

 咲夜は傷を治した方がいいと俺も思っていたし俺と春日井は咲夜達を残して食堂に向かおうとする。

「ちょっと待ってよ!渉も治さなきゃ!!」

 未来が声を上げる。超可愛いけど、断る。何故なら・・・・

「体の傷は・・・・」

「「男の勲章!」」

 俺と春日井が声をハモらせて言った。

 そんな俺達を見て未来は、もう!といって肩をすくめた。
 ドアをくぐり、俺と春日井は肩をはずませて笑った。

 その後食堂に向かう途中に春日井が渉の顔を見て尋ねた。軽い世間話のように。

「なあ今日なにがあったか分からないけど、渉が咲夜とシュラのことを護ったんだろ。流石だな。ありがとう渉。」

 渉は肩をすくませた。

 春日井は混じりっけのない瞳で渉の方を見る。

「(何たって俺の周りにはこんなやつが多いのかね。)」

「俺は何にもできなかったよ。漆原がなんとかしてくれたんだ。」

「渉が何の力も及ばなかったというなら咲夜とシュラの様子を見ていれば分かるさ。二人とも、渉を信頼してる。」

「いや、俺は何にもできなかったさ。頭も悪いし、すぐ調子に乗って失敗するしさ・・・」

「そんなことないよ。なんで渉はそんなに謙虚なん・・・・」

 赤色の前髪が揺れる。存在もしない架空の赤い小さな獅子を思わせるこの少年は言葉を切り深く思考を沈殿させた。

「・・・・・いや、理想が高いのか?渉は。だから、目に見えたことをやってもそんなんじゃ満足しない・・・・」

 二人は歩く。

「どうかな。」

「はは。俺の邪推であればいいさ。そうじゃなくても、神威に藍子なんて両親を見てきた俺達からすればハードルも高くなるか。」

 春日井が言う。

「春日井は、物わかりが良すぎるなぁ。しかもそんなに頭も切れるなんて反則じゃないか?まぁ今の評論は俺にはやや、好意的な解釈すぎるぜ。」

 何もかも揃っているわけではないのに、自分よりもものすごく価値があるように見える目の前の男。その真っ直ぐな眼差しは渉には眩しい。まるで、太陽みたいに。吸い込まれそうで。だからその視線を渉は真っすぐから受け止められる男になりたかった。

「(春日井という男にかつ要素が俺にはあるんだろうか。春日井の隣に立っていて恥ずかしくない男になるためにはあとどれだけの努力が必要なんだろうか。)」

 渉も自分の思考に入り込んだ。

「(やっぱり、渉の意識が向かう先は・・・・・・。理想があるんだ。それも遼かに高いところに。俺が見えない高見を目指しているんだな・・・・・・高く高く・・・・・か。)」

 春日井もまた深く考え込む渉を見て思いを巡らせた。
 春日井が渉に聞こえないように呟いた。

「渉も確かに上妻家の男だ。」

「辛い道を歩む星の下にいる。」

「・・・・・(渉に笑っていてほしい。)」

 春日井は渉の手助けがしたかった。何故なら渉が悩んでいたから。春日井は家族として渉のことを愛していた。



  今は渉は1階の回廊に春日井とともにいた。
 食堂のドアを開ける。
 家族達はあらかた集まっていた。
 大家族だ。テーブルには渉の席がもちろん用意されている。

 渉はみんなが想い想いのことを話すのを聞いていた。
 渉はこの中で自然に笑えていた。
 皆が笑っているのでそれが渉にも移った。
 遅れて美来と咲夜とシュラがやってきた。

 みんなが揃ったので銀のドームみたいなフタを外した。
 現れたのは藍子の料理だった。
 渉は今日並んでいる食事には自分と咲夜とシュラの好物があることに気がついた。

 渉が顔を藍子の方に向ける。
 するとこの賢い、女将さんはいたずらっぽく微笑んだ。
 藍子は賢者のような知恵を持っているがこんなにも朗らかだ。

「(藍子はなんでも知ってるんだな。)」

 呆れ顔のような、尊敬顔のような、諦め顔のような。自分でもどういう顔をしているが解らないが、藍子は俺に笑顔で手を振っている。

 咲夜たちの顔の見た。だが、咲夜は意味ありげな俺の視線にはにかんだ笑顔を見せた。多分分かっていない。というか想定もしていないのが普通か。
 シュラはがつがつと思いっきりいい食いっぷりで食事を楽しんでいる。

 うん。シュラは絶対気づいていない。

  賢者といえば、もっと暗いイメージがあるが、うちの賢者は朗らかだ。それが渉には最近不思議に思っていることだった。藍子の叡智には舌を巻く。
 正直藍子と如月と久尊寺の会話は一割も解らない。

 確か如月が得意なのは哲学と科学だった気がする。藍子は俺に
「その二つは同じものなのよ。」
 とさらにはてなマークの欠片を降り注いでくれたが。
 ・・・・・まぁ実はさらにわかり易く藍子は解説してくれたんだけど俺の頭では解らなかった。ということが真実だ。

「渉には渉のいいところがいっぱいあるもの。知識は経験と相関関係にあるものだわ。経験をつみなさいな。何が出来るか。何が面白いのか自分の頭に問いかけるのよ。あとは、あなたの脳が教えてくれるわ。」

「私は渉がそうやって学ぼうとしているだけで嬉しいわ。知識は力なのよ。それこそたった一つ私達が神に対抗できるたった一つの矢のようなね。」

 渉は記憶から現在への回帰に成功した。

「(まぁ・・・・・俺だけか。いいか。まぁ。)」

「美優ソースとって。」

「はい。」

「ありがと。」

 渉はこのことを流すことにして、食事に取り掛かった。
 うわぁ。やっぱり美味い。唐揚げはただの唐揚げかどうか疑いたくなるほど美味い。二度揚げは勿論、油の温度、使用する衣、そして食材から調味料に至るまで、厳選されたものだ。料理に関する知識がいかんなく発揮されている。
 そもそもキッチンからして、普通とは違う。料理人が使うような大規模なものより、一回り小さいが、それはストックする食材の量が店ほど必要ないからだ。最先端技術の調理器具について、久尊寺と話しているのがたびたび目撃された。久尊寺も関わっているのだろう。キッチン関連に関しては黒繭のほうが関心があったかもしれない。

「(藍子が前に授業中に言ったっけ。)」

 この島の学校は教えたい人が申請して教えることになっている。子供であってもやりたければやってもいい。特に交互に教え合うことを藍子を中心に推奨してもいた。
 大きな学校で授業を渉達は受けていた。

「一芸を極めんとすればすなわち万事を極める。」
 
  普段から日常生活では使わないような言葉をスラスラと話す藍子ではあるが、改まった口調で正しく格言を言うような口調で格言を言うのは藍子にとっては珍しいことだ。

「それは誰の言葉ですか?」

 生徒の一人が質問した。

「・・・・・R・K」

 済ましたようなかっこつけたような 口調で (どや顔で)藍子が言った。

「・・・・・・・それって藍子・上妻じゃないんですか。」

 誰かのツッコミに藍子先生は何も答えなかったけ。でも何かを聞かれて答えないなんてことのない藍子のこの反応で、みんなには自分で作った言葉だとわかってしまった。

 現在の食事風景へと渉が見ているものが戻る。

「(俺はいつもぼーっとしている気がするなあ。)」

 渉はなんとなくでしかないが、周りのみんなと違うということを感じていた。でもどう違うのかと問われても漠然とそう思うだけで具体的な説明はできない。

 俺と咲夜は疲れていたので早く寝たかった。咲夜は居間のソファで眠ってしまっていた。

「渉。寝るなら咲夜を連れて行ってくれる?」

 美優の声に俺が返事をする。

「はいよ。」

「お願いね。でも今日本当に何をしてきたのかしら?不思議だわ?」

 咲夜を抱えた俺は片手ではドアを開けられないので美優が開けてくれた。

「大冒険だよ。」

 俺は不敵に笑っていった。

「ふ~ん。今度聞かせなさいよね。誰かのおつかいだったとかそういうオチじゃないんならね。」

 美優が俺に言う。

「どうしよっかな~」

 渉は咲夜を抱えながら階段を登る。

「それにしても不思議か。この島には不思議なことが沢山あるなぁ。」

「そうね。」

「(お前さんとか。)」

 傍から見ても美しい容姿を持つこの彼女もまた渉にとっては不思議だった。特に精神構造とか。

 咲夜の部屋に入りベッドに寝かせる。
 渉と美優はすやすや眠るこの天使を少しの間眺めていた。
 じーっと2人して黙って。

「しゃ・・・・写真が撮りたい。」

 小声で俺が思わず煩悩が漏れ出す。

「うん!」

 流石に声を落として、でもやはり煩悩が美優の綺麗な唇から優しい囁きとなって漏れた。

「でも、シャッターと光で咲夜の目を覚まさせちゃうかもしれないわ。」

 我にもどった美優が言った。

「確かに。」

 俺達は小声で話した。

「じゃあ・・・・・」

 渉。

「そうね・・・・・・」

 美優。

「あとちょっとだけ見ていよう・・・・」

 渉。

 俺達はそれから少しの間咲夜を眺めていた。

 俺達は静かに廊下へと出た。

「渉。」

 美優が俺の方を見た。
 それから1歩こちらへと歩み寄った。俺の家族用のパーソナルスペースの距離である60cmより遥かに距離を縮めた。
 美優は渉を抱きしめた。

「ありがとう。」

 俺は完全に意表を疲れてこの唐突な行為に混乱していた。

「な、何に?」

 美優は抱擁した時と同じように唐突に渉から離れる。それから返事を返さず階下へと降りる階段へと歩いて行く。

 数歩歩いて、渉の方を振り向いて、このリボンのついた髪を揺らして美優は言った。

「渉が家族でいてくれて!おやすみ!」

「・・・・・・・・・」

 俺は何も答えられなかった。




  この大きな洋屋敷の最屋上にちょっと変わった部屋がある。その部屋が渉の部屋だった。
 渉の部屋。

  ベッドの上にはいくつものクッションが置かれている。
  枕元のイチョウの木から繰り出されたものを置く場所には、あでやかな光沢に光る電気のランプが置かれている。

 引き出しの中にはこまごまとした渉の大切なものや、日記などが入っている。

 ベッドにはカーテンを引くみたいに天幕をつくることができる。

 疲れた体をベッドに潜り込ませる。とたんにソフトな感触が渉を包んだ。インド風の枕と大小様々なクッションが極上の柔らかさを持って渉の体にフィットしているのだ。

 キングサイズのベッドで渉の頭は今日一日を振り返るともなくぼんやり考えていた。

 風呂にも入って、寝巻きに着替えたし、歯も磨いたので、あとは寝るだけだった。

 腰まで毛布をかけたまま、枕元の明かりを上半身だけを動かして消した。

 明かりを消すと真っ暗になった。
 今日のことを思い出した。ちょっとした冒険を。
 ドラゴンの背に乗ったのはもちろん初めてで、あの空の王者になったかのような全てを統べるような感覚。遥か空からの眺めに感動で体が震えた。
 今日とてつもない冒険をしたと思う。その最中はそれをなんとかすることに夢中でそのことには気が付かなかったけど。

 大きな丸い天窓からは星星の煌めきが。それは巨大な渉専用のプラネタリウムだった。
 あの星にすら手が届きそうだった。
 でも渉は自分の分というものを弁えていた。

「(もっとより、逞しくなりたい。みんなを守るために。
 守られているばかりではなく、みんなを守れるように。)」

 16歳の渉はそんな考えを抱いていた。

「(俺が皆を守る・・・・・・・)」

  階下から、みんなの声が聞こえた。
 渉は今日はくたくただったからすぐ自分の部屋にひっこんだけど、普段は他のところで皆と遊ぶのが日課だった。

「(あ・・・・・みんなでゲームをやってるんだ。)」

 未来や春日井、小夜鳴、春秋、美優などの声が聞こえる。もちろん渉には一人一人の声がちゃんと聞き分けられた。
 それどころか、声を聞くだけで誰がどういう表情をしているのか分かった。
 賑やかな声だった。暖かい笑い声は渉の耳朶にすっと優しく入り込んだ。渉にとってはどんな音楽よりも安眠出来そうな、この世で一番寝つきが良くなる睡眠音声だった。
 まどろみの中決してそれらの声は騒音ではない。それどころかよろしく、渉を眠りへと誘う。

 上妻の夜は更けてゆく。

       

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Neetsha