Neetel Inside ニートノベル
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約束の地へ
第27話

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 弥生賞の結果は瞬く間に東西の競馬サークルに響き渡った。
 ヤバかったな、あの馬。
 皐月賞もだけど、もうダービーまで持ってくんじゃないの? ザラストホースがさ。
 エライ強かったなー。けど西にもワールドエンブリオっちゅうのがおるしね、分からんよ。
 イヤイヤ、今年は東に攫われるんと違う? 竹淵センセイ悲願のダービー制覇っちゅうとこかな~。

『皐月賞の本命は、最後まで悩むことになるかもしれません……』
 写真とともにツイッターに書き込み終わったところで、朝川は担当している柿田厩舎の戸を開けた。
「朝川くん、おはよう。だいぶ暖かくなってきた--おや、今日は可愛らしいお嬢さんも一緒かね」
「えへへ、どうも先生! 修業中の身です!」
「お前なんだそのノリは? すみません、伊藤有栖という、ウチの新聞の新人です。そろそろ厩舎周りに出してみようかと……」
「若い人は元気なのがいいよ。最近は若いのに年寄りのような人もいるというし……」
 確かに。それにしても最近のアリスは……朝川はため息をつきたくなった。すっかり慣れたのか地が出てきている。いつか痛い目を見なければいいが、まあでも空気を読めない子ではないから、何となく上手くやっていくのだろうか。そういえば、乗馬に行ったあたりから一気に明るさが増した。それは果たして、久々の馬乗りのおかげだけなのか? それとも、あいつの……
 いやいや、仕事だ。
「先生、早速ですが今週はスプリングステークスです」
「そうだね。シャインマスカットね、具合はすこぶるいいね。一月から比べても、さらに身が付いてきたような感じだ。結果的に勝った相手はとんでもない馬だったようだし、自信もついたのかな? 今回は鞍上も変わるし、どんなレースになるか楽しみだ。出来たら、本番前に重賞を勝っておきたいね。そうしたら、ダービーまでは出走当確だろうから」
 よほどシャインマスカットについて喋りたかったのか、柿田調教師は一気にそこまで言い切った。朝川がその中で一番突っ込んで訊きたかったのは、鞍上変更についてだった。
「今回から、ジョッキーが変わりますね。あの、紺田忠道騎手に……」
「そういえば、去年、朝川くんと紺田については少し話したんだったね。それだから、ちょっと言いづらいなぁ……」
 この先を渋るそぶりの柿田調教師。それを見て、朝川はアリスに目配せする。アリスはニヤリと笑って、
「はい、先生。先週の弥生賞の勝ち分で買いました! どうぞ!」
「まぁ、紺田騎手もね、私の想像以上に努力していて、馬にも乗れるようになったということでね。一人前であろうと。それならば、あくまでも今の実力で判断することにしようと、そういうことですね」
 おそるべし栗最中の力。あっという間にコメントを引き出すことが出来てしまった。
「紺田騎手は、先生からシャインマスカットの騎乗を依頼された時、どんな表情をしていましたか?」
「彼もプロだからね。必要以上に驚いたような顔はしていなかったような。引き締まった顔はしていたけど……それより、周りが驚いててね。そんなに知られてるのかと」
「それは……ウィキペディアにも載ってるくらいですからね……」
「ういき……なに?」
「いえ、こっちの話です。とにかく、柿田調教師と紺田忠道騎手には色々事情があったとみんな思っていたので……だから、インパクトがあるんだと思いますよ、今回の乗り替わりは」
「…私も、恐らくこれが最後のチャンスなのかなぁ。クラシックに、それなりの力のある馬で臨める機会なんて、そう滅多にあるもんじゃないよ」
 そうか、と朝川は合点した。柿田調教師は今年で六十九歳。中央競馬の調教師は七十歳の年度末で引退することになる。柿田調教師に残されたクラシック制覇のチャンスは、あと二年だけなのだった。
「それなら最後はさ、後悔したくないじゃない? その気持ちは分かるでしょう。全てに納得して、競馬の世界からスッと消え去りたいわけ」
「GⅠトレーナーがすっと消え去るなんてことは……でも、そうですか。先生にとって、最も後悔しない選択肢が……」
 競馬は人間ドラマでもある。長い間袂を分かっていた師弟が、事ここに至って再び手と手を取り頂を目指す。純粋に良い話だと思う。そして、良い結果が出て欲しいとも思う。
 レースは、ドラマなどどこかに吹き飛ばして、全部なかったことにしてしまうこともある。結果が全ての世界とはそういうものなのだと、朝川は改めて思う。
「紺田騎手、良いですよね……朝川さんも先週何度も同じこと言ってました。紺田は上手い、紺田は最高だ、って! 弥生賞も紺田騎手のおかげで大的中でしたもんね〜?」
 コイツ、余計なことを!!
「そうなの? それなのに、朝川くんはお土産なしだったんだね……伊藤さんは買ってきてくれたのに……」
 この小娘が勝ち分まで全部飲みやがったからです先生! と言いたかったが、それはさすがに情けなさすぎて、朝川はただ黙って耐えていた。

 シャインマスカットは熟していた。いや、最良のパートナーの存在が、シャインマスカットの糖度を最高にまで高めるための最後の一ピースだったのかもしれなかった。
 スプリングステークス、シャインマスカットは中山競馬場芝一八〇〇メートルを、まさに独り舞台で制圧した。ザラストホースに勝ったのはマグレじゃないぞ--そう叫んでいるかのように、レース後、シャインマスカットは天に向かって吠えていた。
 もうワンパンチ足りなかった去年までのシャインマスカットのイメージは捨てた方がいいだろう。むしろ中山なら、皐月賞でも主役候補になってもいい馬だ。
『皐月賞の本命馬選び、ますます難しく……』
 ツイッターにそう書き込んだら、【いいね】がいつもより多かった。

       

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