Neetel Inside ニートノベル
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奇跡のアイランド
第六話

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 4

「渉っ!!あーそーぼっ!!」

 そこにいたのは我が家の暴虐武人でトラブル愛好家の女の子と、その双璧を誇る男だった。その男は快刀乱麻の狂気の科学者。

 げんなりする俺。

 彼と彼女は最大級の笑顔でこちらを見ている。

 頭脳明晰。成績優秀。眉目秀麗。そんなお2人。それにこの性格。悪夢か?
 雑誌の表紙を飾れそうなアルカイックスマイルで俺を見る久尊寺義光と上妻真歌。なんだかすごく楽しそうだ。嫌な予感しかしない。

 俺は今すぐこの大窓から飛び降りて逃げようかと思った。というか実際にそうした。

 俺の返事を待っている2人を傍目に俺は淡々と大窓を解き放つ。
 そしてふわ、と窓の淵から飛び降りた。ここは三階である。とっさに駆け寄り掴もうとした2人の腕を渉の服がひらりとすり抜けてしまう。

「(さすがの反射神経だな)」

 それを視界の端に捉え、俺は地面目がけて真っ逆さまに落ちる。真歌が何も無いところから蔦を組成し、渉へと伸ばす。これはやはり精霊術だ。土と水の精霊術を織り交ぜた天才にできる芸当。しかしポケットに手を突っ込んだまま、口元に薄い笑みを浮かべる渉はその、まさしく命綱を掴まなかった。

「馬鹿!何やってんの渉!」

 今にも噛み付きそうな顔で真歌が叫ぶ。

 脇に立つ久尊寺博士は目をすっと細めた。そして腕を驚くべき速度で動かしたかと思うと、渉の周りの時間が急にスローになった。これも精霊術で、渉の周りの時間を一時的に遅らせているのだった。

 右腕に不可視の強烈なオーラが集まっているのが解った。恐ろしいほど強いオーラだった。半年前には分からなかったほどの力の差だった。あの時間を経て渉にはその力が解ったが、その差はやはり歴然たるものだった。そして恐らくまだまだ余力があることを。

 渉はあることを行おうとした。それは地術操作だった。土を瞬間的に柔らかくし、そこに落ちれば重さはだいぶ軽減される。そう。遅くなっているのは時間で、もともとの速度の数値が変わったわけではない。渉の周りの流れる時間が変わっているだけなのだ。

「ナイス!久兄ィ!」

 真歌が急いで蔦を何本も組成し、渉をそれに絡ませて落ちるのを阻止しようとした。

 だが、

「待ちたまえ。真歌くん」

 久尊寺博士がそれを静止した。組成前の段階で真歌がやろうとしていることは精霊術の動きで解っていた。

「ッ!?!!?なんで!!??」

 真歌が叫ぶ。

「何故なら・・・・・彼が・・・・」

 久尊寺にしては珍しく言い淀む。その間に真歌はイライラと地団駄を踏む。

「彼が、上妻渉だからだ」

 きっぱりと渉の目を見て久尊寺義光は言った。

「待った私が馬鹿だったわ!!!」

 何を訳の分からないことを。と真歌は思い蔦を組成しようとする。

「(間に合わない──────)」

 真歌の心が絶望で彩られた時、

 渉の体が黄金色に光った。

 こんな時なのに渉は渉の頭の中に巣食う何者かが渉にこういうのを感じた。

「(できんの─────?お前ごときが────?)」

 渉は笑った。

「(上等だ。お前。俺の。上妻渉の力を見とけよ。お前が吠えずらかく姿を見て後で嘲笑ってやる────)」

 そして力が発現した。だが、地面は柔らかくならずに激突した。そして意識が薄れた。


 ───────────

 気づくと渉は自室にいた。そして目の前には真歌と久尊寺が。
 真歌は笑っていた。何かがおかしかった。

「渉っこんないい天気だから遊ぶわよっ!!」

 上機嫌な真歌。まるで『何もなかったかのように』

「え・・・・・・」

 渉は答えずに久尊寺を見た。

 いきなり、久尊寺博士は渉を殴った。真歌が驚く。俺はそれ以上に驚いた。

「全く、君もしょうがない男だ」

 久尊寺は渉にやや疲れたような眼差しを向けた。科学者が数学や科学の入り込む余地のない膨大で複雑な人の業を前にした時に見せる目だった。その時に渉は悟った。この人は今起きたことが解っていると。

「何が・・・」

「渉くん。尾てい骨骨折。右腕複雑骨折。両足の半月板損傷。これが何か分かるかね?」

 渉が聞こうとしたことを話終える前に久尊寺が言葉を紡いだ。

 当然、渉には何のことかわからない。

「君が前の時空で負った怪我だ。」

「当たりは大混乱さ。あぁ。酷いものだった。・・・・この様子については後で言う。今はちょっと気分が悪い。」

 顔色悪そうにふらふらと窓に近づくと、久尊寺は窓から吐いた。その吐瀉物に下にいた春秋が悲鳴を上げた。

「うわあああああああ!!」

 その様子で一堂は少しだけ空気が柔らかくなった。


「・・・・・で、説明しなさいよね。何があったのか。」

 不可解かつ不機嫌な顔で真歌は腕を組んで仁王立ちをした。渉と久尊寺は顔を見合わせ、これは話すまで解放してくれなさそうだと悟った。

 それから俺が話始めた。
 やはり、いきなり飛び降りたところで真歌にこっぴどく怒られた。

「それで・・・・分からないのは・・俺は多分失敗して、地面にぶつかったのか・・・?いや、ぶつかったはずなんだけど」

「ああ、君は確かに硬い地面にぶつかり、人体はありえない方向に曲がり、大惨事となった。未来は気絶するわ、春日井は必死に君の体に呼びかける。咲夜は固まり、そして私はアリーシャに殺されかけた」

「本当に・・・・・・大惨事だった」

 渉は絶句する。

「こればかりは聞かれるだろうから先に答えておく。私がやったのは時空の部分的な改変だ。」

「(事象の・・・・・・改変?)」

「世界を・・・・・起こった出来事を改編したと言うの・・・?久兄は。」

 真歌が隣でやはり驚愕の面持ちで見ている。

「(そんなことができるのか・・・・)」

 渉は目を奪われ目の前の科学者の男を見た。白衣のこの男の中にある力。

「それ・・・・・俺にもできるようにる?」

 そう言うことを渉は止めることが出来なかった。

「あんたまだ殴られたらないの!?」

 恐ろしい剣幕で真歌がこっちを見る。至近距離でそんな顔をされたと言うのに渉はほとんど表情を変えずに、

「みたいだ」

 と言った。その目は目の前の真歌を見ずに、その時空改編の力だけを見ていた。

 そしたらホントにグーパンチが渉の顔に飛んできた。
 吹っ飛ばされて、鼻血が出た。だがそんなもの気にもせずに上半身を肘で起こしながら久尊寺を見た。

「どうなんだ?久尊寺博士」

 久尊寺は1度目を瞑り、そして目を開き言った。

「できる」

「俺は何をすればその力が手に入るんだ」

「さっきやろうとしたことを成功させることだ。つまり」

 久尊寺は逆光の中窓の前に立った。

「もう一度、この窓から飛び降りたまえ」

 真歌はぴしっとまるで音が聞こえてきそうなほどにその体と表情が固まった。

 渉は──────

「上等」

 鼻血を拭った。


 ───────────────────


 
「ここではなんだな」

 久尊寺博士が言った。確かにこの家のこの場所で何回もやるわけには行かない。

「裏の雑木林にしよう」

 渉が提案する。

 久尊寺博士が部屋を出て、次に渉が部屋を出た。

 真歌はまだ事の成り行きについて行けてなかった。
 ただこの二人は立ち尽くす真歌を置いて外へ行こうとする。真歌は歩き出す渉の横顔を見た。その横顔は険しく、何かが入り込む余地すらないように見えた。

「なんで…………なんでなの?何でそんな事を?………何の為に?」

 その問いに渉は言った。

「強くなりたいから」

 それは単純なことだったが、真歌には真の意味では分からないことだった。

 真歌は何も言うことが出来なかった。


 未来は廊下を歩いている久尊寺博士と渉を見た。未来は言葉では表せなかったが、その二人の様子が気になった。それに一呼吸遅れて追いかける真歌の焦りの浮かんだ表情。

 未来も慌てて追いかけた。

「ねぇ真歌」

「何かあったの………?」

「久尊寺くんたちどうしたの?」

「未来」

 真歌が見せるやはり余裕のない顔。良くない予感が加速するようにじわりと未来の胸中に広がる。
 未来は真歌がうろたえている間に真歌を追い抜き、渉達を追いかけた。

 しかしもっとも嫌な予感を決定づけたのは次の出来事だった。

「渉」

 久尊寺博士は振り返らない。渉だけが振り返る。立ち尽くす未来の視線の先で渉は微笑みを見せた。その微笑みは神威に似ていた。冬の空の光のような微笑み。渉はそれだけで、何も言ってくれなかった。
 そして彼らは行ってしまった。未来が次のドアを開けてもそこには2人の姿はなかった。未来は2人を追いかけることを諦めなかった。怖かったから。渉が本当にこのままどこかへ行ってしまうんじゃないかと。屋敷から出て未来は渉達を探しに行く。

 ────────────────────

「さて、渉くん。どこいらがいいかな」

「俺が決めていいのか?」

「ああ。まずは術師にとって1番馴染む場所でなければ精霊も力を貸してくれん」

 渉は歩き続けて、どこがいいかを探した。
 歩いていると墓地に遭遇した。この島の唯一の墓地。

「渉くん。お参りに付き合ってくれないか」

 いつになく、そんな非科学的なことを言う久尊寺博士。この墓は渉の先祖の墓であると同時にこの島で死んでいった人達が眠っている。

 線香にマッチで火をつける久尊寺博士。

「ありがとう渉くん」

 久尊寺博士は先祖何を話したのだろうか。

「ここがいい」

 渉が決めたのは自分の畑が見える裏の崖の上だった。高さはどれぐらいあるのか分からない。20mぐらいだろうか。後ろの森がざわめく。

「確認しておこう」

 渉が振り向いて言った。久尊寺博士は渉を正面から受け止めた。

「俺があんたが使える時空を操る力を習得するための手始めとして、ここから飛び降りて、俺が地の精霊術を使って地面を柔らかくし、生き延びる」

「時空を改編することって、どこまでできるんだ?何でもできるようになるのか?」

 渉がさらに聞く。

「何でもできる訳ではない。と先に降伏しておこう。ただ、何でもできる。に限りなく近づくことが出来る。君が心の底から望みさえすれば」

「強く、強く、果てしのないほど強く願わなければ時空改変は、行えない。」

「そして、そんな簡単に使えるべきではないのだ。なぜなら我々は世界を壊してしまえる力を前にして正気を保つことは難しいから」

 体格のいい、久尊寺博士はきっぱりと言った。なぜ年柄年中研究をしているのにもかかわらず、こうも姿勢がいいのか渉は気になった。

「時空改変の力を使った後は多大な集中力と膨大な疲労感を伴う。そして人間として大事なもの、周囲との共感能力を失う。あまりに大きすぎる力は周囲に溶け込むことも難しくさせる。」

「それでもやるんだな…?」

 久尊寺博士が今まで見せたことのない、余裕のない顔で渉を見た。その時なんとなく久尊寺博士には俺にその力を習得して欲しくないように見えた。

「やる。そんな力が欲しい」

 渉は言った。力を求める少年。何時になっても、どの時代になっても、少年は力を求める。

「やめにしてはくれないか?何もそんなに焦らなくてもいい。少しずつ強くなっていけばいいではないか。なにもこ……」

 久尊寺博士がこう続けるのを聞いて、渉は崖から飛び降りた。恐怖はもちろんあった。だが、それを超える衝動が渉の中で沸き起こった。それが恐怖を勝ったおかげで渉は1歩を踏み出すことができた。1度飛び降りに失敗した後にもう1度飛び降りるのだ。簡単なことではない。だから、行ける時に渉は行った。

 地面は特に見なかった。飛び降りてから考えることにした。限界まで1秒、1瞬が刻まれてゆく。
 岩肌が手を伸ばせば触れる距離にある。脳内は正に恐慌状態だった。恐慌状態のままに崖っぷちまで来て、さらに恐慌状態の値が跳ね上がった感じだ。数瞬が永遠にも感じる。目を瞑りたいという本能と目を開けなければと渉が自分に刻んだ不文律が激しくせめぎ合っていた。

 地面はあっという間に目前へと迫る。俺は力を発現した。どうやれば力が現れるかも分からないまま。そう考えたら次の瞬間視界が真っ暗になった。

 ────────────────────

 気づけば崖の上に立っていた。

「…………………」

 飛び降りる前の様子。雲の切れ目から覗く太陽。渉は思わず顔を歪めた。しかし本当に顔を歪めるのは次の瞬間だった。渉が振り返ると久尊寺博士が腰を下ろし、頭を垂れていた。久尊寺博士はぜいぜいと息をしていた。何も説明されないでも分かった。世界改編の反動がやってきたのだ。

「久尊寺博士!」

 渉が近づく。

「大きすぎる力にはリスクが伴う…………体力は何の…………私は世紀の大科学者久尊寺義光だぞ。問題ない」

 顔を苦痛でこわばらせる久尊寺博士。

「説明がまだだったな………世界改編を行使できるようになるには、精霊術の分野を最低1つ極めなければならん」

「俺の場合は、地の精霊術ってことか」

「1番早いと思われるのがな。渉くんが極められる精霊術はそれだけではない」

 久尊寺博士が断定する。

「ごめんなさい………俺が、俺のせいで」

 渉が言う。

 しかし、久尊寺博士は疲れた体で、しかしきっぱりと首を横に振った。

「今はそんな事を気にしている場合ではない。この地の修行の段階をレベルで言うとレベル10の試練だ。君が行っていた畑作業は地の基礎修行にあたる」

 なぜ、そのことをと渉は頭によぎる。

「すまない。大人達はそうする必要があったのだ。かならず説明する。分かってもらえるまで説明する。だから今は何も聞かず地の修行を続けてもらえないだろうか」

 血の気の失せた顔で久尊寺博士が言う。

「よく分からないけど……俺は跳ぶよ」

 スッと立ち上がり、崖の方を向く。今さらながら、自分だけのことではないということが分かってきた。ただ、今はそのことは忘れることにした。それを考え始めたら、跳ぶことができなくなるから。

 ザッザッと渉は砂利と共に、崖際までゆく。その渉の周りを黄色のオーラが立ち上る。

「(いいぞ…………さすが。渉くんだ)」

 苦痛の中、それでもニィと笑みを浮かべる久尊寺博士。

 渉の極限まで高まった決意と集中力。もう、一連の修行を行うことしか考えていない。

 崖の際で渉は深呼吸をして、それから脱力した。行ける───────その確信があった。地の精霊達が周囲に集まり、渉の脳を通して周囲と循環しているのが分かる。

 その時突如砲弾のように恐ろしい速度で飛来した黒色の槍が渉を貫いた。
 お腹のあたりに一度も経験したことのない痛みが訪れた。落下した時は1瞬で何も分からなくなったのに対し、この痛みは渉から全ての感覚を奪い、そして恐ろしい痛みだけを与えた。たちまち膝から崩れ落ちる。そのまま崖から落ちて、また、世界が暗転した。

 ──────────────────

 視界が急に広がる。2回目の景色。2回目の雲の切れ目から太陽が覗く空。ぶわ、と悪寒が走り、咄嗟に横に跳ぶ。渉がさっきまで立っていた位置に必死の槍が飛ぶ。その槍は勢い飛び、反対側の木をなぎ倒して、斜面に深々と刺さった。

 殺されかけた。いや、一回殺された。そのことで頭に血が登る。

 振り返るとそこには黒い何かが立っていた。同時に見えたのは地面に倒れている久尊寺博士。尋常ではない状況だった。
 黒い何かは黒色の甲冑を身にまとった騎士のようだった。全身黒色の甲冑を装備したそれは、しかし兜の下は空っぽだった。兜だけではない、鎧の隙間にはあるべきはずの肉体がなかった。

 咲夜の声が蘇った。

「あれはキーマじゃないんですか?」

 あの時の、あの、あれだ。こいつが、今、何故!?

「久尊寺博士!!」

 渉が叫ぶ。

 しかし、この男は弱々しい、掠れ声でこう言った。地面に張ったまま、大粒の汗を垂らしながら。

「………………………………来るな。やるべきことがあるだろう………………?」

 その言葉に、姿に渉はまたも意識が覚める。

「(俺がやるべき事。それはこの修行をクリアしなくちゃいけないんじゃないか!!)」

 がしゃがしゃと音をたて、どこからきたのか分からないそれが渉に近づく。人間らしい挙動で動かないそれは、ガントレットが持ったサーベルを振って近づいてくる。

「(おそらく…………次に久尊寺博士に時空改変をさせたら久尊寺博士は死んでしまう!!)」

 それくらい彼の体力の消耗は激しかった。そんな中で彼は声を振り絞ったのだ。久尊寺博士は今回渉が失敗してもまた、時空改変を行うつもりだ。そんなことを、させるわけには行かない。

 渉は飛び降りた。
 地面が迫る。ありったけの精霊術を使って念じる。脳が精霊を循環し、目標の地面の形態を変化させていく。

「(駄目だ…………!駄目だ…………ッ!!)」

 時間が足りなかった。あと1歩のところまで術式は完成したが、軟化という最後のプロセスに至るまで時間が足りず、またも崖下でどちゃっと言う鈍い音がしただけだった。

 崖の上で浅く息をする久尊寺博士。

「(失敗か…………それでいい。何度でも試せ。何度でも)」

 もはやその身体はほとんど動かず、僅かな呼吸を繰り返すのみだ。
 目に光を失いつつも掠れかけた小さな音が口元から紡がれる。

「明けない夜はない…………潮汐力の関係で地球の自転が完全に静止してしまうまで、まだ時間はある」

 久尊寺博士の目の失いかけた最後の灯火が燃えた。

 ────────────────────

 雲の切れ目から太陽が覗く。風が吹く。
 渉の足ががくがくと震える。抗いがたい力によって渉は振り向いた。そこにはいつもの飄々としたアルカイックスマイルを浮かべる青年はいなかった。

 ぴくりとも動かず、地面に横たわる久尊寺義光という男の姿があった。

 そこにはあるべきはずもない光景が広がっていた。

 久尊寺義光の骸が。

 渉は足から崩れ落ちそうになった。自分の愚かさに、自分の無力さに。

 最後のチャンス。チカラを得る為のシレン。とにかく、とにかく、力が欲しい。力を手に入れて、あいつをめちゃくちゃにしたい…………

 渉はもう一度飛び降りた。いろいろな感情が一気に溢れ出てきて、心がはち切れそうだった。

「頼むよ!!!俺は俺の事なんか信じられねぇよ!!俺のことを信じさせてくれよ!!!!」

 地面に到達するその瞬間、組み上げた演算が終了し、地面へと降り立つ。柔らかい、ふかふかのクッションのようになった土が渉の五体を受け止める。

「ようやく出来た……………!」

「喜びより、正直やっとできてくれたかって感じだよ…………!」

「次は……………」

 イメージする。頭の中で叫ぶ。強く、激しく。そう。行けるはず!やれるはず!できるはず!俺なら!

 戻れ!戻りやがれ!!戻りやがれ!!
 描くのは久尊寺博士の体。彼の体を。

 キイイイイイイイイイイイイイイイイイイと高周波の音のようなものが渉の周りに展開される。

 風が吹き荒れる。落ちた葉が舞う。全て渉を中心に展開されていた。空間そのものが動いているかのような。



 上妻家からでも分かる者には分かった。神威が顔を上げて呟く。

「なんて強力な時空振動だ………………」

 アリーシャが東の空を見て微笑んだように見えたかもしれないが、それは光の錯覚かもしれない。



「(戻れ!戻れ!戻れ!戻れ!)」

 だんだんその言葉が頭の中で大きくなるような気さえする。繰り返すこと。思考が祈りになり、その祈りが確かさになる。その確かさこそが世界改編に必要な事だった。

「俺の無力を!!愚かさを!!全部贖わさせろ!!!」

  目を瞑り祈り続ける。奥歯と奥歯がくっつきそうなほど、歯を食いしばった。

 そして、

 ぐにゃり。

 という音と共に、世界が改編された。

 ────────────────────

 渉は崖の上に立っていた。目の前の黒い騎士を睨みつける。

「びっくりしてるか?…………俺はびっくりしてるよ。自分の愚かさ加減にな」


 横たわる久尊寺博士は浅い息をしている。そう、渉は久尊寺博士が世界改編を行う前に戻るという世界改編を行った。

 目の前の黒い騎士。なにか。 まさかここまで攻撃的なものだとは思っていなかった。

 俺が1発で成功させてりゃあ…………俺がもっと努力家だったなら………

 それでもやっぱり、こいつが悪い。

 こいつを倒して全部帳消しにする。


 目の前の黒い騎士はこちらに少しずつガチャガチャと鎧を響かせながら、近づいてくる。

 どうやって仕留めるか。やってみて分かったが、世界改編は恐ろしいほどに体力を消耗する。1回やっただけで目の前がくらくらする。

「(やつを俺に近づかせたくない)」

 渉はそう思った。この得体のしれない何かが持つ武器は剣のみ。絶対に説得も会話もできない。何をされるか分からない。

 渉は脳を通して微精霊を循環させてゆく。循環スピードは今までと比べ物にならないくらい早かった。地の精霊術だけならばトップクラスの速さで精霊術が使えるだろう。

 術式半分、演算半分に精霊術が組み上がる。
 特大の精霊術が組み上がる。このレベルに到達するのはおそらく30代後半。それもかなりの才能を持った者で。渉の文字通り命懸けの修行が渉をやったからだ。
 16歳この少年は、今、ようやくその力を振るうことができる。

 特大の精霊術を発動し、直径50cmの岩の砲丸を黒い騎士にぶつける。

 1つの岩は兜に当たり、兜が吹っ飛んだ。
 2つ目の岩は胸鎧の当たりに直撃し、黒い騎士はまるで紙切れのように吹っ飛んだ。
 岩が割れ、ひしゃげた鎧に被っている。

 ひしゃげた鎧の騎士は立ち上がった。

「ふーん……じゃあこれだ」

 先ほどよりも規模は大きく、スピードは早く術式を組み上げる。両手をかざすとそこに力が収束していく気配がある。渉の周りには生命が息づいている。それに対し、黒い甲冑を纏った何かは完全に死のようなものだった。無のようなものと対峙する渉。
 しかし、渉にとっては相手がなんだろうと構わなかった。

 生命で色づいた光る黄土色のオーラが渉から噴出している。その炎のようにゆらゆらと激しく燃え上がるオーラが突如として渉に収束し始めた。全ての力が渉の元に留まり、結晶と化す。

「さあ…………頑張って耐えろよ」

 渉が向けた精霊術が発動した。黒い騎士の後ろ岩肌から次から次へと落石してくる。ドドドドドドドドドドドッ!!

 災害クラスの激しい岩雪崩を渉は発生させたのだ。
 鳴り響く轟音。スペクタクルな光景が起きている。

「はははっははっは!!」

 轟音とシンクロするかのように笑い声を上げる渉。
 その様子を久尊寺博士は見ていた。

「(いかん…………あまりの力に精霊の側に飲まれかかっている…………このままでは渉くんが完全版精霊の側へ行ってしまうことになる)」

 しかし、度重なる世界改編で博士の体は動かなかった。

「(やつを倒せたとしても渉くんが向こう側に行ってしまったとしたらなんの意味もないのだ。このままでは彼は人間に、戻れなくなる!!)」

 一体どうすれば。

  鎧を纏ったなにかと渉が対峙している。
 倒す。とにかくこのなにかを打ち倒す。渉はそれに焦点を定めた。

 アリーシャがここにたどり着いた。四大精霊の力を使ってここまでたどり着いたようだ。やはり一番速いのはアリーシャだったか。

「(やはり、ただの人間には敵わないのだ)」

「(だが、今の俺なら)」

 勝てる?

「(勝てるかもしれない)」

 アリーシャに向かって獰猛な笑みを浮かべる渉。そのまま叩きつけるようにして腕を振る。次々と岩がアリーシャへと向うが、不可視のバリヤーがそれを弾く。
 先ほどの岩雪崩の事もそうだが、自然に作用する力の方がより、小さな力で大きな作用を起こすことができる。超自然の力とはいえ、宇宙の法則の影響は多大に受ける。

「渉!やめてよ!」

 この場にいるのは人外の存在が三つ。黒い何かが一つ。人外になりかけの存在が一つ。精霊の王が一つ。しかし一人の人間がいた。渉を追いやってきた未来だった。
 この轟音と濁流と砂塵が吹き荒れる中、その渦中に未来は飛び込んだ。その中心へ。

 とうとう中心の渉の元にたどり着き、渉を背中から抱きしめた。

「渉!よく見てよ!アリーシャなんだよ!あなたが守りたかったのは誰?あなたは何のために強くなりたかったの!?」

 その言葉と想いは渉に届くのだろうか。

「(俺は…………強くなりたかった。家族を守りたかった。必要とされたかった)」

 岩雪崩がアリーシャを襲うのをやめた。
 砂塵の中渉は立っていた。

「なんでだよ……こんな中に突っ込んできやがって……危なすぎるだろ」

 渉は正気に戻った。

「敵を倒そう」

 砂利を踏みしめアリーシャが言った。

 急速に正気に戻って行った渉。

  なんだこれ………なんでこんなことに?
 近くにはアリーシャと未来がいる。未来の服装が黄色の服にショートパンツ。そしてマリンキャップをちょこんと被っている。

「渉?ねえ渉だよね?私の知ってる渉だよね?」

「ああ……たぶん」

 アリーシャが渉が正気に戻るのを確認せずに久尊寺博士の元に駆ける。アリーシャは信じていたからだ。渉と未来を。その繋がりを。お互いを想い合う心を。人間ではないからこそより強く、純粋に信じていた。

 アリーシャが倒れている久尊寺博士の所まで駆け寄り、膝をついた。右肩のあたりから大天使を形どった精霊の集合体が顕現する。とてつもない力で久尊寺博士の傷と痛みを治そうとしたのだ。
 しかし、アリーシャは目をハッと開き、後ろに跳躍する。短めのスカートを履いていたのでそのアクロバットな動きを服装が邪魔することはなかったが。

「どうしたんだ。アリーシャ…………?」

 渉がアリーシャに近づいて言う。

「体を………久尊寺博士の体を乗っ取られた」

 苦渋の決断に迷っているような顔でアリーシャの視線の先には久尊寺博士がまだ倒れている。
 渉と未来には信じがたかった。

「そんな……」

「(久尊寺博士があれに乗っ取られた?)」

「ねえ何が起きてるの?」

 未来が言う。

「よく分からない。あんまりよくない状況なのは確かだ」

 久尊寺博士がふらふらと俺達の方に向かってくる。

「どうすればいい?アリーシャ!」

 俺は久尊寺博士から視線を切らさずに言う。

「どうしようもない。私には彼ごと殺して動きを止めるしかない」

「なっ」

「何を言ってるんだ」

 ふらふらとこちらに歩み寄ってくる久尊寺博士から目を離してアリーシャを見る。

「私には」

 アリーシャもこちらを見た。その真紅の双方が渉を真っ直ぐに見据えた。

「だが君になら、彼からあの……敵をはぎ取ることができる。君の力なら」

「俺しかできないだって?」

「そうだ。私にはできん。例えこの場に神威がいても、藍子がいても、漆がいても、あの竜がいても、久尊寺博士がもう1人いたとしても」

 久尊寺博士に憑いた何かが久尊寺博士の腕を挙げさせる。途端に博士の周囲の空気が凍結し始め、いくつもの宙に浮かぶ氷塊となった。その鋭い氷塊の先は俺達に向かっていた。
 一気に氷塊が俺達に襲いかかる。
 俺は土の塊の壁を地面から湧き出させる。揺れる地面。俺は未来を引き寄せて庇った。万が一にも氷塊に当たらないように。右では同じくアリーシャが地面から壁を湧き出させていた。一人の一流の地の精霊術師が生み出した土の壁と精霊の王が創り出した土壁は完全に氷塊を防いだ。

 激しい振動と轟音。パラパラと落ちる砂粒。
 その時渉は未来を抱きしめた。

「心配かけてごめんな」

「もう大丈夫だから……必ず俺が守るから」

 渉は揺るぎない確かなものを携えてこう言った。

「うん……うん」

 未来は渉の背中に手をまわし応えた。その翡翠のような瞳に涙がこぼれる。

 未来を後ろに置いて、攻撃役の二人が前に出る。ヒーラーは後衛って昔っから決まってるのさ。それにお姫様は後ろにいるってのも昔っから決まってる。

「(おや?)」

 と思う。

「(なんだ。調子が戻ってきたじゃないか。俺)」

 渉とアリーシャが二人並んで立ちはだかる。

「手加減なしのフルパワーで動きを止めるんだ。いけるかい?」

「ああ……もう後はないのだから」

 後がない。その意味は渉には分からないことだった。

「次は攻勢に出るぞ。私達で動きを止めたら君が決めてくれ。座標指定をして、一点で世界改編をして、博士からあれを引き剥がしてくれ。」

「分かった」

 言うやいなや俺とアリーシャは地の精霊術で博士の動きを止めるべく操作を行う。
 ドドドドドドドドと辺りは工事現場の10倍の轟音が響く。土砂が津波のように博士を囲う。俺達は、土砂の並を指揮で操るように操作した。最後は掌をぎゅっと握り博士を土砂に半分埋もれさせる形をとった。この完全な連携は家族だからこそ生まれるものだった。

「今だ!」

 アリーシャが鋭く叫ぶ。

「言われなくても!!」

 それに応じるように俺が駆け出す。
 体は軽い。だが、この不安定で作られたばかりの土砂では走りずらい。土を固めてから行く。今の渉にはその程度のことなら半秒で行えた。
 これには未来は感嘆した。
 さらにアリーシャが渉に風の精霊術で動きに補正をかけた。渉の動きが加速する。

 そして博士の体が胸から下が埋まっている位置まで走りついた。

「チェックメイト」

 太陽を背負い渉の影がその何かを覆う。腕を伸ばし世界改編を行おうとしたその矢先。その博士に憑く何かは考えもしないことをした。

 久尊寺博士の口から血が吹き出す。黒い何かが急に久尊寺博士の体自体を攻撃し始めたのだった。

「ふざけるな」

 渉は一喝する。思いもしない行動にも、もはやこの後に及んで動揺しなかった。今の渉なら意識を一瞬で絶たれない限りほぼすべてのことに対応可能だった。

「世界改編」

 渉が呟くと世界はぐにゃりと片付いた。

 博士に取り付いたことをなかったことにし、さらにその何かは無かったことにした。存在自体を消滅させた。まるで紙の上の落書きを消しゴムで消すかのように。


 その存在はこの世界から消滅した。全くの消滅。

 
「(勝った────)」

 渉は後方の二人に手を振り合図をする。終わった、と。

 未来がたったったとこちらに歩いてくる。

「久尊寺博士を治してくれ」

 俺がそう言う。

「私がやろう」

 アリーシャが治癒術を発動させる。
 俺は気が抜けたのと世界改編の反動が相まって膝をついた。
 アリーシャの広範囲の治癒術は俺さえも治癒してくれた。
 未来も治癒術を発動させようとする。

 俺は、俺は大丈夫。と言おうとしたら先にアリーシャが口を開いた。

「大丈夫だ。未来。私がいるから」

 アリーシャが未来の顔に手を伸ばした。血の気の引いた未来にも治癒術を施しているようだ。少なくともこの範囲にいる間は健康すら増進しそうだった。

「あ。ありがとうアリーシャ」

 複雑な演算は気を張らなければならない。未来はようやく安心した。ほっとした顔が未来の顔に浮かぶ。

「(俺が安心させたかったんだけど……まぁちょっとは俺も強くなれたし……今のところはね)」

 などと主人公を脇からみる脇役のようなことを考える。だいたいなんかいきなりシリアスパートに入ったのがおかしかったんだ。これからはほのぼの日常パートへと一転攻勢さ。

 じーっとこっちを見てくる未来。

「(なんだろう)」

 と俺は思う。そういえば未来はよく俺のことをじっと見てるような気がする。話している時の騒がしさと相まって静かになられると注目してしまうんだ。
 しかし柔らかそうな唇だな。えい。

「にゃっ!!」

 未来が驚きの声を上げる。
 俺は未来のほっぺたをぐにっと引っ張った。

「もうっ」

 と抗議の声を上げる未来。

「ハハハ」

 と笑う俺。

「う………………ん…………」

 おや、久尊寺博士の意識が……?

「やあ、おはよう諸君。なんだか私は結構ひどい目にあったような気がするのだが。私の白衣が茶色に染まっているではないか」

 ああ、たしかに。俺を殴って拳を痛めて体力使い果たしてぶっ倒れて、一度死んで、体を乗っ取られて、土に下半身が埋まって、内蔵を破裂させられた。そういえば何個か前の世界でアリーシャに殺されかけたんだっけ。

 俺は笑いがこみ上げてきて笑ったら未来もアリーシャも笑った。

       

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Neetsha