Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 7

  二階堂は山の中を歩いていた。

 泉があった。その畔は不自然なほどに澄んでいた。綺麗な、犯し難い泉。人が踏み込んではいけない場所まで来ているような気がした。

 泉の畔に立っていると、その中から何かが現れた。

「(女神?)」

 鏡のような水面からさざ波一つ作ることなく浮かび上がる。女性がその畔の上に浮かんでいた。

「なんなんだ。あんたは?」

 二階堂がうんざりしたような口調で問いかける。

「何もかも連続してやってくるな。もうちょっと安定した時にやってきてほしいものだ。」

「お前が宣教師どもの言っていた神か?」

「いいえ。違います。彼らの考えているものとは私は違うのです。この島の人間が私と接触したのは貴方が初めてです。」

「ああ、そう。それじゃああんたは一体誰なんだ?まさか新入生だとは言わないよな。そんな格好して。この島の謎に関わる人間なんだろ?」

「ええ。その通りです。」

 目の前の神(仮)は簡単に認めた。

「ここは一体なんなんだ?」

 二階堂はいきなり核心に切り込んだ。あれだけのことをやった琥珀に今恐れるものがあるのだろうか。みんなを解放した二階堂が今自分の命を惜しいと思うだろうか。

「ここは貴方が以前住んでいた世界から切り離され独立した世界なのです。」

「あの世なのか?」

「違います。ですがある意味においてはそうです。貴方が以前暮らしていた世界で命が終わると、この世界に迷いこんでしまう人がいるのです。魂の循環というものがあるのですが、魂は一度浄化を行わなければ、転生は有り得ません。その浄化のプロセスの途中が、今、この世界において行われています。」

 言っていることはまるでヒューマンスクールの宣教師のようなことみたいだと二階堂は思った。

「で、つまり俺達の魂は汚れているから、ここで綺麗にしているとでも言うのか?」

 二階堂はそう言った。

「違います。あなた達の魂が他と比べて汚れているということではないのです。人間的な言い方をすれば個性の範疇のものでしかありません。」

 二階堂はさっきのこの泉の精の言うことでその解釈には至らないということは自分でもわかっていた。

「じゃあ、やっぱり俺を含めて、みんなは一度死んでるんだな。」

 二階堂は沈黙の後そう言った。
 泉の精はこっくりと頷いた。子供のような首の振り方だった。

「お前は俺達をどうしたいんだ?これからどうするつもりだ。」

 二階堂が敵意を含んだ眼差しを泉の精に向けて言った。

「なにも。」

 泉の精は悠然と、確かにそう言った。

「私自身の行動や行動の原動力となる願望というものはほとんどありません。私はあなた達人間よりもより無力な存在でもあるのです。」

「でも、一つ望みがあるとしたら、あなた達に幸せになって欲しいのです。」

 泉の精は微笑んで言った。儚い散る前の花弁のような微笑み。

 そう聞くと二階堂は喉をくっと鳴らした。その顔には嗜虐的な笑みが浮かぶ。

「何を言ってやがる。やはり宣教師の物言いとそっくりだ。幸せになって欲しいだのなんだの言いながらその実やっていることは、奪うことのみだ。」

 その二階堂の言葉を黙って聞いている泉の精。泉の精が口を挟むことは無かった。

「丸めこもうとしたって無駄だ。お前も宣教師側なんだろう?今このタイミングで俺に接触してきたのがいい証拠だ。はっ。のこのこ現れたのは間違いだったな。お前にできることなんて命乞いだけだ。」

 一切の容赦のない声音。この少年はこの歳にしてなんて声で喋るのだろう。なんて冷たく、恐ろしい、慈悲のない意思か。灰色の湖の淵のような色合いの瞳。 暗黒の盆地で手をこまねく恐ろしい死神の持つ瞳のような。

「私は、」

 ふっとそこで泉の精は顔を上げた。遠くの方から伝わる声達を心地よさそうに聞いているかのように見える。

「この島の人間の心がある一線を超えた時に現れる存在です。その瞬間を私は待っていました。貴方のおかげです。」

 二階堂の方を向いた。その視線には、宣教師たちのような、じめじめとしたものはなかった。澄み切った透明な水のような瞳が二階堂を見た。

「そう、私は貴方が以前住んでいた世界で、自由の女神と呼称されていた存在です。」

 二階堂は笑った。

「なんだこれ。笑える。」

 空気が少し変わった。 二階堂が纏っていた殺意とも認識できる漆黒の意思が立ち消えたのかどうかわからない。が、この場の空気は柔らかくなった。

「なあ、ビックバンは何故起こったんだ?」

 二階堂はおもむろに言った。この質問に答えられたら、目の前の不可思議な人間は正真正銘の神ということになる。さらに、科学を探求する人間である二階堂はもうこの先生きていく意味の大半を失う。それでもつい口をついで出たのは何故だろうか。彼は簡単に言えば自暴自棄になっているのかもしれない。好奇心も手伝った。

 果たして泉の精は、答えなかった。

「さあ。」

 というだけだった。

「今確認されていない元素はどうやったら精製、観測できるんだ?」

「さあ。」

 楽しそうに微笑むだけだった。
 神は全知全能のはずだ。これらの質問にも神ならば、答えられるはず。答えられないのならば・・・
 二階堂はホッとしてもいた。生きる意味を失わずにすんだ。

「(そうだ。俺はこういうことを考えているだけでワクワクしてくるんだ・・・・)」

 二階堂は目の前のこれが本当に神かどうか確かめるための質問が、自分にとってとても重要なものであることに気がついた。

「何故みんなを助けてくれなかったんだ?人が死んだんだぞ。たくさん、殺されたんだぞ。今頃出てきても・・・・何故今頃。その力がないのか?俺がやるしかなかったじゃないか。」

「ええ。あなたの言う通りです。私は、ある条件下でしか顕現できません。すなわち人々の心が自由を求めて一つになった時。あなた達人間ぐらいです。自分達の意思の力で現実を変えることができるのは。」

 自由の女神は言った。

「そうかい。神様も楽じゃないんだな。」

 二階堂はかぶりを振った。

「あいつらは、ヒューマンスクールに殺されたやつらはどうなったんだ?」

「彼らの魂は循環しました。次の生に宿っていますよ。」

  殺された者の魂はもう戻ってこない 。

「そうか・・・・・」

「悪いけど、監視をつけさせてもらうよ。お前の存在は不確定要素なんでね。」

 二階堂は頭が混乱してきた。この事実をどう受け止めたらいいのか。過酷な現実は何故か連続して突きつけられる。それが二階堂の人生だった。だからそういうことに慣れていた二階堂は時間をかけて消化することにした。あらゆる角度から検討し、検証する。

「いつか、この時を振り返って、全てを懐かしく思う時が来ます。」

 女神が言った。遠くを見るように。何かを思い出しているのだろうか。時間を統べる者の、永い時を生きる者のいう言葉だった。

「私はもうそろそろ行きます。今のこの島はとても心地がいいです。つい長居してしまったほど。」

 二階堂が何かを言う前に自称、自由の女神は姿を消した。後には泉が残るばかりだった。


 

  「どこ行ってたんだよ。二階堂!」

 グラウンドに戻ってきた二階堂は盛大に迎えられる。誰もが二階堂に尊敬の目を向けていた。グラウンドにヒューマンスクールの宣教師の額縁などを燃やして起こす火がごうごうと燃え盛っている。

 歓声はなり止むことはない。二階堂を囲んで、人垣から喜びの叫び声を上げていた。嬉しいんだ。ここから解放されたと言う事実が。

「(ほら。こんなにも人々は自由を求めているじゃないか。)」

 二階堂は口角を上げ、呆然とした笑顔でその歓声の中心にいた。
 みんなは二階堂に感謝しかない。みんなが二階堂に触りたがった。皆の手が二階堂の頭をわしゃわしゃするし、抱きつく者が続出した。抱きついてくる者は女の子が多かった。二階堂よりも年上の女の子も、年下の女の子も。もちろん同世代の女の子も。少しその最前列から離れたところで届かない人達がぴょんぴょんと跳ねたりして近づこうとしている。

「最高だぜ!!二階堂!!」

「中山をぶっ飛ばしてくれたんだってな!もう俺は涙が溢れて止まんねぇ!すごすぎてるんだ!」

「あ、握手してください!」

 十二歳くらいの女の子だろうか。顔を真っ赤にして握手を求めている。もじもじしている女の子が精一杯勇気を振り絞って言ったような様子だった。

 やや離れたところから視線を感じた。

「げ・・・怒ってる。」

 ふくれっ面で腕を組んでいる柚子葉。アイコンタクトを試みる。

「(・・・・・!)」

「(通じろっマイアイココンタクト!!)」

 その時二階堂の頬にロングヘアを活発になびかせた女の子がキスをしたので、それを見た柚子葉はさらにそっぽを向いた。

「(あちゃあ。)」

 しかし鳴り止まない歓声に柚子葉は最後に笑顔になった。喝采がとてつもなく続く。ヒューマンスクールが崩れ落ちた時と同じような喜びと解放が人々を包んでいるのだ。長年の苦しみが今日晴らされた。

「皆は今のままでいいんだ!変えられる必要も、死にたくなる気持ちになるなんて必要はなかったんだ!皆の希望は正しい。自分の中にある自分の求めるものこそが正しいんだ。自分の自由。尊厳を奪うことこそが間違っていたんだ!!」

 外へ外へと皆の心に届くようにと願って喋る。

「俺達は自由だ!!その誇りを持っていていいんだ!もう目覚めたぞ!もう騙されはしねえ!!」

 皆が、想いを一つにして叫ぶ。

「一人一人の心に自由を求める限り、俺達は死なない!」

「二階堂琥珀がいなかったら、この光景は有り得なかっただろう!」

「二階堂を見い出したのは俺なんだ!俺!」

 美濃が声を上げ手を広げる。その事実に皆はほぉと声を上げた。ちゃっかり美濃も皆に担がれていた。
 あたりは祭りのような様子だった。なんてどんちゃん騒ぎなのだろう。若い力が満ちあふれていた。

「皆が奪われに奪われてきたものが戻ったんだ。」

「いや、俺達の手で取り戻したんだ!」

 様々なものを奪われてきた。これからは決して自分の財産を奪われてなるものかと一人一人が誓っていた。集団があって、社会ができるのではない。個人が集まって社会ができるのだから、どちらが主でありどちらが従であるかは明白である。

 大の字で人々に支えられて持ち上げられる二階堂琥珀。ブルっと震える。その中で二階堂は輝きに包まれていた。ゲルマディック海溝よりも深い心の色。深い深いの蒼の心の色。いくつもの色が混じりあって、最終的にスパークとともに深い空よりも深い蒼い心に。




 二階堂は疲れてその火を見ながら眠りに落ちた。ずっと気を張って、なおかつ急ピッチで計画を続けてきたのだ。火の前のグラウンドで眠りの中へと入って行った。誰かがつぎつぎにクッション類やらを持ってきて、二階堂の下に引いた。この英雄に誰もが尊敬の念と友愛とを向けていた。二階堂琥珀はみんなに囲まれながら寝た。半年ぶりに心地のいい眠りだった。今までで一番良い眠りだった。

 目を覚ますと火はまだ轟轟と燃え盛っていて、宴は続いていた。

「あーっやっと起きたぁ!にかいどぉ。もう、ずっと眠ってるんだもの。だいじょうぶ?」

 なんだかろれつの回らない様子の柚子葉がいた。

「なんだ。柚子葉。酔っ払ってんの?」

 二階堂は笑う。

「そういや腹が減った。」

 柚子葉の持っている食べ物を見てお腹がなった。厨房と食料庫から食料が解放されたのだ。今まで貧しい食事ばっかりだったので、食べ物が今までより本当に美味かった。そして何より皆で食べるのが一番美味しかった。ヒューマンスクールの規則も。ビロウも。宣教師も。ここにはない。

「そうか。もう何の気兼ねもする必要はないんだな。」

 そうポツリと言った。それを聞いて柚子葉が吹き出す。

「?どうした?」

「何かおかしくて。」

 柚子葉はそうやって鈴の音のように笑った。その柚子葉の様子を見てたら二階堂はさして理由の方は気にならなくなった。

「まぁいいか。」

 生徒たちの大部分は突然得た自由に戸惑いながらもそれをこわごわと、少しずつ楽しみはじめている。

 つぎつぎに覚醒した二階堂のところに生徒がやってきた。知っているALFメンバーとは成功を喜び合い、抱きしめあった。そして他の生徒も二階堂の側にやってきた。皆新しいリーダーを求めていた。

 二階堂はがぶりとその小麦色の液体を飲み込んだ。苦かったがどこか染み込む不思議な味だった。皆が笑顔で笑っている。誰かが楽器を引き鳴らす。歌を歌っている連中がいる。二階堂と柚子葉は食器がなくなったのでそれを運びに行った。

「あれ?さっきまで夕方なのにまだ夕方なのか?」

 二階堂は疑問を口にした。

「そうなのよ!二階堂は1日中寝てたのよ。」

 柚子葉は食い気味に顔をこちらに向けて言った。

「そっか。」

「そっか。って驚かないのね。まったく。あなたらしいわ。」

 宴の盛り上がりは終わることもなく、続きそうだった。それから二階堂は柚子葉と抱きしめあった。二階堂は優しく、優しく包容した。壊れやすそうでとても怖かった。

「ああ。人のぬくもりってあったかいな。」

「そうね。とっても・・・・確かだわ。」

 お互いの唇が触れそうになる。 柚子葉が目を閉じる。 だがその数瞬後に集団が現れた。しかし、二階堂は構わずキスをした。柚子葉の方はその形のいい目を見開いている。

 ヒュウ♪と美濃が口笛を鳴らした。心底面白そうだった。大澤と田中君などの男子生徒数名ががーんという音が聞こえてきそうな顔をしていた。女子生徒が見ても二階堂のファンはショックを受けたかもしれない。

「うーい。行こうぜ行こうぜ。」

 美濃はゴキゲンよろしく、快活に大澤や、田中など男子生徒を引っ張って行った。

 ぷは。とキスになれていない柚子葉は息を漏らした。体から火が出るみたいに熱い。二階堂と柚子葉はそれから見つめあった。

「柚子葉とこんな風になれたらと思ってた。」

 二階堂が口を開いた。

「夢を見てるみたい。」

 柚子葉の目から一筋の涙が流れた。


「うう・・・・柚子葉さん・・・」

 大澤はさめざめと泣く。さっきまでヒューマンスクールに対しての愚痴を延々とこぼしていたが今度が泣いている。忙しいやつだった。怒り上戸の泣き上戸。

「あーもう。こんなめでたい日なんだ。楽しまなくっちゃ後で悔しくなるぜ。俺らもほら、女の子に話しかけてこようぜ。」

「うう・・・柚子葉さんじゃないと駄目なんだ・・。」

「そんなことないって。ほら。な。あそこの女の子とかかわいいなー。」

 向こうにいた女の子達がこちらを見てニコリと微笑む。

「・・・・」

 大澤と田中はぽっと顔を赤らめた。

「よっしゃ行こう行こう。」

「ええっ。ま、待ってくれ美濃君!」

「名前だけでも聞いとこう。行こう行こう。何たって明日も明後日もこれからずっと、1日の始まりから終わりまで全部自分のために使えるんだぜ。すごいことなんだぜ!!ほんとうによ!!」

 若者達は火を囲んで座って歓談した。みんなは今日の出来事を一生忘れないだろう。長い長い戦いだった。その支配が今日という日に終わったのだ。この日はこの島にとってこれから祭日となるだろう。

 
 目的を果たしたからか、二階堂や、美濃はそれから何か彼らを動かしていたエネルギーの源が消え去ったようだった。新しい、自分達にふさわしい、支配を脱した証の建物を建てるということはALFメンバーの間で語られていた夢だったので、その夢の実現のため、皆は今瓦礫の片付けから始めている。
 もちろん二階堂や、美濃も参加し、指揮をしている。

 夜、瓦礫のから引っ張りだした毛布などをしいて寝る子供たち。火にあたりながら二階堂はその揺れる火を見ていた。
 美濃は二階堂に話しかける。

「これは話し合ってないけど高市や、みんなの墓標を立ててやりたいな。」

「そうだな。」

 二階堂は賛成した。

「俺達で、埋葬してやらないと。」

 ヒューマンスクールのために多くの犠牲になった人たち。

「なぁ二階堂。これからお前はどうするんだ?」

 パチリ、と火が弾ける音がする。

「俺は・・・まだここに残ろうと思う。なんだかんだでみんなこれからどうしていいのか。洗脳から解き放たれたはいいものの、どうしたらいいか分かってない。その手伝いをしなきゃな。」

「(本当はめちゃくちゃ世界を見て回りたいくせに。)」

 美濃は思った。

「俺は外の世界に行くよ。」

 火に枝を差し入れる。その顔は決意をはらんだ確かなものだった。

「そうか。やっぱり行くのか。」

 美濃は前々から島の外に出たいと言っていた。折に触れて、ぽつりと言うだけだったが。

「すぐに追いつくさ。」

「猛スピードで駆け抜けるつもりだからなぁ。俺の速さに追いつけるかな?」

 おどけた挑発だ。

「ぬかせ。」

 二人は笑いあった。

「ただ・・・もう少し準備に時間がかかりそうだ。」

 ごろんと寝っ転がる美濃。夜空には星が散りばめられている。

「(あの空からこの地上はどんな風に見えるのだろうか。)」

 美濃は思っていた。

「つーか長かったな・・・・」

 美濃が口を開く。この火の周りには柚子葉や大澤がやってきた。もう隠れるようにして彼等が会う必要などどこにもない。

「そうね・・・・長かったわ。」

 押収されていた服を取り戻して着ている柚子葉。永劫のようにヒューマンスクールに縛られていた。その苦しみの時間。自分たちが奪われた、二度と帰ってこない時間。

「美濃君・・・外の世界に行くんだってね。」

「ああ。」

「怖くないの?」

 大澤は言った。

「いや・・・こっ・・・怖くねぇし・・!!」

 そんなおどけるように言った。皆が笑った。美濃と言う男は自信さえ取り戻せれば、自分を見失うことのない人間だった。

「たしかに何があるか分かんねぇけど・・わくわくするぜ。島の外に行くってのは。」

「(生きている証を求め続けるつもりなのか。美濃らしい。)」

 上半身には白タンクトップだけを着ている美濃を二階堂は目に焼き付けるように見ていた。
 寝転がると夜空には満点の星が輝いていた。

「いろんなものを見て、いろんなやつと会っていろんな喧嘩をして、いろんな女と恋する。」

 二階堂達は話に耳を傾ける。満点の星空にはいくつもの星が煌めいている。美濃がエネルギーを燃やしながら、世界を旅しているところが想像できた。

「ああ・・・それは楽しそうだな。」

 二階堂は言った。

 この島は今完全に自由な区域なのだ。あらゆる大人の支配から逃れてる。ピーターパンの王国のようだった。あらゆる法からも逃れている。

  「ありがとう。」

 その言葉をかけられた時、二階堂はぎくっとした顔になった。目の前には本当に感謝しているようにこちらを見る少女がいた。この少女の年齢は分からない。田中くんと同じくらいだろうか。ということを二階堂は考えた。

「私達を助けてくれて、本当にありがとう。」

 その少女は二階堂を尊敬しているかのような眼差しで診ている。

「たった一人ではじめたんですよね。圧倒的に強い支配体制にずっと戦って戦って、そしてとうとう勝っちゃった。私達皆を救うために。」

 二階堂の方が上背は高かったので、小柄な少女は二階堂を仰ぎ見ている。

「ずっと・・・・生きづらかったんです。あんな気持ちがずっと続くんだって思ってました。でもあなたが教えてくれたんです。これからは私が誇れる私になります。」

「もう、誰にも変えさせません。私は私です。」

「俺の方こそ・・・ありがとう。」

 二階堂はそう言った。

「君がそう言ってくれるなら、やってよかったよ。」

 そう言って二階堂が笑うと女の子は恐縮するように笑う。

「あ、あの、その二階堂さんの・・・・・そ、そのボタンをもらえませんか?」

 顔を真っ赤にしながらしどろもどろに話す目の前の女の子。弱々しく言ったが、言葉尻は勇気がたっぷり詰まった、心地いいきりだった。生命の輝きに満ちた宝石のような瞳が二階堂を見つめる。

 顔を真っ赤にして二階堂の言葉を待っている。
 二階堂はどこかキョトンとしていた。そしてあたりを見渡した。

「お前に言われてるんだよ。」

 二階堂がおどけながら突っ込みを入れる。

 二階堂はよく分からなかった。目の前の女の子が自分のボタンを欲しがることも、気持ちがよくわからない。

「(後で美濃に聞こう。)」

「しかし、こんなボロの服のボタンなんか欲しいのか?これは支配の象徴なのに。こんなもの燃やしてしまおうつもりだったんだけど。」

 二階堂に疑問にその女の子が答えた。

「もちろんそうです。でも私は、思い出が欲しいんです。それは私にとってたぶん二階堂さんが思っているのと絶対値で言うとマイナス1000からプラス1000くらいの差があるんです。」

「??・・・・欲しいのなら上げるよ。」

 二階堂はボタンをちぎって渡した。その女の子は大事に、宝物を扱うように大事にハンカチにしまい込んで、駆けて行った。

「良かったなぁこのモテ男。」

 うししと笑いながら美濃が二階堂の肩をバンバンと叩く。

「うっせ。」

 なんとなく美濃のそれにイラッときてお尻にタイキックをした。もちろん、手加減してだが。

 二人は笑いあった。

「なぁ、朝日を見に行こうぜ。」

 二階堂のこの意見にはみんな賛成だった。数人で浜辺に行く。騒ぎから離れ、四人は歩道を歩いて行った。騒がしい大きな音が離れ、夜の静寂が四人を迎え入れる。四人のシルエットが星空の下動いていた。四人は楽しく話しながら歩いて浜辺に向かった。

 浜辺に着くと柚子葉や二階堂、美濃、大澤は砂浜を笑いながら駆けた。
  空が白んできた。島側では鳩が鳴いている。遠くではまだ俺達の赤い炎の灯りが灯っているのが分かる。この赤い空が俺等の居場所である証拠なんだ。そういつでも心安らぐ新しい居場所となるんだ。俺達の勝利の証の音が聞こえる。気温が低くなり、涼しい風が体を通り抜けるように吹き抜ける。ザァ、と風が草を薙ぐ。
 朝日が昇る。それは、その風景は何よりも美しく、みんなの心を打った。波が海岸線に打ち付ける。この場所までたどり着けた。あの桟橋の向こうまで。振り向けばそこには流れる生命があった。同じ未来を信じている仲間達。そこにあるもの全てが美しく、力強く、愛おしく、自分たちの存在を受け入れ、称えていた。大地が、海が、どこまでも続く天井線がとてつもなく綺麗だった。吹き抜ける風はいつでも二階堂達を優しく撫でる。

 二階堂が静かに身をよじらせた。
 二、三言つぶやきながらくくくと笑う二階堂琥珀。そしてけらけらと笑い出す。

  「どこが地獄なんだ・・・・どこが・・・・」

 誰に向かって言った言葉なんだろうか。笑っているのにとても、とても哀しそうだった。その顔は悔しそうにも、可笑しそうにも、哀しそうにも見える。
 その様子を見ていた大澤。何故笑うのか分かるような分からないような気がした。無邪気な子供のような顔だと思った。そしてそれはどこか狂気を孕んでいるように見えて、どこか哀く見えた。何も彼らのことを知らない、彼らの背景を、それらすべてを知らない人が見たら普通の少年がよく笑うように、笑っているように見えただろう。彼はかつて地獄だと言って、この世界から永久に去った仲間を心の中で悼んでいるのだった。

「二階堂。」

 美濃が指を自分の顔に向けて指す。表情は美濃にしては真面目な顔だった。

 二階堂琥珀が指で顔を触ると、そこには涙がついている。彼は今気がついたような顔をした。

 ここは地獄などではなかったのだ。狂った大人がここを地獄に変えていたのだった。本当は地獄ではなかったんだ。でももう間に合わないんだ。多くの魂はこの美しさを知ることもなく逝ってしまったのだ。それが悔しくて悔しくてたまらないのだ。

 二階堂はもう笑っていなかった。顔を歪め、泣いていた。二階堂は泣き崩れた。

 柚子葉が耐えきれないように二階堂琥珀を抱きしめた。この何もかもを背負って闘った勇者を抱きしめたのだった。





 そして、時が立った。
 ある青空が晴れ渡る日のこと。
 二階堂が草原に背を下ろす。頬を心地よい風がなでる。蒼穹の天を仰いでいた。気温も風も、全てが祝福しているようだった。穏やかなその風景の中に寝転がっている。草の地面の上に寝転がるということは初めてやったが、この島なら柔らかい草が背を包み込むようにして支えてくれる。大地を背にすることがこんな落ち着くことだったとは。ぽかぽかとしたお日様が降り注いでいる。あたりでは鳥たちが餌を求めてこの平安のなか囀っている。全てが調和の中に休んでいた。
 二階堂は横を向いて草の上に同じく寝転がる柚子葉をみた。草のくすぐったさなのか、くすぐったい感情が芽吹いたままだ。柚子葉がくすくす笑うから、二階堂も息を吐くようにウ行の発音とア行の発音で笑った。彼はまだ自然に笑うことは難しい。手を口元に招いて柚子葉が笑っている。眉頭を上げたくすくす笑い。お日様に照らされた柚子葉はまるでアテネのように美しく、綺麗だった。そう、彼女がいれば。彼女と彼の仲間達さえいれば。二階堂はすぐに笑えるようになる。
 そうしていると遠くから賑やかな声が聞こえてくる。その声達に二階堂は身を起こし、笑顔で迎えた。

 The end.

       

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