Neetel Inside ニートノベル
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約束の地へ
第24話

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 木曜日の夕方。今週の出走馬が確定した。
 そこから、『駿馬』トラックマン達の予想が本格的にスタートする。この時点では、まだ枠順(馬番号)は分かっていない。
 枠順確定は、土曜日のレースは金曜日の、日曜日のレースは土曜日の、それぞれ午前中となる。しかし、新聞はそれぞれ開催前日の午前中には刷り終わり、東日本を中心として、広く対象地域に配送されていく。そうなると、予想は枠順が分からない状態で行わざるを得ないのだった。
 枠順は、レースの結果に最も大きな影響を与えるファクターといえる。例えば、逃げ馬が一枠に入るか、大外八枠に入るかだけでもレース展開が全く違ってくる。各競馬場のレース施行距離によって有利とされる枠もあれば、不利とされる枠も当然ある。
 必然的に、予想は馬の力や血統、仕上がりの違い、あとは騎手や厩舎の能力などを重視して行われることとなる。週末の天気が明らかに崩れることが分かっていれば、馬ごとの重馬場適性を重視することもあるだろう。重馬場適性は、実際にレースで見せていればそれを重視するし、そうでなければ、基本的に血統で判別する形になる。
 朝川は、弥生賞の予想に真っ先に取り掛かった。大方の予想どおり、今年も少頭数のレースになった。十二頭立て。しかし、出走馬は注目馬揃いである。
 出走馬中の実績最上位は、アイゼンスパークだ。昨秋に重賞を最低人気ながら、驚きの末脚をもって制し、前走の共同通信杯でも、現時点での皐月賞最有力候補といえるワールドエンブリオの二着。重賞勝ちがフロックではないことはすでに証明されている。ただ、この馬は中山がどう出るか。以前中山を走った時には見せ場もなく大敗しているが……
 次に、アイゼンスパークの勝った重賞で二着となったマイジャーニー。それ以来のレースとなり、約四ヶ月ぶりとなる点が不安も、じっくりと成長を促されて馬体は大きく成長。このレースでさらなる可能性の片鱗を見せるか。
 そして、前走中山の寒竹賞でシャインマスカットの二着に終わったザラストホースの逆襲は果たしてあるか。前走はレースに幅をもたせるための先行策で、天性の先行馬であるシャインマスカットに遅れをとった。これは馬の力の差というより、戦術の向き不向きの差もあっただろう。おそらく本来の末脚勝負に徹する今回は、直線一気の戴冠も期待される。
 さらにこの馬にとって、弥生賞はクラシックへの試金石となる。重賞勝ちや重賞二着で、すでに賞金を積み増している先述二頭に対し、ザラストホースは新馬戦勝ちの賞金しかなく、今回三着内を逃すとなれば、皐月賞出走への道はほぼ絶たれる形となり、さらに日本ダービーのトライアルレースに向けてもう一度仕上げなくてはならなくなる。この馬の目標とするダービー制覇にとっては、大き過ぎる回り道となるだろう。
 弥生賞のようなトライアルレースは、陣営の勝負気配も加味して考える必要が出てくる。

『弥生賞の仕上げは七分程度。このレースで馬をピリッとさせて、皐月賞で九分、そして大目標の日本ダービーでこの馬の全能力を出せるような仕上がりを目指しています。前走は前に行きすぎ。騎手のミス。普通に乗れば今回は負けることはないだろうと考えています』
 中央競馬専門チャンネルで、竹淵調教師のインタビュー映像を見た朝川は、唖然とした。賞金持ってないのに、何この余裕。それに前走の作戦は竹淵先生も承知の上で取ったものだろうに……
 もちろん、インタビューで本音を語る調教師ではないだろう。ただ、ザラストホースの能力に対する確信は、前走を経ても尚揺らいでいないことだけは、十分過ぎるほどに伝わってきた。
 インタビューはまだ続いている。女性インタビュアーが気持ち声を震わせて訊く。
『前走と同じコースを走りますが……』
『前走は力負けではないし、コースをどうこういうレベルの馬とは思っていません。ここからの三戦は全て勝つつもり。とりあえず、今回は通過点。私も皆さんと一緒で、スッキリとさせてもらいたいと思っていますよ』
 本当に強気だな。この馬のことになると、竹淵先生の言葉には普段以上の熱が篭る。
 調教師はもちろん、調教助手の古城も、騎手の安斎も、この馬に懸けているものは非常に大きいだろう。
「…とりあえず、七分仕上げってのはまやかし臭いな」
「八分はあると、思います。水曜追い、坂路を、駆け上がってきた時の、勢いは、寒竹賞の時とは、まるで……別馬の、ようでした」
 テレビは編集部の休憩室にある。朝川は、吾妻と休憩のタイミングがたまたま被っていた。
「ザラストホース……やはり、グッドルッキングホース。ホースマンで、あの馬に、何も心動かされないような人は、果たしているでしょうか? 素晴らしい、馬です」
「実際、一番人気になるかもしれないですね……重賞馬や重賞連対馬を差し置いて。俺は、マイジャーニーにも期待してるんですがね」
「マイジャーニー……良いですね。馬の風格なら、この世代の関東馬では、ザラストホースに、並ぶところまで、行ける可能性のある馬は……マイジャーニーくらい、でしょう。前走は、私も、本命にしました。ですが、今回は……」
 吾妻さん、眠いのかな? いつも以上に言葉がゆっくりのような。長年の付き合いの朝川がそう心配するほどスローな口調だが、瓶底眼鏡の奥の瞳は熱い、ような気がした。
「….まあ、マイジャーニーはここまであまり使わずに来たのが良かったかもしれないです。太めの馬体からすると、数を使って絞っていきたくなりそうなものなんですが、そうすると精神面がおかしくなると。これは田畑さんから聞いたんですけど……馬体に似合わず繊細なところがある馬で、いかに気持ちを保つかが最大の課題ということで、主戦の紺田騎手もゆとりのあるローテーションを陣営に進言したと」
「そうですね……気持ちで走る馬は、いますからね。気持ちが切れた途端、強かった頃の走りが、影を潜めてしまう馬を、私も、たくさん、見てきました……」
 それは俺も知ってる、と朝川は思う。サラブレッドは機械ではなく生き物。人と会話は出来ないが、感情はある。競馬に対する気持ちも、馬それぞれ違っている。競馬を理解できない馬もいれば、理解した上で手を抜こうとする馬もいる。そうすれば苦しまずに済むと知っているのである。様々な要因で、馬は走ったり、走らなかったりする。だから馬券を当てるのは難しいのだ。
「弥生賞は、ザラストホースが勝つと、思っていますよ。私だけではなく、他にも、そう思っている人は、多いでしょうが」
「なぜそう確信できるんですか?」
 吾妻は根拠なく話す人間ではない。朝川は、純粋に理由を聞いてみたかった。
「…あれは、勝ちに行く、調教です」

※  ※  ※

『朝川征士のメインレース展望』
 ラジオ関東競馬中継日曜版の一コーナー。メインレースの二時間前ほどの、レース間の空き時間でたっぷり時間をとって予想を披露できるコーナーである。
「今週も駿馬の朝川征士さんにメインレースの展望を伺います。朝川さん、だいぶ春めいてきましたね」
「そうですね、暖かいです。再来週から、水曜追い切りの開始時間が一時間繰り下がるんですが、それでも今までどおりの防寒で何とかなるかな、くらいまでは暖かくなってきてくれました」
「そうですね、さすがに早朝は寒いですもんね! そして、春はすなわちクラシックシーズンです。まずは牡馬クラシック第一弾、皐月賞へのステップレースとなる弥生賞の予想と根拠をお願いいたします」
 この予想への的確な誘導、やはりアナウンサーは上手い、と思いつつ、朝川は予想を切り出す。
「弥生賞。当然ながら、皐月賞へのステップレースなのですが、近年では皐月賞よりもダービーへの繋がりの方が強くなってきているかもしれません。このレースの好走馬がダービーにおいても馬券に絡むことが増えてきているイメージです。今年も少頭数ですが、そうした観点から見ても、先々ダービーまで期待できそうな馬がいますね。
 本命はマイジャーニーにしました。昨秋の重賞、アイゼンスパークの二着に敗れはしたものの、先々までの可能性を最も感じさせてくれたのがこの馬。レースを良い意味で破壊できる息の長い末脚は、捲りを信条とするこの馬に相応しいものです。今回は、有力どころに後方待機馬が揃っている分、さらに早く動くのではないかと考えています。瞬間的なスピードでは他馬に敵わないと思うので、直線入り口で先頭に並びかけているような形になれば、そのまま押し切り叶うのではないでしょうか。はじめに言ったように、先々まで期待しての本命印。久々にはなりますが、ここで成長したところを見せて欲しいですね。
 相手にはもちろん、ザラストホースを取らないわけにはいかないでしょう。寒竹賞は確かに負けはしましたが、相手がこの世代の先行馬では個人的に最上位クラスと見ているシャインマスカットなので、何ら評価を落とす必要はないと見ています。それに、ザラストホースは明らかに鋭い末脚で勝負するタイプなわけで、前走はハッキリ言って試走のようなものだと思います。ただ、試走では勝てないレベルの相手が前にいたというだけのこと。ここでは、前走の経験も活きて、道中の位置取りが良くなりそうです。恐らく先行集団の直後くらいに付けられるのではないでしょうか。流れも速くはならないでしょうし、マイジャーニーが捲り上げて行くところについて行って、最後直線では叩き合いになるというイメージで考えてます。まあ、本当は東京向きの馬だと思いますが……ここは力でこなしてくれるのではないかと思います。
 この二頭がここでは抜けていると思いますが、あとは展開に乗じての三着探しですね。逃げ馬はマイジャーニーがいるおかげで苦しいレースになると思われるので、その後、二、三番手にいられそうなサウザンエースやブライダルハンター辺りが狙い目。アイゼンスパークは、二歳時中山で走った時の走りを見ると、中山向きとは考えづらいので今回は切ります。馬券は、そうですね……三連単でもかなり絞って買えそうなので、その方向で考えてみたいです」
「頭はマイジャーニーかザラストホース、という買い方でしょうか?」
「そうなりますかね。いずれにせよ、クラシック本番が楽しみになるような、内容のあるレースが期待できます」
「二時間後が楽しみですね! それでは駿馬朝川征士さんのまとめです。本命は十二番のマイジャーニー。捲りを決めて直線押し切りを狙うとの予想。対抗に四番ザラストホース。マイジャーニーより前目につけられそう。この二頭が中心で、三着候補にサウザンエースとブライダルハンターという順番です。朝川さん、ありがとうございました!」
「どうも失礼しました」
 マイジャーニーに決めた。このレースだけではなく、皐月賞でもダービーでも、この馬に本命を打ちたいと思った。元々朝川好みの馬体でもあり、ここで好走してくれさえすれば、迷いなくクラシックの本命を決められると思った。
 皐月賞に限って言えば、シャインマスカットと迷うかもしれない、とも考えつつも、昨秋感じた衝撃が、忘れられずにいた。
 この馬は、文字どおり馬力が違う。

       

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